最新!! 環境イベントについてもう少し考えてみた 2010年05月25日13:17
 
先日、代々木公園で行われた「アースデイ」というイベントについて、否定的なことを書いたんですが、あとでもう少し考えてみたので、そのことを書こうと思います。
 
私はこう言う環境イベントがどうも好きでなくて、なぜかとつらつら考えてみると、やはりどこかで「金儲け」が絡んでいるからではないかと思いました。
 
 
もちろん金儲けは悪いことではないんですが、環境問題のようなデリケートで、かつ深刻な問題を、ある意味で「提灯」にして人を集めるというイベントに、なんとなく不快感をもったわけです。
 
参加される方はもちろん、意識の高い人たちでしょうし、それなりに環境について考えるきっかけにはなるとは思います。
 
しかしわざわざお祭り(イベント)まで開くことなんでしょうか。。。。
 
 
 
たとえばNPO法人というのが最近たくさんできてますが、私もちょっと興味があって調べてみると、要するに会社設立と同じなんですよね。
 
代表がいて役員がいて、ちゃんと給料がもらえる。
 
もちろん公益的な事業でないと認可はおりませんが、税金も安いし、手続きも簡単です。自治体から補助金も出やすいし。
 
それになんとなく社会に貢献しているようなイメージがある。
 
表だって金儲けはできないけれど、旨味はたくさんあるわけです。
 
 
もちろんちゃんと社会的意義のある事業を展開してるところがほとんどなんでしょう。
 
しかし私なんかは、なんとなくNPOというと、「胡散臭さ」のようなものを感じてしまうんです。
 
 
だったら、最初から株式会社を名乗って、堂々と商売すればいいのに。。。。と思うわけです。
 
 
 
 
環境問題に話を戻すと、「エコ」で金儲けしている企業はたくさんありますよね。
 
前にも書きましたが「エコロジー」というのは企業が商品を売るために新しく考え出した付加価値だと考えてもよいようです。
 
「高性能」では洗濯機とかエアコンが売れなくなり、「省エネ」で売ろうと。
 
そういうことです。
 
 
これももちろん悪いことではないし、実際「環境にやさしい」わけですからよいことです。
 
しかし環境問題を、やはり「提灯」にして商品を売り、しかも不景気だからって、政府が「エコポイント」とかで露骨に企業の金儲けを応援するということに疑問を感じてしまいます。
 
 
日本にとっては、環境問題よりも景気対策の方が、本来の目的に近いのではないかと。
 
 
北極の氷が溶けて困るのはキリバスやモルジブのような貧乏な国で、我々は大して困らない。
 
だから欧州の国々は、北極の利権について他国を閉め出し、さっそく会議を開いてますよね。
 
 
こういうまったく誠意のない先進国の態度を見ているとホントにウンザリします。
 
 
 
最後にアジアの国々が経済力をつけてきた時期と重なるようにして環境問題がやかましく取り上げられるようになったのは、私は偶然ではないような気がしているのですが、みなさんどう思われますか??
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「韓国併合」 2010年05月24日22:32
 
「韓国併合」(海野福寿 岩波新書)
 
 
地味に今年は韓国併合からちょうど100年。
 
誰もなにも話題にしないのは、あえて避けているからか??
 
ともあれ韓国併合に至るまでの過程を資料を丹念に調べて、できるだけ公平に(おそらく)語った内容。
 
 
一応公平であることを前提にすれば、これを読むと日本のアコギなやり方、特に伊藤博文の高圧的かつ侮辱的な態度が、なんともやりきれない。
 
江戸末期に日本が経験した、西洋人からの屈辱的な態度を、そのまま朝鮮に対して行っているのだった。
 
 
韓国の高宗は、外交権を日本に移譲することを拒んだ。
 
 
「皇帝は終始、外交権の移譲、すなわち国際法上の独立国家の地位を失うことをこばんだ。それはアフリカの植民地にひとしい、とさえいった」
 
 
その皇帝に対して伊藤は、
 
「定めて是れ人民を扇動し、日本の提案に反抗を試みんとの御思召と推せらる」
 
と語気を荒げたという。
 
 
そして大臣たちを呼んで裁可を促し、拒否して退廷する大臣には、
 
 
「余り駄々を捏ねる様だったら殺ってしまえ、と大きな声で囁いた」
 
 
外国の政府高官にここまでやるか。
 
 
伊藤は初代朝鮮総督なので、いってみれば進駐軍のマッカーサー元帥が、天皇や当時の総理に「殺すぞ」と恫喝するようなものだ。
 
 
もちろん伊藤の態度は、日本の国益をおもんばかった上でのものには違いない。
 
日露戦争が終わって日本の朝鮮における利権が確定したところだったわけだし。
 
だけどねえ。
 
 
しかもこういう隣国にたいする無礼な態度を、多くの日本人が支持していたという事実に驚く。
 
当時の日本人の多く、おそらくほとんどすべての人は、日本の国土が1.5倍になると単純に喜んでいたのだ。
 
 
そして現在に至る朝鮮蔑視はこの頃の新聞や学者、教科書の論調、
 
「土台のない柱の如くグラグラ者」「未開の人民」「韓国は貧弱なる分家」
 
などとし、韓国は「三韓征伐」の頃から日本民族が優勢で、併合は必然という論調に由来しているという。
 
唯一石川啄木が、
 
「地図の上 朝鮮国にくろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」
 
と読んだくらいだという。
 
 
 
 
ちなみに伊藤博文の千円札は84年から86年の間に夏目漱石に変更されたが、おそらく88年のソウル五輪が影響しているんではなかろうか……というのは深読みしすぎ??
 
 
 
 
また当時の列強が、日本の朝鮮半島での利権を認め、なんの抗議も行っていないことも注目するべきだろう。
 
あのアメリカでさえ、韓国皇帝の密使を冷遇している。
 
アメリカが満州に調査団まで派遣して、日本の不正を指摘したのは、結局アメリカの中国利権と日本の利権が対立したからなんだろう。
 
 
 
 
最後にあとがきに述べられている著者の言葉、
 
 
「わたしたちにとって考えるべき問題の本質は、併合にたいする過程の合法性如何ではなく、隣国にたいする日本と日本人の道義性の問題ではないか、と思う」
 
 
に、学者の良心を見て、深い共感を覚えた。
 
 
今でも「日本が朝鮮に対して恩恵を与えた面もある」式のことを言う人がいる。
 
しかし一番重要なことは、それが半島の人々が望んだから行われたわけではない、ということだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「女ひとり世界に翔ぶ」 2010年05月24日01:21
 
「女ひとり世界に翔ぶ 内側からみた世界銀行28年」(小野節子 講談社)
 
 
著者は安田財閥にもつながりのあるお金持ちの出身で、姉はなんとオノヨーコ。
 
海外生活が長く、世界銀行で長年勤め、酸いも甘いも見てきた著者の、国際機関の内幕を暴露する内容……かと思ったらそんなに過激なことは書いてない。
 
というよりも書けないんだろうな。
 
 
しかし世の中の不正というか、途上国の支配層の腐敗や、それを支援する先進国といった「悪の構図」は指摘されている。
 
まあこれも驚くほどのことでもないが。
 
911テロが起こったときの著者の感想は、
 
 
「貧富の差が激しく、一部の上流階級が冨の大半と権力を握っている国々、あるいは、そういう開発途上国の政府に軍備と財政の援助をして、不平等を助長している先進諸国が、テロの危険にさらされるのは当然ではないだろうか。先進国が国際社会をもっと公平で正義のあるものにするよう努力をしていたなら、このようなテロなど起こらないのではないかと、悲しみと怒りを感じた」
 
もっともなことである。
 
 
 
世界銀行に入行した著者はモーリタニア担当になる。
 
モーリタニアとセネガルは仲が悪い。
 
1988年にはモーリタニア国内のセネガル人が虐殺される事件が起きたという。
 
 
実は私は1990年にこのあたりに行ったことがある。
 
セネガルからモーリタニアに行けないか調べたら、国境が閉鎖されていることが判明して断念した。
 
そのときは理由は知らなかったけれど、実はこの暴動が原因だったらしい。
 
セネガルとモーリタニアの対立は、要するに黒人とアラブ系の対立である。
 
 
 
 
それよりも面白かったのは、国際社会でなぜ日本人が活躍できないかについての著者の感想だ。
 
 
「世界銀行は基本的には西洋人が支配する組織である。西洋といっても、アングロ・サクソン文化を基礎とした西洋流の考えを開発途上国にも押しつけようとしてきたのである」
 
 
世界銀行の総裁はアメリカ人と決まっている。
 
IMFの総裁は西洋人と決まっている。
 
要するにそういうことなのだ。
 
 
こういう社会で日本人が活躍するのは至難の業だ。
 
 
「日本人職員の弱いところは、やはり英語力にすぐれていない点だろう。おまけに日本人は自分たちが西洋文化に属していないことを誇りに思っているところがある」
 
「致命的な弱点は、日本社会における上下関係と西洋のそれとの違いである。日本人は上司に対し、甘えの関係を期待する。それゆえに、西洋流の一方的な力関係になじめないところがある」
 
 
「一方的な力関係」とはどういうものかというと、
 
 
「担当する業務のすべての責任を一手に握り、強力なリーダーシップを発揮して、独裁的に振る舞うことが要求される。そうでなければ、部下は機能的に働くことができない。マネジメントのカルチャーが日本のそれとは基本的に異なるのである」
 
 
西洋社会では「オレがオレが」でないと、いないものと同じと見なされるそうだ。
 
日本で嫌われるタイプの人間が西洋では普通であり、むしろそうでないと評価されない。
 
日本人から見れば我の強い連中をまとめ上げるには、強権的にふるまう上司でないと無理なのも、なんとなくわかる気もする。
 
こういう力関係というのは実に西洋らしい。
 
飼い主とイヌの関係にも似ている。
 
 
前に紹介した「肉食の思想」(鯖田豊之 中公新書)は、西洋人の思想と「牧畜、肉食」との関係を解説した本だが、ヨーロッパの人間中心主義には、動物と人間の完全な差別化が根底にあり、その思想は「西洋人とそれ以外の差別化」につながり、さらに「人間を完全人間と劣等人間にわける、とぎすまされた断絶論理を産み出すのである」という。
 
 
「断絶論理はキリスト教徒であるヨーロッパ人のなかにも侵入し、かれらをいくつもの階層にきびしく区分する」
 
 
たとえばイギリスの階級社会とか、18世紀のフランス貴族と庶民の、あまりにもかけ離れた生活レベルとかも、これによって説明することができるのかもしれない。
 
そしてここに、上述の強烈な上下関係の断絶の理由が隠されているだろう。
 
 
そういう職場で日本人がどのように振る舞うのかも想像できる。
 
影の薄い傍観者。悲しいなあ。
 
「和をもって尊しとなす」なんて言っていたら、鼻で笑われるんだろうなあ。
 
 
財務省のエリート官僚が国際機関では無能扱いされるという。
 
それは彼らの能力が劣っているのではなく、発揮されるべき場所が与えられないからなんだろう。
 
 
でもそういう西洋社会に馴染めないんだから仕方がない。
 
私のような純粋培養の日本人は、外国で仕事しようなんて思わないことだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アメリカ後の世界 その2 2010年05月18日00:03
先日読了した「アメリカ後の世界」(ファリード・ザカリア 楡井浩一訳 徳間書店)。
 
いろいろと面白いことが書いてあるというのは前にも書いたとおり。
 
今回も興味深い部分を取り上げよう。
 
 
 
「二〇〇七年のピュー・リサーチセンターの調査によれば、「道徳的になるには神を信じる必要があるか?」という問いに、アメリカでは安定多数(五七パーセント)が「はい」と答え、日本と中国ではもっと多くの人々(中国ではなんと七二パーセント!)が「いいえ」と答えた」
 
 
 
アメリカでは道徳と信仰は切り離せないものらしい。
 
一方の日本人は、多くが無神論者であるにもかかわらず、日本の治安は世界的に見て非常にいい。
 
そして日本人は慎み深いと世界では評判である(もちろんそれが問題の場合も多々あるわけだが)。
 
 
キリスト教徒にとっての罪の意識というのは「神様に対して」であって、日本人における「世間に対して」というのはだいぶ違うものらしい。
 
日本人が「世間様に顔向けできない」のと同じように西洋人は「神様に顔向けできない」のである。
 
ここに、キリスト教諸国でとりわけ犯罪が多いことの、ひとつの理由があるのかもしれない。
 
 
信仰がない=道徳心がない
 
 
つまり神様を信じなくなったら恐れるものはないのである。
 
神様なんか最初から信じない子供らが、銃を乱射して強盗を繰り返すのは映画「シティ・オブ・ザ・ゴッド」で描かれているとおりだ。
 
 
 
 
 
一九世紀のイギリスは、世界を封じ込める五つのカギ、シンガポール、喜望峰、アレキサンドリア、ジブラルタル、ドーバーを手中にして、世界中の海路を支配した。
 
イギリスの世界に占めるGDPは40%にも達していた。
 
しかしそんなイギリスの繁栄は、実は非常に「希有な状況」の産物であるという。
 
ポール・ケネディが言うには、他の西洋諸国が工業化を成し遂げ、ドイツが統一され、アメリカの南北戦争が終了すると、途端にイギリスは凋落し始めた。
 
凋落したイギリスは、第二次大戦後に、アメリカからの借金を返済するために、海外の英軍基地をアメリカに譲った。
 
 
要するに大英帝国の繁栄とは、現在の先進各国がイギリスのレベルに達する前の空白の状況であったに過ぎないと。
 
この人の「大国の興亡」はこれから読むところなので、後でまた考えてみたい。
 
 
 
 
全体として著者がインド人(おそらくヒンズー教徒)だけに、中国とイスラムに比較的辛く、インドの将来には楽観的である。
 
そして読者対象が主にアメリカ人だけに、アメリカに対して甘い感じもしないでもない。
 
たとえば中国についてはこんな感じだ。
 
 
 
「あるアメリカ企業のCEOは、新しい超大型施設の建設用地を探していたところ、中国高官からいい話があるともちかけられた。案内された場所は、中心街に近くて立地も良く、条件をほぼ満たしていたが、この候補地にはびっしりと人家が建ち並び、さながら小さな町の様相を呈していた。CEOがこの点を指摘すると、中国の高官は次のように答えた。
「ああ、心配はいりませんよ。十八カ月後には住民はいなくなっていますから」
実際、約束の期限までにそこは更地になっていた」
 
 
 
こういう話は北京五輪前によく聞いた話ではあるが、改めて中国共産党の強権ぶりが窺える。
 
日本で普天間基地の移設でこれだけ紆余曲折している間に、中国ではさっさと住民を移住させて、効率のよい町づくりを進めているわけだ。
 
しかしどっちが幸せかというと、もちろん日本に違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
スターリン 2010年05月17日00:07
 
スターリンというバンドが私がなんかが中学生頃の頃に流行った。
 
日本のパンクの走りくらいのバンドで、遠藤ミチロウの絶叫歌詞とスピーディーであっという間に終わる曲(笑)がかっこよくて、みんなして聞いていたものだ。
 
当時は聖子ちゃんをはじめアイドル全盛時代だったし、そういう年頃でもあったので、こういう反社会的なバンドがかっこよかったのだ。
 
 
 
そんでさっき、フト気になってスターリンを調べてみたら。。。
 
あったあった。
 
懐かしいのがたくさん並んでいる。
 
ウオークマンで44秒まで視聴できるんだが、平均して2分、最も短いので46秒の曲ばっかりなんで(笑)、視聴しただけですっかり満たされてしまった。
 
 
それで結局、一曲も買わなかったんだが、そういえばスターリンの曲で、ガキの頃にはわからなかったけれども、大人になってから、「なるほど」とうなずく歌詞がいくつかあった。
 
 
たとえば「天ぷら」という曲がある。
 
歌詞は、
 
「天ぷら! 天ぷら! オマエだ!」
 
を絶叫し、さびで、
 
「からっぽ! からっぽ! からっぽ!」
 
を絶叫するというもの。
 
子供の頃はなんだかわからなかったが、大人になって「天ぷら学生」(格好ばかりでアタマはからっぽの学生のことを指す)という言葉を知って、「ああなるほど」とうなずいたのであった。
 
 
 
もうひとつ。
 
「GOGOスターリン」という曲がある。
 
 
「パパ〜! ママ〜! 共産党〜!」
 
という歌詞で、
 
「お父さん、お母さんの、うそつき!!!」
 
という歌詞に続く。
 
子供の頃はわからなかったが、今ではなんとなく理解できる。
 
しかも笑えるのが、二番の歌詞になると、
 
 
「パパ〜! ママ〜! 貧乏〜!」
 
に変わるのである。
 
なるほどそうかもしれないなと、これも納得するのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「南ア共和国の内幕」 2010年05月16日21:04
 
「南ア共和国の内幕 アパルトヘイトの終焉まで 増補改訂版」(伊藤正孝 中公新書)
 
71年の初版発売以来、26刷りを重ねたというロングセラー。
 
当時は朝日新聞記者の若手記者だったであろう著者も、編集委員を経て退職されているに違いない。
 
 
 
アパルトヘイトが華やかだった時代に、記者として潜入取材した記録だが、内容はまったく想像通り、ひどい状況である。
 
空港からして白人用、黒人用のゲートがある。
 
黒人はソウェトと呼ばれる巨大な貧民街に押し込められ、ヨハネスブルグに住むことを許されない。
 
著者も入店拒否、宿泊拒否は当たり前のように経験している。
 
 
 
著者によれば、アパルトヘイトの核をなす法律がふたつあるという。
 
それは「パス法」と「職業確保に関する法律」だそうだ。
 
 
パス法というのは、身分証をもっていない黒人を警察が逮捕できるというもの。
 
もうひとつの職業確保に関する法律というのは、黒人に仕事を斡旋するためのものではもちろんなく、白人に職業を確保するための法律である。
 
 
職業によって黒人の雇用数が制限されるのだそうだ。
 
要するに下層階級の白人に仕事を与えるための法律なのだ。
 
 
白人の給料は黒人の数倍から10倍以上にもなるので、雇い主のホンネとしては黒人を雇用したいが、この法律のために賃金の高い白人を雇うことになる。
 
だから南アの白人は異常に金持ちで、プールつきの豪邸は当たり前で、タクシーの運ちゃんでさえ黒人のメイドを雇っているのが普通なんだそうだ。
 
 
「人類が到達しえた最高の生活水準はヨーロッパにあるのではない。アメリカ人と、恐らく南アの白人がそれを享受している」
 
 
 
このあたりが南アが黒人を解放せざるを得なかった大きな理由らしい。
 
要するにムダに賃金の高い白人を大量に雇用しているために企業は収益が上がらず、大勢の黒人が貧乏なために内需が滞り、おまけに諸外国からの経済制裁で、慢性的な不況に耐えられなくなった。
 
アパルトヘイトこそが南アの経済停滞の大きな原因だったわけだ。
 
 
 
アパルトヘイトを維持しようという白人は大勢いたが、実は黒人解放を訴えていた南ア白人も少なからずいたらしい。
 
人間というのは金持ちになると考えがリベラルになる。
 
貧乏人は一般的に保守的である。
 
アメリカのKKKは、南部の貧乏白人が支持者だったし、今の日本で所得格差が大きくなるに従ってネット論調が右傾化するのも同じ理由だろう。
 
 
南アでもアパルトヘイトを支持していたのは一般にプアホワイトで、反対していたのは教育レベルの高いインテリ層が多かったという。
 
 
この辺は興味深いところだ。
 
黒人を搾取することで白人は金持ちになり、金持ちになることで教養が高まり、リベラルな思想を持つようになる。そして自分たちを金持ちにしたアパルトヘイトに疑問を持つ。
 
ある意味でアパルトヘイトが消滅したのは、歴史的必然といえるのかもしれない。
 
 
 
しかし現在の南アのすさまじいまでの治安の悪さはどうだろうか。
 
著者も白昼、通行人が大勢いる路上で強盗にあったという。
 
通行人たちは立ち止まって成り行きを見守るだけで、誰も助けてくれない。
 
その理由を尋ねると、
 
「もしも助けに近寄ったら、強盗の仲間に逆に襲われてしまう」
 
という。
 
私が聞いた話では、駅からホテルまでの間に三回も強盗に遭遇した人がいるという。
 
旅行者の間では南アは「北斗の拳みたいな国」ということになっている。
 
 
だから多くの白人は、郊外に家を建てて移住してしまい、かつての高級住宅街は黒人が住むようになったという。
 
アメリカと同じ状況である。
 
 
 
黒人大統領が続いている南アだが、現在のズマ大統領は汚職歴もあるそうで、評判がよくないらしい。
 
アパルトヘイトが消滅して、黒人が解放されたことは喜ばしいことだが、今は黒人の政治的な能力が問われているんだろう。
 
 
 
あと、どうでもいいけど、もうひとつ面白かったのが、
 
 
「ファイア・ネックレス」(ガソリンをかけたタイヤを首にかけられ、火をつけられること)
 
 
すげー。
 
私はドラゴン花火を口にくわえて走り回るのを得意技にしていたんだが(←バカ)、これは火傷では済まないな。
 
日本で流行らないことを願いたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
雑誌の表紙に名前が載った 2010年05月16日10:53
 
 
 
 
今まで数え切れないほどの雑誌で仕事してきましたが。
 
表紙に名前が載ったのは生まれて初めて。
 
 
リトルモアさんの季刊誌「真夜中」でコラムを書かせていただきました。
 
担当は、居候本でもお世話になったTさん。
 
 
さっそくイトコでマイミクの「なかがわあつし」さんからメールをいただきました。
 
実は彼、真夜中の愛読者だったらしく、私の名前を発見して感慨深かったそうです。
 
 
Tさんありがとう。
 
またよろしくお願いします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ワキに張り付いていたナゾの寄生虫 2010年05月15日21:17
 
 
 
ここ一週間ほど、ワキの下に黒い血が溜まったような膿袋ができて、化膿したような痛みが続いていた。
 
最初は、デキモノというか腫れ物のようなもんだろうと思って放っておいたんだけど、熱を持っていて、フロに入るたびにズキズキ痛む。
 
ラチがあかないので、自分で切除することにした。
 
とはいってもつまんで引っ張ってみたんだけど。
 
 
かなり引っ張って、びよーんって伸びきったところで、ブチッと取れました。
 
血が噴き出すだろうと思ったらそんなこともなかったんですが、そのかわり。
 
 
なんと、先端部分がモゾモゾ動いてる!!!
 
黒っぽい触手が数本ウネウネ動いてる〜〜〜〜〜!!!!
 
 
なんだこれは!!
 
寄生虫!???
 
 
マジマジと観察してみると。
 
大きさは米粒くらい。
 
グレーがかった体色で、先端部分に黒くてかなり固いカギ状の口がついている。その周辺に三ミリほどの長さの黒い触手(手足)のようなものが左右に三、四本ずつ。
 
写真添付しますが、コレは一体なんでしょうか?
 
こいつ、ここ一週間ほど、私の血を吸って成長していたようです。。。
 
 
 
現在ペットボトルに入れて保管してます。
 
誰か正体知ってたら教えてください。
 
それにしても奥多摩には不気味な寄生虫がいるもんですね。。。怖。
 
 
 
 
追伸
 
その後調べてみたら、マダニということが判明しました。
 
トレッキングなどに行くと、よく寄生されるそうなんですが、ツツガムシ病、ライム病などの危険があるらしく、しばらく様子を見ようと思います。
 
熱や倦怠感が出たら病院に行ってきます。。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ネットカフェで考える「非常識」 2010年05月15日11:54
 
本日は阿佐ヶ谷のネットカフェで一泊して、これから出版社で打ち合わせ→帰宅の予定。
 
毎度毎度お世話になってるネットカフェだが、利用に当たっての最大の約束事は、
 
「静かにすること」
 
だろう。
 
目覚ましは仕方がないとしても、携帯通話はご法度である。
 
 
しかし中にはとんでもないのがいる。
 
先日泊まったときには、朝の八時過ぎに。大声で電話してるやつがいた。
 
声からして五十代くらい。
 
内容は何かの商談らしく、
 
「九時には阿佐ヶ谷に着くから」
 
とか、
 
「だれそれさんにはお前から連絡しといてくれ」
 
とか、館内に響き渡るだみ声で、五分近くしゃべり続けた。
 
 
場の空気はうんざりだが、誰も注意したりしない。
 
私も「うるせえなあ」と小声で言っただけだった。
 
だって刺されたらやだもん。
 
 
ここで前に考えたことを思い出した。
 
 
こういう非常識な男が子供を作る。
 
世の中の平均からして二人。
 
すると子供たちは親父を見習って非常識な大人になる。
 
 
彼らが子供を生む。
 
平均して二人。
 
すると非常識が四人になる。
 
さらに彼らが子供を生む。
 
非常識が八人になる。
 
 
大雑把にいえば、こうして非常識な人間がどんどん増えていく。
 
第一世代と比較すると、第四世代では非常識の数は八倍になる。
 
 
これも大雑把だが、少なく見積もって、第一世代の1000人にひとりが非常識人とすると、第四世代では八倍だから、125人にひとりが非常識な人間ということになる。
 
結構な確率である。
 
 
 
最近、子供の虐待死が頻繁に報道されるけれど、こう考えると、なんとなく納得できる気がする。
 
 
当然ながら、こういう事件が明るみに出るのは、子供が死亡した場合であって、死なないまでも,親にいじめられ続けて、いびつな精神のまま育つかわいそうな子供たちが、大勢いるに違いない。
 
そういう子供たちが日々量産され続けていると思うと、果てしない同情と同時に、ちょっと不気味な感じを受けてしまう。
 
 
どこかの議員が、
 
「犯罪者の親も処罰するべきだ」
 
といったそうだが、ちょっとだけ賛同したい気分になった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「そこに日本人がいた! 海を渡ったご先祖様たち」 2010年05月11日23:57
 
「そこに日本人がいた! 海を渡ったご先祖様たち」(新潮社 熊田忠雄)
 
 
先日、ニッポン放送の番組の取材を受けたときに、取材に来たライターさんに勧められて読んでみた。
 
著者はもとニッポン放送の重役で、記者時代から同著のもとになる取材旅行を続けていたという。
 
つまりライフワークが単行本になったわけだ。
 
 
さすがにその蓄積は膨大で、それは巻末の16p!にもおよぶ参考文献にも表れている。
 
 
というわけで内容も充実していて、「へええ」と思う事実が列記されている。
 
たとえば明治時代に南アに日本人が住んでいて、地元でも有数の商社として大成功を収めていたとか。
 
あるいは同じく明治時代にマダガスカルで旅館を営んでいた日本人がいたとか。
 
 
 
明治時代は、ちょっとした海外ブームだったらしい。
 
とはいっても今のような物見遊山ではもちろんない。
 
途上国だった日本は出稼ぎ大国だったのだ。
 
だから天草や島原の女たちが大量に外国に売春に出かけた。
 
遠くはケニア、タンザニアまで到達した記録が残っているそうだ。
 
この進取の才能というのは、その後の日本の発展を象徴しているようにも思われる。
 
 
具体的な内容はともかく、ちょっと気になったところを挙げていきたい。
 
 
 
 
1912年の段階で、エジプトではボッタクリが横行していたらしい。
 
慶応の元塾長、小泉信三がスエズ運河を通過したとき、
 
「執拗に群がる物売りに辟易し、次のように記している。
「極言すればポートサイド市全体は哀願脅迫誘惑詐欺等、あらゆる不正の手段をもって旅客の懐を捲き上げんとする人間より成るものに御座候」」
 
 
すげえなエジプト人。今とかわんないじゃん。
 
100年前からパピルスとか売りつけてたんだろうか。
 
さすが7000年の歴史だけはある。
 
 
 
ところでここに出てくるポートサイドだが、英語の「port side」ではない。
 
 
正確には「port said」である。
 
なぜならレセップスがスエズ運河の掘削を始めたときのエジプト王サイードからとった名前だからだ。
 
だから正確には「ポートサイード」が正しいんだと思う。
 
おそらくイギリス人がスエズ運河を長く占領していたから慣用的にポートサイドになったんではないだろうか。
 
 
 
フランシスコ・ザビエルに洗礼を受けた少年に「鹿児島のベルナルド」がいるという。
 
彼はザビエルとともにインドのゴアに向かい、さらにリスボンへ向かった。
 
従って彼はポルトガルの地を踏んだ最初の日本人だそうだ。
 
 
「ザビエルはベルナルドの人間性、知識、キリスト教に対する情熱などを高く評価し、彼にカトリックの本場で本格的な修行を積ませ、進んだ西洋文明にもふれさせたいと思うようになった」
 
 
当時、西洋が進んでいたというのは、おそらく著者の誤解ではないかと思う。
 
当時は、オスマントルコがウイーンを包囲してからほどない頃で、西洋人はイスラムに対する劣等感にさいなまれていた時期である。
 
なんとか東方貿易に食い込みたいと考えた西洋人が、やけくそになって危険な航海に出発したのが大航海時代だった。
 
「進んだ西洋文明」というのは、なんとなく西洋はずっと昔から日本よりも先進的だったんだろうという日本人全体の幻想によるのだと思う。
 
 
この直後にこんな記述もある。
 
 
「この季節風は古い時代からヒッパロスの風と呼ばれていた。ギリシャ人ヒッパロスという船乗りが、この風を利用してアラビアからインドへ直接航海を行ったことによる」
 
 
インドとアラビア、アフリカを吹く季節風は、おそらくもっとずっと前から地元の人に知られていたのではないだろうか。
 
なんでここでギリシャ人が出てくるのかよくわからない。
 
たとえばバスコ・ダ・ガマは、インド航路を開拓したといわれるが、先導にアラブ人を雇っていたといわれる。
 
つまり地元の船乗りの間では、すでに周知の航路だったわけだ。
 
ガマが開拓したのには「近代西洋人として初めて」という前提が入ることを忘れてはいけない。
 
なんとなく西洋人史観が気になる著者の解説である。
 
 
 
 
サウジアラビアの入国に関しての記述。
 
著者が聞いた話によれば、
 
「この国を訪れる外国人は誰もが「ゲスト」(賓客)「エネミー」(敵)「スレーブ」(奴隷)の三種類に分類されるという話だった」
 
 
へええ。知らなかった。
 
もしも私が入国したらエネミーだろう。
 
出稼ぎのパキスタン人やインド人はスレーブなのかもしれない。
 
それにしてもこんな失礼な分類を今でも行っている(のかもしれない)サウジという国が、親米だからといって堂々と生きながらえているのは、どういうもんなんだろうか。
 
 
 
 
パナマ運河についての記述。
 
 
「昭和五年にこの地を訪れた石川達三は在留日本人の中に床屋の数が異常に多いことに驚く。在留邦人の半数以上が床屋というのだから無理もない。帰国後石川はその理由について、意味ありげな一文を残している。
「この床屋さんたるや、一朝有事の際にはたちまち××××たるべき使命をもっているので、床屋はただ表面の装いであるに過ぎず、収入も論外であるのだとか」」
 
 
いうまでもなくパナマ運河は軍事的な要衝である。
 
戦艦大和もパナマ運河を通り抜けられるアメリカ戦艦が持てる大砲よりもでっかいのを搭載することが至上命題だったといわれる。
 
そこに日本軍はスパイ兼破壊工作員を大量に忍び込ませていたのだ。
 
しかも普段は床屋(笑)。
 
豆腐屋でも大工でもいいだろうに床屋というのは、やはり散髪に来る軍人からの情報収集が目的だったのか(笑)
 
いずれにしても面白いエピソードである。
 
 
 
というわけで部分的にミソをつけてしまったけれど、全体としてとても興味深く面白い本。
 
オススメである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カメラマン阪口、自分の足に斧を振り下ろすの顛末 2010年05月10日21:33  
 
週刊文春の取材で北海道美瑛町に行きました。
 
セルフビルドでドームハウスを建てた人の家の取材です。
 
家業は薪屋。
 
ということででっかい斧があり、我々も薪割り体験しました。
 
そこで悲劇が起こるとは……。
 
斧をそれぞれ振るっておりましたところ、サカグチが突然叫びました。
 
「うわあっ。やっちまった!!!!!!!!!!!!」
 
 
何事か。
 
私と薪屋のHさんが振り返ると。
 
なんとサカグチの足に斧が刺さってる!!!
 
……というのは大げさで、サカグチが右足の甲を押さえて屈んでおりました。
 
「どしたの!?」
 
といった瞬間、目に飛び込んできたのが、ぱっくり割れた白い傷口と、靴下にべっとりついた血!
 
 
すべてが理解できたとき、私の腰に戦慄が走りましたね。
 
斧を足に振り下ろしたらどんなことが起こるか。
 
 
・指の2、3本はもげてる
 
・足自体、もうダメかも
 
・動脈切っちまって大出血
 
・早くしないと失血死
 
 
以上のことがグルグルアタマを駆け回り、私とHさんは奥さん(なんと幸運にも看護士)を呼びに走りました。
 
「病院だ! 病院!」
 
Hさんが怒鳴ってます。
 
 
私はせめてカメラだけは、(彼にもしものことがあっても)確保しないと考えて、サカグチを置いてカメラをかついで家に走ります。
 
サカグチは屈んだまま真っ青な顔ですが、
 
「大丈夫。血は出てないから」
 
と、意外にも元気そう。
 
 
悲劇が起こる数分前の貴重な写真。
 
 
 
 
タオルを持って飛び出してきた奥さんが、サカグチの靴と靴下を脱がせて応急手当。
 
確かに大出血はなかったようで、とりあえずタオルでグルグル巻きにしてHさんが肩を貸し、車に移動。
 
私はタオルを確保しながら移動します。
 
 
この辺でようやく落ち着いてきました。
 
出血してないということは、とりあえず命は大丈夫だろうと。
 
 
後部座席にサカグチを押し込んだHさんの車を、私がレンタカーで追います。
 
当日は日曜日で、旭川まで行かないと病院はないとのことで、市内の外科業院へ。
 
30分ほどじっとりと待ちます。
 
 
時折サカグチの叫び声が聞こえます。
 
あとから聞いたら傷口を消毒されて絶叫したそうです。
 
 
そして右足に包帯グルグル巻きのサカグチが出てきました。
 
診察結果は以下の通り。
 
 
・とりあえず傷口の縫合で8針縫った
 
・腱が一本切れてるのでいずれ再手術するべし
 
・動脈が近くを走っており、これが傷つかなかったのは幸いだった
 
・最悪少々障害が残るかも
 
 
サカグチの顔は相変わらずちょっと血の気が引いた感じですが、わりと元気そうで、戻って撮影を再開したいと気丈なことをいいます。
 
さすがプロ。
 
 
 
彼が履いていた靴。スッパリ切れてます。コワ!!!
 
 
 
 
 
 
というわけで斧を足に振り下ろしたにしては、非常な軽傷で済んだわけですが、それにしても私は、彼はもう一生障害者なんだと思いましたね。
 
だって自分の足に斧ですよ。
 
刃が貫通したかと思いました。
 
 
まあでも大事故のわりに軽傷で済んだのは、本当に幸いでした。
 
週刊春のYさん、ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします。
 
 
 
 
 
最後に帰りの羽田空港で。うれしそうなサカグチ(←バカ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カメムシの詳細 2010年05月05日18:04
 
mixiボイスで好評でしたので、詳細をご報告いたします。
 
奥多摩の家はスカスカなんで、虫が入り放題なんですが、その中でも突出して多いのがカメムシ。
 
基本的に無害ですが、ご存じのようにいじめると異常に臭い屁をします。
 
 
 
この液体、東南アジアでは集めて香料に使うそうですが、そんなことはどうでもいいとして、家に入るとなんとなくカメムシ臭い。
 
たまに肌に張り付いて不快だったり。
 
そして春が来てからというもの、窓一面にカメムシが張り付いてます。
 
さすがに不愉快になり、徹底抗戦することに。
 
見つけたら掃除機で手当たり次第に吸い取る!
 
掃除機はコンセントに差し込んだまま。
 
見つけたら即吸い。
 
ようやく視界に一匹もいなくなり、原稿を書き始めます。
 
1時間ほどでダレてきて、フト窓を見ると。
 
おお。なんということか。
 
さっきと変わらないくらいの大盛況ではないですか。
 
即スイッチ入れて吸い取り。
 
このあたりから奴らも危険を察知するようになり、掃除機の爆音を聞くと、そそくさと隅っこに避難するようになりました。
 
 
しかしウィキによると↓
 
 
「群れでいるカメムシの場合1匹が臭いを発すると、たちまちのうちに周辺一帯のカメムシが逃げ出すのが見られる。つまりカメムシの臭いは、仲間に対しては警報の役割を果たしている」
 
 
掃除機の中のカメムシが、スイッチ入れるたびに屁をするので、排気が臭いのですが、そのニオイに反応してるのかも。
 
 
そして再び一掃したところで、冷蔵庫に向かうと。
 
おお。なんと。
 
居間のはめ殺し窓に20匹ほどウジャウジャ張り付いてました。
 
またしても即吸い取り。
 
 
どうやら暖かくて明るいところに引き寄せられていくようです。
 
 
こうして断続的に吸い取りを繰り返した1日だったんですが、最終的におそらく300匹は捕捉したものと思われ、それらはもちろん掃除機の中でモゾモゾしてるはず。
 
 
 
それにしてもなんでうちにはこんなにカメムシが多いのか?
 
もう一度ウィキを見ると↓
 
 
「クサギカメムシなどでは、集団で越冬するものが知られている。時に人家が越冬場所に選ばれると、たいてい住人は悪臭に悩まされることになる」
 
 
要するにうちは越冬場所だったんでしょうかね。。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダッバーのナゾ 2010年05月05日17:34
 
 
 
 
以下は北海道新聞の連載で掲載した記事を転載したものだ。
 
 
「ダッバー」のナゾ
 
「ダッバー」というのは、インド一帯で広く親しまれている弁当箱である。
 
ステンレスあるいはプラスチック製の三段重ねで、それぞれカレー、ごはん、おかずが入るというタイプが一般的だ。
 
家族用の四、五段重ねの大型ダッバーもある。
 
持ち運びに便利な取っ手がついていて、ピクニックには最適である。
 
ムンバイでは「ダッバーワラー」(ダッバー運び業)という職業がある。
 
それぞれの家庭から旦那の職場に、昼食に間に合うように弁当を届けるというサービスだ。
 
ダッバーはインドをはじめ、ネパール、ミャンマー、タイ、カンボジアなどでも見かける。
 
さらに調べてみると、中国や日本の「重箱」文化にも、なにやら関係がありそうだ。
 
タイでは、この弁当箱を「ピントー」というそうである。
 
どちらが発祥かはわからないが、中国かインドで発達した「ダッバー」が「重箱」となって日本に伝わったに違いない。
 
しかしである。
 
今回シリアに行ったとき、なんと市場の骨董品屋で「ダッバー」を発見したのだ。
 
二十世紀初頭のものだそうで、店主に名前を聞いてみると、
 
 
「これは『マッバーキーヤ』というんだ」
 
おお。なんとなく語感が「ダッバー」と似ているではないか。
 
事件はそれだけでは収まらなかった。
 
その後トルコでも同じものを発見したのである。
 
しかもそれは、かのオスマン皇帝の居城「トプカプ宮殿」であった。
 
19世紀頃の宮廷料理を運ぶ器として「ダッバー」が活躍していたのである。
 
しかしイランや他のアラブ諸国では、「ダッバー」を見かけたことはない。
 
つまり「ダッバー」は、日本、中国、東南アジア、インドから、一気に飛んでトルコ周辺に分布しているのである。
 
これはいったいどうしたことか。
 
トルコ民族は、もともと中央アジアの遊牧民である。もしかしたら東アジアの「重箱文化」を、遠く小アジアまで運んでいったのかもしれない……なんていう雄大な歴史ロマンを感じさせる「ダッバー」であった。
 
詳しい情報をお持ちの方、ご一報下さい。
 
 
というわけで記事は終了しているんだが、実はそれ以降新事実を発見したので、まったく興味のない方には申し訳ないんだが、ここでまとめさせていただきたい。
 
 
以前の「ダッバーの研究」については↓
 
 
 
 
 
新事実その一
 
「イエメン もうひとつのアラビア」(佐藤寛 アジア経済研究所)という本の中に、なんとダッバーが登場するのである。
 
水汲みに行くロバに乗った少女の写真のキャプに、こういう一文がある。
 
 
「水を運ぶロバ。ロバは「ダッバ」を二つ運べるので人間よりも重宝である」
 
 
写真には10リットルほど水が入りそうなプラスチック製のポリタンクが写っている。
 
つまりイエメンでは水汲み用の器のことを「ダッバ」と呼び習わしていたらしいのだ。
 
またイラン在住の友人O氏にペルシャ語辞書で調べてもらったところ、「ダッバー」という言葉の語源はアラビア語だという。
 
ということは中国あたりで発明された「重箱」が、インドを経てアラビアに伝わり、途中で「ダッバ」という名前が冠されたんだろうか?
 
しかし重箱自体がイランから先、シリアまで見られないのは不思議だ。
 
そこでもうひとつの新事実である。
 
 
 
新事実その2
 
先日、ヒマだったので見物に行った東京国立博物館で見かけたのが、添付写真である。
 
説明文にはこうある。
 
 
「伏彩色を施した薄貝螺鈿によって花鳥を鮮やかに表わした漆器は、19世紀中頃から欧州へ向けて盛んに輸出された。この食籠は磁器で、内部には色絵に金彩を交えて文様を表わしている。大きな抓(つまみ)をつけた蓋の形など、オランダ人の指示による器形と考えられる」
 
 
要するに1800年代には、日本の重箱が大量にヨーロッパへ輸出されていたわけだ。
 
重箱はさほど珍しいものではなかったらしい。
 
しかしトルコやインドで見られる取っ手付きの金属製というのは、日本では見られないものだし、一体どこで考案され発達していったのか。
 
 
 
 
新事実その3
 
「わっぱめし」というのがある。
 
有名なのが秋田県大館市の「わっぱ」で、もちろん簡易弁当箱である。
 
……そう。「わっぱ」と「ダッバ」。
 
似てる。似すぎてる。
 
なにか関係があるんだろうか。
 
「わっぱ」は、「わっか」とか「こわっぱ」などと同じで「子供」のことを「こっこ」などというのと同じ系統らしい。
 
というわけで「ダッバ」との関係は薄そうだが、しかし気になる。
 
同じ弁当箱でしかも母音は一緒である。
 
……気になる。
 
やっぱりダッバーはナゾである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「帝国アメリカ」に近すぎた国々ラテンアメリカと日本 2010年04月28日22:24
 
「帝国アメリカ」に近すぎた国々ラテンアメリカと日本(石井陽一 扶桑社新書)
 
 
神奈川大学教授でもとJICAに勤務していた著者のラテンアメリカの解説書。
 
主にアメリカとラテンアメリカの国々との近現代の関係史にスポットを当てて解説する。
 
 
私が南米に行ったときにも、現地の人々の「アメリカ嫌い」はすごかった。
 
まさに帝国主義アメリカという感じ。
 
エビータという映画でも、「イギリス資本を駆逐しろ」みたいなアジテーションがあった。
 
南米諸国の独立は1820年代だが、イギリスからの支援もかなりあったらしい。
 
要するに南米諸国の独立は、スペイン利権の英米への解放でもあったわけだ。
 
 
モンロー宣言は1823年だが、それ以降アメリカの支配が強まり、徐々にスペインが駆され、最後には「アメリカの裏庭」に成り下がった南米だが、この本を読むと、南米自体が持つ不正が、その根底にあることこが伺える。
 
 
 
一番興味深いのは、以下の下りだ。
 
「ラテンアメリカといってまず連想することの一つに大土地私有制がある。ラテンアメリカの大地主がどれだけの土地を持っているかの一例を示すならば、私の旧勤務先の日本海外移住振興株式会社が、日本人移住者の入植地用に一九八五年パラグアイのアルトパラナ地方で一人の地主から購入した土地は、八万三五八〇ヘクタールの面積があった」
 
その面積はほぼ佐渡島に匹敵するという。
 
そしてその地主の持っている土地の一部に過ぎないというのだ。
 
 
 
「農地改革については、ボリビアは一九五三年にある程度の農地改革を行った。しかしまだ地主が現存しており、一〇〇家族が二五〇〇万ヘクタールの土地をもち、二〇〇万人の小農が五〇〇万ヘクタールの土地をもっているという現状である」
 
 
 
ちなみに日本の国土は3780万ヘクタール(たぶん)である。
 
私がアルゼンチンで聞いた話では、一番大きな地主で、四国くらいの土地を持っている家族がいるそうだ。
 
彼らはなにをしているのかというと、もちろん牧場で働いているはずがなくて、ブエノスアイレスとかバルセロナとかの高級住宅地で遊び暮らしているんだそうだ。
 
 
こういう人たちが、国家の大きな改革を望むはずがない。
 
彼らはアメリカやイギリスなどの外資と結託して、国内産業の振興を阻み、教育を停滞させ、議会を有名無実にして、相続税などの税制改革を廃案に追い込み、もちろん地元の警察権力も掌握してデモを封じ込め、あらゆる方策を徹底して自分たちの利権を確保しているわけだ。
 
 
とかく南米はこう言った大きな不正を取り上げられることが少ない。
 
その理由はただひとつ。
 
それがアメリカの利権に叶っているからである。
 
 
 
「先進国で資本主義が定着し、途上国で定着しないのは、権利が証書化されず、資本が死蔵されているからだとデ・ソトは強調する」
 
 
エルナンド・デ・ソトというのはペルーの経済学者で、この人が言うには、貧民街のような土地を不法占拠している人々が抱える資産を合法化すれば、国内経済が発展するということらしい。
 
貧民街ではあらゆる商売が存在しているわけだが、不法ゆえに税金が取れないし、彼らの経済活動も制限される。銀行の融資なんか受けられるはずもない。
 
たとえばペルーの都市部の58%が不法居住者で、ハイチに至っては68%に達するという。
 
先日の地震で被害にあった人の三人に一人は税金を払ってない不法滞在者だったわけだ。
 
 
彼らに正式に土地使用の権利を認めれば、経済がすこしは好転するかもしれない。
 
しかしそうならないのは、手続きが異常に煩雑だからだという。
 
なぜ煩雑なのかといえば、煩雑であることで得をしている現支配者層の意向が反映されているからにほかならないのである。
 
こうして途上国は永久に途上国のまま、あと何百年も生きていかなればならないのかもしれない。
 
 
 
 
「「ラテンアメリカは地理の被害者」とも言われ、全体的に北から南に細長く、国境地帯にジャングル、山脈、河川、湖沼のような自然障害が多いという地勢である」
 
「スペインの植民地の複雑な行政区画もそのような自然境界に沿って線引きされ、そのなかに小地縁社会が出来上がり、それをもとに一八二〇年代にこんなに多くの独立国家が誕生したが、中小国の場合、国内市場が狭いので工業を興せず、特産の第一次産品を輸出して得た外貨で先進国から工業製品を輸入するという構造になった」
 
 
たとえば西アフリカやカリブ海には、なぜ、あんなに小さい国が分離独立しているのか、という問いに対する、ひとつの答えを見た気がする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アフリカ・レポート 2010年04月20日01:23
 
「アフリカ・レポート」(岩波新書)。
 
元朝日新聞記者、松本仁一氏の最新作? といっても2008年。
 
 
タイトル通り、アフリカの現状をリポートしたもの。
 
 
「はじめに」から興味深い。
 
アフリカ各国の政府は腐敗具合からだいたい四つに分類されるという。
 
そのうちひどいのは、
 
「政府幹部が利権を追いもとめ、国づくりが遅れている国家」
 
と、
 
「指導者が利権にしか関心を持たず、国づくりなど初めから考えていない国家」
 
で、上のパターンに、ほとんどのアフリカ諸国が該当し、下のパターンの国家は、具体的にはジンバブエ、アンゴラ、スーダン、ナイジェリア、赤道ギニアなどだそうだ。
 
興味深いことに、上の5カ国のうち、農業国家はジンバブエだけで、ほかはすべて資源国家である。
 
利権が巨大であれば、政府も腐敗する可能性が高いということらしい。
 
 
 
そんでそういう腐敗した政府首脳が国際非難を封じる言葉が「レイシスト」だそうだ。
 
白人に汚職を非難されると、
 
「オマエはレイシストだ」
 
と言えば、相手は黙るしかない。
 
そうしてこうした国の首脳は権力に居座り続けた。
 
 
 
著者はジンバブエの例を詳しく紹介している。
 
白人を追い出す前にはアフリカ有数の農業生産を誇っていたのが、白人農場主を追放し、政府が接収すると生産高が激減して、現在のハイパーインフレが起こった。
 
ムガベ大統領は自分の失政にもかかわらず「白人が悪い」と主張する。
 
なんでも白人のせいにすれば非難がかわせるわけだ。
 
 
 
しかし西洋宗主国の責任も一部あるらしい。
 
著者はこんなエピソードを紹介してやんわりとフランスを揶揄している。
 
 
「西アフリカのセネガルが独立後、フランスは援助名目で「コーペラン」(行政顧問)を大量に送り込んだ。未熟な現地官僚はそうしたコーペランに頼りきり、行政はコーペランが取り仕切るようになる」
 
 
セネガルにダム建設が始まると、コーペランから情報を得たフランス企業が周辺の農地を買い占めてしまい、現地農家はピーナツを栽培する農業労働者に転落する。
 
こういうことが続くと、農地は商品作物で占められ、食糧自給率は低下する。
 
そしてセネガルは食料を輸入することになる。
 
輸入元はもちろんフランスである。
 
 
「フランスのコーペランは仏語圏アフリカ一四か国のほとんどに送り込まれており、セネガルと同じような状態がそれぞれの国で起きている」
 
 
こういう不正は、おそらく世界中の旧植民地と旧宗主国の間で行われているのだろう。
 
 
またこんな一文もある。
 
「植民地支配がアフリカに引いた国境線は、数多くの他部族国家をつくり出した。それは国家意識を形成する上での障害となり、国民国家をつくりにくい状態を生み出した。国民が部族への帰属感を強く持ち、国家との一体感が薄い状態があると、権力者の腐敗をとがめる者がいなくなる。そのため、腐敗は非常な早さで進行していく」
 
 
まったくその通りだ。
 
そもそも国という概念がない人たちである。
 
彼らにとっては自分が属する部族がすべてで、それ以外の集団は意味がない。
 
そういう彼らに、たったひとりの大統領を選ばせる民主主義という政治体制が定着するわけがない。
 
選挙で負ければ「不正があった」といって暴動が起き、勝てばただちに戒厳令が敷かれるのだ。
 
 
アフリカに平和は当分訪れないような気がして、暗い気分になった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アースデイ東京 2010年04月20日00:13 
 
 
この間の日曜日、代々木公園で「アースデイ東京」というイベントがあったんだが、そこのアウトドアトークイベントに呼ばれて、居候本の中から「世界のと畜」についてのスライドショーを行った。
 
最初の話では、「会場は200人くらい入るから」という話だったが、案の定というか観客は30人くらいだった。
 
いつもいつもT氏のうまい話に乗せられる人力社である。
 
 
それでもと畜の話がモンゴル、パプア、イスラムと進むうちに観客は徐々に増えて、立ち見も含めて60人くらいになった(と思う)。
 
狙ったギャグもけっこう受けたらしく、特にオジサン連中には好評だったらしい(本の販売で来てくれたリトルモアさん談)
 
おお。けっこう好評じゃないの。
 
意外とと畜も関心の高い分野なんだろうかね。
 
このイベントに来る人は、あんまりスキじゃないんだろうかと思っていたが。
 
 
実は前日のトークライブでは、かの「グリーンピース」のイベントだったらしいのだ。
 
翌日はと畜である。
 
脈絡がないと言えばそうだが、バランスを取ってると言えばそうも言えようか。
 
 
 
無事にイベントをこなして壇上を降りる頃には、席はほぼ埋まっていて、大盛況である。
 
すごいなあ。
 
と思っていたら、実は次に始まるナントカいうミュージシャンの見物人だったらしい。
 
なんだよ。
 
それにしても呼ばれているのに、こんなことを言うのもなんだが、私はこういう環境系のイベントというのは、どうも好きになれない。
 
もともと人がたくさん集まるイベント自体が好きではない。
 
トイレは混むし、人の流れが邪魔くさい。
 
それに「環境」という、誰も反論できない案件を持ち出して、それで悪い言い方をすれば「金儲け」をするという発想が好きになれない。
 
もちろんそこで稼いだお金のいくばくかは、しかるべき事業に使われるんだろうが、でもなんかねえ。
 
そういう問題は個人個人がそれぞれ気をつければいいことではないのかなあ。
 
しつこいようですが、イベントに呼ばれたのにこんなこと言うのもなんなんですけどね。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いのちの食べかた 2010年04月18日00:32
 
森達也監督の本も読んだけれど、今回は映画の方である。
 
ドイツ映画で、原題は「our daily bread」。
 
「毎日のごはん」。
 
我々が毎日当然のように食っている食料はいったいどのように調達されているのかを、淡々と映像で追っていく。
 
ナレーションもリポーターもいない。
 
登場人物もセリフとかもいっさいない。
 
ひたすら映像で食の現場を追っていく。
 
そこに偽りのないリアリティを感じる。
 
 
 
これを見ていると、我々が消費している食い物の多くが、肉も魚も野菜も、実は限りなく「工業製品」であることがわかる。
 
ニワトリはヒヨコの段階で選別が行われ、缶詰とかビールのような流れ機械に吸い込まれて引き出しに詰め込まれ、もう少し大きくなると飛行機のドックのような巨大な施設ですし詰めにされて育つ。
 
「規格外」は随時はじき飛ばされ、成長したニワトリは、すべて同じ「規格品」で統一される。機械化の大前提は、ニワトリがすべて同じ大きさをしていることなのだ。
 
 
あるいは野菜農場。
 
これも膨大にでかいハウスでトマトが育てられる。
 
苗床は座布団のようなビニールに包まれたもので、収穫が終わると幹を切りとられ、スルスルスルーっと回収されて廃棄される。
 
そのあと念入りに殺菌され、次の野菜が配置される。
 
 
牛のこう配も興味深かった。
 
前に北海道の酪農家を取材したとき知ったことだが、現在ではあらゆるタイプの雄ウシの精子が販売されていて、
 
「この雌ウシとこの雄ウシを掛け合わせると、こういうウシができる」
 
というのがすべて把握できるんだそうだ。
 
だから肉が多く取れるとか、乳をたくさん出すとか、病気に強いとかいう特性の精子を酪農家が選んで購入するわけだ。
 
この映画でも、雄ウシが今まさに射精する瞬間に試験管を差し出して精子を採集するシーンが出てきた。
 
 
 
この映画を見ての感想は様々なんだろうけれど、私はなんだか、それほどオドロキもしなかった。
 
むしろ当然というか、案の定というか。。。
 
 
前にそういう取材をしたせいかもしれない。
 
と畜場にも行って見物させてもらったし、外国でのと畜の瞬間も何度も見ているし、自分でニワトリをと畜したこともあるからかもしれない。
 
 
 
とりもなおさず、こういう規格化というか工業化が進んだおかげで、私たちは格安で肉や魚を食べることができるのは事実だ。
 
鶏肉が異常に安いのは、ブロイラー技術が確立したからだ。
 
20年前に中近東に行ったとき、一番高かった肉は鶏肉で、次がヒツジとウシだった。
 
この間ヨルダンに行ったら、一番安い肉が鶏肉だった。
 
ここ20年でブロイラーが導入されたおかげだろう。
 
 
 
監督のインタビューもあったが、監督自身もこういう状況を告発したりする気も最初からなかったらしい。
 
だから淡々と映像を流すという構成にしたんだろう。
 
判断するのはアナタなのである。
 
 
ちなみにインタビュアーは内澤旬子さんだったが、もう少し突っ込んだ話が聞けそうで、ちょっと物足りなかったのが残念。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ドバイのホテル 2010年04月17日01:05
 
先日、ラジオを聞いていたら、旅行ライターのなんとかさんという人が電話インタビューに答えていた。
 
GWのオススメ渡航先とか、そういう特集だったんだと思う。
 
 
彼女によれば、今イチオシはドバイなんだそうだ。
 
エミレーツがキャンペーンをやっていて安い。
 
ドバイのなんとかジュメイラホテルのスパがいい。
 
とか、そういう話だった。
 
 
ドバイ。
 
なにを隠そう私は行ったことがある。
 
ダウンタウンの1泊30ドルツインの安宿だったけど、エアコンもついていて十分快適だった。
 
ただトイレに行くと、洋式トイレでのお尻の洗い方がわからない誰かが、排水口にしゃがんでお尻を洗うらしく、排水口のまわりにいつもウンコの破片が散らばっていたのが印象的だった。
 
 
 
それはともかく、ドバイはおそろしく暑い。
 
正確には日本の真夏の蒸し暑さに、地獄のような日差しが加わった感じだ。
 
10分も炎天下を歩いたらめまいがしてくる。
 
そんなところである。
 
 
市内からちょっと車で走ると、広大な砂漠だ。
 
なんにもない。
 
町自体が人工だから歴史もない。
 
そんなところに、どんな魅力があるんだろうかと、私なんかは不思議に思えてくる。
 
高級ホテルなら日本にだっていっぱいあるだろうになあ。
 
 
 
前にも書いたけれど、ドバイのような人工の町は、維持するだけでやたら金がかかる。
 
スーパーに行けばわかる。
 
売っているものは、ほとんどすべて輸入品である。
 
つまりそれだけ運賃がかかっていて、資源を食っていることになる。
 
水もないから海水を濾過して使ってるそうだ。
 
 
 
ラジオでは、
 
「地場の食材も、できるだけ使って」
 
などと言っていたけれど、ドバイでできる食材っていったいなんなんだろうか。
 
そもそも石油が見つかるまでは、この地域ではナツメヤシとヤギの乳くらいしか食い物はなかったはずなのに。。。
 
 
バブルがはじけて、ドバイ政府も観光客の誘致に必死になっているに違いない。
 
だから彼らの気持ちもわからなくはないけれど、私が行ってみて思ったのは、それほど金と資源を浪費してまで人間が住むところだろうか? ということだ。
 
砂漠には砂漠の暮らし方があるのではないかと、私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「世界のどこかで居候」重版決定! 2010年04月11日23:48
 
 
みなさんのご支援のおかげをもちまして、「世界のどこかで居候」、版元のリトルモアさんから重版決定との連絡をいただきました。
 
 
今回はリトルモアさんの営業担当さんがとても熱心に書店さんに売り込んでくれ、また広告担当さんが各媒体に働きかけてくれました。
 
それに触発されて、私も地道に営業に行ったりなんかして、少しずつ売り上げが伸びたんだと思います。
 
実は私、いままで9冊本を出させていただいてるんですが、重版したのはこれが初めてなんですよね。
 
なのでとてもうれしいのです(涙)
 
 
 
改めて、リトルモアの編集担当さん、営業担当さん、広告担当さん、そしてもちろん購入してくださった読者さまに、お礼申し上げたいと思います。
 
 
……と内輪の話になってしまいすいません。。。
 
取り急ぎご報告でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「アメリカ後の世界」 2010年04月11日23:16
 
インド系ジャーナリスト、ファリード・ザカリア氏の手による、昨年アメリカで話題になった本。
 
この人によれば、現在の状況は「アメリカの凋落」ではなくて「アメリカ以外の台頭」であるという。
 
そして今後は、シカゴ大学の経済学者フリードマンが提唱した新自由主義経済と、それにともなうグローバリズムに対抗する民族主義的な「反アメリカ的世界」ではなくて、15世紀以降の西洋主導の世界、十九世紀末のアメリカ主導の世界に継ぐ、「アメリカ後の世界」に移行するという。
 
 
まだ最初の方しか読んでないんだけど、さっそく面白いことが書いてあったのでご報告したい。
 
 
著者はインド人だけに、西洋主義的な史観に反感を持っているらしい。
 
たとえばこんな文章がある。
 
 
「ロシアは長いあいだ標準的な第二次世界大戦史に歯噛みしてきた。それは、イギリスとアメリカの英雄的行為により、ドイツとイタリアと日本のファシズム勢力が打倒されたというものだからだ」
 
「しかし実際には、独ソの争う東部戦線こそが、第二次世界大戦の主戦場だった。ここだけでほかの戦場をすべて合わせた以上の戦闘が繰り広げられ、結果として三〇〇〇万人の命が失われた。ドイツ軍戦力の四分の三が投入され、ドイツ軍戦死者の七〇パーセントが集中したのも、東部戦線なのだ」
 
 
第二次大戦というと、なんとなく我々は、親玉アメリカが腰を上げた、ノルマンディー上陸作戦を思い浮かべるわけだ。
 
しかし大局的に見て、西部戦線は東部戦線とは比較にならないほど小規模だったのだ。
 
ではなぜアメリカとイギリスが英雄にならなければならないのか。
 
それはその後の冷戦を考えれば想像がつくというものだ。
 
たとえスターリンが真実の英雄だとしても、そんなこと書けるわけがない。
 
我々が勉強している歴史が、いかに欧米に都合よく書かれているかがわかる。
 
 
 
 
あるいは中国についてのこんな文章もあった。
 
 
「二〇〇六年、ある中国の若手官僚が私にこう言った。
 
「石油へのアクセスを確保したいがために中国がスーダンの独裁政権を支持している、とアメリカから非難されたとき、われわれ中国人の頭に浮かぶのは、アメリカがサウジアラビアの中世的君主を支持するのとどこが違うのか、という疑問だ」」
 
 
これは私もそう思う。
 
もちろん戦略上、中国の進出を警戒するのはわかるが、腹が立つのは、それを人権問題にすり替えて、自分たちを正当化しているところである。
 
 
かつてオランダが、スペインやポルトガルを出し抜いて世界の海洋帝国にのし上がれた理由は、ただひとつ。
 
彼らが商売に特化して、現地にキリスト教を持ち込まなかったからだといわれる。
 
だから徳川幕府の日本でも、唯一オランダだけが商売を許されたのである。
 
 
現在の中国は、まさにオランダと同じである。
 
人権とか民主主義とか、西洋人の価値観を押しつけないから、現地人に歓迎されるのである。
 
 
 
もうひとつ。
 
京都議定書についての記述である。
 
「ブッシュ大統領が傲慢な態度で拒否したことにより、神聖視されるようになった京都議定書は、実際のところ旧来の世界観を色濃く反映した条約と言える。議定書の根底にあるのは、西洋諸国が結束して計画を定めれば、第三世界は新たな枠組みを受け入れ、温暖化問題はめでたく解決されるという考え方だ」
 
 
 
前にも書いたけど、各国の鉄の総輸入量を出せば、だいたいどの国が、いままでどれだけ二酸化炭素を出したかがわかると言われる。
 
しかしイギリスやフランスは、そういう統計は出さない。
 
出したら莫大な補償金を払わなければならないから当たり前である。
 
 
地球を汚したのは間違いなく先進国なのに、途上国には汚す権利を認めない。
 
そしていまでも世界の主導権は自分たちが握っていると思っている。
 
というよりも思いたいんだろうが、そうは問屋が卸さないのである。
 
 
著者も書いているけれど、すでに国連安保理とかG8のような体制は時代遅れなんだろう。
 
 
 
まだまったく最初の部分だけだが、続きが楽しみだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サワーの原価 2010年04月09日01:35
 
先日、新宿3丁目のカラオケ屋に行った。
 
朝4時まで、5時間でひとり1500円。
 
安いなあ。最近は。
 
まさかボッタクリじゃないだろうな。
 
などと疑いながら店に入った。
 
こちらは10人なので、店の売り上げは15000円。
 
こんなので利益が上がるんだろうか?
 
部屋に入って飲み物を注文すると、ビールはダメ。飲み物はサワーだけだそうだ。
 
食べ物ももちろん別料金。
 
 
 
ここでサワーの原価である。
 
焼酎をいろんなもので割るサワーだが、その原価は、種類にもよるが平均すると50円くらいだそうだ。
 
なるほどビールが別料金の理由がわかった。
 
 
 
たとえば10人が1時間に2杯ずつサワーを注文するとしよう。
 
50円×2杯×10人=1000円
 
5時間で5000円。
 
ということは1万円の粗利があがることになるわけだ。
 
へええ。
 
高いのか安いのかわからないが、その日は平日だったので店はガラガラだった。
 
おそらく週末はこんな「バナナの叩き売り」みたいなことはしないんだろう。
 
 
 
それにしても朝までカラオケ。
 
なんだか最近多い。
 
家が遠いせいか、翌朝帰り確定で飲んでいるので、まわりの人もそのつもりで飲むせいかもしれない。
 
ともあれ、最近は酒好きな編集さんが多くて楽しいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「愛と悲しみの果て」 2010年04月07日19:33
 
85年公開の作品である。
 
83年に「愛と青春の旅立ち」が公開されてるので、これに当てたタイトルなんだろうが、原題は「out of africa」である。
 
ぜんぜん違うじゃないか。
 
担当者の苦悩が偲ばれる。
 
上司「タイトルどうすんだよ」
担当「「アフリカを越えて」っていうのはどうすか」
上司「それじゃあなんだかわかんねえよ」
担当「アフリカ脱出」とか」
上司「アクション映画じゃないんだからさ。この間のアレに似たようなの考えろよ。アレ」
担当「じゃあ「愛と悲しみの果て」にしましょう」
 
 
 
……ともあれ。
 
時代設定は20世紀初め。第一次大戦直前の英国領ケニアだ。
 
デンマーク人の勝ち気な女性主人公メリル・ストリープが、スウエーデン貴族の旦那と一緒にアフリカで農場経営を始める。
 
そこで出会った野生児のようなイギリス人ロバート・レッドフォードに惚れて不倫するというストーリー。
 
 
最初のシーンで汽車が出てくる。
 
前から思ってたんだが、おそらく鉄道は、現代の自動車と同じで、あらゆる産業を網羅する一大複合産業だったんだろう。
 
自動車をつくるには、コンピューター、電気系統、ガソリン機関、製鉄、ガラス、ゴムなど、あらゆる産業の技術がともなう。
 
自動車を輸出することであらゆる産業が儲かるわけだが、当時はそれが鉄道技術だったようだ。
 
他の植民地でも「鉄道を敷くこと」が植民地政策の根幹なのは歴史で習ったとおりだ。
 
 
 
メリルストリープはコーヒー栽培のかたわら、学校をつくり、ケニアの子供たちに文字を習わせる。
 
それを見たレッドフォードとの会話。
 
 
「字を習わせディケンズを読ませるのか」
「あなたも反対なの?」
「彼らの意見は?」
「子供が教えてと頼む? 物語が何の害に?」
「彼らには彼らの物語がある」
「彼らを無知のままに?」
「無知ではない。彼らを英国人にしたいのか?」
 
 
ここに制作者の姿勢が伺われる気がする。
 
メリルストリープの考え方は、一般的な欧米人の考え方だろう。
 
読み書きができれば世界は確かに拡がる。
 
しかし同時に、欧米の文化や習慣がなだれ込んでくる。
 
言語と思想は切り離せないものだ。
 
主人公は、アフリカ人も欧州人と同じ暮らしをすることが幸せだと考えているが、アフリカで長く暮らしてきたレッドフォードの意見は違う。
 
文字が読めることがアフリカでの暮らしに、それほど重要ではないことを彼は知っている。
 
 
植民地時代のアフリカが舞台だけに、ひどいレイシストのオヤジも出てくるし、農場手伝いのアメリカ人は、やたらにムチを使う粗野な人間である。
 
しかし一方で、マラリアで死んだ農場主の男はソマリ族の愛人を持っていて、遺産は女にやってくれと遺言する。
 
ソマリアとエチオピアには美人が多いというのは、アフリカ旅行者の間では有名な話である。
 
 
メリルストリープも、地元民にたいへん親切である。
 
怪我をした子供をコックに雇ったりする。
 
しかしその好意には、「農場主と使用人という関係の上での」という限定が付くことは言うまでもない。
 
こういう厳格な上下関係は日本人にはどうしてもなじめないよなあ。
 
 
 
植民地時代のアフリカのフンイキがなかなか興味深い映画だった。
 
あと面白かったのは、メリルストリープが本国から持ってくる陶磁器のことを「チャイナ」と呼んでいたこと。
 
それと彼女が持ち歩いていたハンドバッグに漢字で「長命」と書いてあったこと。
 
当時は中華趣味が流行してたんだろうかねえ?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「スラムドック$ミリオネア」 2010年04月04日00:23
 
先日、都内の漫喫に泊まったときに見た映画。
 
公開時に見たかったんだけど、知らないうちに終わっていた。
 
映画ってそういうもんだよね。
 
 
 
アカデミー受賞映画だけに楽しい映画だった。
 
スピード感があって飽きない。
 
主人公の成り上がりぶりが痛快である。
 
イヤミもないし、最後はハッピーエンドだし。
 
エンディングのインド映画チックな歌と踊りも非常にいい。
 
 
 
しかし気に入らないことがひとつだけあった。
 
それはダニーボイル監督に限らず、欧米の映画監督が描く、途上国官憲の描写である。
 
 
この映画でもインドの警官は憎むべき悪徳警察として描かれている。
 
なんの罪もない主人公の少年をとっつかまえてボコボコに拷問する。
 
デブで品がなく頭が悪い警官である。
 
 
 
こういう描写の極めつけは他の映画でもあるが、特に「ミッドナイトエクスプレス」が白眉だろう。
 
ストーリーは簡単で、トルコから大量のハシシを腹に巻いて密出国しようとしたアメリカ人青年が逮捕される。
 
最初は懲役3年くらいで釈放されるはずが、運悪く「見せしめ」にされて終身刑になる。
 
家族や恋人が面会にやってきて涙の対面をする。
 
刑務所の責任者は残虐非道なホモで、主人公他の西洋人を警棒でボコボコにぶん殴る。
 
精神病の監舎に至っては阿鼻叫喚である。
 
 
 
この映画で言いたいことはただひとつだ。
 
 
イスラム圏の刑務所は悲惨だ。
 
中近東の警察は悪いヤツばっかりだ。
 
トルコには「人権」がない。
 
 
最後に主人公は脱獄に成功して、晴れて母国に帰還するんだが、ドラッグ所持の罪や脱獄の罪についてはまったく触れない。
 
劣悪な環境に耐えて、晴れて帰還した青年を褒め称えて映画は終わる。
 
 
 
 
もちろん途上国の刑務所の劣悪な環境とか警官の傲慢ぶりは、その通りなんだろう。
 
しかしそれは先進国の私たちが描くべきものか?
 
たとえば環境汚染がひどかった頃の川崎とか、東京湾のヘドロとかを、欧米人が映画で世界に告発したとして、我々は気分がいいはずがない。
 
最近の捕鯨映画にしても同じことだろう。
 
ほっとけ!
 
と思うわけだ。
 
同じことを、この映画を見たインド人も感じないだろうか。
 
 
 
いくつかの本で指摘されているが、イギリスの警察もまったく役立たずで、日本人女性が行方不明になっても、まともな捜査も行われない。
 
拷問こそしないかもしれないが、警察のいい加減さや傲慢は、日本も含めて、どこの国も、そう大差ないのではないだろうか。
 
そういう意味で、この監督にも「オリエンタリズム」の視点を感じずにはいられないのである。
 
映画自体は楽しいだけに、そういう「上から目線」を感じたのが残念だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ブレードランナー」 2010年04月03日23:28
 
若い頃に見て衝撃を受けた映画のひとつが「ブレードランナー」だった。
 
原作のディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も読んだし、この作家の他の作品もいくつか読んだ。
 
とはいっても原作とはまったく違う内容だが。。。
 
 
見ている人は多いと思うけど、一応説明しよう。
 
近未来のロサンゼルス。
 
その世界では、人造人間技術が確立していて、他の星で肉体労働したり慰安婦としてこき使われている。
 
そのうちの知恵をつけた数人の「レプリカント」が脱走。地球にやってくる。
 
アンドロイド専門の特殊警察「ブレードランナー」のハリソンフォードがレプリカントたちを追跡する……。
 
 
初めて見た当時は無国籍で猥雑なロサンゼルスの町がいかにも近未来っぽく、強力わかもとのCMが流れたり、うどん屋のオヤジが「ふたつで十分ですよ〜」と言ったりして、アジア的なフンイキの色濃いシーンが印象的だった。
 
 
 
それで今回、改めて見てみて気づいたこと。
 
リドリースコット監督によれば、2019年のロサンゼルスは、中国人(日本人)に支配されている。
 
地上はすべて中華街になり、ドラッグと犯罪と売春が横行し、怪しげなクラブが林立している。
 
では白人たちはどこへ行ったのか。
 
彼らは地上100階に近い超高層マンションで暮らしている。
 
ハリソンフォードが扮する主人公のマンションは「9★★★号室」になっていた(★の部分は忘れたけど)。
 
地上に住んでいるのは、変わり者のエンジニアくらいのものだ。
 
普通の白人たちは、とっくの昔にはるか天上の高層ビルに逃げてしまったのだ。
 
 
 
この現象は、アメリカでよく見られる。
 
100年くらい前は白人だらけだった大都市は、黒人とラティーノに占領されてしまった。
 
有色人種が住み始めると、家の価値が下がる。
 
それを嫌う白人たちは、地方に小都市をつくって、そこに住み始める。
 
かくして、大都市の古ぼけたマンションには黒人が集住し、郊外の小綺麗な地方都市にはプール付きの一軒家が建ち並び、人々はマイカーで通勤するという、アメリカ白人のライフスタイルができあがった。
 
この映画では、それが天上に伸びて、地上はアジア的混沌の世界で、天上は金持ち白人が住む天国となって描写されている。
 
 
 
前にも書いた「イギリスはおかしい」(高尾慶子 文春文庫)によれば、スコット監督は異常なほどの潔癖症で、チリひとつ床に落ちているのも許されず、真鍮のドアノブはいつもピカピカでないといけなかったそうだ。
 
そういう人が、「ブラックレイン」のようなアジア的カオスの世界を好んで描いたり、「ブラックホークダウン」のようなメチャクチャな戦争映画を撮ったり、あるいはやたらと雨のシーンが多かったりするのは、やはり心のどこかに倒錯があるんだろうか……。
 
この映画でもやたらと薄汚い路地裏のシーンが登場するのだ。
 
 
それにしてもレプリカントの女の子、妙に色っぽかったなあ。。。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」 2010年04月03日17:10
 
人気コラムニスト町山智浩氏のエッセイ集。
 
町山氏の本は、そのうち読んでみようと思っていて、安いのとタイトルにシビレたので買ってみたら、なんとイビルさんが担当編集者だったのでビックリ。
 
内容はタイトル通り、アメリカ人の驚くべき無知や、仰天な習俗についての報告。
 
前にも書いた「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤未果 岩波新書)よりも内容は刺激的で、個人的にはこっちの方が好きだ。
 
ただ「貧困大国」の著者の方が足で稼いでいる感じは確かにする。
 
 
 
中でも面白かったのが、キリスト教福音派の、すさまじい教義だ。
 
福音派というのは、アメリカ白人の半分くらいを占めるプロテスタントの大派閥で、特に南部に集中している。
 
この地域は「バイブルベルト」といわれていて、いわゆる「進化論を教えない」という、ものすごい原理主義の地域でもある。
 
親は、我が子が公立学校で進化論を教えられるのを嫌がり、自宅で自ら子供に学習させる。
 
学校に行ってない親が子供に授業する。
 
こうして南部の大学進学率は落ち込み、ひいては「南部の貧困」につながっている。
 
 
この過激派組織は、子供たちを洗脳して原理主義者に教育しているという。
 
とある牧師は言う。
 
 
「パキスタンやパレスチナには神のために命を捨てる若者たちが大勢います。彼らのような『神の戦士』を我々キリスト教徒も育てなければなりません」
 
 
 
3/31日の読売新聞に、キリスト教過激は民兵組織の記事があった。
 
彼らは「ハタリー(キリストの戦士)」を名乗る民兵組織で、軍事訓練を受け、警察を襲撃したり、政府への攻撃を計画していたという。
 
こうなるともう、彼らに9.11やアルカイダを非難する資格はないよねえ。
 
 
 
「ハビビな人々」でも引用したけれど、国立民族学博物館館長の石毛直道氏によれば、宗教というのは、為政者が貧困を糊塗するのに有効なツールらしい。
 
「宗教哲学に無知な無信仰者の見解として、宗教にあらわれる禁欲思想を皮相的に解釈するならば、それは人間の欲求水準を低くおさえておくことによって、社会秩序を維持しようとする方法であるといえる。(中略)巨視的にいえば、物質的な生活水準が満たされたときには、宗教はあまり力をもたなくなる。社会的矛盾の上に宗教はひとつの活力を見いだす、という傾向があるようだ」(『食事の文明論』中公新書)
 
 
宗教が貧困層の間で、いっそう強い力を持ち、貧困であればあるほど宗教に熱心な人々が増えるわけだ。
 
アメリカ南部の保守化、右傾化、過激な福音派の台頭と貧困は補完関係にあるとも言えるだろう。
 
「貧困大国アメリカ」には、アメリカ貧困層が米軍を支えているというルポもあった。
 
まさにアメリカの貧困は、ある意味で「意図的に」造り出されていると言ってもよいのではないだろうか。
 
 
 
またアメリカには「反知性主義」ともいうべき思想があるという。
 
余計な知識は信仰に反すると。
 
聖書だけ読んでいればよいという思想だ。
 
 
たとえば中近東のイスラム諸国は、数次の中東戦争でイスラエルに連戦連敗だったが、その後に台頭したのが原理主義だった。
 
要するに戦争に負けたのは、信仰不足のせいだと。
 
そういう説明がされたわけだ。
 
 
敗戦や貧困に対する不満を取り込んで原理主義が力を持っていく。
 
 
日本に広がる格差の不満は、いったいどういうカタチをとって現れてくるのか。
 
ちょっとコワい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
インチキ健康食品 2010年04月03日01:28 
 
 
 
プロテインって、要するにタンパク質のことだ。
 
二年ほど前に偽装食品の本を取材で、「植物性大豆タンパク」というのを調べたことがある。
 
「社団法人日本植物蛋白食品協会」というところに問い合わせたら、たくさん試供品を送ってくれた。
 
これは要するに大豆を粉末に細かく砕いたもので、要するに「きな粉」と同じようなものだ。
 
肉に比べたら格安なので、ギョーザの増量なんかに使われる。
 
だから安いパックギョーザほど、これをたくさん使っている可能性が高い。
 
 
 
それで上記のインチキ健康食品。
 
私が子供の頃に、ばあさんが、牛乳に妙な粉末を混ぜてネチネチにして飲んでいたのを覚えている。
 
なにかの健康食品らしく、大量に買ってきて、毎日そうやって飲んでいた。
 
私もよく飲ませてもらったが、香ばしくてほんのりと甘くて、それなりにおいしかったのを覚えている。
 
 
 
今回この粉末の大豆タンパクを、牛乳に混ぜて飲んでみた。
 
そしたら案の定。
 
アレと同じ味がしたのだ。
 
つまりばあさんが高い金を出して買っていたのは、要するに「きな粉」だったらしい。
 
それもしかし三十年くらい前のことなので、今さらの話なんだけど、それにしても当時からプロテインの存在を知っていて、確かに健康食品ではあるので、これを年寄りに売りつけて、ぼろ儲けしていたに違いない悪徳業者の慧眼には、恐れ入るばかりだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ハビビな人々」連載終了 2010年03月26日23:59 
 
 
 
2007年10月にスタートして以来、二年五ヶ月に渡って連載させていただいた北海道新聞生活面の「ハビビな人々 ロバ中山のビンボー愉快紀行」が、本日連載100回をもって終了した。
 
 
思えば高円寺の写真バー白黒で偶然知り合った道新記者のKさんが、札幌本社に戻って生活部部長に昇進して、長期旅行から帰国間もない私に連載の話をふってくださったのが、そもそもの始まりだった。
 
 
私の父親も道新の記者だったんだが、Kさんはまったく偶然ながら、父親の整理部時代の後輩だった。
 
話の流れで父親のフルネームを告げるとKさんは、遠くから記憶をたぐり寄せるような顔をして突然、
 
 
「……あ! いたいた。ナカヤマさんだ! あの人変な人だったなあ(笑)」
 
 
確かに私の父親は少々風変わりな人だったので、Kさんの記憶にも残っていたん
だろう(私の父親に関する記事は以下)。
 
 
 
ともあれそれがご縁で、何度か一緒に同席させてもらうことになった。
 
 
 
当初、月二回のペースで連載が始まり、二ヶ月ほどで毎週連載に昇格した。
 
Kさんによると、おかげさまで連載は好評で、他の取材先でも話題になるほどだったそうだ。(実は人気連載だったのか?)
 
 
今回単行本が発売されるにあたって書店さんに営業しても、道新の記事を見せる前に、
 
「ああ! ハビビ読んでますよ!」
 
と親しげに声をかけてくださる書店員さんも何人かいた。
 
 
二十年ぶりに再会した高校ラグビー部の同級生も読んでいてくれていた。
 
「北海道でハビビったら有名でしょ」
 
と、うれしいことを言ってくれた。
 
私が書いていることを知らずに読んでいたやつもいた。
 
 
 
というわけで、多くの反響をいただいた「ハビビな人々」。
 
私にとっては初めての本格的な連載仕事でもあった。
 
改めてチャンスを与えてくださったKさんと、Kさんを紹介してくれたバー白黒のマスターにお礼を述べたいと思う。
 
 
 
二年近い長期旅行に出かけるとき、一緒に仕事している仲間は、
 
「なんで順調に仕事が入りはじめた今、長期旅行なんかに出かけるのか」
 
と非難囂々だった。
 
しかし請け負いの取材仕事を続けていても、その先に進めないという気持ちがあったし、それは出版不況になった今、多くのフリーランスの人たちが切実に感じているところだろう。
 
そして結果的に、この長期旅行を本に書いた「ハビビ」の連載が、ライターとしてひとつステップアップするきっかけになったのは間違いないと思う。
 
なんとなく自分の中にスタンスのようなものができあがったような気もする。
 
 
 
 
それにしても……。
 
定期収入がなくなったのは痛いなあ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
NHKラジオに出演しまして 2010年03月22日22:07
 
先日NHKラジオの収録で、渋谷に行ってきまして。
 
「ラジオあさいちばん」という番組のコーナーで、「著者に聞きたい本のツボ」というのがあります。
 
 
この番組、ホントに朝早くて、午前六時過ぎに放送されるそうです。
 
 
 
……いったい誰が聞くんだ。。。。。
 
 
 
ともあれ居候本の紹介をしていただきました。
 
 
 
そしたらさ。
 
 
すごいのよ反響が。
 
 
当日のアマゾンでは一気に売り切れで、中古本も売り切れという。
 
そして順位が一気に千位くらいに跳ね上がりまして。
 
 
みんな聞いてるんだ。
 
朝六時にラジオ。
 
 
私の話が特別面白かったわけでは絶対ないので、興味持ってくれる人がたくさんいたんでしょうね。
 
というわけで疑ってすいませんでしたNHKさん。
 
 
そして買ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。
 
 
 
ちなみに放送内容は以下で聞けますんで、聞きたい方はどうぞ。
 
私はもちろん聞いてませんが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ハビビな人々」雑記 2010年03月20日16:33
 
 
 
■ハビビの商標登録
 
この間、フト思いついて霞ヶ関に行ってきました。
 
なにしに行ったのかというと、特許庁に行ったんですよね。
 
だからなにしに?
 
実は「ハビビな人々」の「ハビビ」を商標登録しようと思ったんです。
 
 
 
そんで特許庁の窓口に行ったら、オジサンが出てきて、かなり親切に応対してくれました。
 
 
お話の概略はこんな感じでした。
 
まず出願するのに一万七千円くらいかかりますと。
 
けっこう高いので、出願する前に、似たような商標が登録されているかどうか調べた方がいいですよと。
 
そんでさっそく調べてみたら。。。。
 
なんとありました。
 
「ハビーブ、ハビーバ」
 
というのが。
 
「……これ、大丈夫でしょうかねえ」
 
「うーん、なんとも言えませんが、はじかれる可能性、ありますねえ」
 
オジサンの感想です。
 
はじかれた場合費用はもちろん戻ってこないわけです。
 
そんで迷っているうちに1ヶ月くらい過ぎましたとさ。
 
 
ちなみに認められた場合、登録料として三万円ちょっとかかります。
 
合計五万円くらい。
 
特許期間は十年ごとに更新されます。
 
こんだけ払って「ハビビ」の章表登録する意味が、果たしてあるのか???
 
まあシャレでやってみても面白いんですけど。。。
 
 
 
 
■「恋の魔法はハビビのビ!」
 
ネットでハビビを検索してみると、
 
「恋の魔法はハビビのビ!」久住小春
 
というのがヒットします。
 
最近あんまり聞かなくなったモーニング娘。のメンバーらしいです。
 
……どうなのよ。
 
 
ちなみに次にヒットするのがインドネシアのハビビ元大統領。
 
「ハビビな人々」は通販サイトでけっこうヒットします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
リブロ吉祥寺 2010年03月20日16:07
 
 
 
八重洲ブックセンターさん、池袋ジュンク堂さんに続いて、リブロ吉祥寺さんでも「世界のどこかで居候」を展開していただいてます。
 
ちなみにジュンク堂さん、ここ2週間くらいで、なんと70冊も販売してくださったそうです。
 
すげー。
 
リブロ吉祥寺さんにも挨拶に行ってこようかな。。。
 
 
それにしてもリトルモアさんの販売展開には、ホントに感謝です。
 
 
「原稿書いたのと同じくらい営業もがんばらないとダメですよ」
 
 
とは、文春の担当イビルさんの言葉ですが、本は売れるんじゃなくて売るんだということが今回よくわかりました。
 
 
ところで写真の「防犯カメラ作動中」。
 
一瞬なんのことかわからず、下のカンボジアの写真のキャプかと思いました(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ニッポンの評判」 2010年03月15日00:51
 
「ニッポンの評判 世界17カ国最新レポート」(今井佐似「編)
 
世界各地での日本人観を、現地在住日本人がレポートする。
 
全体に元気がない日本に活気を与えたいという内容で、読んでいて安心させてくれるが、ちょっといい話に偏りすぎでは? という疑念も読後にちょっとあった。
 
 
いくつか面白いレポートがあるので取り上げたい。
 
日本人にはイタリア人建築家にはない強みがある。
 
「日本では、建築とは「更地に新しい建物を建てること」にほかならない。一方イタリアでは、建築とは「古い建物をなるべく元どおりのカタチになるように修理・修復すること」」(山盛菜々子)
 
だから大胆なアイデアとか斬新な美的感覚というのは日本人建築家が得意にしているんだそうだ。
 
へえー。なるほどね。
 
 
 
「(マレーシアで手に入る)アダルトDVDの8〜9割が日本製であること。日本のテクノロジーは、アダルト産業でも成功していて、他国を寄せ付けないスキルを持っているようだ。そのため日本は「性に開放的な国」という印象を持っているマレーシア人は結構多い」(根川幸男)
 
 
「まず、作品としてのクオリティの高さだ。欧米のAVはストーリーが雑だし、ポルノ漫画やアニメは線が粗いため女性の裸がちっとも肉感的ではなく、顔もコワい」(渡辺真由子)
 
やはりそうだったか。
 
日本の印刷技術が非常に高いため、日本のエロ本がたいへん有り難がられているという話を聞いたことがあるが、これらの記述はそれを裏付けるものだろう。
 
 
 
トンガでは反中国人感情が非常に強いので、間違われないように気をつけないといけないそうだ。
 
華僑、印僑の商店が暴動で略奪にあったりしているという。
 
「中国が援助をする場合、現場監督のみならず労働者も資材もすべて全て中国から調達する。トンガ人を雇うことはまず無い。他国の場合、労働力のほとんどは現地調達となるので、トンガ人の収入になるのとは対照的である。また、援助で建てた建物、贈呈された家具や機材、中国人商店で買う品々は結果、「安かろう、悪かろう」なのである。すぐ壊れる、雨漏りする、剥がれる……」(又平直子・アフェアキ)
 
 
最近、新聞でよく見かける、アフリカでの中国人の評判とまったく同じなのであった。
 
 
 
ドバイでも中国人の評判はあまりよくない。
 
ドバイでは、「アジア系」というとフィリピン人か中国人なんだそうだ。
 
「ドバイでは、長年アジア人=フィリピン人メイドだったのと、ここ数年で中国人労働者が急増したためだ。このに国の存在が強大であるともいえるが、多少見下したような質問口調である」(伊勢本ゆかり)
 
これは私もよくわかる。
 
隣のオマーンで、地元男性と立ちんぼの女性が交渉していたが、女性はアジア系だった。
 
要するに中近東でアジア系女性というと、そのまま=メイド、売春婦になってしまうものらしい。
 
日本人の女性旅行者がセクハラを受けるのは、このためなのだろう。
 
 
そして中国人はおろか日本人でさえ差別の対象になるのがヨーロッパである。
 
 
ドイツからのリポートでは、
 
「隣に日本からの難民が住んでいる」(田口理穂)
 
というドイツ人がおり、その日本人とは大学の教官なんだそうだ。
 
職業に関係なく、アジア人=難民なのである。
 
そしてそこには日本人も含まれる。
 
 
 
もっとすごいのは隣のオーストリアだ。
 
著者のパッハー眞理氏によれば、オペラは白人の牙城なんだそうだ。
 
日本人に対してだけ、コンクール参加者の締め切りが早く届いたり、ステージの袖から罵声を浴びる。
 
見学していたら「日本人は出て行け」と言われる。
 
総監督自身も、
 
「こんなに素晴らしく美しいモーツァルトの音楽が、醜悪な日本人に理解できるはずがない」
 
と公言してはばからないという。
 
こんなレイシストが知的階層にすら、まだ存在するのかと思うと、お先真っ暗である。
 
 
そしてそんなオペラにスポンサーとして金を出しているのがトヨタなんだそうだ。
 
いや、文化事業に金を出すトヨタはまだいい。
 
そんなに醜悪だったら、日本企業の助成金なんて決然と突っぱねるくらいの気概を見せろよな、オーストリア人。
 
と、私は言いたい。
 
そういえば中島義道氏の「ウイーン愛憎」もオーストリアだったけれど、この国にはレイシストが多いんだろうか??
 
 
 
他に面白かったこと。
 
WWOOFという組織がある。
 
有機栽培農家で農作業などを手伝う代わりに、宿泊費や食事代をホストに負担してもらうというシステムで運営されている。
 
ニュージーランドでは日本人ウーファーがたくさんいるそうだ。
 
そして彼らに対するホストの白人たちの評判は全体に辛い。
 
言葉がわからない。
 
なに考えてるのかわからない。
 
繊細そうだから失敗しても怒れない。
 
 
しかし意外だったのは、
 
仕事が遅い。
 
 
「食事をよそうのすら遅い。彼らはひとつひとつ見た目を確かめ、ちょっとよそっては匂いを嗅いで、とにかくなかなか進まない。日本人が5人もいたら、食事がさめてしまうよ」(内田泉)
 
しかしそういう不満を言うホストの家は、日本人ウーファーびいきなんだそうだ。
 
他のホストでは、1日の労働時間は4〜6時間だが、ここのホストは8時間働かせる。
 
そのため文句を言えない日本人をこき使っているという批判があるそうだ。
 
これに対してホストは言う。
 
「日本人は仕事が遅いから、時間は長くてもなかなか進まないの。でも、日本人は信頼がおけるわ。他の国のウーファーは、長距離電話を使ってそのまま逃げてしまったり、要求ばっかり多くて仕事をしなかったりするけど、日本人はそうした悪いことができないような育ち方をしているんじゃないかしら」
 
 
誉めてるんだかけなしてるんだかわからない内容だが、日本人が、手癖が悪い他の国の旅行者よりも、よっぽど立派な振る舞いをしていることは確かだろう。
 
しかしここのホストの評価は違う。
 
 
日本人はのろまであると。
 
しかし長時間労働させても文句も言わないし、悪いこともしないと。
 
仕事は遅いけれど、まじめにやってるし、他の連中よりはいいかと。
 
 
こういう上から目線のホストの家に滞在したいとは、私はこれっぽっちも思わない。
 
 
 
「フィンランドでは、教育レベルの高さと生活保障の豊かさが逆に弊害となり、人々はより高度で知的な職種を目指すために妥協しない。つまり、自分ほどの人間に相応な仕事がなければ、見つかるまでスキルアップのために勉強したり、失業者として保証を受けながら職を探し続けたりするのは当たり前で、それが可能なのだ。そのため、サービス業や清掃係などのいわゆる単純労働が外国人労働力で補われなければならないほど、たいへんな人手不足に見舞われている。しかも、現場で働いている人たちの中には安給料相応の仕事振りを隠さない人や、あからさまに態度の悪い人が多い」(靴家さちこ)
 
 
欧米で特に移民が急増した背景には、こういう職業感覚が働いていたのかと納得した。
 
清掃業なんて仕事は、彼らにとっては賤業以外のなにものでもないらしい。
 
 
この感覚は日本とは著しく違うよね。
 
建前ではあっても、日本では「職業に貴賎はない」わけだし、清掃業の人たちをことさら見下すような風潮も日本にはない。
 
しかし欧米では知的職業と肉体労働はまったく違う職業と捉えられている。
 
それはブルーカラーとホワイトカラーという言葉が象徴している。
 
要するに青いツナギのナッパ服とYシャツである。
 
 
こういう職業的な差別意識が、人種差別と容易に関連することは想像に難くない。
 
3K仕事をしてくれる人に感謝するという感覚が、なぜ彼らの社会に生まれないのか、本当に不思議だ。
 
 
本の主旨とは関係ないところだが、非常に興味深い内容だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「続・照葉樹林文化」 2010年03月14日14:30
 
「続・照葉樹林文化」(上山春平 佐々木高明 中尾佐助 中公新書)
 
 
前作「照葉樹林文化」から7年後に発表された続編で、前作の続きというか補足的な内容。
 
 
「照葉樹林文化」は、ネパールから東、ブータン、インドのアッサム地方、ミャンマー、中国雲南地方、揚子江南部、さらに日本に至るまで共通している文化の基層のこと。
 
主に中尾教授が構想して、当時話題になった学説だ。
 
具体的には稲作を中心的な基調として、これに関連する酒造り、川魚のなれ鮨、ミソなどの大豆の発酵食品、こんにゃく、お茶、漆器、養蚕、鵜飼いなどの文化が共通しているといわれる。
 
確かにネパールの山村に行ってみると、日本の古民家とそっくりの切り妻屋根の農家がたくさんあり、デジャブな感覚を覚える。
 
日本とつながっている感じがするのだ。
 
あるいは村のあり方、と畜した羊の肉をものすごく厳密に全員に均等に分配するなどの、ムラ社会的なあり方が日本とそっくりなのだ。
 
 
とまあ、そういうことは有名な話なので、中でも面白かったトピックスである。
 
 
 
世界地図を開いてバングラデシュあたりを見てみる。
 
バングラはガンジス川の河口である。
 
しかし、もうひとつ大きな川の河口でもある。
 
ブラマプトラ川だ。
 
この川は非常に屈折していて、ヒマラヤ山脈をぐるーーーっと大きく迂回している。
 
おそらくインド大陸がアジアにぶつかった時に、大きくゆがめられたんだろう。
 
 
東アジアの穀物栽培はアフリカから伝わったといわれるが、中尾教授によれば、このブラマプトラ川をさかのぼって伝えられたとされている。
 
なんでミャンマーに直接行かなかったのかというと、バングラとミャンマーの間にはアラカン山脈というジャングルの大密林があるのだ。
 
この密林は、かのインパール地方まで続いている。
 
つまり川を遡行した方が交通にラクだったわけだ。
 
穀物栽培を携えてやってきた人々は、ブラマプトラ川をさかのぼり、アッサム地方の端っこにまで達する。
 
世界地図でいえば、インドとミャンマーと中国の国境あたりだ。
 
このあたりは非常に面白い。
 
いろいろな川が、まるで「扇の要」のように集中しているのだ。
 
 
「佐々木 インドからブラマプトラの谷をずうっと入ってロヒットの谷をつめ、その谷を越えると雲南の高原に出る。雲南高原からは川沿いにこんどは東南アジアへも中国へも拡がっていけるという、なにか地形的に扇の要みたいになっていることも重要でしょうね」
 
 
「佐々木 ブラマプトラ・ロヒットの谷がロート状になっていろんな文化要素がギューと収斂するわけですね。ヒマラヤは大障壁ですからそこのところは通れない。アラカンは大密林で通れない。そうすると、この谷に収斂するのは当然のことです。そうしていったん雲南地方に入ると、これまた便利のいいことに、サルウィンとメコンと揚子江はそれぞれ尾根一つへだてているだけです。四十キロメートルぐらいだったかな。キングドン・ウォードの旅行記を読むとたいへんおもしろいんですけれど、ひょいと峠一つ越えるとサルウィンの河谷、またひょっと越えるとメコン、そして次は揚子江といったぐあいなんです」
 
 
谷をひとつ隔てただけで、まったく別方向に流れていく川がいくつも流れているわけだ。
 
こうやって穀物栽培、あるいはそこから特に発達した稲作、さらにそれに付随した上述の共通する文化が、各地に伝播していったわけだ。
 
 
雲南行ってみてーーー!!
 
 
 
 
もうひとつ面白かったのが「歌垣」のエピソード。
 
歌垣というのは、男女がかけあいで歌を披露して踊ったりする祭りのことで、おそらく気に入ったら、ふたりで暗がりにしけ込んでやっちゃう……というようなものなのだと思う。
 
辞書には「性の解放」とか書いているが、要するに若い男女の乱交の場だったんだろう。
 
そして「婚約祭」でもあった。
 
 
前にネパールに行った時に、この歌垣を聞いたことがある。
 
それは結婚式に招待されて、参列者が大型バスで新婦の家に移動する車中だった。
 
確か最初に若い女の子たちが歌い始めた。三十秒くらいの短歌みたいなのだ。
 
すると同じ節回しで男たちが返歌する。
 
車内はどっと盛り上がる。
 
内容はわからないけれど、あとで聞いたら「誰それはナントカちゃんに気があるらしい」みたいな他愛ないものらしい。
 
ネタが尽きて途切れがちになると、ちょっと年配の男性が気の利いたのを披露して、またどっと盛り上がる。
 
それが到着するまで延々と続いた。
 
 
 
またネパールは夜這いが盛んな国だという。
 
 
「中尾 ぼくらキャラバンでテント泊まりでずっと行くでしょう。人夫に荷物をかつがして行く。村に泊まったり、村の近くに泊まったり。それであくる日の朝、人夫連中が荷物をかつぎに来て、ガヤガヤ話をして荷物やらをナワかけてかついだりするわけです。その間に話している話というのは、通訳に聞くと、夕べ夜這いに行ってどうだったという話らしい」
 
 
こういう話を聞いていると、源氏物語というのは要するに「歌垣と夜這いの話」なんだなあと思うわけだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
池袋ジュンク堂 2010年03月12日15:41
 
 
 
最近、自分の本がらみの告知ばっかりで恐縮なのですが。。。
 
いま、池袋ジュンク堂さんで、「世界のどこかで居候」写真展開催してます。
 
二階フロアのかなりの広さを利用してまして、メチャクチャ目立ちます。
 
おかげさまで売り上げは順調とのこと。
 
 
ありがとう。リトルモア。
 
ありがとう。ジュンク堂。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
新聞各紙 立川支局飛び込み営業報告 2010年03月11日01:08
 
というわけで、居候本とハビビ本の営業に行ってきた。
 
要するに新聞の地方版(うちでは多摩版)のページで拙書を取り上げてください、という営業である。
 
住所は前もって調べて、いざ出発。
 
 
まず訪ねたのはY新聞。
 
自社ビルらしい大きなビルのワンフロア。さすが大新聞。
 
インターホンで事情を話すと、簡単にドアが開いた。
 
受付嬢に事情を話していると、奥の記者さんと目が合う。
 
受付嬢が呼び行って、直接お話しすることに。
 
名刺をいただいて挨拶。
 
特に居候本に興味を持っていただき、青梅担当者か私から後日連絡します、とのこと。
 
幸先のよいスタート。
 
 
 
次にT新聞。
 
こちらはビルの一階。
 
ガラス張りで他と比べるとセキュリティが緩い感じ。
 
やはりガラスのドアを開けると、誰もいない。
 
留守番の受付女性のみ。
 
用件を伝えると記者は出払ってるので、とのことで夕方出直すことに。
 
 
 
次。A新聞。
 
こちらも大きなビルの半フロア。
 
やはりインターホンで受付嬢が登場。
 
現在、青梅担当者が出ているので、名刺と著書を渡しておきますとのことで、そうする。
 
一応、担当記者さんの名前を聞いて、あとでメールで挨拶することに。
 
 
 
S新聞。
 
フツーの雑居ビル。
 
「S新聞多摩支局」の紙が貼ってある鉄製のトビラ。インターホンなし。
 
開けると留守番の女性だけ。
 
このあたりで、この時間は記者が出払ってるのが常態だと知る。
 
あとで電話くださいとのことで、電話番号を記したメモをもらって退散。
 
 
 
おそらく他の支局も記者不在が予想されるので、夕方まで時間をつぶすことに。
 
ついでに立川の大型書店、オリオン書房さんに営業に行く。
 
 
ルミネ店では、居候本、ハビビ本ともにけっこういい棚に置いてあり感激。
 
担当者は物静かな男性で、ポップを差し上げると、
 
「がんばって売ります」
 
お仕事中にもかかわらず親切な対応。
 
 
 
次にノルテ店へ。
 
こちらの方がフロアは広いかも。
 
驚いたことにハビビ本がノンフィクションコーナーの、もっとも目立つところに十冊ほど積んである。
 
さらに居候本も、版元さんの営業のおかげか、内容の一部をプリントした手書きのポップが貼り付けてあり、扱いはかなり大きい。
 
担当者さんにハビビ本を示して挨拶すると、
 
「あ! 著者の方ですか! その本、並べてすぐに売り切れて、追加注文したんですよ!」
 
さらに居候本をお見せして、大きく展開してくださっていることにお礼を述べると、
 
「あ! その本大好きだったんです!」
 
との感激のお言葉。ポップを差し上げると、
 
「余白にサインしてください」
 
たいへん好感触である。
 
お隣の喫茶店で写真展など開催することがあるそうなので、ご検討をお願いして退出。
 
行ってみてホントによかった。
 
 
 
その後まだ時間があったのでマックで休憩ののち、久しぶりに血でも抜こうかと献血センターを探すが、なぜか道に迷い、献血するのに道に迷っている事実にだんだん腹が立ってきて中止。
 
 
S新聞に電話してみる。
 
年配の男性の声。
 
先ほど訪ねた者で、本の紹介をお願いしたい旨を伝えると、
 
「今は忙しいので」
 
ちょっと困って、
 
「ではどうすればよろしいでしょうか」
 
「また後日ということで」
 
ここで「資料があれば受け取っておきます」などの返事があれば、可能性もあるだろうが、この返答は脈ナシと判断して切る。
 
50代くらいの男性で、いかにも尊大な感じの応対であった。
 
 
少々不愉快な気分でM新聞へ。
 
こちらはマンションの一室で、他の大手と比べると庶民的。
 
応対してくれたのは若い記者さんで、玄関前で説明していると、
 
「まあ、立ち話もなんなんで」
 
と中へ招き入れられ、名刺交換。
 
著書を示して説明するが、釈然としない顔。
 
「なんで本を出版されたんですか?」
 
困った質問である。
 
要するに多摩版で載せるのに、なにかしらの必然性がないとけないと、そういうことらしい。
 
説明されて納得する。
 
 
それで居候本について説明していると、途中で彼の顔が変わる。
 
彼の意見はこうである。
 
「旅行代理店で手配してもらって居候と言えるのか」
 
「謝礼を払って居候と言えるのか」
 
「そのことをあえて書かないのは、読者をだましていることにはならないのか」
 
そこまで言われてこちらもムッとする。
 
しかし内心ちょっとドキッとしたのは、自分の中でも何かしらの後ろめたさみたいなものがあるからなのかもしれない。
 
 
それでこちらも負けずに反論する。
 
「そもそも居候という旅行スタイルを提案したのであって、その方法が商業主義であってもかまわないのではないか」
 
「居候するにあたって、謝礼などの金銭の授受があるのは、ある意味で当然のことではないか」
 
「旅行ガイドではないので、具体的な方法などは書く必要はないのではないか」
 
 
というわけで最後まで意見がかみ合わず、
 
「すいません、ボクの主義とはあわないようなので」
 
と言われて退散する。
 
 
確かに彼の言いたいこともわかる。
 
本来、相手の好意に全面的に依存してこそ居候なんだろうから。
 
そしてそういう旅行は、彼が言うように「若者の特権」でもあるだろう。
 
しかしそれでは社会人は、そういう旅行はできないのかというと、そんなことはないと思う。
 
時間的にも余裕がない人たちが、外国の一般家庭に泊まってみるとすれば、ある程度アレンジされたものになったとしても仕方がないだろう。
 
我々の取材も代理店にアレンジしてもらったケースの方が多い。
 
 
しかし彼のように、全くのアポなしで居候したと読者が思ってしまったならば、ある種の欺瞞と受け取られる可能性は確かにある。
 
このあたりは今後も気をつけないといけないと思った。
 
 
 
それにしても初対面の人にここまでズケズケ質問するこの記者さん。
 
実は私はけっこう気に入った。
 
意見は刷り合わなかったものの、帰りはむしろすがすがしかった。
 
今後の理論武装に役立てたい。
 
 
 
最後にT新聞を再訪。
 
ガラスドアを開けると、今度は男性記者が三人もいた。
 
時間は午後四時半。
 
玄関口で待っていると、不審そうな目つきの記者さんが顔を出す。
 
成り行きで二冊とも差し上げることになり、ついでに過去のT新聞で奥多摩の山荘が取り上げられた記事を見せると、少し対応が変わる。
 
名刺交換して、
 
「検討させていただきます」
 
と笑顔に。ホッとして退散。
 
 
 
というわけで長々とご報告したが、各紙とも対応が実にまちまちで、たいへん興味深かった。特に、
 
 
大手でのほほんとしているY新聞
 
すでにやる気のないS新聞
 
ハングリーなM新聞
 
 
が印象的だった。
 
タネはまいたのであとは連絡待ちである。
 
どこか引っかかってくれればいいんだが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日刊ゲンダイの著者インタビュー!! 2010年03月09日18:08
 
 
ご報告が遅れてしまいましたが、日刊ゲンダイ3月4日号の著者インタビューです。
 
ライターの方は、Oさんという女性。
 
拙著もしっかり読んでくださり、好感触のインタビューでした。
 
 
それにしても思わず口走ってしまったんですが、
 
「やっぱりしゃべるだけってラクですよねー。これから文章にまとめなくちゃいけないって、すげー面倒ですね」
 
 
……Oさん苦笑。
 
いや、いつもは私もOさんの立場なモンですから、つい……。
 
ともあれ、どうもありがとうございました。
 
 
 
ぜんぜん関係ないんですが、隣の五木寛之の連載。
 
8415回。
 
一年で割ると……23年間も連載してる!!!
 
やっぱり10000回を目指すんでしょうか。
 
となるとあと4年ちょっとですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北海道新聞の紹介記事 2010年03月02日23:39 
 
 
 
先週の月曜日に、北海道新聞で「ハビビな人々」の紹介記事が掲載されました。
 
結構大きい扱いです。
 
K山元部長と担当のA沼さんに感謝です!
 
 
そんで文春の担当さんによりますと、この日にアマゾンの在庫が一斉にはけまして。
 
調べてみたらアジア・アフリカ部門で堂々の売り上げ1位を記録いたしました。
 
 
……でも現在、32位に転落……と書こうと思ってもう一回調べたら、11位に浮上しておりました。
 
けっこう売れてるのかしら???
 
みなさま今後とも、よろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
金融屋 2010年03月02日01:59
 
「金融屋」(笠虎崇 彩図社)
 
マイミクのかさこさんの著作の文庫化。
 
大手サラ金に勤務経験のある著者による、メチャクチャリアルなサラ金ノンフィクション。
 
面白くて一気に読んでしまったオススメ本である。
 
 
これを読むとサラ金に対する認識が一変する。
 
そして一方的にサラ金を悪者扱いしてきた、マスコミも含めた私たち一般の認識がいかに誤ったモノであったかを教えてくれる。
 
さらにいえば銀行という組織がどういうモノであるかも教えてくれる。
 
銀行は不動産を担保に金を貸してきた。
 
不動産がもっとも信頼できる「人質」だからである。
 
一方のサラ金は人物を見て金を貸してきた。
 
担保はその人物の「信用」である。
 
だからやばいヤツには金は貸さない。
 
銀行はバブルがはじけて不動産価値が暴落し、大損してしまった。
 
一方のサラ金は飛ぶ鳥を落とすイキオイで成長を続けた。
 
 
 
前に商工ローンの社長か誰かが言っていた。
 
「銀行は晴れている日に傘を差し出すが、雨の日になると傘を引っ込める」
 
景気がいい時にはバンバン金を貸すけれど、景気が悪くなったら融資を出し渋る。
 
本当に中小企業を支えているのは、高利子でも金を貸してくれるサラ金なのである……というと誉めすぎである。
 
この本では「サラ金では金は借りるな」ということがしつこく書かれている。
 
一番悪いやつは、銀行でもサラ金でもない。
 
多重債務に陥ってしまう、だらしのない人間なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それでもトヨタは信頼されている 2010年03月01日01:10
 
それでもアメリカ人はトヨタを信頼しているという、頼もしい記事があったので紹介します。
 
 
26日付の読売朝刊「カリフォルニア発」で、リコール修理に来ていた女性のコメントが載っていました。
 
 
「20年以上乗っているけど、やっぱりトヨタ車が一番信頼できるわ」
 
「日本車だから(叩かれただけ)でしょ。国産車(GMやフォードなど)ならこんな大きな騒ぎになっていたかしら」
 
 
 
要するにこういうことではないでしょうか。
 
 
それでもGMやフォードの品質管理に比べれば日本車は断然マシだと。
 
 
 
今回のリコール騒ぎは、もしかしたらマスコミと政治家が騒いでるだけなのではないでしょうか。
 
もちろん彼らの背後には米国メーカーと、その株式をごっそり引き受けだアメリカ政府と、韓国メーカーなどライバル会社の意向が働いているのでしょうが。。。。
 
 
 
一般の良識あるアメリカ人は、それでもトヨタの品質が、他と比べて高いことをよく知っているようです。
 
記事はこう続きます。
 
 
「ハリウッドのトヨタ販売店でユーザー20人に意見を聞いた。「裏切られた」との答えは一人だけ。19人は「今後も乗り続ける」などトヨタに肯定的だった」
 
 
 
というわけでトヨタの信頼回復は、意外と早いかもしれませんね。
 
がんばれトヨタ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
麦の穂を揺らす風 2010年03月01日00:55
 
ついさっき見た映画である。
 
知人にストロングにリコメンドされて見てみた。
 
感動の評判が高い作品である。
 
 
舞台は1920年代のアイルランド。
 
当時はイギリスの植民地で、英国の兵隊が幅をきかせ、威張りくさっている。
 
主人公は将来を嘱望される医学生だが、IRAのゲリラ部隊に身を投じて英軍と戦う。
 
そしてついに自治権を獲得するが、完全独立を主張するグループと、イギリスと妥協した自治政府に味方するグループが対立。
 
ついに味方同士で殺しあいが始まるのであった。
 
その過程が実に悲しい。
 
そしてこんな反英的な映画をイギリス人の監督が描いているところがミソだなあと思った。
 
 
 
アイルランドという国は、実はイギリスが最初に植民地にした国である。
 
国土は痩せていてジャガイモくらいしかできないといわれる。
 
だからアメリカに大量の移民が流れ込んだ。
 
映画「タイタニック」では、船倉で下層の船客たちがビールを飲んでダンスをするシーンがあったけれど、アレはまさしくアイルランド移民だったらしい。
 
 
 
今日の読売には、EU圏で特に財政赤字がひどい国として、ポルトガル、アイルランド、スペイン、ギリシャあたりの名前があがっている。
 
前にも書いたけれど、ポルトガルは経済的にイギリスに隷属している。
 
スペインはフランスに隷属している。
 
ギリシャは知らないけれど、おそらくドイツあたりだろうか。
 
そしてアイルランドもイギリスの隷属下にあるんだろう。
 
 
アイルランドとイギリスの関係は、韓国と日本の関係に近いのかもしれない。
 
 
韓国は貿易黒字が増えると対日赤字が増えるといわれる。
 
韓国の製品には日本製の部品が多く使われているからだそうだ。
 
 
そして民族的には非常に近いのに、違う言葉を話し、片方が片方を植民地化して、骨肉の争いをしてきた歴史も同じである。
 
土地を奪われた朝鮮の人びとが日本に流れ込んで定着したのが在日コリアンだが、アイルランドでは新天地をアメリカに求めたのが少々違っているかもしれない。
 
アイルランド人が抱いているイギリスに対するルサンチマンは、韓国人が日本人に持っている「恨」の気持ちと、非常に近いものではないかと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
渋谷 2010年02月22日16:50
 
渋谷という町が昔から苦手である。
 
用事がないのであまり馴染みがなく、従って土地勘がないのもさることながら、駅前のスクランブル交差点の、あの異常な人の多さが苦手である。
 
加えていくつもの大型スクリーンから絶え間なく流される映像と大音響。
 
なんでこんなにやかましくしないといけないのだろうか。
 
誰かあの映像を見ている人がいるんだろうか。
 
何重にも重なった音楽や宣伝文句を誰が聞きとれるんだろうか。
 
 
 
最近、さらにやかましいものがある。
 
トラックを改造した宣伝カーである。
 
アイドルグループの巨大なポスターを貼り付けた大型トラックが、大音響を流しながら町を練り歩く。
 
他の町ではあまり見かけたことがない。
 
おそらく渋谷を歩く若者がターゲットなんだろうと思う。
 
やかましくて死にそうだ。
 
 
ああいうのを見ていると思う。
 
この国は本当に環境問題について真剣に考えているんだろうかと。
 
ああいうのを全部禁止して、アレにかかった経費を全部、どこかの国の植林事業にでもあてればいいのではないかと。
 
渋谷の駅前は、日本最大の恥部ではないかと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
REC 2010年02月21日01:18
 
ゾンビ映画ファンの私ですが、すっかり見落としていたのがこの映画です。
 
「REC」。
 
それとハリウッドリメイク版の「REC/ザ・クアランティン」。
 
 
クアランティンというのは国際空港にある検疫のこと。
 
防疫ともいうんでしょうか。
 
タランティーノ監督とは関係ありませんので、念のため。
 
 
 
本家の「REC」はスペイン映画。
 
なんの変哲もないアパートでゾンビウイルスが発生して住民が隔離される。
 
ハリウッド映画は基本的にその焼き直しだが、原因が狂犬病とほぼ特定されているところが大きく違う。
 
 
 
そのアパートというのが、私が前の旅行で泊まった安ホテルの造りとまったく同じで、螺旋階段があって各階左右にドアがあるという造り。
 
ちょっと高級になると、螺旋階段の中央にエレベーターがある。
 
この造りはカイロとかでも一緒だったので、100年くらい前の高層建築のスタンダードだったに違いない。
 
 
 
内容は正統的なゾンビ映画で緊迫感もあり、他のやばそうなゾンビ映画(たとえば「パキスタンゾンビ」など)と比べても、借りるのに安心でき、そしてそれなりに満足できる内容であった。
 
 
内容はともかく興味深いシーンをご紹介したい。
 
本家の「REC」では、アパートの住民として中国人家族が登場する。
 
一階の縫製工場を経営している出稼ぎ中国人で、言葉にも不自由している。
 
住民の男性がこんなことをつぶやく。
 
 
「中国人は困りものでね。生のまま食べるんだ。生魚だよ。そのにおいときたら……。玄関は明けっぱなしだし、なぜだろうね。風水をやるような連中なら歓迎するが、彼らは違う。中国語だか日本語だかで、いつもわめきあってるんだ。理解できんよ」
 
 
 
彼らのこの感覚はなんとなく理解できる。
 
スペインには不法入国の中国人がたくさんいて、路上で物売りをしている。
 
道路工事や掃除夫などの仕事も中国人が多い。
 
中華料理は安くておいしい庶民料理である。
 
だから彼らにとって中国人は「出稼ぎに来た貧乏な連中」であって、他のイメージは残念ながら、ほとんどないように思える。
 
 
 
おまけにこの男性のように日本と中国の区別すらついてない人が多いので、私たちは自分から日本人であることを言わない限り中国人と見なされる。
 
まあ我々もポルトガル人とスペイン人の区別なんてつかないから、それはそれで仕方がないわけだが、このおっさんの偏見はなんとかしてもらいたい。
 
 
 
 
さらに続いてこんなシーンがある。
 
アパートの住民が全員一階に集合するが、中国人一家のおじいちゃんが病気で寝ているので、連れて来たいという。
 
しかし他の住民は、伝染病の原因かもしれないからダメだという。
 
しかし中国人の母親は、
 
「mi padre esta」(あたしの父がいる)
 
しか言えない。
 
これに対して住民の女性が言う。
 
「no se entiendo」
 
これを訳者は、
 
「言葉が変ね」
 
と訳しているが、ここではもっと悪意がある。強いて訳せば、
 
「なに言ってんだか、さっぱりわかんないわ」
 
なぜならそのあと、消防士が彼女をたしなめるのである。
 
「バカにしちゃいけない」
 
 
 
これらのシーンはハリウッド版にはない。
 
ハリウッド版では、中国人夫妻ではなく、同じく言葉がわからないアフリカ系の夫婦になっている。
 
そして彼らを奇異に見る態度はあっても、あからさまに蔑むような住民の発言はない。
 
つまりアメリカ映画の方が少数者に対する配慮が認められるのだ。
 
 
 
私は常々、米国やカナダの白人の方が、欧州の白人よりも、アジア系の人びとに対する偏見が少ないように思っていたが、この映画を見ても、やはりそのように思えた。
 
 
アメリカではアジア系といえば中流から上流家庭が一般的である。
 
この間見た「ブラインドネス」という映画では、日本人の若い夫婦が登場するけれど、高級マンションの住民で、明らかに金持ちとして描かれていた。
 
カリフォルニア大学では学生の半数近くがアジア系で占められるという。
 
アメリカではアジア系といえばクレバーでリッチというイメージなんだと思う。
 
だから一般の米国人が、欧州人のように中国人を一括して使用人のように扱うこともないのではないかと思う。
 
一方の欧州では、中国人は3Kをになう連中でしかない。
 
そして彼らは日本人と中国人の区別がつかない。
 
 
 
私はエジプトのリゾートで、どこの国か知らないけれど、白人家族の父親に、あからさまに不躾に、穴の開くほど顔を眺められたことがある。
 
彼にとって中華料理屋の厨房かビルの窓ふきくらいでしか見かけない中国人が、自分と同じレストランのテーブルに座っているのが信じられなかったんだと思う。
 
 
ここで私がいいたいのは、自分が中国人に間違われたことに対しての反発ではない。
 
彼らが中国人を、そのようにしか見られないことに、怒りを覚えるのである。
 
 
3K仕事をになってくれる彼らには、逆に感謝するくらいで当然ではないかと私は思うんだが。。。
 
だって日本では、介護老人の世話をしてくれるインドネシア人介護士たちに対して感謝こそすれ、差別する人はいないだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コーヒーが廻り世界史が廻る 2010年02月17日23:47
 
「コーヒーが廻り世界史が廻る」(臼井隆一郎 中公新書)
 
 
タイトル通り、コーヒーの伝播から世界史を活写した内容で、特に西洋史が生き生きと見えてくる本。
 
コーヒーは元々東アフリカ原産で、現在のイエメンで飲み物となって広まった。
 
そこからトルコを伝って西洋へ。
 
16世紀以降、香辛料貿易が西洋に奪われて困っていたイスラム商人の起死回生の商品がコーヒーだった。
 
しかしそれも西洋に盗まれてしまう。
 
西洋人はコーヒー栽培に熱を上げ、世界中で栽培を始める。
 
 
最初にそれを始めたのがオランダであった。
 
オランダはインドネシアでコーヒー栽培を本格化させた。
 
 
「ジャワは古来の米作地帯であった。そこに西洋人がやって来て、主食の稲作をコーヒー栽培に振り向ける。ヨーロッパの市場に向けて商品を生産する第三世界の食糧不足が構造化される。……第三世界の基本的生産構造がヨーロッパの「消費欲望」に応じて形成され、しかもその商品は一面的に世界市場に依存し、国家の自律的経済に多大の困難を与えるという、今日の第三世界に残る問題の基礎が敷かれる」
 
 
西洋人がふんだんに砂糖を使った菓子を食べ、がぶがぶコーヒーが飲めたのも、そして現在の日本でエビが二十年前より格段に安く食べられるようになったのも、現地の住民に米作を辞めさせて、我々が望む商品を作付けさせたからである。
 
そしていったん食糧危機が起こったら、彼らは高値の穀物を求めて暴動を起こすしかない。
 
その一方で儲かるのはアメリカの穀物メジャーである。
 
どう転んでも、先進国は損しないことになっているようだ。
 
 
 
 
ところでフランスのコーヒーの大栽培地は西インド諸島であった。
 
ここに絡んでくるのが黒人奴隷である。
 
本書で登場する「ニグロの汗」という言葉は、当時の社会状況を明瞭に表現している。
 
 
「コーヒーを「ニグロの汗」と呼ぶ、おぞましい語彙が残っている。人手のかかるコーヒー栽培を支える労働力は黒人であった。アフリカ西海岸に集められた黒人奴隷はキリスト教牧師の祝福を受けた後、西インド諸島のプランテーションへ運ばれ、奴隷を降ろした船は、今度は砂糖、タバコ、ラム酒、インディゴ、そしてコーヒーをヨーロッパに運ぶのである」
 
「アフリカからアメリカへは推定一五〇〇万人の黒人が奴隷として運ばれたにもかかわらず、十八世紀の末、アメリカに現存する黒人奴隷は三〇〇万人しかいなかったといわれる。西インド諸島の大地は「ニグロの汗」を胎に受け、ヨーロッパ人の「神々の食事」を熟させたのである」
 
 
牧師の祝福を受けた後に奴隷船に載せられるのがミソである。
 
ラスカサスのようにインディオの酷使を非難する神父もいる一方で、こういう聖職者もいたのだなあ。
 
 
ところで前に書いたけれど、西アフリカ諸国がなんであんなに細かく細分化されて乱立しているのか、というギモンがあったが、それはまさしく、西洋諸国がよってたかって儲けの出る奴隷貿易を行った結果なのであった。
 
要するに各国の奴隷の積み出し港が、そのまま独立した結果、現在の奴隷海岸近くの入り組んだ国家群ができあがったわけだ。
 
 
 
震災でたいへんなことになったハイチは、フランスの一大コーヒープランテーションであった。
 
1800年頃には、50万人の黒人奴隷がいた。
 
その奴隷たちは、フランス革命に触発されて大暴動を起こす。
 
本国の国民会議は、黒人たちに市民権を与えることに合意する。
 
帝位に就いたナポレオンは、これを無視して弾圧するが、それをはねのけて黒人たちは独立を宣言する。
 
これが現在のハイチ共和国だそうだ。
 
ハイチの独立は、植民地が西洋のくびきから脱出した先駆的運動だとされる。
 
現在のダメな政府の無策を見ると、がっかりしてしまうわけだが。。。
 
 
 
奴隷貿易はイギリスが先駆的に廃止した。
 
しかしそれは純粋に人道的な理由からではない、というのは前にも書いたとおりである。
 
産業革命が順調に進行していたイギリスでは西インドの砂糖やコーヒーの栽培はどうでもよくなったのである。
 
この本にも、主に対仏戦略としての側面が書かれている。
 
 
「奴隷廃止運動は、しかし純粋に利益を離れた人道上の問題というわけではない。奴隷制は労働者の購買力を向上させず、結局、自由な人間の労働の方が奴隷労働よりも経済活動に資するところははるかに大きいのである」
 
 
「フランス植民地西インドの繁栄はイギリスにとって脅威以外の何者でもなかった。その労働力は黒人奴隷である。一七六四年から一七七一年にかけてハイチには毎年一万人から一万五〇〇〇人の奴隷が送り込まれていた。……フランス植民地の息の根を止めるには奴隷制の廃止が一番である。イギリスは逸早く、奴隷制の非人道性を訴えた」
 
 
西洋のどこの国も悪いことをしているが、もっとも悪質なのは、イギリスのこの偽善性だと思う。
 
 
 
他に面白かったこと。
 
「メルハバ」というのは、アラビア語のあいさつとして一般的だが、この言葉の本来の意味は、
 
「アナタの周りに広がりはあるか」
 
という意味だそうだ。
 
出自が砂漠の遊牧民らしいアラビア語である。
 
これ、今度使わせてもらおう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
プネーで爆弾テロ 2010年02月15日14:36
 
インドのプネーで爆弾テロ。
 
……といっても知らない人がほとんどだろう。
 
 
プネーというのは、ムンバイ近くの学園都市(?)である。
 
インドに語学留学する外国人学生は、プネーの大学に留学することが多いそうだ。
 
当然日本人学生も多い。
 
 
また今回の事件では、「ジャーマンベーカリー」というカフェが狙われた。
 
ジャーマンベーカリーというのは、外国人が集まる街には必ず一軒はあるといってもいいくらいの、ほぼ外国人(西洋人)専用のオシャレなカフェのチェーン店である。
 
西洋式のモーニングが食べられ、パスタやピザなどの西洋料理がメインのカフェだ。
 
要するにインドであってインドでないようなところである。
 
今回、犠牲になったのが、イラン人、ネパール人などだったから大きな記事にはならなかったけれど、犯行目的が外国人、特に西洋人旅行者を殺すことであることは明白である。
 
犯行声明もでておらず、事件の背景は今のところ不明だが、この事件はかなり不気味である。
 
今後も、たとえばデリーのメインバザールとか、カジュラホやマナリ、ゴア、コバラムなど、外国人が集まる街は要注意だろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
世界を知る力 2010年02月14日00:15
 
「世界を知る力」(寺島実郎 PHP新書)
 
最近のベストセラーである同著。
 
NHKスペシャルでのインタビューを見ていて面白かったから買ってみたら面白かった。
 
いくつかトピックスをあげよう。
 
 
■「白ロシア」
 
この言葉、確かにナゾだった。白人のロシア人のことかと思っていた人も多いだろう。私もそのひとりである。
 
違った。
 
「白」とは共産党=「赤」に対する「白」であり、つまり「王党派」のことなのだった。
 
そんで白ロシア人にはウクライナ系が多くて、極東ロシア沿海州に「シベリア送り」された人が多かったという。
 
いまでもロシアとウクライナは仲が悪い。
 
その背景には白と赤の対立があったのだ!(ジャジャーン)
 
 
 
■「ユニオンジャックの矢」
 
これもこの本で初めて知った。
 
すなわち、
 
ロンドン→ドバイ→バンガロール→シンガポール→シドニー
 
を結ぶ一本の矢である。
 
かつての大英帝国の経済共栄圏を指し、現代でも各都市が互いに補完しあっているという。
 
「「ユニオンジャックの矢」は、英国にとっては国づくりの根幹をなす戦略なのである」
 
へええ。知らなかったよ。目からウロコ。
 
 
 
■「日米関係は米中関係である」
 
一見してなんだかわからないが、説明されて深く頷いた。
 
実は戦前の米中は大変親密であった。
 
遅れてやってきたアメリカは、他の列強と違って「アコギなことをしない主義」で中国に接近した。
 
従って中国にとっては、もっともアコギだった日本が最悪で、アメリカは対日の切り札だった。
 
そして太平洋戦争が起こったとき、アメリカは中国(正確には蒋介石)に多大な資金援助をした。
 
「まさに、米中が連携して日本を倒したのが太平洋戦争だった」
 
しかし筋書きが狂ったのは、その後の国共戦で、蒋介石が負けてしまったことだった。
 
それ以降、アメリカは大陸中国と反目することになる。
 
毛沢東の中国を巨大化させないためには、日本を復興させるしかない。
 
かくして本来、中国に投下されるはずの膨大な投資は、日本に向けられたのであった。
 
つまり日本の復興は、奇跡でもなんでもない、米中関係の因果な結果によるのである!!!
 
。。。。というとちょっと残念な気もする。
 
日本人の資質も大きく関係しているんだろうが。
 
 
 
 
最後に、寺島氏はこんなことを言っている。
 
 
「世界を知れば知るほど、世界が不条理に満ちていることが見えてくるはずだ。その不条理に対する怒り、問題意識が、戦慄するがごとく胸に込み上げてくるようでなければ、人間としての知とは呼べない」
 
 
「生身の身体性を有した体験は、ネットを通じてディスプレイに表示される情報とは比較にならないほどの強い印象を、わたしたちの能に刻み込む。それが、文献では得られない強い問題意識を醸成させる。ただし、それを醸成させていくには、文献の力が必要だ。深い知恵は、フィールドワークと文献の相関のなかでしか生まれないのである」
 
 
 
前から私は「読書をしに旅行に行く」と公言してはばからなかったが、まさにここで裏付けをいただいた気がする。
 
そして「不条理に対する怒り」は、この日記でたびたび書いているとおりである。
 
 
 
だからって大それたことを考えているわけではないんですけどね。
 
皆さんに少しでも知ってもらいたいと思ったから書いているだけなんですが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アジア的停滞 2010年02月13日23:35
 
先日読み終えたのが「教養としての世界史」(西村貞二 講談社現代新書)
 
 
教科書的ではない世界史が書かれているのかと思ったら、そうでもなかった。要するに内容は世界史の総括である。
 
 
とは言っても著者の史観が明確で面白い。
 
戦中派だけに中国に辛口で、西洋諸国にも批判的である。
 
英仏のことを、
 
「ポルトガルやオランダよりはるかに強大で強欲なくにぐに」
 
などと表現する。
 
あるいはそのイギリスについて、
 
「十年にわたるクロムウェルの独裁政治が、イギリス人にある微妙な影を落としたとは、しばしば指摘されるところです。ざっとこんなふうです。
まじめさ(と同時に、もののあわれを解さぬぼくねんじん)、道徳家(と同時に、勝手な独断)、おくれた民族をみちびく使命ありといった確信(と同時に、イギリスの平和は世界の平和なりといった思いあがり)は、……いわれてみれば、イギリス紳士にはそういうふしがあるからです」
 
 
 
あるいは清帝国の凋落は、いわゆる「朝貢外交」が象徴するような中華思想の傲慢に原因があるとか。
 
 
 
それはともかく、西村氏が引用している、アジア学者サンソムの、いわゆる「アジア的停滞」についての指摘が興味深い。
 
 
東洋は農業経済が基本であり、その上に専制政治が乗っかるという形態とることが多い。
 
農民は農業に従事して政治問題に関心を持たない。
 
だから為政者は、厳格な階級制度を敷いて、その上であぐらをかき、のうのうと長期政権を維持する。
 
アジアのどこの国も、人種や言語、宗教の別なく、同じような状態が近代に至るまで、あるいはつい最近まで、それが続いたという。
 
 
 
これに対する西洋については言及がないけれども、産業革命とか農地の囲い込みとかで、都市労働者が発生し、彼らは政治的な関心が高く、イギリス、アメリカ、フランスなどで、いち早く市民革命が起こったということなんだろう。
 
 
確かに日本人は、「お上」という言葉のように、国家権力に弱い感じがするよな。
 
 
 
しかしそれは停滞なんだろうか。
 
たとえばルイ14世の頃のフランスと、日本の格差社会を比べたら、日本はどれだけ平等だったろうか。
 
数千の寄生貴族を養って国費を食いつぶしていたブルボン王朝と、徳川幕府や大名の暮らしを比べたら、国力の差を考えても、日本はモラル的に相当清貧だったんじゃなかろうかと思う。
 
 
革命に至った原因はいろいろあるんだろうが、あまりにひどい搾取が、一番の要因ではないだろうか……と考えるのは、日本びいき過ぎかしら。
 
 
もちろん市民革命によって、我々一般市民の政治的発言力が獲得されたわけだが、それがなされなかったからって「停滞」で片付けられるのは、ちょっと納得がいかんような気がする。
 
 
 
ちなみにこのサンソムさんは、
 
「西欧人的偏見をまぬかれた、かつ空疎なイデオロギーによらず実証的な研究によった珍しい例」
 
だそうである。
 
もっと西洋中心的な学説がなされるのが、西洋では一般的なアジアの解釈なんだろう。
 
勝てば官軍ってことか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
先住民問題 2010年02月13日20:41
 
NHKでしばらく見てました。バンクーバーの開会式。
 
日本の注目選手とか、国母クン問題とかはさておき、カナダ政府の先住民に対する気の使い方が際だった開会式だったように思いました。
 
たとえば札幌オリンピックでは、アイヌの歴史は紹介されたんでしょうかね?
 
調べてないんですが、たぶん黙殺でしょう。
 
 
また中南米の白人国家、たとえばアルゼンチンやコスタリカなんかでも、先住民はほとんど黙殺です。
 
そう考えると、カナダの先住民の地位は、たとえ保護区に押し込められているとはいえ、ずいぶん優遇されているように思えました。
 
 
あと面白かったのは、イスラエルが入場した瞬間、し〜〜〜〜ん、と静まりかえったこと。
 
相変わらずイタリアやアメリカやオーストラリアや北欧諸国は人気があり、大歓声が起こったこと。
 
90人の大選手団のわりには、日本はあんまり人気がなかったこと。
 
くらいでしょうか。
 
元々白人色が高い祭典だから仕方がないんでしょうが。。。。
 
 
それにしてもイスラエルの人気がないのは、もともとユダヤ人嫌いなんでしょうか。
 
それとも弱い者いじめが原因なんでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「明日できることを今日するな」 2010年02月03日20:32
 
さっき見てたNHKの「クローズアップ現代」はスピ−ドスケートの特集だった。
 
内容は日本選手が切磋琢磨して技術力を高めていて、これを追撃してフォームを改良し、メキメキ頭角を現す外国人選手というものであった。
 
韓国人選手の方は、監督も含めて、
 
 
「日本人をお手本としました」
 
 
ととても謙虚である。
 
 
 
一方のアメリカ人選手。
 
今まではひたすら体力勝負だったが、日本人選手のあとにくっついて滑ったりして、その技術を盗み、ずいぶん成長したという。
 
そして同じように、日本人選手の技術の高さを誉めつつも、最後に彼はこう言った。
 
 
「今の自分には欠点がありません。最後に勝つのは僕です」
 
 
さっきまで日本人選手に世話になって技術力を高めたと言っていたくせに、この言いぐさである。
 
まったく西洋人ってのは……。
 
 
 
先日から宣伝させていただいている拙著「ハビビな人々」文藝春秋刊では、こんなことを書いた。
 
 
「トルコには「明日できることを今日するな」という諺があるという(『遊牧民の知恵 トルコの諺』大島直政 講談社現代新書)。
砂漠の遊牧生活では、努力をしても結果は出ない。家畜は年に一度しか子供を産まないし、雨が降ってくれるわけでもない。草を探して旅をすることは一種の賭けでもある。
それよりも、のんびりと昼寝したり、隣のテントのムハンマドとチャイでも飲みながらバカ話をして、時が来るのを待つのである。そして少しでも雨の兆候があれば、すかさずテントを畳んで出発する。最大限に知恵を働かせ、チャンスを逃さない。努力は彼らにとってはなんの意味もない。
 
「アラブでは「強い者が放牧する。弱い者が耕す」という農民蔑視の体質があり、コツコツ努力することに価値を認めない人が多い。お伽噺「ウサギとカメ」のペルシャ版では、カメがうり二つの兄弟をゴールで待たせておいて、ウサギを恐れ入らせるという話になっているそうである。地道に歩いていくのが農耕民型の発想であり、策略を用いて勝ってしまうのが遊牧民なのである」(『イスラムからの発想』大島直政 講談社現代新書)」
 
 
 
もちろんアメリカ人は遊牧民族ではない。
 
しかしその発想は、アラブの人びととさほど変わらない。
 
少々狡いことをしても「やったもの勝ち」であるところなど、そっくりである。
 
 
しかしそういうアメリカ人選手の「ずるさ」は、別に非難されるほどのものではない。
 
むしろそういうことを潔しとしない日本人の方が世界ではよっぽど変わり者なのである。
 
もちろん上述のアメリカ人選手の発言は、日本人にとっては不愉快ではある。
 
しかし彼の世知辛いモノの考え方の方が世界ではスタンダードであることを、日本人はもっと知るべきではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
著者インタビューなど 2010年02月03日14:23 
 
先日、文藝春秋本社で拙著「ハビビな人々」の宣材ビデオを撮影。
 
とはいってもデジカメで2分程度の映像ですが。。。
 
YouTubeにアップされてますので、よかったら見に行ってください。
 
http://www.youtube.com/watch?v=VhRWIxwT83M
 
 
裏話。
 
実はこの日、二日酔いでした。よって顔が若干むくんでおります。
 
 
 
あと、mixiの自画像、ずっと名無しさんでしたが、ついにアップしました。
 
撮影場所は文藝春秋ロビー、菊池寛のとなりです。
 
 
 
他にも「世界のどこかで居候」の宣伝でNHKラジオ出演の話もあったりしますんで、詳細決まったらアップいたします。
 
いろいろがんばらないと。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「キリスト教と笑い」 2010年01月31日15:37
 
「キリスト教と笑い」宮田光雄 岩波新書
 
 
「イエスは笑わなかった」というのが定説だそうだ。
 
これに対抗して西洋思想研究家の著者が、イエスや聖職者などのユーモアについて論証した一冊である。
 
古代中世のヨーロッパというのは、とかく沈鬱で陰惨な印象が強いが、これにはキリスト教の影響も強かったようだ。
 
新約聖書にも、
 
「悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを憂いに変えなさい」
 
という言葉があるそうだ。
 
 
そこまで言われたら笑えないよな。笑ったら地獄に堕ちそうだ。
 
 
こういうフンイキは、映画「薔薇の名前」でも鮮明だったが、この映画、近くのビデオ屋にもおいてなくて、改めてみて見たいがなかなか叶わない。
 
 
 
ところでこの本の興味深かったエピソードに、旧約聖書の「ヨナ記」の話がある。
 
主人公のヨナは、神様のお告げで、ニネベに行って神のお告げを広めなさいと言われる。
 
しかしニネベは当時アッシリアの首都で敵だらけである。
 
ユダヤ人の彼が変なことを触れてまわったら、なにをされるかわかったものではない。
 
 
そこでヨナはトンズラすることにする。
 
ニネベと反対側のスペインに向かう船に乗り込んだ。
 
すると神様は巨大な魚を遣わして、ヨナを飲み込ませる。
 
魚はヨナを元の陸地に吐きだし、ヨナは改心して、ニネベに赴き、神の言葉を人々に伝える。
 
という話である。
 
 
この、巨大な魚あるいは怪物に飲み込まれる英雄譚というのは、南アフリカや太平洋など、世界各地で見られるそうだ。
 
 
フロベーニウスという学者はそれを集計して、定型をまとめた。
 
それはこんな話だそうだ。
 
 
「一人の英雄が、西の方で、一匹の水の怪物によって呑まれる。この怪物は彼を東の方へ運んでいく。旅のあいだ、彼は怪物の腹の中で火をおこし、空腹を覚えて、垂れさがっている心臓を一片自分のために切りとる。それからまもなく彼は、水中の怪物が乾いた土の上を移動しているのに気づき、ただちに内側から切り開き、ついで外へ抜け出す。怪物の腹の中はひどく暑かったので、英雄の髪はすべて抜け落ちてしまった。しばしば、英雄は、なお、以前に呑みこまれていたすべての人びとを同時に解放し、彼らもすべて抜け出す」
 
 
ピノキオにもそんな話があったが、おそらくこういう英雄譚がモチーフになっているんだろう。
 
 
日本にも探せばきっとありそうだ。
 
と思って「沖縄民話集」(仲井真元楷編著 現代教養文庫)を読んでみたらあった。
 
 
宮古の伊良部島に巨大な鱶(フカ)があらわれて人を襲ったので、豊見氏親という人が退治に出かけたが、船ごと呑みこまれ、はらわたを切り開いて脱出した。
 
というような話である。
 
 
 
ちなみにイギリスでは、捕鯨船から落っこちてマッコウクジラに呑みこまれた乗組員が、36時間後にクジラの腹の中から救助されたという実例があるそうだ。
 
そういえば手塚治虫の「ブラックジャック」にもそんな話があった気がするなあ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エヴァンゲリオン 2010年01月27日00:21
 
 
単行本二冊の校了も終わり、ここ数日は久しぶりにヒマで、ビデオ借りてみたり。
 
 
 
そんでエヴァンゲリオンである。
 
最初から見直してみたら、面白くて映画版まで見終わった。
 
 
 
オープニングにはヘブライ文字なんかもあって、さすが死海文書が出てくるだけある。
 
 
 
しかし死海文書は、この作品のようなノストラダムスの予言書のようなものではない。
 
 
ただの聖書である。
 
 
それまでの現存する最古の旧約聖書は、確か紀元二世紀だかにアレキサンドリアで書かれた写本だったが、死海文書は紀元前に書かれたものだった。
 
 
 
つまり最古記録を更新したわけだ。
 
 
 
当然ながら写本なので、古ければ古いほど原本に近くなる。つまりマチガイが少なくなる。
 
 
 
というわけで大発見と騒がれたのであって、別に人類の破滅を予言するようなものではない。
 
 
 
 
とかく難解だと言われていたストーリーだが、映画版を見てなんとなく答えが出た気がする。
 
 
 
結局こういうことらしい。
 
 
 
人間は個人個人ではそれぞれに欠点がある。
 
 
 
だからひとつの生命体になって融合すれば、相互に欠点を補完でき、幸福感に満たされて、争いもなくなる。
 
 
 
この映画で言うところの「人類補完計画」といのは、そういうことらしい。
 
 
 
エスパーの子供たちを教育して、新しい人類に未来を託す云々……とか考えていたら、ぜんぜん違った。 
 
 
 
↑それじゃ「人類保管計画」だろ。
 
 
 
 
しかし碇シンジが思い直して、計画は破綻してしまい、よくわかんないけど人類は滅亡してしまった(のか?)
 
 
最後の無数の十字架はその象徴なような気がするが。。。
 
 
 
ラストシーンでエヴァに登場していた碇シンジとアスカ・ラングレーだけが海岸に打ち上げられている。
 
 
 
新しいアダムとイブということだろう(たぶん)。
 
 
 
アスカは最後に「……気持ち悪い」という。
 
 
 
シンジとセックスして人類を再興しなければならないことに対する嫌悪か?
 
 
 
 
 
 
しかし一番興味深かったのは、シンジとアスカの対照的な性格だ。
 
 
 
シンジは純粋な日本人である。
 
 
 
「ごめん」と謝ればすべてが丸く収まると思っている。
 
 
 
謝れば許してくれると思っている。
 
 
 
典型的な日本人の発想である。
 
 
 
 
 
これについては面白い考察があるんだが、石田英一郎という学者によれば、部屋にカギがない文化というのは日本だけだそうだ。
 
 
 
もちろん太平洋とか東南アジアのニッパヤシ小屋とかは別にしてだが。
 
 
 
韓国から西はカギの文化である。
 
 
 
しかし日本だけカギがない。
 
 
 
障子を開けたら隣の部屋である。
 
 
 
セキュリティという観念が欠如している。
 
 
 
これこそ日本人的な「甘え」の精神の発露ではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
一方のアスカは典型的な西洋人である。
 
 
 
発言しないといないのと同じ。自己主張してなんぼである。
 
 
 
過ちは人のせい。
 
 
 
人より優れていないと安心できない。
 
 
 
そして自立した個人であることが子供の頃から求められる。
 
 
 
 
 
この二人のかけあいは、国際会議で相手をやり込める西洋人と、立場がない日本の外交官を見ているようだった。
 
 
 
 
 
 
あとなるほどと思ったのは、ネルフのスーパーコンピューターは「マギ」といって、三つのコンピューターが三すくみのように牽制しあうシステムになっている。
 
 
マギというのは、キリストが生まれたときに東方から遠路はるばる祝福にやってきた三人の博士のことで、マギはペルシャ語で、「magic」の語源になっているそうだ。
 
 
 
 
 
40歳になって改めて見てみると、いろいろと興味深く楽しめたエヴァンゲリオンだったとさ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハイチの震災と先進国のエクスキューズ 2010年01月26日14:42
 
ハイチについて、もう少し書きます。
 
mixiニュースから。
 
 
 
 【サンパウロ時事】ハイチに壊滅的被害を与えた大地震から26日で2週間。同政府は公式には生存者の捜索・救助作業を打ち切り、生き延びた被災者への支援と国家の復興に重点を移しつつある。しかし、再建を担う人材の不足など克服すべき課題が山積し、立ち直りへの道は極めて険しい。
 
 
↑人材不足は今に始まったことなんだろうか。
 
 
 
 「すべてのがれきを取り除くのに数年かかる」−。国連平和維持活動(PKO)局のミュレ事務次長補は米CNNにこう語った。「人的資源や兵士、車両が必要だ」とも述べ、人材や機材の不足が復興の足かせになる恐れを指摘した。
 
 
↑機材の不足は今に始まったことか?
 
 
 
 ロイター通信によれば、世界食糧計画(WFP)当局者は、被災者が暮らすキャンプの3分の2以上に援助が行き渡ったと推計している。しかし、食料や水、医薬品の不足、物資の遅配は依然、深刻だ。
 
 
↑食料や水、医薬品の不足、物資の遅配。これらは震災が原因なんだろうか?
 
 
 
 米軍と国連駐留部隊のブラジル軍が首都ポルトープランスのスラム街「シテ・ソレイユ」で支援物資の配給を始めたのも、ようやく24日になってからだ。このスラム街は、地震で倒壊した刑務所を脱獄した受刑者多数が逃げ込んだとされ、治安悪化も重なって援助が後回しにされていた。
 
 
↑スラムの治安が悪いのは今に始まったことではないのでは? そもそもスラムがあること自体問題なのでは?
 
 
 
 先週末には各銀行が業務を再開し、海外からの送金も受け取れるようになったが、恩恵を被る市民は一部のみ。大半の被災者はその日の暮らしに困窮し、被害の大きい首都から脱出する人も後を絶たない。
 
 
人々がその日の暮らしに困窮しているのは、震災のせいなんだろうか。
 
 
 
 
 
ようするに震災以前から、状況はそんなに変わっていないと私は思うのである。
 
本日の読売によれば、ハイチは国民の半数が1日1ドル以下の生活費で暮らすような国である。
 
そして経済的にはアメリカの属国である。
 
ハイチは今までも、そしておそらく、これからもずっと貧乏なままに違いない。
 
 
 
私たちは、普段その事実に目をつぶっている。
 
そして大震災が起こったときだけ、大量の物資を送って、まるでそれですべての問題が解決したかのような気分になる。
 
 
もちろん困っている人を助けるのはよいことだ。
 
しかしそれでハイチの慢性的な貧困が解決するわけではない。
 
 
援助が一段落して、国際支援部隊が引き上げたら、彼らには元の貧乏な、その日暮らしの生活が待っている。
 
軍や政府の高級官僚は、外国企業からごっそり金をもらい、そのおかげで国内産業はまったく育たず、人々は下層労働者のままで、バナナやコーヒーやサトウキビを作って細々と生計を立てるのである。
 
 
そういう構造的な問題はなんら解決されないまま、いずれ「錦の御旗」の国際支援は打ち切られる。
 
今回の支援が、そういう先進国の、一種のエクスキューズで終わらないように。。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
うさん臭いイベント「ハイチ救済エイド」 2010年01月23日22:57
 
■世界に配信!ハイチ救済エイドにビヨンセ、マドンナ、コールドプレイらが熱唱!
 
 
かなり前に、「WE ARE THE WORLD」というイベントのうさん臭さについて書いたけれど、今回も似たようなニオイを感じるのは、私だけではないだろう。
 
もちろん、参加しているミュージシャンや募金する人々の善意は尊いものである。
 
けれども、ハイチが抱える根本的な問題について、こういう人たちが、おそらくまったく無知であるか、あるいはそのことに目を背けているうちは、問題はなにも解決しないことを私は指摘したい。
 
 
 
以下は外務省HPから拾ってきたハイチの貿易データである。
 
 
主要産業
農業(米、コーヒー豆、砂糖、バナナ、カカオ、マンゴー、トウモロコシ)、軽工業(繊維製品、軽電気、機械組立)
 
一人当たりGNI
560.0ドル(2007年)(世銀)
 
主要貿易品目
(1)輸出 工業製品、マンゴー、カカオ、コーヒー
(2)輸入 食料品、工業製品、機械・輸送機器、鉱物性燃料
 
主要貿易相手国(2006年 IMF)
(1)輸出 米国、ドミニカ共和国、カナダ、メキシコ、ベルギー
(2)輸入 米国、アンティル諸島、ブラジル、中国、コロンビア
 
 
 
この国は、ハイチ政府が誘致した米国企業の服飾や電気製品以外は、さしたる産業もない、典型的な低所得農業国家であることがわかる。
 
 
そして注目したいのは、その貿易相手国が、輸出も輸入も米国であることである。
 
別な資料では、その半分近くがアメリカが占めている。
 
この国は大幅な輸入超過で、莫大な貿易赤字を出しているが、おそらくその相手国は米国だろう。
 
その一方でアメリカは、経済援助と称して多額の援助金を貸し付ける。
 
ハイチ政府はアメリカの意向を受け入れるしかない。
 
 
 
要するにこの国はアメリカの属国である。
 
ハイチ人は、アメリカ企業の下請け労働者で、熱帯の農産物をアメリカ人に買ってもらい、かわりにアメリカの小麦を輸入してパンを焼き、アメリカの缶詰を食い、マックを食い、米国メジャーのガソリンでアメ車に乗っているのである。
 
 
アメリカは貧乏なハイチ人に、食料品や生活必需品のほとんどすべてを供給している。
 
アメリカが食料輸出をストップしたら、ハイチ人は飢餓に襲われる。
 
それは先年の小麦暴騰で、世界のあちこちでパンを求めて暴動が起こったのが象徴している。
 
 
 
ハイチの貧困は構造的な問題である。
 
大地震で何百億円という募金が集まったところで、その問題が解決するわけではない。
 
 
このイベントに参加したミュージシャンや、募金した「善意の」人たちは、その事実に無知か、あるいは目をつぶっているとしか思えない。
 
 
 
この問題は、環境問題にも通じるものがある。
 
すなわち自分たちの生活レベルは落とさないで「エコ」に協力するという姿勢である。
 
私たちの優雅な暮らしは途上国の人たちの貧困の上に成り立っているのは事実である。
 
多くの人は、その事実に気づいてないか、あるいは目をつぶって暮らしている。
 
環境問題というのは、インドが主張するように第一義的に先進国の問題であるにもかかわらず、私たちは日々の便利な暮らしを決して手放そうとはしないのである。
 
 
こういう「知りたくない事実」に目をつぶった上での「ハイチ救済エイド」であることが、私がこのイベントをうさん臭いと思う、もっとも大きな理由である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
賢明な判断 2010年01月12日01:24
 
オバマ氏がイエメンに派兵しないことを明言した。
 
賢明である。
 
もちろんアメリカの都合もあるんだろうが、彼らはイエメンで戦争になった場合の長期化をよく分析した結果だろう。
 
 
 
私の知ってる範囲でも、イエメン人がアメリカの空爆で親兄弟を失った時の怒りを想像するだけで背筋が凍る気がする。
 
前にも書いたけれど、彼らにとって女子供を守れないことは、最大のアイブ(恥)である。
 
だから米軍が介入したら、アルカイダは数倍にふくれあがる。
 
それを見越して、アメリカは今回の派兵を見送ったのだと思う。
 
 
 
しかしそれで問題が解決するわけではまったくない。
 
イエメン政府にアルカイダを掃討する気はない。
 
彼らは裏で原理主義者とつながっている。
 
できるだけ作戦を長期化させて、だきるだけ欧米からの資金援助を多く引き出すのが彼らの作戦である。
 
 
それはパキスタンやアフガンやイラクもなんら変わらない。
 
そしてサウジなどの湾岸王国も同じである。
 
彼らにとって、自分とこでテロが起きないことと、石油価格が高値で安定することが至上命題なのである。
 
 
そう考えると、欧米諸国以外で、この問題について真剣に対応している国がほとんどないことがよくわかる。
 
イスラム原理主義組織にも存在理由があり、一部の人々にとって存在価値があることが、彼らが壊滅しない最大の原因なのである。
 
 
 
ところでイエメン研究の第一人者に佐藤寛という人がいる。アジア経済研究所の研究員である。
 
イエメンに詳しい人は、この人以外いないはずだから、佐藤氏のコメントがもっとマスコミに載ってもいいと思うんだが、少なくとも読売にはまだ一度も取り上げられていない。
 
これは私の推測だが、おそらく佐藤氏は、報道に都合のいいコメントは一切拒否しているのではないだろうか。
 
佐藤氏の著書をいくつか読んだけれど、イエメンに対する愛情にあふれている好著ばかりである。
 
まるでテロ国家のならず者の集団のように取り上げるマスコミの論調が我慢できないのではないだろうかという気がする。
 
 
「イエメン もうひとつのアラビア」(アジア経済研究所)のあとがきで、佐藤氏は次のように述べている。
 
 
「われわれ日本人は、アラブ・イスラムに関する情報を基本的に常に欧米に頼ってきた。日本人が直接アラブと接触する機会がほとんどなかったうちは、それも仕方のないことだったのかもしれない。しかし欧米のアラブ・イスラム観は彼ら自身の価値観を映した色眼鏡を通したものなのである。その色眼鏡はヨーロッパとアラブ、キリスト教とイスラム教の対立という歴史的な背景から発生したものなので「敵」としてのアラブ観が色濃い。……そうした歴史観を持たないわれわれは、わざわざそうした色眼鏡を借りる必要はないはずである」
 
 
原理主義者、ならず者国家としてのイエメンというとらえ方は、西洋人の価値観となんら変わりがないのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帆船時代 2010年01月11日19:42
 
最近、単行本の仕事に追われて、ほとんど日記が書けなかったけれども、ようやく落ち着いてきた。
 
遅ればせながら今年もよろしくお願いします。
 
 
 
最近読んだ本が、
 
 
「大帆船時代」(杉浦昭典 中公新書)
 
 
主に18世紀、19世紀の、水蒸気船が発明される前の時代に活躍した帆船の話。
 
著者は神戸商船大の教授で、帆船に対する愛が全編を通してヒシヒシと感じられる好著である。
 
そして帆船が活躍した時代と切っても切り離せない奴隷貿易についても触れており、その点でも好感が持てる。
 
 
「ニューイングランドの繁栄の大部分は奴隷貿易によってもたらされた。ところが十九世紀になって奴隷制度廃止論が盛り上がった時、それに同調して南部の人々を非難したのは、そのもとを作った貿易商人とその子孫だった。ニューイングランドで名声を博したこの人々は、彼らの財源となった奴隷が船で運ばれてくる時の姿を見たことがなかったといわれる。彼らの持ち船が奴隷船になるのは、アフリカから西インド諸島や南部の港までの間だけだったからである」
 
 
南北戦争ではとかく奴隷廃止を宣言した北部の人々が善玉で、南部の地主が悪玉という構図で語られるわけだが、なんのことはない、北部も同じ穴のムジナだったわけだ。
 
彼らが善玉として語られるのは結局、戦争で北部が勝ったことによるのである。
 
 
 
それはともかく、この時代の帆船といえば、カティ・サークだろう。
 
 
スコッチの銘柄にもなった名船である。
 
 
私が子供の頃には、このスコッチのCMもやっていて、野太い男の声で、
 
「カティーッッッ! サークッッ!」
 
 
とやるのが、妙に印象に残っている。
 
しかし「カティ・サーク」の命名は、じつはそんなヤサクレた印象とはほど遠い。
 
 
「船名のカティ・サークとは、スコットランドの古い言葉で「短いシュミーズ」のことだった。船首のフィギュアヘッドは、下着一枚で肌もあらわな女の半裸像である」
 
 
なんと優雅な船名ではないか。
 
 
カティ・サークといえば、中国からイギリスに紅茶を運ぶティークリッパーによるレースで、ダントツに速かったというイメージがある。
 
しかし事実は違うらしい。
 
カティ・サークが進水した頃には、世の中は蒸気船の時代に入ろうとしていたのだった。
 
カティ・サークが活躍したのは、オーストラリアから羊毛を運ぶ船「ウールクリッパー」としてであった。
 
しかし一八九五年が、カティ・サークの、ウールクリッパーとしての最後の航海となった。
 
 
 
ここからが面白いところである。
 
その後のカティ・サークは、ポルトガル人の船主に転売され、老貨物船として石炭などを運んでいたが、ある日イギリス人船員に見留めら、それがかつての名船カティ・サークであることがわかる。
 
するとイギリスのファンは、カティ・サークを買い戻そうと躍起になった。
 
 
「この有名なクリッパーを何とかしてイギリス人の手に取り戻そうと考えたファンの集まりが名乗りを上げたが、イギリス人のカティ・サークに対する並々ならぬ執着を逆に利用しようと考えたポルトガル人船主は法外な売り値を公表した正確な金額は伝わっていないが、営利目的を持たないファンの集まりが買い取れるような金額ではなかった」
 
 
カティ・サークの銘が刻んである船鍾だけでもと考えたファンに対して、船主は500ポンドを提示した。
 
 
「老朽帆船ではなく、栄光のクリッパー、カティ・サークを売りつけようとする、ポルトガル人の商法の前には、誰も手を出せなかった」
 
 
といわけで、ポルトガル人船主のがめつさが際立って書かれている。
 
じっさいひどい値段だったんだろうし、イギリス人や著者の憤懣もわからなくもない。
 
 
 
しかし当時の世相を考えてみると、私はポルトガル人に同情するのである。
 
ポルトガルはイギリスの経済的な従属下にあった。おそらく今もそうかもしれない。
 
18世紀中に、イギリスはポルトガルに毛織物を輸出し、ポルトガルはイギリスにブドウ酒を輸出する貿易体制ができあがっていた。
 
ポルトガルのイギリスに対する貿易赤字は倍増した。
 
 
「ポルトガルは毛織物産業に打撃を受けブドウ酒とオリーブ油の供給国になって、しかもその産品の大部分をイギリスに輸出することになった。またイギリスは、ポルトガルの織物の主要供給国になり、しかも貿易収支額は、完全にポルトガルの輸入超過であった。ポルトガルはこの赤字をブラジルから輸入した金とダイヤモンドでうめた」(『略奪の海カリブ』(増田義郎 岩波新書))
 
 
ポルトガルはイギリスの経済的な植民地のようなもので、完全に首根っこをつかまれていたのである。
 
そんなポルトガル人がイギリス人が喉から手が出るほど欲しがるカティ・サークをもっているのだから、ふっかけない方がおかしいだろう……と私は思うのである。
 
 
そしてこのような図式に、昨今、イギリスのジャガーを買収したインドのタタ自動車にも通じる「してやったり感」を覚えたりするのであった。
 
 
 
 
 
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