映画「ロッキー」に感動 2007年12月31日19:35
 
 
スタローンの出世作「ロッキー」を久しぶりに借りてきて観た。
 
この年になって改めて観てみて、改めて感動した。
 
 
 
本当に完成度の高い映画である。
 
スジはみなさご存知の通りだが、この映画の裏話を知っているとさらに感動が深くなる。
 
この映画の脚本はスタローン自身が書いたそうだ。
 
 
当時まったく無名の俳優だったスタローンは、この映画の脚本を制作会社に持ち込んだ。
 
制作会社は興味を示して、一億円の高額で買い取ろうと提案した。
 
 
 
しかしスタローンはその提案を拒絶する。
 
制作会社が、
 
「主役はポール・ニューマンとロバート・レッドフォード」
 
という条件をつけたからだ。
 
スタローンはあくまで自分が主役を演じることを主張したのだった。
 
 
そして最終的に、
 
「主役はスタローン、しかし制作費は一億円のみ」
 
という超低予算で撮影が開始されたのである。
 
 
 
この映画、よく見ているとフィラデルフィアの下町が舞台である。
 
ロクデナシばっかりである。
 
ロッキーも30歳の無名のボクサーで、高利貸しの借金取り立てなんかしている。
 
エイドリアンの兄貴もおそらくイタリア系で、肉屋の倉庫で働いている。
 
「手が冷える、腰が痛い」
 
と不平ばかり言っている飲んだくれだ。
 
 
彼らはみんな、アメリカ社会でいうところの「プア・ホワイト」と言われる人々だった。
 
 
 
 
一方ロッキーの対戦役アポロは黒人である。
 
練習よりも税金対策に忙しい、成り上がりの有名人である。
 
 
 
黒人対イタリア移民。
 
 
 
そうなのだ。
 
この試合はアメリカ社会の下層階級同士の戦いなのだった。
 
当時は黒人優遇政策でプアホワイトの不満が高まっていた時代だったという。
 
貧困層のイタリア移民が、黒人をぶっ倒して成り上がる物語。
 
それが「ロッキー」だったのである。
 
 
 
そして彼らを使って金儲けをする興行主、そしてプアな黒人とイタリア人が殴り合い、流血するさまを楽しんで眺めている来賓のVIPたちは、もちろんアングロサクソンなのである。
 
 
 
「アメリカンドリーム」という言葉は、黒人や移民など、下層階級の人々の間で夢物語のように語られているわけだが、彼らはしょせん成り上がりに過ぎない。
 
この国で既得権益をがっちりと握っているのは「ファーストシチズン」であるアングロサクソンなのである。
 
その厳然とした事実を、この映画はさりげなく映し出している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フランダースの犬 2007年12月30日08:12
 
 
この間の読売新聞に面白い記事が載っていた。
 
 
「フランダースの犬 日本人だけが共感」
 
 
日本人なら誰もが知っているこの名作が、地元ベルギーではまったく知られておらず、原作のイギリスでも「負け犬の死」と受け止められて、まったく評価されていないというのだ。
 
 
 
 
作者はイギリス人のウイーダという人で、1870年代に書かれた。
 
アメリカでは過去に五回、映画化されているが、いずれもシナリオはハッピーエンドに書き換えられているのだそうだ。
 
 
記事によると、
 
「悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた」
 
いったいどこの誰がそんなことを謎としてきたのか、イマイチよくわからないが、ともかくその背景には、日本人特有の「滅びの美学」があるのだそうだ。
 
 
確かにそういう日本人の心情が西洋人に理解しかねるのだろうというのは想像に難くない。
 
 
 
 
それよりも興味深いのは、西洋人があの物語を単に「負け犬の死」としか捉えていないことである。
 
この考え方の基本には、言うまでもなく「強者必勝」があるわけだが、この作品が発表された時代が、ダーウイニズム(つまり「適者生存」の原理)の絶頂期であることが大きく影響しているのではないだろうか。
 
 
弱い者は負ける。強い者が勝つ。
 
 
西洋が世界を支配していた帝国主義の時代に、このような負け犬の物語など見向きもされなかったのはよくわかる。
 
 
しかしもうひとつ穿った見方ができるかもしれない。
 
イギリス人の原作者はなぜ、こんな悲しい負け犬の物語を、ベルギーを舞台にして書いたのだろうか?
 
 
イギリスという国はプロテスタントの国である。
 
ベルギーはカトリックの国である。
 
プロテスタントとカトリックというのは、私たちが考えている以上に異質なものだそうだ。
歴史上、両者は殺し合いまでしている。
 
イギリスではプロテスタントが、アイルランドのカトリックを搾取した歴史もある。
 
この間、ブレア元首相が国教会からカトリックに改宗したら、それだけで新聞に大きく取り上げられていた。
 
カトリックとプロテスタントは、ほとんど「違う宗教」と考えてもいいのかもしれないくらいに、両者は異質なのだ。
 
 
 
そう考えたときに原作者の意図が見えてこないだろうか。
 
つまりイギリス人の原作者は、カトリックを貶めるために、わざわざベルギーというカトリック教国を舞台にしたのではないか。
 
そしてネロのようないたいけな子供を搾取し、ついには死に追いやる村人は全員、カトリック信者に仕立てた。
 
ネロは無人の教会で、ルーベンスの絵を見上げながら天に召される。
 
カトリック教会はなにもしてくれない。
 
そういうメッセージにも受け取れる。
 
 
そのように考えると、この作品が地元ベルギーでまったく知られていない理由が、なんとなく見えてくる気がする。
 
そして世界中を植民地化することに熱中していた当時のイギリスで、こんな負け犬の物語が評価されるはずがなかった理由もよくわかる気がするのである。
 
戦争に一度も負けたことがないこの国の人々に、負け犬の痛みなど、わかるはずもないのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再びブット首相暗殺 2007年12月28日19:49
 
 
読売新聞では、一面トップで、ブット元首相の訃報を報道している。
 
その論調は、「パキスタンの民主化の希望を失った」というような、同情的かつ悲観的な内容だ。
 
 
確かにムシャラフはクーデターで大統領になった人だから、民意は反映されてはいない。
 
 
しかしブット首相に民意が反映されているのかといえば、これも疑問ではないかと私は思う。
 
 
 
読売の記事によれば、ブット元首相は、
 
「混迷を深めるパキスタンに「民主主義」「穏健思想」を再興させる切り札として、国内および欧米など主要国の期待を一身に集めていた」
 
「欧米の期待」?
 
 
当たり前である。
 
ハーバードやオックスフォードに留学した「親西洋派」のこの人を、彼らが支持するのは当然だろう。
 
 
 
もうひとつ。
 
この人は国内でも本当に人気があったのだろうか?
 
この人は汚職罪で禁固刑の判決を受け、それを不服として刑務所に入るかわりに「特権を利用して」、イギリスに亡命していたのではなかったか?
 
この人の帰国歓迎パレードの主体は、二億円で買収された群衆ではなかったのか?
 
 
ブット元首相は帰国前からイスラム過激派の取り締まりを強化するよう主張し、ビンラディンが潜伏するといわれるトライバルエリアに、米軍の空爆するべきだと主張していたという。
 
こんなことを平気で言う人物が、パキスタン国内で絶大な人気があったとは、私には到底思えない。
 
 
この人は「世俗派」だという。
 
「世俗派」は、おそらく「イスラム保守派」の対語という意味で用いられているのだろう。
 
つまりこういうことである。
 
 
「世俗派」=「親欧米派」=「アメリカの利益代弁者」
 
 
この人がパキスタンをどう変えようと考えていたのか知らない。
 
しかしこの人が再び首相になっていたら、テロリストとの戦闘は激化し、もっともっとたくさんの人が死ぬことになったことは、間違いないと私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ブット首相暗殺 2007年12月28日00:27
 
 
「ブット元首相が死亡 自爆テロ」
 
おそらくこの人が国家元首に返り咲いたとしても、なにも変わらなかっただろうとは思うけれど、この人が死ぬ必要もなかった。
 
 
「パキスタン民主化」のシンボルと言われてきたこの人が、先日八年ぶりに帰国したときには、カラチで盛大なパレードが行われたそうだ。
 
 
しかし一説によると、その動員のために二億円がばらまかれたと言われる。
 
途上国の支持者なんていうのは金でいくらでも買えるものらしい。
 
 
もっと言えば、民衆は誰も信じていない。
 
国家の指導者なんて誰も同じだと思っている。
 
だから金をくれた政治家を支持するのだろう。
 
 
報道によれば、亡くなったブット首相も、汚職疑惑で禁固刑の判決をうっけていたにも関わらず、これを拒否してイギリスに亡命していたそうだ。
 
ブット首相はハーバードとオックスフォードに留学していたという。
 
これがパキスタンという世界最貧国でどういう意味を持つのか。
 
彼女が刑務所に入らずにイギリスに逃げられるのは、彼女が特権階級だからに他ならない。
 
この人が、この国でまったく例外的な、浮世離れした大金持ちの子女であったことがよくわかる。
 
 
 
この間の読売新聞では、米国からの軍事援助が対インド軍備に流用されているという報道があった。
アフガン国境のパキ軍には、
 
 
「雪の上をサンダル履きで勤務する者がいたり、第一次大戦時のヘルメットを着用し、粗末なライフル銃しか持っていない者も見受けられる」
 
 
今年支払われた5500万ドルのうち、現場に届いたのは2500万ドルしかなかったという。
 
残りの3000万ドルの多くが、政府高官のポケットに入ったのは言うまでもない。
 
 
米国がこれを黙認しているのは、ムシャラフが他の原理主義者と比べてまだ「マシ」だからでしかない。
 
国際的になんとなくクリーンなイメージのブットさんが加わればなおいい。
 
 
しかし根本的に、このふたりいずれもが「アメリカの犬」でしかないことは変わりがない。
 
そしてパキスタン民衆は、どっちが国家元首になっても、汚職が減るわけもなく、彼らの貧困もなんら変わらないのだということをよく知っているのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「王様と私」 2007年12月26日17:47
 
 
ユル・ブリンナー主演で、ミュージカルでも有名になったこの映画。
 
アンナ・レオノーウェンズという、タイ(当時のシャム国)の家庭教師に招かれた女性のタイ王室見聞録を小説化した「アンナとシャム王」を、映画化したものである。
 
 
タイではこの映画は「王室不敬罪」で、上映が禁止されているという。
 
その理由が、観てみてわかった。
 
 
大もとの原作であるアンナ・レオノーウェンズの見聞録は、ひどい差別表現があちこちに見られるそうで評判がよくない。
 
おそらく当時の西洋人一般と同じように傲慢不遜な女だったのだろう。
 
 
 
それで映画の方はというと、かなりソフトになってはいる。
 
けれどもシャムの「前近代ぶり」、一夫多妻、男尊女卑、封建主義、迷信崇拝、非科学性などと、西洋の「啓蒙主義」が、随所で面白く対比されていて興味深い。
 
 
ミャンマーからの使者が「貢ぎ物」を持ってくる。
 
うら若い女だった。
 
シャム王はこの女を側室に加える。
 
 
アンナが家庭教師をする子供たちが紹介される。
 
子供は次から次へとやってきて恭しく礼をする。
 
総勢67名もいる。
 
 
シャムの世界地図では、ユーラシアの大半がシャムの領土である。
 
アンナが持ってきた世界地図では、シャムは米粒のように小さい。
 
みんなが不平をいう。
 
皇太子が言う。
 
「あの人は地球は丸いって言ってるけど、そんなはずはないよ。世界はカメの背中に乗ってるんだから」
 
晩餐会が開かれる。
 
後宮の女たちは西洋人がやってくると聞いて、
 
「人食い人種が来る」
 
「邪視で呪いをかけられる」
 
と逃げまどう。
 
 
 
アンナは1962年に国王に招聘された。
 
そしておそらく数年を過ごしたのだろうが、彼女は一度たりともイギリス貴婦人の正装を脱いだことがなかったようだ。
 
あのクソ暑いタイで、あの格好を続けていたのである。
 
にもかかわらず映画ではアンナが暑くて汗をかいているというようなシーンは皆無である。
 
実際はそんなわけはない。あのタイの気候であの格好をしていたら、熱中症で倒れるだろう。
 
しかしそういう都合の悪い状況は語られることはない。
 
イギリス貴婦人は完全無欠でなければならないのだ。
 
 
 
しかし上述のようなことは、西洋人が露骨に後進国を見下していた当時の世相を考えれば、理解できなくもない。
 
というよりもごく普通のことだっただろう。
 
イギリスの貴婦人が現地人の格好をするなど、到底考えられないことだった。
 
「アラビアのロレンス」でも、アラブ人の格好をしてカイロの「将校クラブ」に入ってきたロレンスは、ほとんど狂人のように思われる。
 
 
野蛮人の文化風俗など、西洋人にはなんの関心もなかったのだ。
 
 
そういえば南極探検で全滅したスコット隊はイギリス人だった。
 
彼らは当時最新のガソリン機関を備えた雪上車で極点を目指した。
 
一方のノルウエーのアムンゼンは犬そりだった。
 
「郷に入っては郷に従え」という言葉を無視した連中が全滅するのは当然だったのかもしれない。
 
 
 
この映画を観ていると、「scientific (科学的な)」というセリフが何度も繰り返しでてくることが興味深い。
 
当時は西洋の科学万能主義が世界を席巻していた。
 
聖書を読んでいた国王はこう言う。
 
「モーゼという男は阿呆だ。神は6日で世界を創ったという。そんなことができるわけがない」
 
アンナは答える。
 
「6日というのは例えです。神が万能であることの象徴なのです」
 
そんなことわかってるわい。
 
 
このシーンはなにを言いたいのか。
 
それは、
 
「頑迷だった未開人が次第に啓蒙され、徐々に近代人化している過程にある」
 
ことを表しているのだろう。
 
そしてその一方で、半端な知識をひけらかす国王の幼児性を揶揄し、嘲笑しているのである。
 
映画全体を見ても、このシーンがとりたてて重要なわけではない。
 
にもかかわらず敢えてこういうカットを入れる。
 
そこに私は西洋人の「意地悪さ」を見る感じがする。
 
 
 
しかし最後のシーンに、この映画のトドメがあった。
 
次の定期便で帰国することを決意したアンナを諫めるために、王女のうちのひとりの少女が、こう歌うのだ。
 
 
私たちは目の不自由な人と同じです  暗闇の中に取り残さないで
 
 
この映画をタイ人が制作したのなら許されるだろう。
 
しかし西洋人が、タイ人にこのセリフを言わせてはいけないよな。
 
この映画は1952年に制作されたのだが、当時はまだそういう配慮が著しく欠けていた時代だったのだということがよくわかる。
 
こんなセリフをぬけぬけと言わせた脚本家は、いったいどんな人物だったのだろうか。
 
 
 
全然関係ないけど、もうひとつ面白かったことがある。
 
映画の冒頭でアンナは、赴任先に不安を訴える息子に教え諭してこう歌う(彼女は未亡人という設定)。
 
 
口笛を吹こう  誰にも不安を気取られず  怖い相手も自分もだまされる
 
 
これぞまさに西洋人のものの考え方を表しているようだ。
 
自分の都合が悪くなったとき、保身のために相手を攻撃する西洋人を、私は何度か見たことがある。
 
相手に弱みを見せてはいけない。
 
これが西洋人の鉄則のようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
英語帝国主義 2007年12月25日03:49
 
 
現在、英語を母国語としている人は三億人いると言われる。
 
そして英語を母国語としない英語を話す人が十億人いるという。
 
世界の英語人口は十三億人にのぼると言われる。
 
ニューズウイークによると、今後十年間で、その人口は三十億人に達すると言われる。
 
 
 
なぜこれほど多くの人が英語を話すのかと言えば、もちろんアメリカの経済力と、かつての大英帝国の影響だろう。
 
かつてのフランス領でも英語を話す人が増えている。ベトナムなんか誰も仏語を話さない。英語ばっかりだ。
 
そのことに不平を言うフランス人に何人か会った。
 
世界言語市場(そんなのあるのか?)で絶対優位を得た英語は、十年でその人口を二倍以上に膨れあがらせる。
 
 
その普及にひと役買っているのは、間違いなくウインドウズである。
 
このOSは、世界中で使われているが、主要言語には、それぞれの言語のOSがある。
 
日本語も、韓国語も、アラビア語(ちゃんと右→左に書ける)もある。
 
しかし少数言語や、市場が確立していない国、英語が通じる国には独自のOSはない。
 
 
たとえばタイ語。
 
タイ語のOSは存在しない。
 
おそらくタイ程度では経済規模が小さすぎるのだろう。
 
 
インドも英語のOSである。
 
もともとみんな英語ができるという前提なのか、インテリしかパソコンを使わないからなのか定かではないが、とにかくヒンズー語のOSはない。
 
パキスタンにもウルドウー語のOSはない。
 
もっとマイナーな言語、たとえばカンボジア語にもないし、ミャンマー語にもない。
 
こういう人たちは慣れない英語の画面で操作することになる。
 
 
不公平である。
 
 
しかし市場規模が小さい貧乏国が、赤字覚悟で独自のOSを開発するわけにもいかないだろう。
 
 
仕方がないのかもしれない。
 
 
しかしこれによって、世界での英語依存度はますます大きくなることは間違いない。
 
推理小説の犯人捜しでは、「誰が得をするかを考えよ」というのが鉄則だが、英語が普及して得をするのはイギリスとアメリカであることは言うまでもない。
 
 
そして実際にイギリスでは、英語がもたらす富が莫大なものになりつつあり、政府が普及活動に乗り出しているという。
 
たとえば世界中の英語学校で得るイギリス人の収入をあわせれば、大変な金額になるだろう。
 
あるいは英語の教材、辞書、英字新聞、通訳など、英語に関するあらゆるものがイギリスの収入源になりうる。
 
そういうキャンペーンが、一部の貧困な人々の利便を無視した不公平の上に成り立っていることは、あまり知られていないのではないだろうか。
 
イエメンで会った人々は、ほとんど理解できない英語の画面に四苦八苦しながらメールを打っていた。
 
彼らが、ますます時代の趨勢から取り残されていくことは明らかなのだ 。
 
 
インターネットの普及が、「英語帝国主義」に大きく加担している。
 
 
インターネットは世界と直接結びつく夢のツールであることは間違いない。
 
しかし世界には電気も通っていない土地で暮らす人、あるいは文盲の人々が大勢いる。
 
彼らはインターネットにもパソコンにも無縁の人たちである。
 
私たちが普通に楽しんでいるインターネットは、実は世界中の「富める人々」のツールなのである。
 
その恩恵にあずかることができない、そこからはじき出された人々が世界中にたくさんいるのだということ、そしてこの無限の可能性を秘めたツールが、一部の人々の利権によって支配されつつあることを、私たちはもう少し知っておいてもいいのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「炎のランナーと」英国人の猛烈なエリート意識 2007年12月22日21:39
 
 
「炎のランナー」は1981年公開のイギリス映画である。
 
主題曲があまりに有名。みんな一度は必ず聞いたことがあるはず。
 
1920年頃のロンドン、ケンブリッジ大学が舞台の、実話をもとにした映画だそうだ。
 
主人公は牧師を父親に持つ敬虔なキリスト教徒の青年とユダヤ人の青年。
 
ふたりは親友で、しかもふたりとも怖ろしく足が速く、パリ・オリンピックに出場することになる。
 
しかし牧師の青年は安息日の日曜日に予選が重なってしまう。
 
敬虔なキリスト教徒である彼は、悩んだ末に出場断念を決める。
 
しかし国益に反すると考えた英国政府首脳が彼を説得。
 
結局、彼は日曜日の100m走の代わりに翌日の400m走に出場。見事に金メダルを獲得する。
 
ユダヤ人の青年も100m走で金メダルを獲得した。
 
 
というだけの、別になんということはない映画である。
 
我々にとっては。
 
 
 
しかしこの映画、アカデミー作品賞を受賞している。
 
我々にはまったくわからないところで高い評価を得たのだ。
 
 
それはつまり、「信仰か忠誠か」という究極の選択を迫られる主人公の葛藤だろう。
 
おそらく多くのキリスト教徒は、主人公のひとりである敬虔なキリスト教徒の青年に自己投影したに違いない。
 
 
しかし私からすれば、逆にユダヤ人の青年の方が興味深かった。
 
映画の中で彼はこう言う。
 
 
「ユダヤ人であることは、痛みと絶望と怒りを持つことだ。屈辱を感じることだ。「妄想」だと思おうとしても、人々の顔色に、言葉の端々に、握手する冷たい手に感じてしまう」
 
 
彼の言葉は、戦前のユダヤ人の境遇を端的に表している。
 
そのせいか彼はものすごく上昇志向が強い。
 
イギリスの最高学府に入学して、弁護士になって、人々を跪かせると豪語する。
 
 
西洋でのユダヤ人と、日本での在日韓国朝鮮人の境遇は非常によく似ているんだけど、この「猛烈な上昇志向」というのもよく似ている。
 
ある種のハンデを背負っている人々が当然行き着く思考なのかもしれない。
 
 
彼は競技に勝つために、イタリア人のプロのコーチを雇う。
 
ある日そのことを学長に詰問される。
 
「君が雇っているのはイギリス人ではないな」
 
「イタリア人です」
 
彼は付け加える。
 
「それにアラブの血も半分入っています」
 
その瞬間、学長の顔が凍り付く。
 
「「目的のためには手段を選ばず」か。はっきり言って君のやり方は下銭だ。エリートにはエリートのやり方がある」
 
しかし彼は反論し、退席する。
 
学長は苦笑しながら言う。
 
「あれがユダヤ人というものだ。神が違えば人生の目標も違う」
 
 
そして彼が優勝したあと、ふたりはパリの酒場でしこたま飲む。
 
イタリアとアラブの混血のコーチは言う。
 
 
「今日、オレたちが誰に勝ったかわかるか? オレたちは世間を相手に戦ってきたんだ。世界がなんと言おうとクソくらえだ。オレたちは世界を征服したんだ」
 
 
この言葉にふたりの本音、つまりイギリス人、西洋キリスト教社会に対する憎悪が込められていることは言うまでもない。
 
 
 
この映画を観ていると、イギリスという国、というよりも上流階級の人々の、エリート意識のすさまじさを感じずにはいられない。
 
イタリア人はおろか、アラブ人の力を借りて優勝するなど、彼らにとっては耐え難い恥辱なのだ。
 
新入生としてふたりが入学した夜のケンブリッジの晩餐の様子は、この名門大学を象徴している。
食事の前に少年合唱隊の賛美歌とともに全員が起立して神に祈りを捧げる。
 
何百年も前から変わらない因習。古ぼけていかめしい食堂。
 
前に読んだ本によると、ビールジョッキも数百年前のが使用されているらしい。
 
ちょうどいま読売に連載されている「時代の証言者」で、ケンブリッジに留学した数学者がこんなことを書いている。
 
「アメリカでは改善は善ですが、イギリスは伝統を重んじ、古いものほど良いとされる。ケンブリッジではニュートンの頃と同じ食堂で同じラテン語のお祈りを唱えて食事につく」
 
 
伝統と格式。
 
この名門大学で、学生たちはエリートの自負心を叩き込まれる。
 
イギリス人を支えているのは強烈なエリート意識なのだ。
 
 
会田雄次「アーロン収容所」中公新書
 
は、ビルマでイギリス軍の捕虜になった著者の体験記だが、その中に、こんな話が出てくる。
 
 
 
「私たちが一見して、士官と兵とを区別できたというのは、体格、特に身長である。1.75mの私より背の高いのは下士官や兵では少ない。1.65mくらいのものがすくなくないのである。しかし士官は、大部分が1.80m以上もあると思われる大男で、私より低いものはほとんどいなかったのである」
 
 
 
イギリスでは上流階級は背が高く痩身で、下層の労働者は背が低くずんぐりと太った人が多いという。階級がそのまま体格に反映されるのがイギリスなのだ。
 
 
 
「英軍の階級は社会秩序をそのまま反映しているといえる。とくに士官と下士官・兵との間には、これでも同じイギリス人かと思われるほどの差がある。士官はいわばホワイト・カラーであり、下士官・兵は労働者である。 (中略) 士官と兵隊が一対一で争うとする。たちまちにして兵は打倒されてしまうだろう。剣やピストルをとっても同じことと思われる。士官たちは学校で激しいスポーツの訓練を受けている。 (中略) イギリスのブルジョアとプロレタリアは、身体から、ものの考え方から、何から何まで隔絶したものなのだ」
 
 
 
この強烈なエリート意識。
 
この強烈な自負があったればこそ、イギリスは世界を統治することができたのだろう。
 
イギリスの政治家に極端に汚職が少ないというのも、要するにこのエリートという自負によるのだ。
 
 
しかし他にもこんな指摘がある。
 
 
「ジャギュア(車の「ジャガー」のこと)やローバーといった車がよい例だが、デザインや基本設計は素晴らしい。しかし、生産現場の技術や品質管理がまるで追いついていないため、優れた設計にもかかわらず、故障が多く、しかも、部品を交換してもコンディションが良くならなかったりする」(林信吾『英国ありのまま』中公文庫)
 
 
結局、エリートはほんの一部に過ぎず、その他大多数は日本人の平均よりも「アタマの悪い人達」なので、工業製品の品質が良くならないということらしい。
 
これはよく指摘されることだ。
 
エリートが労働者を見下している社会というのはこの程度の生産力しかないということなのだろう。
 
 
大学教授などでイギリスに留学した人のエッセイを読んでいると、ひたすら「英国賛美」の風潮が強い。
 
上記の読売の数学者の連載もそうだった。
 
しかし実際には、それはイギリスのごく一部の上流階級の人々の優雅な暮らしに過ぎないことを、私たちは念頭に置いて読んだ方がいいらしい。
 
 
 
高橋哲雄「二つの大聖堂のある町」ちくま学芸文庫
 
に、チラリと出てくるところによれば、「下層社会の人種的偏見のつよさ」を思い知らされるという。
 
著者が下町で下宿を探していたときのことだ。
 
 
 
「電話で訊ねたり、ドアの外からの対応の段階では空き部屋があるといっていたのだが、顔をみるとふさがっているといわれたり、いったんOKを出しておきながら電話で断ってくるというのもあった。 (中略) イギリスの庶民は冷たい中流人種やインテリとちがって、ナイーブで暖かみがあり、人なつっこいなどという神話はいったい誰がつくったのか、着いたときの大学関係の人たちの親切さを思い返しながらぼやくことがしばしばであった」
 
 
 
エリートに見下されている労働者階級は、今度は有色人種を差別する。
 
ユダヤ人も中国人もインド人もパキ人も、そして日本人も、彼らにしてみれば同じ劣等な有色人種であることに変わりがない。
 
格差社会というのは本当に怖ろしいものなのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
加山雄三 2007年12月22日02:08
 
 
今日、テレビをつけたら、NHKで加山雄三の特集をやっていた。
 
今年七十歳なんだそうだ。
 
へええ。
 
それでこの人の生い立ちを現在まで紹介しつつ、関わりのあった人とのインタビューなんかを交えて番組が進んでいくのを、なんとなく見ていた。
 
この人、ピアノが弾ける。
 
この人の「代表曲」といわれる「君といつまでも」も、この人の作曲だそうだ。
 
 
60年代にヒットした「若大将シリーズ」では、スポーツ万能でギターと歌がうまく、成績優秀の優等生で、困っている人を見かけたら黙っていられない正義感の強い青年「田沼ナントカ」を演じた。(ちなみに青大将は田中邦衛)
 
 
料理もうまいそうだ。
 
この人の作る料理は、家族全員が喜んで食べるそうだ。
 
 
絵もうまいそうだ。
 
個展を開くほどの腕前だ。
 
番組で紹介された絵は、確かに素人離れしていた。
 
 
自家用クルーザーを持っていて、自分で運転するらしい。
 
 
相田みつをっぽい自筆の書画もたいした腕前だった。
 
 
加山雄三は完全無欠のスーパースターなんだ。
 
すげえなあ。
 
 
この番組を見ていた多くの人がそう思ったに違いない。
 
 
 
 
しかし。
 
 
私は前に読んだ、芸能ジャーナリスト竹中労の文章を思い出す。
 
加山雄三はかつて小説を書いたことがある。
 
自分で書いたのではない。
 
ゴーストライターに書かせたのだ。
 
そして記者会見を受けたこの人は、ぬけぬけとこう言ったそうだ。
 
 
「いやあ、これで僕も、ようやく文壇の仲間入りができました」
 
 
 
芸能界というところは本当に虚飾の世界なんだなあと思った。
 
この番組で描かれていた多彩な加山雄三の才能は、いったいどこまで本当なんだろうか。
 
さっぱりわからなくなってしまう。
 
 
 
おそらくこの人は、完全無欠の優等生「田沼ナントカ」の配役が、そのまま自分に投影され、本人も気づかぬうちに、その人物になりきってしまったのではないだろうか。
 
そして自分が完全無欠でなくては気が済まなくなり、いつしか自分の虚像を作り続けていくようになったのではないだろうか。
 
この人の偉そうな態度とか横柄な振る舞いを見ていると、身の程もわきまえない芸能人が、自己顕示欲だけを肥えさせていき、ついには尊大な老人になるという最悪のパターンを見ているような気がする。
 
憐れだよ。加山雄三。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大英帝国 連邦首脳会議 2007年12月18日01:47
 
 
11月23日、ウガンダでイギリス連邦の首脳会議が行われたそうだ。
 
参加国53ヶ国、総人口二十億人という数字に、とりあえずびっくりである。
 
これらのうち16もの国が、イギリス国王を国家元首と定めているのだ。
 
 
 
主都のカンパラで催された開会式では、登場したエリザベス二世を、加盟国の大統領、首相が一斉に起立して迎えたという。
 
 
 
「同夜開催された晩さん会でも女王を囲んだ首脳が「女王に乾杯」とグラスを傾け、女王との会話を待つ首相らの列が絶えなかった。ブラウン英首相も加盟国首脳から受けた会談要請を次々とこなし、大英帝国が現存しているかのような光景となった」(読売新聞)
 
 
 
とのことで、この前時代的な風景はなんとも滑稽ですらあるのだが、一方でイギリスの発言力がいまだに衰えていないことを物語っている。
 
前に日記に書いたけれど、国連での「勢力図」というのがあるそうだ。
 
旧植民地諸国を動員した集票力が、そのまま国連総会での発言力になるからだ。
 
たとえばフランスは西アフリカ諸国、ロシアは旧共産圏、アメリカは南米諸国という具合に。
 
そしてイギリスは大英連邦なのだという。
 
 
イギリスはこの大勢力を使って、国連での世論を有利にまとめることができる。
 
 
その好例がフォークランド紛争だったという。
 
イギリスにとってこれらの国は国連での票集めに不可欠の「子分」なわけだ。
 
一方で旧植民地の連中にも「うまみ」はある。
 
イギリスから援助を引き出すのだ。
 
イギリスのODAは今や日本を抜いて(というか日本が落っこちただけだが)三位だそうだ。
 
つまりこういう会議の場で、イギリス政府首脳に取り入って、金をせしめるという、さもしい根性が見え見えなのだ。
 
 
 
アフリカではイギリス植民地時代を再評価する風潮があるそうだ。
 
独立後のアフリカ諸国は、どこの国も内戦が続いたり、治安が悪くなったりして、うまくいった国はほとんどひとつもないと言っていいだろう。
 
だから、
 
「イギリス統治時代の方がよっぽどよかった」
 
と、こういうわけだ。
 
 
 
なんと情けない。
 
なんとみじめな言い草だろうか。
 
 
 
「しょせん白人にはかなわない」と、自ら認めているようなものではないか。
 
 
100年前は、日本も半分イギリスの植民地だった。
 
日英同盟というのは、イギリスの対ロシア戦略の一環として締結されただけで、日本の国益なんかまったく無視されたようなものだった。
 
第一次大戦でも、日本が獲得したのは南洋の米粒のような島だけで、イギリスは巨大なニューギニアを獲得している。
 
 
日本はイギリスの「イヌ」だった。
 
 
しかし今や、日本はイギリスを遠く引き離した世界二位の先進工業国だ。
 
日本人が優秀であることももちろんあるだろう。
 
朝鮮戦争やベトナム戦争の特需も確かにあった。
 
 
しかし今の私たちの繁栄が、私たちの両親や祖父母の、血のにじむような努力の結果であることは、誰も疑問を持たないだろう。
 
 
「黒人だってやればできる」とか「人種に優劣はない」とか、そういうことは私はいいたくない。
しかし、
 
 
「イギリスの植民地だった方がマシだ」
 
 
という言い草には、私は絶対に納得できない。
 
黒人には、ここまで奴隷根性が染みついてしまったかと、ため息が出る。
 
 
 
 
西アフリカの黒人たちはみじめだった。
 
フランス人の「旦那」にいつも怯えたようにオドオドとしていた。
 
彼らのあまりに卑屈で、情けない、そして悲しい姿を思い出すたびに、私は西洋人に対して激しい憎悪を感じる。
 
それは今もまったく変わっていない。
 
 
人間の尊厳を、ここまで貶めた彼らの罪悪は、永久に消し去ることはできない。
 
 
 
最後に、同じ読売の報道によると、
 
マレーシアでインド人のデモが頻発しているという。彼らの主張は、
 
 
「19世紀以降の英植民地時代や、1957年のマレーシア独立後もインド系住民が不当に扱われたとして、英政府に損害賠償4兆ドル(432兆円)の支払いを訴えるのが目的だった」
 
 
という。
 
この金額のものすごさ。
 
これくらいやって当然だろう。がんばれインド人。
 
世界中で、こういう訴訟をどんどんやってもらいたいものだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
NHKシルクロード最終回〜レバノン 2007年12月17日03:39
 
 
先日、NHKのシルクロード最終回を見た。
 
最終回はレバノンだった。
 
 
シルクロードは中国の長安から始まって、いろんなルートを通ってローマに向かうわけだが、そのひとつがレバノン経由だそうだ。
 
レバノンのシドンやティルなどの町からは、船でローマに向かう。
 
かの漢の張騫は、ここまで辿り着いて引き返したそうだ。
 
 
 
レバノンは「宗教のモザイク」と言われる。
 
大きなもので、キリスト教、イスラム教スンニ派、イスラム教シーア派がある。
 
他にユダヤ教、ギリシャ正教、アルメニア正教、イスラム教ドルーズ派などがある。
 
 
これらが相争ったのが、70年代に起こったレバノン紛争だが、なぜこれほど宗教各派が入り乱れているのか。
 
 
 
NHKはこう説明する。
 
 
かつてこの地域はローマ帝国のキリスト教の支配地域だった。
 
その後ウマイヤ朝のイスラム教スンニ派が支配した。
 
そしてファーティマ朝のシーア派が支配した。
 
だからレバノンには三つの宗派がモザイクをなして入り乱れているのだと。
 
 
 
しかしこの説明は、少し考えるとおかしいことに気づく。
 
上記三つの宗派に支配されたのは、なにもレバノンに限ったことではない。
 
たとえば北アフリカのエジプトやチュニジアなんかもそうだ。
 
三つの宗教が支配した地域でも、レバノンほどひどいことにはなっていない。
 
 
 
だからこれでは説明不足で、他にもっと大きな原因があるのだ。
 
 
ではなにが原因なのかというと、それはこの国に広がるレバノン山脈とアンチレバノン山脈の存在である。
 
 
このふたつの山脈は標高が3000m以上にもなる、意外と険しい山岳地帯だ。
 
 
世界地図を広げてみよう。
 
中東地域を眺めてみてわかることは、北はトルコのアララト山、東はイランのザクロス山脈、南東はイエメンの山岳地帯、南はエジプトに至るまで、山らしい山がないことがわかる(シナイ半島に山があるけど、ここはまったくの岩山で人が住めない)。
 
 
しかもこのあたりで唯一、杉の大森林が残る一帯である。
 
 
つまりレバノン山脈は、為政者に町を追われた異端者が隠れるには、格好の場所だったわけだ。
 
 
だからレバノンにはキリスト教マロン派という、ヨーロッパの宗教会議で追放された宗派が多数を占めている。
 
ドルーズ派というのは、ファーティマ朝のとある王様を神様と崇める、イスラムの中でもかなり異質な宗派だ。
 
またアサシン派と呼ばれるシーア派の暗殺集団もレバノンを根城にしていた。
 
 
中世の異端の巣窟。
 
 
それがレバノンだった。
 
だから現在でも少数宗派が入り交じっているのは当たり前なのだ。
 
 
 
もうひとつ大きな理由がある。
 
かつてのイスラム社会は、西洋と違って宗教的に大変自由な社会だった。
 
ちょっと考えてみればわかることだが、ヨーロッパはなぜみんなキリスト教徒、それもカトリックとプロテスタントだらけなのか。
 
それは狭量な宗教裁判で、異端を次々と追放していったからだ。
 
そして追放された人々はイスラム帝国を目指した。
 
中近東やバルカン半島に宗教紛争が絶えないのは、イスラム教という宗教の寛大さによるのだとも言える。
 
そして宗派が違っても仲良く暮らしていた人々に厄災が訪れたのは、西洋列強の支配だった。
 
西洋諸国はこの地域に「一国家、一民族、一言語、一宗教」という「国民国家」の概念を、無理やり押しつけた。
 
オスマントルコのもとで宗教的にそれなりに平等だった社会は、キリスト教徒が優遇され、スンニ派とシーア派、少数派が主導権争いで対立する不平等な社会になった。
 
中近東の現在の内戦は、西洋、もっと言えばイギリスとフランスがすべての元凶なのだ。
 
 
そういうわけでレバノンという国は、昔から反政府的な異端の巣窟だった。
 
天下のNHKがそれに触れないのは、なんだか不思議な気もする。
 
 
 
ところでレバノンについて、最近気がついたことがもうひとつある。
 
「レバノン杉」は世界遺産で有名である。
 
エジプトのファラオや、古代ペルシャの皇帝は、この杉を切り倒して神殿を築いた。
 
このあたりには他に森林がなかったらしい。
 
それでこの間「エホバの証人」が置いていったパンフレットに、かつてのフェニキア人が使用していた帆船の写真が載っていた。
 
大きさは全長30mにもなり、舳先に鋭い鉾がついていて、的の船の横腹に突進して穴を開け、沈没させた。
 
フェニキア人の船はもちろんレバノン杉で造られたに違いない。
 
古代フェニキア人が海の商人として、あれほど活躍できた背景には、ファラオ以外は自由にできなかった材木を、ふんだんに持っていたことが、大きな理由なのに違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アジアで中島みゆきがヒットする 2007年12月15日01:47
 
 
ここ数年、中島みゆきの曲がアジア各国で静かにヒットしているらしい。
 
もちろんその大部分は許諾なしの違法コピーなんだろうが、とにかく売れているらしい。
 
 
私は常々、音楽というものはメロディが最も重要で、歌詞なんて、まあどうでもいいものなんだろうと勝手に考えていた。
 
「愛」だの「恋」だのと、適当なことを言っていればいいと思っていた。
 
じっさいそういう曲が多いと思う。
 
 
 
しかし中島みゆきの曲は違う。
 
この人の場合は、メロディもさることながら、その歌詞、絞り出すような女の情熱や人間の機微、都会に疲れた者に対する優しさに溢れている。
 
悲しくも切ない人間のドラマがあり、敗れ去った者を包み込む温かいストーリーがある。
 
 
 
中島みゆきの曲には、実は有名でないものに名曲が多いのだが、たとえば以下に、
 
「ホームにて」
 
という、一般にはまり知られていない曲の歌詞を転載してみよう。
(JASRAC的にまずいけれども、まあ許してもらうことにして)
 
 
 
ふるさとへ向かう最終に  乗れる人は急ぎなさいと
 
優しい優しい声の駅長が  街中に叫ぶ
 
 
振り向けば空色の汽車は  いまドアが閉まりかけて
 
明かり灯る窓の中では   帰り人が笑う
 
 
走り出せば間に合うだろう  飾り荷物を振り捨てて
 
街に街に挨拶を   振り向けばドアは閉まる
 
 
 
ふるさとは走り続けたホームの果て   叩き続けた窓ガラスの果て
 
そして手のひらに残るのは   白い煙と乗車券
 
 
涙の数ため息の数    変わっていく空色の切符
 
ネオンライトでは燃やせない   ふるさと行きの乗車券
 
 
黄昏にも さまよう街に    心はこんなにホームに佇んでいる
 
ネオンライトでは燃やせない   ふるさと行きの乗車券
 
 
 
 
映画「ALWAYS」でチラッと出てきた、かつての上野駅をおそらくイメージして、中島みゆきはこの歌詞を書いたのだろう。
 
東北から上京してきた出稼ぎ労働者。去っていった男を追いかけて上京した女。
 
都会のシガラミに負けて、いつかは帰ろうと思いながら、結局都会暮らしをズルズルと続けている若者。
 
都会の片隅で、懸命に生きている人々。
 
そのことごとくが敗者である。
 
 
 
そういう無数の弱者たちを、温かく励ましてくれるのが、中島みゆきの歌詞なのである。
 
 
いま中島みゆきが中国や東南アジアで流行している背景には、おそらく日本の昭和40年代のような、高度経済成長による田舎からの出稼ぎ労働者の増加があるのではないだろうか。
 
そして大都会の生活に疲れ果て、ふと、故郷を思い出したとき、この曲が、彼らの身につまされるように心に響くのではないだろうか。
 
中国のカラオケに行くと、中島みゆきの楽曲の多さに驚かされるという。
 
一般的に、日本の楽曲はアジアで好まれるメロディーなので受け容れられやすいのだという解釈がされている。
 
 
しかし私はそれだけではないと思う。
 
都市と田舎、大都会と故郷という対立は、どこの国でも変わらない。
 
そして人々が都会の忙しい毎日に翻弄されているのも、どこの国でも変わらないと思う。
 
 
中島みゆきの曲が彼らの胸に訴えるのは、経済成長によって都会に流れてきた、あるいは流れて来ざるを得なかった人々の胸の中にある故郷への思慕が強く影響しているのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ディズニー映画「ポカホンタス」 2007年12月11日18:06
 
 
ポカホンタスは実在の人物である。
 
アメリカの先住民で大部族の酋長の娘だった。
 
1600年代初頭、バージニア州ジェームズタウンに入植したイギリス人たちが、飢餓と寒さで全滅しかかったとき、率先して食料を差し出し、西洋人を救ったという。
 
そして植民者のひとり、ジョン・ロルフと結婚し、洗礼を受けてキリスト教徒となってイギリスに渡る。彼女は1年ほどロンドンに住み、国王にも謁見したという。
 
そして故郷への帰途に病に倒れた。
 
それが伝説となり、神聖視されて現在に至っている。
 
 
 
ディズニー映画の「ポカホンタス」はラブロマンスに傾斜していて、史実とはだいぶ違う。
 
2作あるが、1作目は船乗りのジョン・スミスとのラブロマンスである。
 
 
 
このジョン・スミスという人物も実在で、
 
「自分はポカホンタスに助けられた」
 
と本に書いた。しかしそれがポカホンタスの死後であることから、おそらく彼の捏造だといわれる。
 
新大陸に渡ったくらいだから、山っ気の多い人物だったのだろう。
 
 
 
しかし映画のジョン・スミスは大変な好青年である。
 
ハンサムで勇敢で気さくで、腕のいい船乗りである。
 
まさにアメリカ人男性の理想の表象である。
 
 
 
対する悪玉は、イギリス貴族で船長のラドクリフ。
 
この男は強欲である。
 
新大陸で金を発見することしか頭にない。先住民族はすべて殺せと命令する。
 
それに対して、どういうわけか、あっという間に恋人同士になったポカホンタスとジョン・スミスは、一触即発のインディアンと白人の対立の中、それぞれの勢力に説得を試みる。
 
しかし効果はなく、あわや戦闘が起きる寸前で、ふたりの献身的な働きにより平和が保たれる。
 
怪我をしたジョン・スミスは、祖国に搬送されて、ふたりは別れ別れになってしまう。
 
これが1作目。
 
 
 
 
2作目は、植民者が増え続けるジェームスタウンで、先住民の外交使節として、ポカホンタスが国王に謁見するためにイギリスに渡ることになる。
 
ここでも悪者貴族のラドクリフが暗躍し、ポカホンタスの失脚を画策する。
 
しかしポカホンタスの熱意が国王に認められる。
 
最後に、終始彼女を助け続けた貴族ジョン・ロルフと結ばれてハッピーエンドである。
 
 
 
 
しかしこの映画、どこか腑に落ちないところがある。
 
それは何だろうかと考えていて思いついたのは、ラドクリフという悪玉貴族であった。
 
映画で出てくるの悪党は彼の他に誰もいない。
 
まるですべての罪を彼が着ているかのように。
 
 
 
イギリスという国は、新大陸への進出では、スペイン、ポルトガルに遠く後れをとっていた。
 
だから彼らが行ったのは、主にスペイン貿易船に対する海賊行為であった。
 
度重なる略奪に業を煮やしたスペイン国王が、無敵艦隊をイギリスに差し向けたのがアルマダの海戦だった。
 
この海戦で大勝ちしたイギリスは、その後、破竹の勢いで発展していくことは史実の通り。
 
 
 
 
一方でイギリスは、新大陸でのスペインの非道を盛んに宣伝した。
 
イギリスの言い分とは、
 
 
「カトリックのスペインは善良な先住民たちを搾取し、虐待している。しかし新教徒の我々はそうではない。紳士である我々は、スペインの非道から原住民を護っているのだ」
 
 
前に書いたラス・カサスの「インディアス破壊に関する簡潔な報告」はヨーロッパ各地に翻訳されて、ベストセラーとなった。
 
それはつまりは、新大陸から莫大な利益を上げるスペインをこき下ろすためのイギリスの策略でもあった。
 
 
 
そのスペインも、かつて同じようなことを言っていた。
 
「原住民は2種類いる。善良な部族と、野蛮な部族である。善良な部族は野蛮な部族の危険にさらされている。我々は善良な部族を助けるために軍隊を出しているのだ」
 
いずれも新大陸を植民地化するための口実であることに変わりがない。
 
 
 
映画2作目のイギリスに渡る船内で、乗組員に言いがかりをつけられたポカホンタスを、ジョン・ロルフが助ける場面がある。
 
彼はポカホンタスにこう言う。
 
 
「礼を尽くすのが、我が文明の要なのです」
 
 
「イギリスは新教国で、紳士の国である。スペインとは違う」と言外にいうのだ。
 
しかし基本的なところ、「他人に責任をなすりつける」という意味では、なんら違いはない。
 
 
この映画では悪徳貴族のラドクリフに、すべての悪行、強欲、野蛮、残忍な性格などが押しつけられ、ほかのイギリス人にはまるで責任がない、あるいは正義であるかのように描かれている。
 
 
 
しかし実際はどうだったのか。
 
多くのイギリス人が、ラドクリフのように新大陸で荒稼ぎをしようと企んでいたのではなかったか?
 
スペインの成功に嫉妬して、貿易船を略奪して利益を上げていたのはイギリス王室ではなかったのか?
 
 
悪者を仕立て上げて、これにすべての責任をなすりつけ、大多数の植民者は善良だったと主張する。
それは要するに現在のアメリカ人の祖先、つまりインディアンの土地を収奪して今の地位を築いた白人たちの正当性を主張しているに過ぎないのではないか?
 
実際に白人たちが次々と入植して、インディアンたちは次第に西へ西へと追い詰められていくのだ。
 
ラドクリフというスケープゴートを仕立てたところで、多くの白人たちがこの大陸で犯した無数の過ちが消えるわけでは決してない。
 
そういう意味で、この映画はアメリカおよびイギリスの独善性、より正確にいえば「後ろめたさの隠蔽」というようなものが、非常に強く表れた映画であると言えよう。
 
 
最後にサイードが提唱した「オリエンタリズム」では、未開文明の女性を性的に従属させることは、植民地主義国家が搾取対象の市民を支配する表象として描かれる傾向があるという。
 
ポカホンタスは、まさにその好例であるという指摘がある。
 
 
ポカホンタスが白人の男の妻になったことは、インディアンが白人に支配されたことの表象なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ソトコト」という雑誌 2007年12月07日16:51
 
 
「ソトコト」という雑誌、知ってますか?
 
「エコロジー」とか「ロハス」とか「スローフード」とか、そういうキーワードをコンセプトにした雑誌です。
 
ウワサによるとマガジンハウス系の編集者が立ち上げたそうですが、私はこの雑誌が、前からどうも「うさん臭い」と思っていました。
 
 
 
それで最近、「そうか!」と膝を打つ記事を発見したので、ご紹介しましょう。それは、
 
白井和宏『家族に伝える牛肉問題』光文社
 
という本で、著者の白井氏が引用していた、朝日新聞掲載の亀和田武氏の論評です。孫引きになりますが再引用します。
 
 
(雑誌ソトコトについて)
「やたらと広告が多いのです。ビジュアル処理がすぐれているため目立ちませんが、大手企業の広告がめじろ押しです。一見それとわからない、洗練された広告ページの集積を眺めるうち、ロハスの実体が見えてきました。<機能>を強調するだけでは、もはや商品は売れない。それに気づいた21世紀の資本主義が、総力で開発した「人と地球にやさしい」商品という巨大プロジェクトがロハスです。ただ便利な物を売るのでなく、「ココロの健康」を標的にしている点が、従来のビジネスとの最大の違いです」
 
 
「ロハス」というのは、アメリカの社会学者が作った造語で、意味は「健康で持続可能なライフスタイル」だそうです。
 
白井氏は、
 
「「ロハス」は新たなマーケットを創造するための戦略であり、コンセプトの提案なのだ」
 
とし、すでに将来、2兆円規模の市場が試算されていると紹介しています。
 
さらに「ロハス」の商標は「ソトコト」のグループ企業と三井物産が、しっかりと登録しているそうです。
 
 
 
要するにこういうことではないでしょうか。
 
 
従来の市場はすでに飽和状態である。
 
性能や安さを謳い文句にしても商品は売れない。
 
そこで大企業は「人と環境に優しい」という新たなコンセプトを打ち出し、新たな付加価値をつけようと考えた。
 
同時に、これまで多国籍企業を目の敵にしてきたエコロジスト系の人々を取り込み、新たな市場開拓を画策した。
 
それが「ロハス」という一大プロジェクトである。
 
 
そしてその動きと結託して、盛んに広告を出している雑誌が「ソトコト」なのでしょう。
 
「環境ビジネス」に乗っかって企業宣伝を担当しているのが、「ソトコト」という雑誌の正体なのです。
 
 
環境問題はもちろん、たいへん重要な案件です。
 
しかし一方で、ずいぶん押しつけがましい気もします。
 
 
「環境に悪い」と言われれば誰も反論できなくなる。
 
 
これほど環境を悪化させたのは、我々も含めた先進国にもかかわらず、「環境に悪いから石炭を使うな」とか「森林破壊を今すぐやめろ」といって中国やブラジルを非難する。
 
私は、そこに西洋人の「自分を棚に上げた押しつけがましさ」を見てまいます。
 
 
「我々も我慢するからオマエたちも我慢しろ」
 
 
そういう論理です。
 
前に書いた「捕鯨問題」となんら変わらないのです。
 
 
「環境問題」という、有無を言わさぬ、他人の非難を絶対に受けないジャンルで、しかしこっそりと企業広告で儲けている。
 
そこに「ソトコト」という雑誌の「あざとさ」がある気がします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「アラビアのロレンス」 2007年12月06日00:07
 
 
この間観たのが「アラビアのロレンス」。
 
ものすごく長い。
 
午前1時半に見始めて、終わったのが午前5時半でした。
 
長すぎ。
 
しかしこの映画、一度アラブ圏に行ったことのある人なら、かなり楽しく見れるはず。
 
映画始めの方でロレンスが思わず悪態をついた、
 
 
「だからアラブ人はダメなんだ! 欲張りで貪欲で野蛮で残忍だ。部族同士で争っていては、いつまで経ってもアラブの独立などできないんだ!」
 
 
この言葉は現在でも十分通用する。
 
数次にわたる中東戦争で、アラブが負け続けた原因も、この部族抗争による自滅なのである。
 
(一例を示すと、アラブ諸国では軍の司令官には無能な人物を配置するという。優秀な人物だとクーデターを起こすからだ。そういう軍隊がイスラエルに勝てるわけがない)
 
 
 
ロレンスはうわさ通りホモっぽかった。
 
なよっとした感じで、線も細い。
 
間違いなく「受け」だ。
 
 
彼は本当にアラブを愛していたらしい。
 
最後までアラブの独立のために尽くすが、英仏の密約によってアラブは分割され、ロレンスは失意のうちに帰国する。
 
 
帰国してからは官位を返還して、戦車部隊に入隊したりしたらしい。
 
すでに大変な英雄であったにもかかわらず。
 
その辺が、彼が後世においても人気がある理由なのかもしれない。
 
 
 
しかしロレンスもイギリス人である。
 
自分の信念を絶対に曲げない。
 
 
死の砂漠といわれるネフド砂漠を横断したとき、部隊のひとりがはぐれてしまう。
 
 
「あいつは死んだ」
 
「もうダメだ。あきらめろ。あいつはここでアラーに召される運命だっのだ」
 
 
しかしロレンスは敢然と言い放つ。
 
 
「運命は自分で切り開くものだ」
 
 
他のベドウインが制止するにもかかわらず、ロレンスは単身、救出のために引き返す。
 
すでに水は尽き、乾きで部隊は全滅しかかっていた。
 
そして数時間が経過したとき、砂漠を見つめていたひとりの少年が叫ぶ。
 
 
「ロレンスだ!」
 
 
しかし画面にはなにも見えない。
 
少年がラクダを走らせる。
 
その先の、蜃気楼の彼方の地平線に、小さな黒い点がポツリと浮かび上がる。
 
 
ロレンスは生還した。
 
そして彼を諫めた首長に言う。
 
 
「言っただろ。運命なんてないんだ」
 
 
ロレンスは今の日本人と変わらない現代人だった。
 
そしてアラブのベドウインたちは今よりもずっと迷信がかった人たちだった。
 
写真を撮られると魂を奪われると思っている男がいる。
 
その男は戦場では勇敢だったが、いざ戦闘が終わると、単なる盗賊に成り下がった。
 
ロレンスは自伝でも、そのことを嘆いている。
 
 
 
この映画は彼の自伝をそのまま映画にしたものらしい。
 
だから全体にイギリスに都合よく描かれている。
 
 
 
イギリス政府はロレンスの人気を利用した。
 
そして彼を英雄にして持ち上げ、イギリス軍の正当性を主張した。
 
イギリスにとってはスエズ運河が死活的に重要だった。
 
だからトルコ(ドイツ側)にアラブを占領されるわけにはいかなかった。
 
イギリスはアラブの独立など、最初からどうでもよかった。
 
 
 
ダマスカスを占領したアラブ軍は統率を失って、もとの「烏合の衆」に戻ってしまった。
 
そして市政を運営することもできないまま、街は荒れ果て、ついに砂漠に去っていく。
 
 
今でも中近東に内戦が絶えないのは、こうした部族同士の不信が根強く残っていることが、大きな理由のひとつである。
 
今は石油が出るからいいものの、当時のアラブ人には、本当になにもなかった。
 
時代に取り残された人々だったのだなあと実感した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『風と共に去りぬ』 2007年12月04日13:50
 
 
「風と共に去りぬ」を観た。
 
今まで断片的に何度か観ていたんだけど、通しで気合い入れて観たのは初めて。
 
気丈で自己中心的なスカーレット・オハラは美しく、北部出身の大金持ちだが素性が知れないナゾの男、バトラー船長は、どこまでも粋でかっこよかった。
 
 
 
ストーリーは有名なので省略するとして、この映画、現在では人種差別問題のために、公共の場で上映されることが自粛されているそうだ。
 
観ていてその理由がよくわかった。
 
土地柄、黒人奴隷が多く登場するのだ。
 
 
「早くしないと、オマエなんか、売り飛ばしてしまうよ!」
 
 
といったセリフがあちこちに飛び出す。
 
しかし全体にそんなにひどい差別的な場面はなかったが。
 
 
 
 
それよりも興味深かったのは、南北戦争後のエピソードだった。
 
いままで貧相な農夫だった男が、北部の連中に取り入って、大金持ちになる。
 
一方で古くからの大地主は一文無しになる。
 
 
 
 
安岡章太郎『アメリカ感情旅行』岩波新書
 
という本は、南部に半年ほど住んだ安岡氏の、かなり主観的な旅行記である。
 
この人の相変わらずの「卑屈さ」が、けっこう面白いのだが、この本によると、現在でも南部の大きな工場は北部の資本がほとんどだそうで、
 
「南部は労働者を提供するだけで、利益はみんな北部か持っていく」
 
と言って人々が怒っているそうだ。
 
「南部の男は紳士だが北部の男はならず者」
 
というようなシーンは、この映画にもあちこちに出てくる。
 
女に気安く声をかけるのも北部の悪弊として出てくる。
 
つまり私たちがアメリカ人の「フランクさ」と思っているのは、本来北部のヤンキーの習慣らしい。
映画「イージーライダー」のヤンキーが南部で射殺されるのも、そういうシガラミが関係しているのかもしれない。
 
 
 
 
私たちはなんとなく、南北戦争というのは、
 
 
「南部の奴隷賛成派と北部の奴隷解放派の戦争で、黒人のための正義の戦争で、従って北部の方が正しい」
 
 
というような印象が強い。
 
実際、リンカーンが奴隷解放宣言をしている。
 
しかしリンカーンが黒人を解放して自由民にしようと考えていたかというと、そうでもないらしい。
 
彼は黒人たちをアフリカに送り帰そうと考えていたらしいのだ。
 
 
西アフリカにリベリアという国がある。
 
ここはアメリカが、黒人奴隷を送り返すために買った土地である。
 
主都は買ったときの大統領モンローの名前をとって「モンロビア」という。
 
これは表面的にはいいアイデアのようでもある。
 
しかしこうも考えられる。
 
リンカーンは純粋な白人国家を目指していたのではないかと。
 
またリンカーンは、この戦争を白人の問題だと考えていたらしい。
 
彼は最初、黒人の志願兵を断っているのである。
 
 
 
 
この戦争は決して正義の戦争などではなかった。
 
むしろ北部と南部の白人同士の利権争いの戦争と考える方がいい。
 
北部は産業革命による工業化が進んでいた。
 
北部にとっては南部の広大な市場開放が、南部にとっては奴隷制度と特権の維持が、この戦争の目的だった。
 
黒人解放は、北部の大義名分に過ぎなかった。
 
北部の資本家も黒人を本当に解放しようなどとは考えていなかった。
 
なぜなら彼らは最終的に、南部の地主と結託して、黒人の地位向上を阻んだからである。
 
黒人は奴隷から小作農に変わっただけで、基本的な搾取形態は変わらなかった。
 
黒人の地位が南部で低ければ、北部でも黒人の賃金は低く抑えられ、それによって白人労働者の賃金も相対的に安くなるからである。
 
だから南部を脱走した黒人たちは、北部を素通りして、さらに北のカナダを目指している。
 
今でもカナダは、アメリカと比べて黒人の割合が高いのはそのためである。
 
 
 
そんなことをいろいろと考えていくと、南部の人々が少々不憫でもある。
 
北部の大義名分が、そのまま歴史的事実として定着してしまっているのだ。
 
いつの世も「勝てば官軍」なのだ。
 
 
 
ちなみに、スカーレット・オハラの生家はアイルランド出身だった。
 
アイルランドは、イギリスの最初の植民地である。
 
ジャガイモしか採れないような土地の痩せた国である。
 
そのジャガイモも、1840年代に疫病が大発生して壊滅。
 
餓死者が続出して、人々はアメリカに移住した。
 
オハラ家がその末裔という設定なのかどうか知らないが、イギリス人に搾取されていた人々がアメリカに来て、今度は黒人を搾取するという、なんだかやりきれない構図が一方で伺えるのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヨーロッパの石文化 2007年12月01日18:21
 
 
この間、高円寺のチュ氏の家で「世界不思議発見!」を見ていた。
 
ブルガリア特集だった。
 
森の中に石造りの教会がある。
 
そこでチュ氏がボソリと言った。
 
 
「なんでこんなに木がたくさんあるのに、石で家建てるのかな?」
 
 
確かにその通りだ。
 
ヨーロッパは森林がいくらでもあるのに、建物はすべて石造りである。
 
 
 
なんでだろうか?
 
そのあとしばらく考えてみた結論を書こうと思う。
 
 
 
かつて千年以上前は、西洋は世界でも遅れた後進地帯だった。
 
「暗黒の中世」という言葉があるように、文化レベルはイスラム社会とは比べものにならないほど低かった。
 
今回の旅行でマドリッドのプラド美術館に行ってみた。
 
ベラスケスやエルグレコの豪華絢爛な絵画が並んでいる一方で、目立たない隅っこに「13世紀以前の絵画」(確か)という一室があった。
 
誰もいない、さほど広くない部屋に、いくつかの絵が飾ってある。
 
 
 
その絵は、まるで「ラスコーの壁画」だった。
 
 
子供が書いたような稚拙な絵が、いくつか並んでいた。
 
さっきまで見ていたスペインが誇る巨匠たちの油絵とは、比べものにならない。
 
「暗黒の中世」とは、本当に暗黒だったのだと、私はその時実感したのだった。
 
 
 
西洋が復興を果たすのは、ルネサンス以降だが、その契機となったのは十字軍だった。
 
十字軍は、世の中に宣伝されているような、颯爽とした白馬の騎士団などというものではなかった。
実際には食い詰めたならず者と乞食の集団だったという。
 
それらが沿道の村々を殺戮しながら南下していったのが十字軍なのである。
 
当時世界でもっとも先進的だったイスラムの人々にしてみれば、
 
 
「北の野蛮人が攻め込んできた」
 
 
と思ったことだろう。
 
だから十字軍で多くを学び、得をしたのは、西洋人なのである。
 
たとえばギリシャローマの数学書や哲学書は、カイロやバグダッドに運ばれてイスラム学者によって研究されていた。
 
十字軍は、それを持ち帰り、アラビア語からラテン語にもう一度翻訳した。
 
そして千年前の自分たちの祖先が、すばらしい文化を持っていたことを再認識したのである。
 
それがルネサンスだった。
 
 
 
 
スペインでもうひとつ驚いたことは、トレドというもっとも古い町に残る、14世紀頃に建てられた教会だった。
 
その建築は、ヨルダンに残るローマ時代の遺跡と「うり二つ」なのである。
 
西洋人は文字通り、千年前のローマ文化の「再生」を目指した。
 
それは同時に宿敵であるイスラム文化に対するアンチテーゼでもあった。
 
 
今でもヨーロッパ各地に残る石造りの建物もローマ時代の建築を継承している。
 
西洋の建物が木造ではなくて石造りであるのは、ルネサンスが大きく影響しているのだと思う。
 
 
 
 
その後、西洋は大西洋を横断してアメリカ大陸に到達する。
 
確かに偉大な冒険である。
 
しかしそれが、実は彼らの消極的な選択の結果であることはあまり知られていない。
 
 
 
当時はオスマントルコが大国だった。
 
インドからの香辛料貿易は、トルコががっちりと押さえている。
 
後進の西洋は、トルコに戦争を仕掛けても負ける。
 
だから彼らはトルコを迂回するようにアフリカ大陸を南下したり、大西洋を横断したりして、「トルコを避けながら」インドを目指したのだった。
 
 
 
そして「新大陸」を発見した彼らはインディオと黒人奴隷を酷使して、富を蓄え、いつしかイスラムを上回る力をつけていく。
 
新大陸での彼らの収奪のすさまじさは、ラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』にくわしい。
 
西洋人が現在、先進国だと言って威張っていられるのは、無数のインディオと三千万人とも言われる黒人奴隷を、家畜のように収奪した結果なのである。
 
教科書が教えてくれない歴史は確かにあるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西部劇の金字塔『駅馬車』 2007年11月29日20:00
 
 
次に見たのがジョン・ウエインの「駅馬車」(1939年制作)。
 
今でも評価が非常に高い西部劇の名作である。
 
 
 
南北戦争後のアメリカ、アリゾナ州の砂漠地帯を駅馬車で旅する人々の人間ドラマ。
 
とある町にたどり着いた駅馬車一行は、
 
 
「この先アパッチ族が出没している。気をつけろ」
 
 
と警告される。
 
旅客たちは逡巡しながらも先に進むことを決意する。
 
旅人にはそれぞれの事情がある。
 
大金を運ぶ銀行の頭取。陸軍大尉の夫を捜す婦人。売春婦。ヨッパライの医者。プレイボーイのギャンブラー。保安官。お尋ね者のガンマン。
 
その間に婦人に子供が生まれたり、仲違いがあったりと、小さな事件は起こるものの、インディアンの襲撃もなく、旅は続く。
 
そしてようやく目的地の町に到着するという直前に、ついにアパッチ族の襲撃が。
 
壮絶な撃ち合いの後、あわや全滅かというところで、ラッパの合図とともに騎兵隊が登場。
 
アパッチ族は蹴散らされ、人々は無事に町にたどり着くことができた。
 
そして旅客たちは、それぞれの人生を歩み始める。。。。
 
 
 
ちょっとだけ「十二人の怒れる男」のテイストもあり、それぞれの人間模様がなかなか面白かった。
そしてジョン・ウエインのさりげない伊達男ぶりがまたカッコイイ。
 
しかし一方で、この映画を観て、
 
「なるほど、そうだったか」
 
と気づいたことがある。
 
 
それはアメリカ白人にとって、「インディアンの襲撃」が竜巻や猛獣の攻撃といった「天災」と、たいして変わらないのだということである。
 
 
この映画において「インディアンの襲撃」は、「観衆の不安を煽る」という効果以外には、なんの意味もない。
 
たとえばそれを、
 
「今の時期は落雷や竜巻が多発するから、行くのはやめた方がいい」
 
とか、
 
「数日前にこの先で、旅人がヒグマに襲われた。気をつけろ」
 
というように設定を変えたとしても、なんの不都合もないのである。
 
 
 
この映画の最初から最後まで、「なぜアパッチ族が襲撃してくるのか」という理由はいっさい語られない。
 
白人たちの間に、
 
「インディアンは襲ってくるもの」
 
という、暗黙の了解ができあがっているかのようだ。
 
 
 
前の日記で書いた「ダンス・ウィズ・ウルブス」という映画では、見渡す限りの原野一面に、無数のバッファローの屍体が転がっているのが、とても印象的なシーンだった。
 
バッファローは皮をはぐためと、牛脂を燃料にするために殺されたというが、しかしもうひとつの隠された理由があったという。
 
 
今読んでいる『脱牛肉文明への挑戦』によれば、本当の理由は、これを最大の糧とするインディアンへの「兵糧攻め」だったという。
 
実際、バッファローが消え去ると同時に、インディアンの抵抗もなくなり、彼らは居留地に追いやられて、広大な原野にはヨーロッパ産の牛が放牧された。
 
 
前回の日記で「白人にはある種の「後ろめたさ」がある」と書いたけれど、要するにそういうことなのである。
 
だからインディアンを一方的な悪者として、これを討伐することに大儀をこじつけるしかなかったのである。
 
 
 
今ではこういう一方的な差別映画は作られることはなくなり、この映画もその差別的な内容から、公共の上映はできなくなったらしい。
 
しかし戦前という時代は、こういう映画が平気で作られる、つまり人種差別に対して誰も声を上げることができない、とてもキビシイ時代だったのである。
 
歴史学者の宮崎市定教授は、こう言っている。
 
 
「今日でも人種的偏見がなくなったわけではない。しかし現今の若い人たちは皮膚の色をそれほど気にしないですむ幸福な境遇に初めから生まれている。しかし前世紀(十九世紀)の半ばにはまだそうではなかった。当時の日本人はそういう不合理な世界的な風潮にたいしてそれこそ身命を賭して戦ってきたのである」
 
 
我々が今の時代に生きていることは、本当に幸せだと、みんな再認識しないといけないと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ラストサムライ」と「ダンスウィズウルブス」 2007年11月29日00:07
 
 
「ラストサムライ」を観た。
 
映画としてはそれなりに面白かったです。
 
「長篠の合戦」のようなスペクタクルなラストシーン。あるいは三島由紀夫事件を思わせる切腹シーン。
 
かつての「ブラックレイン」と比べても、日本の風習をかなり正確に捉えていて、つまり中国との混同がほとんどなくて、そういう意味で「よくやってくれました」と賞賛したい。
 
 
 
しかしこの映画、十数年前にヒットした「ダンス・ウィズ・ウルブス」という映画と、ストーリー展開がものすごく似ている。
 
というより、ほとんど同じと言ってもいい。
(この記述は旅日記にも書いたんですが、改めて書きます)
 
 
 
 
簡単なストーリーを説明しましょう。
 
 
かつての南北戦争の英雄だった主人公のトム・クルーズは、罪もないインディアンを虐殺した罪悪感でアル中の陸軍大尉。
 
彼を、開国間もない明治日本が、西洋式軍隊の練兵指導者としてスカウトする。
 
来日したものの、司令官(かつての上司の大佐)の軽はずみな作戦で、いまだ山中に潜伏する尊皇攘夷の武士団の捕虜となり、その村に抑留される。
 
一年ほど過ごすうちに、彼は日本人の美徳、武士道といったものを深く愛するようになる。
 
そして近代兵器を装備した政府軍と、古式ゆかしい騎馬軍団との最後の決戦が始まる。。。
 
 
 
日本の山里の風景や暮らしが美しく描かれていて、そこで暮らす武士たちの礼儀作法、武術、生死観などもかなり正確。
 
今までのハリウッド映画みたいに、いきなり指を詰めたりするような、西洋人の異文化に対する偏見を満たすだけとも受け止められるような奇矯な場面もないし、そういうところは時代考証がとてもしっかりしていた。
 
 
 
ところで本論である。
 
この映画、「ダンス・ウィズ・ウルブス」と本当によく似ている。
 
美しいインディアンの娘は、この映画では小雪が演じている。
 
勇敢で威厳に満ちた酋長は、渡辺謙の首領。
 
そこに紛れ込んだケビン・コスナーもトム・クルーズも、西洋陸軍の主流からあぶれた変わり者である。
 
 
 
そして根底に流れるテーマもそっくりなのだ。
 
いずれも滅び行く古い文明に対する悲哀に満ちあふれていること。
 
そして自分たちが、やがては破壊してしまう人々に対する憐憫。
 
最後に「しかしやっぱり強い者が勝って当然」という自己正当化の論理である。
 
 
 
映画の中で、武士団の頭領の息子が、憲兵隊に捕まり、廃刀令に従ってマゲを切り落とされるシーンがある。
 
少年は切り落とされる瞬間、天に向かって「やめろおおおおおお」と泣き叫ぶ。
 
古き良き日本の伝統が、西洋の文明開化によって踏みにじられ、葬り去られる。
 
それは強烈な悲哀に満ちたシーンである。
 
 
しかしそのシーンは、たとえば拒絶した少年が、憲兵隊と大立ち回りを演じてもよかったはずだ。
あるいは「いっそマゲを切られるくらいなら」と、その場で切腹してもよかったはずである。
 
 
「憲兵隊にマゲを切り落とされる」シーンは、有無を言わさぬ西洋化と、それに従うしかない日本人の表象である。
 
 
そこには日本が強権的な西洋化によって「変わらざるを得なかった」、あるいは「変わらなければならなかった」というメッセージが込められている。
 
 
さらに言えば、
 
「日本人がマゲを切り落とさなければ、近代化はできなかったはずである」
 
「恥を忍んでマゲを切り落としたことで、日本はこんなに豊かになった」
 
という西洋人の暗黙の自己正当理論が潜んでいる気がする。
 
 
 
「日本人には申し訳ないことをした。しかし日本は西洋化しなければならなかったのだ。なぜなら西洋文明がもっとも優れているからである」
 
 
 
そういう彼らの、ある種の「エクスキューズ」が込められているように、私には思える。
 
 
ラストシーンで、渡辺謙扮する武士団の頭領は、最新兵器のマシンガンの前に崩れ落ちる。
 
「介錯を頼む」
 
と言ってトム・クルーズに脇差しを渡し、腹を突かせる。
 
そして「最後のサムライ」は潰え去る。
 
やはり強い者が勝つのである。
 
彼らが信奉する科学技術の前には、いかに高尚な武士道という精神論も無力なのである。
 
そういうアメリカ人の現実主義、合理主義、実力主義が見える。
 
これらのことはもちろん「ダンス・ウィズ・ウルブス」にも共通するテーマである。
 
 
 
残念ながら出典は忘れてしまったんだけど、アメリカ人にとって「フロンティア」と「インディアン」は切っても切り離せないものらしい。
 
西部開拓には、征服するべき「悪」のインディアンが不可欠なのである。
 
なぜなら征服者である彼ら西洋人には、いつもある種の「後ろめたさ」がつきまとっているからである。
 
そこに「悪者のインディアンを討伐する」という大義名分が必要になる根拠があるというのだ。
 
そしてフロンティアがなくなったとき、アメリカは今度は太平洋征服に乗り出す。
 
ハワイを攻略し、米西戦争でフィリピンを奪い取る。
 
次は日本である。
 
だから日本とアメリカは、いつか戦わなければならない運命にあったと言われる。
 
 
結局インディアンもサムライも、彼らが征服しなければならなかった「蛮族」にすぎないのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ライオンキング」ってどうよ 2007年11月27日15:54
 
 
10年くらい前に、
 
「手塚治虫の「ジャングル大帝」のパクリじゃないのか」
 
と物議を醸したディズニーの「ライオンキング」。
 
今回ヒマだったので初めて観た。
 
 
 
 
内容はまったく子供向けの勧善懲悪。
 
客観的に言っても、環境問題や人類と自然の共存がテーマだった「ジャングル大帝」の方が、作品としてはるかに優れていることは明らかだった。
 
 
 
しかしこの映画、アメリカという国の理想をそのまま体現していることがよくわかった。
 
 
 
内容をざっと説明すると、主人公は子ライオン。
 
父親は百獣の王で、周辺のあらゆる動物を従え、善政を敷いている。
 
その弟ライオンが悪賢いヤツで、やはり悪党のハイエナと組んで、兄の王様を謀殺し、その罪を子ライオンに着せる。
 
子ライオン(名前も忘れてしまった)は流浪の旅に出たが、いつしか強くたくましくなって王国に戻ってくる。
 
そして悪者たちを誅殺してハッピーエンド。
 
 
 
他愛のない物語である。
 
 
しかしそこで強烈に描かれているのは、アメリカで理想とされる「正しい父親像」のようだ。
 
 
 
強くたくましく、威厳があり、社会的地位も高く、常に正義で、卑怯を許さない。
 
 
 
冒頭に、王様ライオンが、動物たちに祝福されながら、岩の頂上で妻と幼い子供を慈しんでいる、ある意味で「虫ずが走る」ようなシーンがある。
 
 
妻を愛し、子を愛し、家庭を愛する。
 
そして誰にも慕われ、威厳のある完全無欠の父親像なのである。
 
こんな父親がアメリカにいったい何人いるのかなあ?
 
 
 
確かに、離婚率が高いアメリカで、「家族愛」がことさら強調されるのもわからないでもない。
 
しかし「自分がよき夫で、よき父親で、よき社会人であることを信じて疑わない」というのは、ある意味でものすごく自制的なパフォーマンスだろう。
 
 
その昔クリントンの不倫騒動が大問題になったが、アメリカはそういうことにものすごくキビシイ。
 
VIPな人々は、日本よりももっともっと倫理観が求められている。
 
 
そこにアメリカ人の理想像「正しい父親はこうでなければならない」という強烈な自負があることは間違いない。
 
そしてそれが正義であると信じて疑わない。
 
 
それはそのままアメリカという国家像にも投影されているだろう。
 
 
 
アメリカという国家は、常に正義でなければならない。
 
強くたくましく、威厳があり、卑怯を許さない。
 
 
 
アメリカ人だけはそれを信じて疑わない。
 
 
そういう意味で、この映画はアメリカのナショナリズムを見事に投影していると思われる。
 
そしてこの映画を観た子供たちも、それを信じて疑わなくなり、アメリカ的ナショナリストが量産されるのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
痛い映画「パッション」 2007年11月25日20:58
 
 
近所のレンタルビデオ屋が、「一週間レンタル80円」という、あり得ないセールをやっているので、さっそく大量に借りてきた。
 
 
借りてきたのは「普段、借りようと思わない映画」がメインである。
 
以下に列記すると、
 
 
・駅馬車
・ニューシネマパラダイス完全版
・ラストサムライ
・パッション
・ライオンキング
・7イヤーズ・イン・チベット
・ラストエンペラー
 
 
そんでさっそく見たのが「パッション」である。
 
この映画、オーストラリア人の俳優メル・ギブソンが監督している。
 
イエス・キリストがユダヤ人の宗教裁判にかけられてから磔刑にされるまでを克明に描いた作品ということで、公開当時評判になった。
 
会話もアメリカ映画のほとんどが英語であるにもかかわらず、ヘブライ語とラテン語で押し通している。
 
 
内容は聖書のエピソードをある程度知らないとチンプンカンプンである。
 
登場人物が誰なのかもわからない。
 
もちろんキリスト教徒は知っているんだろうが、東洋の異教徒には予備知識がないとつらいものがある。
 
私はちょっとだけ勉強したので少しはわかる。
 
 
 
ローマ総督ピラトは、イエスの処刑に消極的だったこと。
 
十二使徒のユダがイエスを裏切ること。
 
姦通して投石される女をイエスが助け、群衆に向かって「オマエたちの中で罪のない者だけが石を投げよ」と言ったという逸話。
 
十字架を運ぶイエスの汗をハンカチで拭った女性。
 
イエスと並んで処刑された、ふたりの罪人の片方がイエスを受け容れ、片方が「奇跡を起こしてみろ」と悪態をついたというエピソード。
 
 
 
そういう話を少し知っていると、なるほどとうなずけるシーンが出てくるのだが、知らないとなんだかさっぱりわからない。
 
 
 
そんなことよりも、この映画、ものすごく痛い。
 
そのへんのスプラッター映画なんか比較にならないほど痛い。
 
 
 
イエスは磔にされる前にむち打ちされるんだが、それがもう見ていて堪えられないほど痛々しい。
背中の皮がむけたその上を、さらにカギのついたムチで叩くので、最後はあばらが骨が見えている。
足の甲の上から鉄の楔を打ち込む。
 
見ていてあまりに痛々しくてスキップしようかと思ったくらい。
 
 
ここまで残酷にするかよ。西洋人はサディストか?
 
 
という感想は、実は正確ではない。
 
キリスト教徒にとっては、イエスが苦痛を受ければ受けるほど有り難いのだ。
 
イエスの受ける痛みが大きければ大きいほど、イエスが背負ってくれた罪は大きくなる。
 
つまりイエスの功徳を高めるためには、「これでもか」という苦痛が必要なのである。
 
 
 
もうひとつ気づいたことは、この映画ではイエス以外はほとんどが悪役なんだが、彼らの多くはユダヤ人とローマ兵なのである。
 
 
善玉はマリアと他若干名。
 
十二使徒でさえ、イエスを裏切って逃亡する。
 
もちろんこれらは聖書に書かれているエピソードを再現したに過ぎないのだが、群衆の憎々しさ、悪党面は、制作者の悪意すら感じる。
 
 
 
さらに穿った見方をしてみよう。
 
 
この映画を制作したメル・ギブソンというオーストラリア人、また配給元であるハリウッド映画会社関係者の大多数はプロテスタントである。
 
プロテスタントは主に、ゲルマン・アングロサクソン系の人々に信仰されている。
 
つまりここに登場するユダヤ人やラテン人とは違う人々なのであり、そういう意味で、どれだけ群衆が悪党に描かれても、誰も痛痒を感じないわけだ。
 
 
そういう意味でこの映画は、ユダヤ人やイタリア人に対する配慮に、少々欠けた映画とも言えるだろうか。
 
逆にいうと、アメリカ人やオーストラリア人という新大陸の脳天気なプロテスタントが作った、ある意味で非常に自己満足な映画とも言えるのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
混迷するパキスタンを考える 2007年11月24日16:44
 
 
パキスタンの政情不安が続いている。
 
ブット元首相が帰国して軟禁され、一月に総選挙をひかえて、ますます混迷しているようだ。
 
 
しかし読売の記事を通読していると、パキ市民の世論が意外にも冷めているのが印象的だ。
 
そこには「権力者同士の癒着に対するあきらめ」が、色濃く浮かび上がっている気がする。
 
 
 
 
途上国の国家元首というのは、だいたい前職が汚職で摘発されて起訴され、無罪放免されるというパターンを繰り返す場合が多い。
 
図式化すると、
 
 
 
政権交代
前職の大統領が汚職で逮捕
起訴
有罪判決
恩赦で無罪放免
 
 
 
というパターンである。
 
フィリピンもペルーも、韓国でさえも、こういう出来レースとしか思えない「形だけの弾劾」が繰り返し行われるのだ。
 
 
ブット元首相は帰国直後はカラチで熱狂的に迎えられた。
 
しかし爆弾テロが起きて暗転する。
 
元首相の姪(ジャーナリスト)は、
 
 
「テロが事前に察知されていたのに、自分だけは防弾ガラスの車に乗って、凱旋パレードを強行した」
 
 
として激しく糾弾していた。
 
最近では、他の政治犯と比べて、元首相の軟禁という措置が手ぬるいことから「出来レースではないか」という疑惑が市民の間に起こっているらしい。
 
最近の元首相の呼びかけで集まったラホール市民は100人足らずでしかなかったという報道もある。
 
 
ブット元首相とムシャラフの連立には、米英の圧力が相当あったらしい。
 
ムシャラフ政権がぶっ倒れると、五十発もの核ミサイルをもつ国が、テロリストを支持する保守政権に委ねられる可能性がある。
 
アメリカとしては、それだけはなんとしても避けなければならない。
 
とは言ってもムシャラフは、この間のマドラサ(イスラム神学校)強硬突入で数百人も市民を殺しているので支持が得られない。
 
自分に不都合な最高裁の判事を全員クビにして(これもよく考えたらすごいよな)、さらに支持を失った。
 
そこでブット首相を送り込んだということらしい。
 
 
 
ブットとムシャラフは反目しながらも、アメリカの思惑を背負っているという点では、まったく変わらない「同じ穴のムジナ」なのである。
 
 
 
 
ここで同じく軍事政権のミャンマーと比較してみよう。
 
あいつらは中国とインドの息のかかった政権である。
 
だからアメリカとはとことん敵対している。
 
 
そしてアメリカの利権を代表するのがスー・チーさんである。
 
この間の週刊ポストに、元ミャンマー大使の手記が掲載されていた。
 
 
「(この間の大規模な)デモを行っているのはいわゆる一般市民ではなく、言葉は悪いですが、その多くは無頼漢や与太者、失業者などで、NDL(スーチーさんの政治団体)から金銭の提供を受け、動員されているのは事実なのです」
 
「スー・チー女史がアメリカから、資金的、物的な援助を受け、さらに政治的な指示を仰いでいる」
 
「軍政打倒を叫ぶスー・チー女史の口から具体的な国家ビジョンを聞いたことは一度もありません」
 
 
 
ノーベル平和賞まで受賞した、この人が、私たちが思い描いているような「義」の人ではないのではないか、という疑惑がおこらないだろうか。
 
同じくノーベル平和賞を受賞したヤセル・アラファトというおっさんが、実は何十億円も不正蓄財していたことが死後になって判明した。
 
ノーベル賞の受賞基準なんてアヤシイものなのだ。
 
 
 
これまでミャンマーが、国際的にたいして問題にならなかったのは、単にアメリカにとって軍事的にも経済的にも、まったく重要でなかったからに過ぎないという。
 
 
その点パキスタンは、ビンラディンが潜んでいるトライバルエリアを抱え、核兵器を持ち、しかもイスラム保守派にいつ取って代わられるかわからない、目が離せない国である。
 
アメリカはすでにムシャラフのパキ政権に10億ドルもの金をつぎ込んでいるらしい。
 
それらの金の多くが、権力者たちのフトコロに入ったであろうことは想像に難くない。
 
 
 
パキスタンのテレビの普及率は、いまだに10%に止まっているという。
 
金持ちだけがますます肥え太り、一般市民は、それこそイギリスに出稼ぎに行って、3K仕事でこき使われるくらいしか、出世の望みはないのである。
 
 
ギルギットで会った学生君が言っていた。
 
 
「政府はなにもしてくれないよ。パキスタンに併合されるんだったら、インドか中国にでも併合された方がよっぽどよかったよ」
 
 
世の中はクズな政権だらけだ。
 
そしてそのクズ政権が打倒されると、また次のクズ政権が取って代わる。
 
 
ガルトゥングという学者が「構造的暴力」という概念を提唱している。
 
先進国や多国籍企業が、途上国の政権や買弁資本家とべったり癒着して利益を吸い上げ、国内資本は育たず、国民は貧困に追いやられるという構図を言い表した言葉である。
 
日本のような世界のごく一部の国を除いた、ほとんどの国が、「構造的暴力」にさらされているのだということを、私は今回の旅行で思い知った。
 
 
そして改めて日本人に生まれたことに心から感謝していると同時に、ホッとしているのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再びミシュラン 2007年11月23日15:42
 
 
その後、新聞各紙はミシュラン特集を組んで、大々的に報道しているが、どうも批判的な記事が多いようだ。
 
 
たとえば朝日新聞。
 
ミシュランの三つ星評価を受けた店では、
 
 
「開店からずーっと電話が鳴りっぱなしで仕事にならない」
 
「年内の予約がいっぱいになってしまった。来年は常連さんのために予約は取らないことにした」
 
など、大変なことになっている一方で、奇跡的に予約が取れた三つ星のフランス料理店に記者が「覆面」で食べにいって、ふたりで五万円という高額に目をむいて帰ってくるという記事も紹介している。
 
 
ミシュランの取材に疑問を感じる店もけっこうあるようだ。
 
読売新聞によると、
 
 
 
「吸い物の微妙な味加減や、わびさびの空気をきちんと理解してもらえたという気はしない」
 
「カウンター中心の商売といわゆるレストランを同一基準で評価するのは疑問」(←つまり「店主と話しながら一杯やる楽しみもある」ということだろう)
 
 
 
さらには、「日本食に偏りすぎている」という意見もある。
 
「グルメの間でも焼き肉というジャンルは評価されている。なぜミシュランで外されたのか不思議だ」(某グルメガイド編集長)
 
 
確かに掲載されている二つ星以上のレストランには、和食店と中華、洋食店しかない。
 
あまたあるはずの焼き肉店、韓国料理店、タイ料理店、インド料理店などを網羅しないのは、少々疑問が残る。(そこにある種の差別と権威主義を感じるのは、私だけではないだろう)
 
というように、ミシュラン批判もけっこうあるわけだ。
 
 
 
でさ。
 
私も自分の権威を信じて疑わないミシュラン、というよりもフランス人の態度には腹が立つのですが、しかし一方で、
 
 
「吸い物の微妙な味加減や、わびさびの空気をきちんと理解してもらえたという気はしない」
 
 
という二つ星店主の言葉を、そのまま自分に向けられたとしたら、どうだろうかと思うんですよね。
 
「あんた、ほんとにこの肝吸いの味、わかってんの?」
 
と聞かれたら、
 
「すいません。わかりません」
 
と答える他ないですよね。
 
日本人だってそんなもの、わかんない人の方が多いんじゃないですか?
 
店主もそれはわかっているでしょう。
 
だから実は店側も、最初から、そんなことを外国人になんてわかって欲しいとも思ってないんじゃないのか、と。
 
さらには西洋人の方でも、「そんなことわかるわけないだろ」と思っているのではないか、と。
 
 
そういう風に考えると、ミシュランの判断基準が、
 
 
「欧米人を接待するのにいい店を選んだという感じ」
 
「内装やサービスなども評価したと思わせるような店もあり、評価にばらつきが感じられる」
 
 
という風に判断されるのも頷ける気がするのだ。
 
要するにフランス人には日本食の微妙な味わいとか「わびさび」なんてものは最初から理解できないし、する気もないのである。
 
それを前提にして、ミシュランが、
 
 
「味のよくわかんない欧米人でも楽しめる店をメインに網羅する」
 
 
という方針になったとしても不思議ではない。
 
実際、某老舗グルメガイドと比較すると、ミシュランの評価と重なる店は、四百数十店のうち五十店に満たないそうだ。
 
フランス人が選んだのは、しょせん「西洋人が喜ぶ店」なのである。
 
 
だからチャンカネ氏が指摘するとおり、もっとも笑われるべきは、この的外れな評価を有り難がって、予約の電話をかけまくっている、一部の「バカな日本人」であることはいうまでもない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミシュランにみる「フランスの驕り」 2007年11月20日15:51
 
 
ミシュランの東京版が発売された。
 
読売新聞では一面トップで報道している。
 
 
しかし今まで東京版が存在しなかったこと自体意外だった人も多いのではないだろうか。
 
私もそのひとりである。
 
そして世界中に、これだけ多くの高級日本食レストランがあるにもかかわらず、日本料理店の三つ星店がひとつもなかったことも意外に思われたのではないだろうか。
 
 
 
編集の総責任者のジャン=リュック・ナレ氏は、会見で、
 
「星の評価基準は欧米の基準と同じ。東京は世界に輝く美食の都」(読売新聞)
 
と絶賛したそうだ。
 
 
 
これに対して、三つ星評価を得た寿司店の店主は、
 
「これまでの精進が評価されたことは光栄だが、実感はまだわかない。日本食の伝統が世界に広まるのはいいこと」(同読売)
 
と、少々困惑気味に話しているそうだ。
 
 
 
この寿司屋のオヤジのコメントは、ミシュラン編集者の意識との乖離を顕著に表していて興味深い。
ミシュランが、
 
「自分たちの評価は絶対的な権威であり、世界最高の栄誉である」
 
と言わんばかりなのに対して、寿司屋のオヤジは妙に醒めているのである。
 
 
 
 
ところで今回は、一つ星、二つ星あわせて全部で150店が選ばれたという。都市別で世界最多だそうである。
 
しかしこの中で、みなさんいったい何軒の名前を知っているだろうか。
 
 
私はたった一軒しか知らなかった。
 
それは二つ星にランクされた「福田家」という料亭である。
 
なんでそんな店を知っているのかと言えば、私が通っていた大学の裏にあるからだ。
 
いつも黒塗りの高級セダンが停まっていた。
 
政治家御用達の高級料亭なのである。
 
 
一度、うちの大学の教授が、昼飯を食いに入ったそうだ。そして「ランチは五千円からになります」と言われて、早々に退散したという。
 
昼飯で五千も払えば、おいしくて当たり前だろう。
 
 
今後私の生涯で、このグルメガイドに掲載されている店のいずれかひとつでも、ミシュランのガイドをもって訪れることは絶対ないと、私はここで断言できる。
 
 
寿司は回転寿司で充分だし、フランス料理はたまの結婚式で充分である。
 
 
馴染みの居酒屋で、千円の鶏モツ鍋をつつきながら安い日本酒でも飲んでいる方がよっぽど気分がいい。
 
 
それはそうと、なぜ今頃になってミシュランは東京版を発売することにしたのだろうか。
 
この時期にわざわざ、一年半もかけて覆面取材を重ねた理由はなんなのか。
 
 
そう考えた時に、私はハタと膝を打った。
 
 
今や日本食は世界中で認知されるようになった。
 
西洋人でハシを自在に使いこなしている人は珍しくない。
 
旅先であったオーストラリア人夫婦は、
 
「家ではいつもミソスープを作って飲んでいるわよ」
 
と笑っていた。
 
日本食は我々が想像している以上に彼らの日常食となって定着しているのだ。
 
 
そしてもうひとつ。
 
昨今の円安ユーロ高のおかげで、ヨーロッパでは日本旅行ブームだそうだ。
 
スペインでは日本ツアーが頻発していて、旅行者数は急増しているという。
 
 
 
つまりこういうことなのである。
 
 
ミシュランは日本人の便宜なんてハナから考えていないのだ。
 
彼らが対象としているのは、あくまでも、日本食ブームとユーロ高を背景に日本を訪れる西洋人なのである。
 
つまり彼らのお客様はあくまで「西洋人の金持ち」なのであって、日本人など最初から眼中にないでのはないか、と。
 
 
 
フランスという国は、日本人旅行者の間で評判が悪い。
 
日本人に対して驕慢な態度をとる人が多いそうだ。
 
フランスは歴史上、いつもアングロサクソンの風下に立たされ、アタマを押さえつけられてきた。
フランス人にとって米国は、憎悪と畏敬、侮蔑と憧憬の対象なのであるという。
 
こういうコンプレックスを持つ連中が、格下の者を軽蔑する傾向が強いことは容易に想像できる。
フランス人にとっては、アメリカは歯が立たないけれど、極東の新興成金国家、日本など、サルにも等しい下等な連中なのに違いない。
 
 
冒頭の編集者の言葉は、彼らの考え方を顕著に表している。
 
このおっさんの言葉を裏返してみれば、こうなるだろう。
 
 
「日本になんて、どうせろくな食い物はないだろうと思っていたけど、意外にうまいものがたくさんあってびっくりしたよ。これなら我々西洋人の口にもあいそうだ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
悲しき「サイドワインダー」 2007年11月19日14:45
 
 
この間の日記で、牛について話が出たついでに、今読んでいる、
 
ジェレミー・リフキン「脱牛肉文明のへの挑戦」ダイヤモンド社
 
に面白い話が書いてあるので紹介しよう。
 
アメリカの肉牛は、家畜として、それはもう悲惨な状態にあるそうだ。
 
 
耳には一定間隔で成長ホルモンが投与されるペレットが埋め込まれ、農薬で汚染された牧草を食い、定期的にセスナ機で厩舎の上から消毒剤を散布される。
 
ダンボールや新聞紙、ブタのうんこや鶏糞の混ざった飼料を作る実験も行われている。
 
セメントを食わせると体重増加率が3割アップするという。
 
さらには安価な人工飼料としてプラスチックを食わせて、と畜後に腹からこれを取り出し、もう一度飼料に使うという、わけのわからない実験も行われているそうだ。
 
 
 
悲惨である。
 
 
牛に対する愛もクソもない。
 
そして、そうやって大きく育てられた牛は、最後にはこうなる。
 
 
「五〇〇キロの「理想」体重にまでたっぷり太ると、肉牛たちは巨大なトレーラーに乗せられる。彼らは身動きもできないほどぎゅう詰めに荷台に押し込まれる。食肉解体場まで旅はしばしば荒っぽく過酷なので、ウシが転倒したり跳ね上がったりして足や骨盤を折ってしまうことは珍しくない。 (中略) ウシたちは休憩も栄養補給も、時には水さえも与えられずに、州間高速道路を何時間も、あるいは何日もかけて輸送される。旅が終わると、無傷のウシは巨大な食肉解体複合施設の畜舎に収容される。しかし、ダウナー(立てなくなったウシ)たちはトレーラーから降ろされるまで何時間も待たなくてはならない。これらのウシはしばしば激痛に苦しんでいるのだが、安楽死させたり麻酔をかけたりすることはめったにない」
 
 
そして最後は、チェーンをかけて引っ張り出され、他のウシと同じく解体場に運ばれるのである。
 
 
ああ。なんと悲しき牛たちだろうか。
 
アメリカ人には食肉に対する感謝の気持ちなどないのだろう。
 
なぜなら牛は、人間が食うために神が与えたもうた「お恵み」だからである。
 
人間には牛を食う「天与の権利」が備わっていると、彼らは考えているのである。
 
 
 
最後に悲しき「サイドワインダー」の話をして終わりにしよう。
 
 
「サイドワインダー」というのは、現在ではアメリカ製の熱誘導ミサイルのことを指すのだが、かつては「ある種の処理」を施された雄牛のことだったという。
 
雄牛のチンポを無理やり引っ張り出して、脇腹に縫いつけるのである。
 
そうするとこの雄牛は年中、勃起していることになる。
 
発情期の始まったメスを見つけると、すかさず背後から後尾しようとする。
 
要するに次の「タネつけ」が可能になった雌牛を見分けるために、雄牛にそんな過酷な処理を施すのである。
 
 
つまり「サイドワインダー」とは、
 
「(チンポが)ひん曲がった(情けない)ヤツ」
 
という蔑称だったのである。もっと意訳すれば、
 
 
 
「ヨコチン野郎」
 
 
 
人間様のためとはいえ、ここまでひどい仕打ちをされた雄牛には、同情するしかない。
 
そして牛に、ここまでひどいことをしながら、
 
 
「クジラは食うな」
 
「イヌは食うな」
 
 
と他人の食文化を非難するのは、まったくもって笑止千万なのである。
 
西洋人は「自分のことを棚に上げる」のがとても上手な人たちである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
捕鯨問題にひと言〜その2 2007年11月17日22:06
 
 
腹が立つので、もう一回、続きを書こうと思う。
 
 
捕鯨禁止運動も問題だが、私はやつらの「動物愛護」という考え方にも疑問を感じる。
 
以下その理由を説明しよう。
 
 
西洋人はとにかく「イヌ好き」である。
 
だから今回の旅行で初めて足を踏み入れたヨーロッパ、スペインとポルトガルでも、犬を連れて歩いている人をよく見かけた。
 
しかし彼らをよく見ていると、日本人の「イヌの散歩」とは趣が大きく異なることに気がついた。
 
 
なにが違うのかといえば、「イヌの散歩」がご主人様の都合で行われているということである。
 
たとえばスペインのマドリッド。
 
犬を連れた上品そうなご婦人をよく見かける。
 
イヌもよく手入れされて毛並みがいい。
 
彼女たちはたいがい、街路のカフェで優雅にコーヒーやワイングラスを傾けながら、友人たちとおしゃべりに興じている。
 
その間、イヌはじっと、ご主人様の談笑が終わるのを、辛抱強く待っている。
 
 
 
スペインでは(おそらく西洋全般でも)よく見かける風景だろう。
 
そういう彼女たちの姿を見ていて、私はこう思った。
 
 
彼女たちにとって「イヌの散歩」は、イヌの健康を考えて行うものではない。
 
あくまで自分の都合で、自分の気分で行うものなのではないかと。
 
 
 
そこで私は、キリスト教の教義を思い出す。
 
キリスト教では、唯一人間だけが、全知全能の神に創造された、魂をもつ生物であるとされている。
その他のものはすべて、「人間に従属するもの」として、「人間のために」神が創造されたものだと考える。
 
 
つまりイヌもネコも、人間にとって有用な「モノ」なのであって、そこに魂が宿るとは考えないのだ。
 
 
従って彼らにとってペットというのは、主人である人間の完全な従属物なのである。
 
 
 
和辻哲郎は著書の「風土」で、
 
「完全な奴隷制度を作り上げたのは、唯一西洋だけだ」
 
と言っている。
 
アメリカの黒人奴隷制度は、ギリシアローマ時代の奴隷制度の焼き直しでしかない。
 
西洋人にとって、「身分制度」というのは、社会において不可欠なものらしい。
 
彼らにとって「主従関係」はきわめて重要なのである。
 
 
 
彼らのそういうイヌに対する接し方は、アジア人やアフリカ人に対する接し方と共通である。
 
すなわち、
 
「アジアやアフリカの野蛮な下等民族を、優秀な西洋人が統治して、キリスト教の正しい教えを教授してやる」
 
 
 
 
吉岡昭彦「インドとイギリス」中公新書
 
に以下ような記述がある。
 
イギリスに留学した著者は、イギリス人の並外れたイヌ好きに対して、このような感想を持つ。
 
 
 
「しかし、私には、その可愛がり方に、一種独特の雰囲気と心情があるように思われた。つまり、飼主である人間の絶対的優越を前提として、それに服従する「可愛いもの」を保護し憐れむ情である。それを、長い征服と闘争の歴史のなかで、もともと狩猟民族であったゲルマン民族とりわけイギリス人の心に培われてきたところの、劣者に対する心情のあらわれと見るのは偏見であろうか。それはまた、イギリス人の「劣等人種」に対する心情とも一脈通ずるものがある」
 
 
「彼らは、郵便も鉄道も汽船も、選挙制度もデモクラシーも、要するに近代文明のすべてがイギリス人の創造したものであり、しかも、イギリス人のそれが最上であるとかたく信じている。そして、このような信念を前提として「統治の責任」という発想がでてくる。つまり、統治能力のすぐれたイギリス人が、それを欠如したアジアやアフリカの「劣等人種」を、彼らに代わって統治してやる、もしもイギリスの教化によって、後者の統治能力が育成されたならば、それに応じて「統治の責任」を漸進的に分担させ、最終的には「権力の譲渡」つまり独立を認めてやる、という発想である」
 
 
 
 
イギリス人に限らず、西洋人一般において、このような気質が濃厚にあることは言うまでもない。
 
「劣者を慈しむ」
 
 
つまりイヌも下等民族も、彼らにとっては同じように「弱き者」であり、「優秀な自分たち」の庇護を受けなければならない存在なのである。
 
 
翻って東洋の考え方はどうだろうか。
 
私たちはイヌやネコも、基本的に人間と同じように魂が宿っていると考える。
 
東洋には「輪廻」という考えがある。
 
もしかしたら目の前のイヌも、前世は自分の父親かもしれない。
 
そう考えれば、「不殺生」や「憐れみ」の気持ちが、ごく自然に起こったとしても、なんの不思議もない。
 
 
だから東洋には、「動物愛護」という考え方自体が生まれなかったのだと思う。
 
 
「動物愛護」という言葉は、「動物を愛で、護る」という意味である。
 
その目線は、はるかな高みから、動物を見下している。
 
魂のない動物など、西洋人にとっては「モノ」と同じであって、統治する者の庇護を受ける従者でしかない。
 
「動物愛護」という言葉には、西洋人の根本的な考え方、自分たちにきわめて都合のいい「自己中心主義」が、色濃く反映されていると私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
捕鯨問題にひと言言わせてもらいたい 2007年11月15日21:52
 
 
日本は今年末から四十年ぶりにザトウクジラの捕鯨を再開するという。
 
これに対して、案の定、西洋人の団体が反発しているらしい。
 
 
 
11月13日付の読売新聞によると、
 
 
「豪州は元々、捕鯨国だったが、捕鯨産業の衰退に伴い、クジラを特別視する傾向が強まっている。豪州研究所のハミルトン所長は「現在は環境問題のシンボルだけでなく『自然』や『自由』を象徴する神聖な存在だ」と指摘する」
 
 
 
こいつアホか?
 
 
 
クジラが「神聖だ」なんて、いつ誰が決めたの?
 
クジラが神聖でマグロが神聖でない根拠はなんなの?
 
我々に命を与えてくれるという意味では、ブタだってニワトリだって神聖なんじゃないの?
 
 
 
わけわかんねえ。
 
 
 
だったら言わせてもらうけどさ、インド人はオマエらの大好きな牛を神聖な動物だとして食わないよな。
 
でも彼らは、オマエらに「牛を食うな」とはひと言も言わないよな。
 
もしもインド人が、
 
 
「牛は神聖なものだから、明日からオマエら食うな」
 
 
と言い始めたらオマエら、なんて反論するんだ?
 
しかもかつて燃料用の鯨油目当てに世界中で乱獲していたのは、オマエらじゃないか。
 
 
 
 
環境問題を議論するなら、牛は真っ先に槍玉に挙げられなければならない。
 
なぜなら牛は成長が遅く少産なので、早育で多産のブタやニワトリと比較して圧倒的に効率が悪いのである。
 
その牛は「自分たちの食文化だから」と棚に上げて、クジラを食う異民族の食文化を野蛮だと非難する。
 
韓国人がイヌを食っても野蛮だと非難する。
 
自分たちが勝手に「クジラは神聖」と決めつけ、それに世界中が従えという、この自分勝手。自己中心主義。
 
 
 
 
電通大教授の、中島義道「ウイーン愛憎」中公新書
 
という本に、西洋人の傲慢や人種差別観、自己中心主義が「これでもか」と書きつづられていて、非常に興味深い。
 
たとえばこんな下りがある。
 
 
 
「私がとりわけ不愉快に感じたのは、われわれアジア人がなんらかの失敗をしでかしたときの、犬を叱りつけるような高圧的な教えさとすヨ−ロッパ人の態度である。
銀行の窓口でふらっと入ってきた身なりのあまりよくない台湾人が、列の後ろにつかずそのまま窓口に進んだところ、店長が人差し指をグッと立て腕を伸ばして「後ろへ並べ!」と大声でどなったり、市電の終点でアラブ系の若者がまだ全員降り終わっていないのに電車の中に飛び込もうとしたところ、中年の大男が「降りろ!」と言いながらその若者の首筋をつかみ引きずり降ろしたり、唖然とする例をしばしば見かけたが、私は彼らがこのような手荒い処置を大人のヨーロッパ人に対して講じているのを見たことがないのである」
 
 
「ヨーロッパ人やアメリカ人の傲慢さは、一種の既得権として容認されている。東京の街でアメリカの大金持ちが高級品を買いあさろうと、パリからの新婚カップルが東京の猥雑な繁華街に眉をひそめてパリの優美さを力説しようと(中略)、彼らの言動はわれわれから傲慢だと非難されることはないのである。東京のホテルの従業員にフランス語で用を言いつけても傲慢ではないが、パリのホテルの従業員に日本語で用を言いつければ傲慢になるのである」
 
 
 
「西洋人の傲慢は既得権益である」
 
という指摘には、みなさん納得されることと思う。
 
 
 
このような著者の体験は、80年代頭のころで、現在ではかなり変わってきているだろう。
 
アジアに対する蔑視もずいぶん緩和されたに違いない。
 
 
 
しかし基本的なところ、西洋人の価値観が絶対的に正しくて、他の価値は認めない、あるいは下等なものであるという彼らの一般的な認識に変わりはないと思う。
 
 
 
 
あえて言わせてもらおう。
 
 
 
 
食文化とはきわめて多彩なものであり、これに優越など絶対にあり得ない。
 
だからオマエらにとやかく言われる筋合いはない。
 
他人の食文化を蔑む者は、同時に差別主義者である。
 
「捕鯨問題」は西洋人の自己中心主義が、もっとも愚劣な形で表出した好例だと私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原発反対ですか? 2007年11月13日20:40
 
 
原発について、さっき読んだ知人の編集者の日記に触発されて、私もなんとなく考えていたことを書いてみます。
 
旅行中に読んだ本に、
 
上坂冬子「アジアエネルギー事情」講談社+α文庫
 
というのがありました。
 
主に東南アジア諸国の原子力エネルギー施設を訪ね歩くという内容でして、本自体は著者の大名旅行の話で、たいして面白くもないんです。
 
 
しかし興味深かったのは、どこの国の政府も(タイ、インドネシアなど)、
 
「原発を建てたくて仕方がない」
 
ということでした。
 
 
 
たとえばタイなんかは、国土が平坦でダムも建てられない。
 
だから火力発電に頼るわけですが、石油を買うのにコストがかかるし、環境にもよくない。
 
だからどうしても原発を建てたいわけです(核兵器転用とか、いろいろ思惑があるのかもしれませんが、それはさておき)。
 
 
 
原発が火力発電や水力発電と比較して、どれくらい安上がりなのかは知りませんが、タイ政府があれだけ熱望しているということは、よっぽど安く済むんじゃないでしょうか(特に原油高の昨今ならなおさら)?
 
 
原発反対の人は、水力や火力発電で代用しろというかもしれませんが、
 
しかしダム工事で膨大な自然が破壊され、石油を燃やすことで金もかかるし二酸化炭素もたくさん排出することは周知のことですよね。
 
 
他にもいろいろクリーンな発電システムがあるんでしょうが、上記三つの発電量に比べたら微々たるものでしょう。
 
だから考えようによっては、原発がもっとも安価で環境に優しい発電システムなのではないでしょうかね?
 
私も勉強不足で反論されるとなにも答えられないんですけど。。。
 
 
しかし急いで申し添えておかなければならないことは、もっとも問題なことは、私たちが電気を無駄遣いしすぎているということで、私たちが電気を節約することが、原発に依存する前にしなければならないことでしょう。
 
 
 
とある本によると、
 
「1人のアメリカ人の平均消費エネルギー量は、2人のドイツ人、3人のスイス人、60人のインド人、160人のタンザニア人、1100人のルアンダ人の消費量に相当します」
 
ということです。
 
あいつらは、真冬でも家の中ではTシャツ一枚で過ごし、温水プールまである家もけっこうあるそうです。
 
こういう連中が地球を汚しまくっているわけですが、一方でこいつらを肥え太らせることで、日本も含めた世界中の国が食っていることもまた事実なんですよね。
 
いずれにしても、「原発」と聞いて、一方的な拒絶反応しか示さない人には、私は少々疑問を持ってしまいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本人のアジア人蔑視の一例 2007年11月12日03:09
 
 
高円寺の「写真バー白黒」のマスター、チュ・チュンヨン氏は、95年に来日して以来、日本に住んでいる。
 
日本人の奥さんもいて、すでに永住権も取得した。
 
 
彼は滅多に怒らない温厚な人物だが、日本に来てたった一度だけ、怒り心頭に発して怒鳴り散らしたことがあるという。
 
 
 
 
それは区役所で外国人登録をするのに並んでいる時のことだった。
 
フィリピン女と日本人オヤジのカップルがやたら多い中、いつものようにチュ氏は順番を待って並んでいた。
 
彼の目の前にはベトナム人らしい若い男がいて、その前は白人のアメリカ人だった。
 
アメリカ人は日本語がわからないらしく、終始英語だった。
 
係員は困ったような顔をして、奥から英語の係員を連れてきて丁重に応対させた。
 
 
白人の用件が終わり、次にベトナム人の順番がきた。
 
そのベトナム人も、来日してまだ日が浅いらしく、ほとんど日本語もわからなかった。
 
しかし係員の男の態度は一転して、横柄で尊大になった。
 
オドオドしながら困っているベトナム人に対して、係員はこう言ったそうだ。
 
「なんだよ、日本語もわかんないのかよ?」
 
「ちょっと待て! オマエ!」
 
その瞬間、チュ氏はキレた。
 
そして事務所の隅々に響き渡るような大声で怒鳴った。
 
「さっきまでアメリカ人にペコペコしてたくせに、その態度はなんだ!!!」
 
すべての人が会話を中断してチュ氏を振り返った。
 
水を打ったような静寂。
 
「この人が日本語がわからないで困っているのに、その態度はなんだ!!!」
 
チュ氏の怒りは収まらない。
 
チュ氏は係員を指さして怒鳴った。
 
「オマエ!!! オマエの名前を言え!!!」
 
 
係員が、はじかれたように立ち上がった。
 
「はいっ! コバヤシと申します。申し訳ありませんでした!!」
 
そしてコバヤシは深々と頭を下げたという。
 
 
 
 
最後にチュ氏は、
 
「残念だけど日本人は西洋人には死んでも勝てないね」
 
と言っていた。
 
 
この係員の態度は、まったくもって、けしからんわけだが、しかし私たちの意識の中に、この男と同じものが、たとえそれが数百倍に希釈したものであっても、ないと言い切れるだろうか。
 
そして逆に、西洋人に対するある種の「遠慮」のようなものを感じていないと言い切れるだろうか。
 
 
 
それはともかく、この話をチュ氏がしてくれたのは、私が、
 
「日本がなんと平等でよくできた国か」
 
といういつもの話をしたあとのことだった。
 
チュ氏は、
 
「だから日本が平等なわけはない」
 
と主張した。
 
確かにそういう人種差別が存在することも事実である。
 
しかし途上国に行くと、それはもっと露骨になる。
 
役人の横柄な態度は、日本の連中とは比べものにならないのだ。
 
 
たとえばイランのエスファハンのイミグレで、私は出稼ぎアフガン人と一緒になった。
 
いかにも貧相な彼らは、まるで罪人のように扱われており、オドオドと不安そうな様子で入官の係員を見上げていた。
 
シリアのダマスカスでも、やはり出稼ぎのイラク人が、何時間も何日も就労ビザ発給のために待たされているのを見かけた。
 
 
あるいはエジプトからヨルダンに向かう港湾の出国審査で、おそらく1000人以上もの男達が、いつ通過できるかわからないような通関に長蛇の列を作って、何時間も何時間も待たされていた。
そしてそれに対して少しでも文句を言う者は、警察が空のペットボトルで頭をひっぱたいて回っていた。
 
その尊大さ、横柄さは、日本の役人とはケタが違う。
 
国家権力の強権ぶりは、日本とは比較にならないのである。
 
 
もしも日本の出国審査カウンターで旅客が不平を言い、それに対して係員が空のペットボトルで旅客をひっぱたいて回ったらどうなるだろうか。
 
そいつは間違いなく懲戒免職&傷害罪で刑務所に入ることになるだろう。
 
 
 
しかし途上国では違う。
 
刑務所に入るのは、不平を言った一般市民の方なのである。
 
日本がすばらしい国だとは言わない。
 
しかし途上国の、あの「人権の限りない軽さ」を目の当たりにしてしまうと、日本はなんて「まとも」な国だろうかと思わずにはいられないのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トルコとクルド人問題 2007年11月09日02:37
 
 
この間までミャンマーのデモ武力鎮圧が新聞の国際面のトップニュースだったけれど、最近はパキスタンとトルコのクルド人自治区攻撃がトップを飾っている。
 
パキスタンについては、今度書くとして、今回はトルコのクルド人問題を考えてみようと思う。
 
 
 
 
クルド人というのは、報道にもあるとおり、トルコ東部、イラク北部、イラン西部あたりに古くから住んでいるイスラム教徒だ。
 
人種的にはイラン人に近いらしく、言語は印欧語族に分類される。
 
人口は三千万人といわれる。
 
 
三千万人。
 
 
少ないようで、これは大変な数字だ。
 
となりのイラクの人口が、二千五百万人である。
 
クルド人は国家を持たない最大の民族といわれている。
 
 
 
 
イラクのフセインは、北部のクルド人を毒ガスを使って虐使たとされる。
 
なんでそんなことをしたのかといえば、この人達が北部の油田地帯と一緒に独立しようと画策していたからだ。
 
トルコがなぜイラクのクルド人自治区を攻撃しようとしているかといえば、クルド人独立主義者が活動してテロを起こすからである。
 
 
クルド人は、彼らが包括されている三つの国から独立しようとしているわけだが、いずれの国からも弾圧されている。
 
 
 
かつて彼らには、独立国家を持てるかもしれないチャンスがあった。
 
それは第一次大戦でトルコが分割されかかったときだ。
 
しかしクルド人は、西欧諸国の植民地として、現在のような国境に分断されてしまった。
 
彼らが現在のようにあっちこっちの国で少数民族扱いされ、分離独立を主張してテロ起こさなければならないのは、もとはといえば英仏の帝国主義のせいなのである。
 
 
しかしアメリカを始めとした西洋諸国は、
 
「テロとの戦い」
 
と称して、クルド人独立主義者を非難する。
 
 
 
なんかおかしくないか?
 
彼らは犠牲者だったはずなのに。
 
 
 
一方でクルド人を弾圧し続けているトルコという国。
 
私たちは「トルコ人」という民族が住んでいるのがトルコという国のように思っているけれど、実際は違う。
 
現在トルコ人と呼ばれている人は、古くからこの土地に住んでいた人々、すなちギリシア人とアルメニア人とクルド人とアラブ人がほどんとなのである。
 
トルコ民族もいるけれど、彼らは中国の西域から移動してきた遊牧民の末裔で、絶対数は少ない(もちろん現在ではほとんど混血しているだろうが)。
 
 
 
とある本によると、「トルコ人」の定義は、
 
「トルコに住んでいてトルコ語を母国語とするイスラム教徒」
 
がもっとも適当だという。
 
トルコはほとんど100%イスラム教徒だが、ごく少数のキリスト教徒が住んでいる。
 
しかしほぼ全員がイスラム教徒である。
 
上記のギリシア人やアルメニア人は、祖先の誰かがイスラム教に改宗したのである。
 
 
 
だからこの説で言えば、ギリシャ人の定義は、
 
「ギリシア国内に住んでギリシア語を母国語とするキリスト教徒」
 
ということになる。
 
トルコとギリシアの違いなんてそんなものでしかないのだ。
 
 
 
トルコは前にも書いたけれど、苦労して苦労して、やっと独立を維持したまま共和制に移行することができた。
 
西洋諸国との戦いは、西洋に近いこともあって、私たちの想像を絶する激しいものだったに違いない。
 
 
その彼らが、国内では少数民族のクルド人やアルメニア人に言論統制を強いて弾圧する。トルコ東部に行くと、いきなり警察に連行されるのは日常茶飯事だという。
 
トルコはいまだに、
 
「我が国には少数民族問題は存在しない」
 
と主張しているという。
 
総人口の二割にも達するクルド人の独立など認めるわけにはいかないのだ。
 
 
 
 
西洋諸国はトルコの同盟国だから、クルド人独立主義者はテロリストということで非難しているが、一方でトルコをEUに迎え入れるかというと、そうでもない。
 
人権問題がどうだとか言って、継続審議のままである。
 
 
おそらく永久に仲間に入れることはないと思う。
 
なぜならトルコは「非ヨーロッパ」で「非キリスト教徒」だからである。
 
西洋人のイスラム嫌いはおそろしく根強いのだと思う。
 
 
 
分離独立を主張してテロを続発させるクルド人と、彼らを強権的に弾圧するトルコという国。
 
両方に共通しているのは、西洋植民地主義の犠牲者だということである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
世界キリスト教化計画 2007年11月06日02:34
 
 
トルコによる「アルメニア人虐殺に対する非難決議」が、今頃になってアメリカ議会で採択された。
 
この事件は、第一次大戦中にトルコ国内で数百万ともいわれるアルメニア人が殺害されたというものだ。
 
 
 
トルコ側はもちろん否定している。
 
実際トルコの軍事博物館で、
 
「アルメニアの分離主義者たちが、こんなにたくさんのトルコ人を殺害した」
 
という展示を見た。
 
 
 
当時はトルコ自体が存亡の危機にあった。
 
負け組ドイツについたばっかりに戦後は領土を分割されて、アンカラ一帯の土地しか与えられないはずだった。
 
そこで登場したケマル将軍の大活躍で、ギリシア軍を始めとした連合軍を追い払い、奇跡的に独立を維持したのである。
 
 
 
当時は、言ってみれば日本の明治維新のような状況だったのだ。
 
誰が悪いと言えば、それはもう間違いなく西欧列強の植民地主義なのである。
 
 
 
しかし西洋諸国ではアルメニアに対する同情の方が強いらしい。
 
 
今回アメリカで百年前の事件の非難決議が行われたのも、水面下でアルメニア人ロビー団体の活動があったといわれる。
 
アルメニア人というのは、ユダヤ人やレバノン人と同じく、商才に長けていて、世界中でアルメニア商人が活躍しているという。
 
アルメニアはソビエト崩壊後にようやく民族国家を持つことができた。
 
そしてそれ以降、トルコとの領土問題が悪化しているという。
 
今回の非難決議には、アメリカを味方につけようというアルメニアの意図が伺われる気がする。
 
 
 
 
以上が今回の非難決議の背景なわけだが、私はもっと穿った見方をしてしまう。
 
もっと大きな、もっと根深い背景を、この非難決議の後ろに見てしまう。
 
 
 
それはなにかといえば、「西洋人のキリスト教徒贔屓」である。
 
 
 
たとえばインドのマザーテレサがノーベル平和賞を受賞した。
 
同じインド人のガンジーは受賞していないにもかかわらず。
 
そして後世に与えた影響は、ガンジーの方がはるかに大きいにもかかわらず。
 
さらにそのガンジーの思想的な弟子とも言うべき、キング牧師もまた平和賞を受賞している。
 
ガンジーとマザーテレサ、キング牧師の間にいったいどういう違いがあるのかといえば、それはまさしく、
 
「キリスト教徒であるか否か」
 
に尽きるのではないだろうか。
 
 
ちなみにケニア出身の女性活動家ワンガリ・マータイさんもキリスト教徒らしい。
 
 
 
あるいは、これも先日、アメリカで非難決議が採択された従軍慰安婦問題。
 
アメリカにとって、戦前の日本軍国主義が「悪」であればあるほど都合がいいのは当然である。
 
戦後の日本は「善」であり、その基礎を作ったのがアメリカだからだ。
 
だからそういうキャンペーンに議員が乗るのは当然だろう。
 
 
しかしここでもうひとつ穿った見方をするとすれば、韓国には、日本とは比較にならないほど多くのキリスト教徒がいるのだ。
 
韓国の全人口の3割以上がキリスト教徒で占められている。
 
それが決定的な要因にはならないとしても、「同宗教の女性に対する同情」がないとは言えないのではないか。
 
 
 
そして今回の決議だ。
 
中近東では産油国を別にして、レバノンだけが急ピッチで復興している。
 
その背景には、間違いなくフランスを始めとした西側諸国の投資がある。
 
そしてレバノンもまた、キリスト教徒の国なのである。
 
 
 
日本は世界でも希なほどの無神論者の国なので、彼らの感覚はわかりにくいかもしれない。
 
しかしキリスト教徒にも、イスラム教徒と同じくらい信心深い人が大勢いる。
 
そのことを今回の旅行で知った。
 
私たちには理解しがたい熱狂さで、彼らは神様を拝んでいる。
 
 
 
ミャンマーの少数民族の多くが、植民地時代にキリスト教徒に改宗したという。タイのチェンライで会ったカレン族の男性は、
 
 
「あいつらは(キリスト教会のこと)、改宗した連中に車を買ってやったり、金を払ったりしてるんだ」
 
 
と吐き捨てるように言っていた。
 
 
 
アフガンで誘拐された韓国人のグループも、援助の代わりに改宗を強要して、地元の人々の怒りを買ったという報道もあった。
 
彼らの「世界キリスト教化計画」は隠然と推し進められている。
 
そしてそのやり方は、かつて「コーランか剣か」という極論で誤解されてきたイスラムよりも、もっと周到で卑劣なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これが「ALWAYS」かあ 2007年11月03日01:24
 
 
本日テレビ放送していた「ALWAYS」。
 
 
泣いちまいました。
 
もともと涙もろい方なので、涙腺全開でしたね。
 
 
特に吉岡秀隆の茶川先生がよかった。
 
無意識のうちに自己投影していたせいかしら(笑)
 
あの人の情けない演技には、「北の国から」以来、もう何度も泣かされている気がします。
 
薬師丸ひろ子のお母さんも地味によかったし。
 
 
 
そして昭和30年代を見事に再現した街並み。
 
いまだ東京の下町に活気があった時代。
 
 
それを象徴しているのが、子供達の腕白ぶりだ。
 
白いランニングシャツに短パンという、今時見ないガキどもが、その辺を走り回っていて、近所の大人に怒鳴られる。
 
 
今では大人も子供を注意しなくなり、子供もおとなしくなった。
 
ガキも日本経済も「育ち盛り」の時代だったのである。
 
 
 
 
下町については、四方田犬彦が『月島物語』という本で考察している。
 
銭湯に行くと常連の「湯に浸かる場所」まで決まっていたそうで、そのエピソードは、行きつけの飲み屋で堤真一が茶川先生を、
 
「そこはオレの席だ」
 
といって退かす場面と重なる。
 
あるいは少年ふたりが深夜まで帰ってこないとき、家族が「人さらいではないか」と心配する。
 
薬師丸ひろ子が、
 
「そういえば夕方、怪しい男が歩いていた!」
 
住民はみんな知り合いで、よそ者は目立つ。
 
住民同士の相互監視が機能している反面、プライベートは著しく制限される。
 
上述の本にも、確かそんなエピソードがあったと思う。
 
 
 
我々にとっては煩わしい下町の人間関係。
 
 
しかし最近の若者はそうでもないらしい。
 
 
下町の濃い人間関係を、若い人たちが逆に新鮮に感じるということを、私は実地で聞き知ったことがある。
 
 
 
以前、新宿の「ゴールデン街」を取材したときのことだ。
 
バブル以降、シャッター街のようになっていた古い飲み屋街に、若者が借り受けた新店舗が続々とオープンして、ずいぶん様変わりしたのだという。
 
そういう若い女のコに話を聞いたら、こんな答えが返ってきた。
 
 
「あたしの家は、父親の仕事の関係で引っ越しばっかりだったんですよ。だから「地元」っていうのがないんです。ゴールデン街で働いていると、たとえばゴミ出ししたときに、となりのお店の人と挨拶したりするんですよね。「味噌とか醤油を貸し借りするような関係」っていうんですか? それがすごく楽しくて」
 
 
 
この映画がヒットしたのは、単に昭和30年代をリアルに再現したからではないだろう。
 
今の若い人たちが、大人から話で聞いていた「懐かしい昭和」を追体験できたからではないだろうか。
そしてそこに、本来あるべきはずの、自分たちを取り巻く地域の人々とのつながりが、感動的に描かれていたからではないだろうか。
 
 
日本のあらゆる地域が「ファスト風土化」して、人間関係が希薄になってしまった。
 
現代の若者は、核家族化とか画一的な暮らしに物足りなさを感じている。
 
「人情」というものに飢えている。
 
 
茶川先生にしても、自動車整備工場の一家にしても、見ず知らずの他人を温かく迎える。
 
この映画には、若者が親にねだっても得られなかった「他人の愛情」が描かれている。
 
 
 
そこにこの映画のヒットの理由があるように思える。
 
 
我々の世代は、個人主義を心地よく感じる最後の世代なのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
NOVA倒産 2007年10月29日14:07
 
 
この会社は、前からなんとなく「インチキ臭い」と思っていた。
 
「雇ってる外国人教師に、カオサンで沈没しているようなダメ旅行者が多い」
 
というような話を聞いていたし、
 
「解約しても授業料が戻ってこない」
 
というような不満を言っている人に会ったことがある。
 
 
 
宣伝広告が上手なだけの、詐欺まがいの会社だったわけだ。
 
新聞によると受講者30万人の被害総額400億円は一円も返ってこない可能性が高いらしい。
 
 
 
もちろん倒産した会社が悪いのは当然である。
 
しかしこんな会社に騙される受講者にも、一面で責任はあると思う。
 
 
だいたい語学教師というのは、そう簡単になれるものではない。
 
私たちが日本人だから即座に日本語教師になれるわけではない。
 
日本語教師になるには、当然それなりのスキルが必要である。
 
 
英会話教師の資格もないインチキ外国人教師を「ネイティブだ」というだけで有り難がっていたのは、受講者なのではないか。
 
 
 
そしてもうひとつ言いたいことがある。
 
 
「英会話の前に必要なのは、本人のインテリジェンスなのであり、話の内容がつまらなければ誰も聞いてくれないのは、日本人でも外国人でも同じだ」
 
 
ということである。
 
 
 
 
前にNHKで、小澤征爾の特集をやっていた。
 
アメリカのオーケストラの指揮をするというので、その練習風景を取材していた。
 
この人の英語は流暢ではない。
 
むしろ下手くそである。
 
しかし演奏者たちは真剣に彼の下手な英語を聞いている。
 
当たり前である。
 
世界的な指揮者の言うことなんだから。
 
 
 
つまりそういうことなのだと思う。
 
 
 
英語なんて下手くそでもいいのだ。
 
そんなことよりも自分のスキルなり知性なりを高めることの方が、よっぽど重要なのではないかと。
 
 
そんな簡単なことにも気づかないで、「駅前留学」で簡単に英会話ができるようになるだろうという安易な発想が、受講者にあったことは言うまでもない。
 
 
いみじくもこの会社のCMが言っているように、外国人との会話で大切なのは、発音やヒアリングの能力以上に、「話す人の熱意」なのだと思う。
 
自分にまず「伝えたいこと」がなければ、会話なんて成立しないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ゼイリブ」っていう映画 2007年10月27日02:48
 
 
知ってますか?
 
ジョン・カーペンターというB級映画監督の作品なんですよね。
 
この監督、かつて「遊星からの物体X」という傑作を撮った人なんですが、こっちの方が有名ですよね。
 
 
 
それでこの「ゼイリブ」という映画は私の好きな映画のひとつなのだ。
 
タイトルは「They live」で「彼らは存在する」というような意味。
 
この意味は映画を観ればよくわかるのだが、簡単にストーリーを説明しよう。
 
 
 
主人公は日雇い労働者のホームレス。
 
ある日、不思議なサングラスを拾う。
 
そのサングラスをかけると、今まで見ていた広告が「金を浪費しろ」「なにも考えるな」などという意味不明のメッセージに変わってしまう。
 
なんの変哲もないコカコーラの看板がサングラスをかけると一転して「consume!(消費しろ)」というメッセージに変わる。
 
最初男はわけがわからず、サングラスをしたまま街を彷徨する。
 
そのうち男は怖ろしいことに気づく。
 
街を歩いている人の一部が、化け物であることに気づいたのだ。
 
化け物に察知された男は逃げまどい、地下組織に助けられる。
 
その組織とは、サングラスを開発した連中だった。
 
彼らは男に説明する。
 
 
「宇宙人が紛れ込んでいる。やつらは地球を征服するためにやって来て、少しずつ人間にすり替わっているのだ。そして消費文明を人間に植え付け、人間を白痴にして、地球を乗っ取ろうとしているのだ」
 
 
そして男は組織と宇宙人との戦いに巻き込まれていく……。
 
 
 
 
今日、仕事で渋谷に行ってきた。
 
雨と人混みと街頭宣伝で死にそうになった。
 
大型スクリーンで垂れ流されるテレビCM。
 
宣伝広告の洪水のような街だった。
 
慣れないと本当に疲れる街だ。
 
 
 
そしてあの広告の洪水を見ていると、私は条件反射的に「ゼイリブ」という映画を思い出す。
 
世の中は本当に、宇宙人が乗っ取ろうとしているのではないかと思えてくる。
 
 
 
最近仕事で調べている食品添加物。
 
あらゆるものにごっそりと添加されている化学薬品の数々を知るたびに、私たちは金を払って身体に悪いものを大量に食わされていることがよくわかる。
 
 
 
専門家によると、S社の「N」というオレンジジュースは、原価五円程度。
 
すべて化学薬品で、あの味を作り出することができるそうだ。
 
残り百何十円かは、もちろんすべてサントリーの利益となる。
 
その中には、もちろん宣伝広告費も含まれている。
 
 
 
小学生にもならない子供にマクドナルドのハンバーガーを食わせている母親をよく見る。
ある研究によると、親が子供をマックに連れて行くのは、
 
 
「マックに連れていくことで子供に好かれ、子供に好かれることで自分がよい親であることを自覚したい」
 
 
という心理によるそうだ。
 
みんなで大金を払って身体に悪いものを食い、それを作っている企業は莫大な利益を得て、その金をさらに広告宣伝につぎ込む。
 
 
 
地球には宇宙人がいるぞ。
 
みんな気をつけよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
格差社会について考える 2007年10月20日03:45
 
 
二年ぶりに帰国してみて驚いたことのひとつが、
 
「格差社会」
 
という言葉だった。
 
確か2005年には、話題にもなっていなかった言葉だと思う。
 
 
 
前にも書いたけど最近になって、
 
「年収二百万円以下の人が一千万人を越えた」
 
というのが、けっこう大きく報道されていた。
 
なんでそんなことが話題になるのか。なぜそんなに重要な事柄なのか。
 
ということを、経済的な面から考えてみた。
 
 
 
 
とても簡単に考えてみよう。
 
ここに大地主と100人の小作人がいるとする。
 
大地主は金持ちなので、ベンツからパソコン、デジタルハイビジョンテレビまで、なんでも持っている。
 
しかし100人の小作人は貧乏なので、自動車はおろか家財道具はなにも持てない。
 
 
 
しかしここで、日本の戦後に行われた農地改革が施行されたとしよう。
 
大地主が独占していた富が100人の小作農民に分配される。
 
すると彼らは、ハイビジョンテレビでなくても普通のテレビが、ベンツは無理かもしれないが、カローラくらいは買えるようになった。
 
ここに消費活動が発生する余地が生まれる。
 
 
 
つまり市場が発生したしたのだ。
 
 
 
途上国の経済発展に、中産階級の育成が大切だという理由は、要するにここにあるのだろう。
 
消費活動をする階層が存在する社会では、自動車でも電化製品でも売れる市場が存在するということで、ディズニーランドに遊びに行く人々が存在するということなのである。
 
製造業もサービス業も、こういう人を対象にして成り立っているわけだ。
 
さらにそこに雇用が生まれる。
 
経済活動は、小金持ちの数多くの中流の人々が支えているのだ。
 
 
 
 
しかし格差社会が進んで、貧富の差が大きくなったらどうなるだろうか。
 
ごくごく一部の人々しか消費活動を行わない。
 
大多数の下層の人々は金がないので、なにも買わないし、どこにも行かない。
 
そうすると日本全国の製造業やサービス業が停滞してしまう。
 
 
 
モノが売れない。
 
日本という市場がどんどん縮んでいく。
 
 
 
すると日本に投資する外国の投資家はどんどん減っていく。
 
日本に対する信用は低下して、円はドルやユーロに対してますます弱く
なる。
 
最終的にはどうなるのだろうか。
 
 
スペインやアルゼンチンのような、国際的になんの発言権もなく、とりたてて産業もない、失業者が溢れる国に成り下がってしまう。
 
 
その前兆が「格差社会」なのだろうと思う。
 
 
少子高齢化もその要因のひとつだろう。
 
 
日本の老い先は、まことに惨めなものにならざるを得ない。
 
 
強いYENをバックに海外旅行に行けた九十年代は、実はバックパッカーの黄金時代だったのかもしれない……ということになりかねないのが、現在の状況なのだ。
 
 
 
あらゆる面で、日本は下り坂なのだと思う。
 
 
まあでもポルトガルのような、とうの昔に盛りを過ぎたような国の、落ち着いた佇まいも悪くないけどね。
 
 
でも海外旅行に出かけられなくなるのは寂しいよな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アメリカという国〜その2 2007年10月16日12:56
 
 
ダーウインの「適者生存」という考え方が西洋人に与えたインパクトというのは、ものすごいものだったらしい。
 
「ダーウイニズム」はその後、西洋人の帝国主義、植民地主義の理論的支柱となった。
 
 
 
西洋が真っ先に産業革命を成し遂げたのは、西洋人が最も優れているからである。
 
だから劣等なアフリカやアジアが西洋の植民地になるのは当然である。
 
 
 
今でもそう考えている西洋人は少なからずいる。
 
西洋が世界を支配することに正当性を与え、理論的根拠を与えたのが、「ダーウイニズム」だった。
 
そしてこの「適者生存」の法則を、まるで信念のように今でも奉戴しているのがアメリカという国だろうと思う。
 
 
 
たとえばこの国の医療費がバカ高いことは有名だ。
 
「病人は社会的不適格者である」という考え方が、この国の人々にはあるらしい。
 
アメリカ人は英語を話さなければいけない。
 
英語を流暢に話せない連中は不適格者である。だからアジア系やヒスパニックは差別される。
 
 
 
アメリカの富の偏在は、日本とは比べものにならない。
 
アメリカでは1割の富裕層が、全所得の半分以上を独占しているという。ウオルト・ディズニーもこう言っている。
 
 
 
「強者が生き残って弱い者が道ばたに倒れるのは世の習いだ」
 
 
 
しかし振り返ってみると、日本も格差社会といわれるようになってきた。年収二百万円以下の人が一千万人を越えたという。
 
 
「ファスト風土化する日本」という本によれば、彼ら低所得者は、本来教育にかけるべき金を、テレビやレンタルビデオ、ゲームなどの安価な娯楽に消費しているらしい。
 
つまり給料が減ったぶんは、そのまま教育費の減額で相殺されているのだ。
 
 
これが何代か続けばどうなるかというのは目に見えているだろう。
 
格差社会が定着して、そのままアメリカのような階層社会になってしまうに違いない。
 
 
ホワイトカラーとブルーカラーが対立する社会。
 
社会的勝者と社会的敗者が争う社会。
 
 
みんなに仕事があるうちはまだいいだろう。
 
でもいったん世界恐慌みたいなでかいのが、またやって来たら、彼らの不満は右翼礼賛に向かうに違いない。
 
 
日本の先行きは本当に暗いと思う。
 
 
さっさと田舎煮引っ込んで、自給自足で食っていけるようにしないといかんなあと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アメリカという国 2007年10月14日13:03
 
 
最近食品の安全についての調べ物をしているのだが、その過程でつくづう思ったことは、
 
 
「アメリカという国がいかに怖ろしい国か」
 
 
ということだ。
 
以下、その具体的な事例を書いていこう。
 
 
 
発展途上国と言われている国は、自動車や電化製品はもちろん輸入に頼っているわけだが、実は農産物も輸入に頼っている国が少なくない。
 
たとえばインドネシアは、日本向けのエビの養殖で、水田が激減して、コメの輸出国から輸入国に転落してしまった。
 
コーヒーやサトウキビなどの、いわゆる商品作物のために農地が使われて、コメや小麦などの主食を生産できず、結局輸入に依存してしまう。
 
発展途上国はそうやって農産物輸入国に追い込まれているという現実がある。
 
 
 
では小麦やトウモロコシなどの主要穀物は、いったいどこで生産されているのか。
 
実はその大半は北米大陸、その中でもアメリカが生産しているのだ。
 
特にトウモロコシと大豆は、世界の総生産高の3割から4割がアメリカで生産されている。アメリカは工業大国であると同時に農業大国なのだ。
 
 
 
しかしここでまたギモンが起こる。
 
 
 
人件費が高いアメリカで、なぜこれほど多くの穀物が輸出できるのか?
 
言い換えれば、なぜこれほど国際競争力の高い穀物が輸出できるのか?
 
 
 
ここにもカラクリがあった。
 
 
 
「ハンバーガーが世界を食いつくす」という本によると、アメリカの農民の所得の半分近くが政府からの補助金なのだという。
 
年収400万円のうちの200万円は、政府が税金で賄っているわけだ。
 
 
つまりアメリカ政府は膨大な補助金を出して、自国の農家を守っているのだ。
 
 
日本はトヨタを輸出するために、譲歩して譲歩して、徐々に農業を切り売りしてきた。
 
その結果食糧自給率は40%にまで低下してしまった。
 
 
 
しかしアメリカはそうはしない。
 
なぜなら、国際分業がさらに進んでくれば、食料輸出国の発言力が圧倒的に強くなることが目に見えているからだ。
 
自動車なぞ輸入しなくても生きていけるけれど、食料がなければ生きていけない。
 
そこに輸出大国の無言の圧力が発生することは明らかなのだ。
 
アメリカはそれを見越して、自国の農業を手厚く保護しているのに違いないのである。
 
 
軍事大国である上に、さらに世界の食糧を牛耳りつつあるアメリカという国。
 
本当に怖ろしいと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
激動のミャンマ 2007年09月28日23:13
 
 
ミャンマーが大変なことになってます。
 
行ったことがあるだけに、またミャンマー人、いい人ばっかりなだけに、心が痛みます。
 
 
しかしあの軍政、すごいっすね。
 
 
この間のNHKで、軍トップクラスの子息の婚礼のビデオ映像を入手したと言って放送してたんだけど、その贅沢ぶり。
 
 
ダイヤモンドごっそりくっついたネックレスの新婦。
 
王宮と見まごうほどの大宮殿での挙式。
 
 
 
解説員によると、このすさまじく豪華な挙式ビデオが一般市民に流れて、それが今回の暴動のきっかけのひとつになったらしいです。
 
 
もはややつらも、ルーマニアのチャウセスクと同じ運命を辿るしかないでしょうね。
 
みんなに殺されちゃってくださいという感じです。
 
 
 
しかし。
 
 
 
その一方で私は、かのアウンサン・スー・チーさんにも、ちょっとだけ疑問が残る。
 
彼女の旦那はイギリス人学者だそうだ。
 
そしてご本人も長くイギリスに滞在されていた。
 
オヤジさんは建国の父。
 
 
つまり軍政前の特権階級だった人なわけだ。
 
 
オックスフォードに留学したアメリカ人が書いた本を前に読んだんだけど、となりのテニスコートでテニスしていたのが、パキスタンのブット元首相だったそうだ。
 
ブットさんもパキスタン民主化の象徴みたいな人だ。
 
オックスフォードという学校には、世界中の大金持ちが集まるものらしい。
 
 
 
結局は庶民とは縁遠い生活をしている人たち。
 
元イギリス植民地の金持ちなんて、そんなものなのだと思う。
 
 
 
スー・チーさんが実際どんな人なのかも知らない。
 
そして彼女たちが要求する「民主化」が、軍政が打倒されて以降、どれだけ実現するかもわからない。
 
そこに新たな利権に群がる連中、アメリカを中心にした西洋諸国の利権を代弁する連中が、新しい特権階級にすり替わるだけのような気がしてならない。
 
 
現に、現在の軍政を黙認してきた中国とインドは、アンダマン海と国内の鉱山採掘権を、すでに取得しているという。
 
 
残念だけど、ミャンマー市民は、これからも大国の思惑に振り回されていくように思われて仕方がない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大企業の傲慢 2007年09月27日20:13
 
 
外国に行くたびに、
 
「日本はなんていい国なんだろう」
 
と思う私である。
 
 
しかしこの国が、途上国よりいろいろな面で物事がうまくいっている国だとしても、やっぱりダメなところはたくさんある。
 
 
そのひとつが「大企業の傲慢」である。
 
 
もう5年くらい前になるけれど、地元の北海道に嫁さんと帰省した。
 
帰りの便は、ちょうど年末年始だったので、増便された午後九時過ぎ(確か)のJASの最終便だった。
 
しかしこの便が、エンジントラブルだかなんだかで遅延したのだ。
 
飛行時間はだいたい一時間半で、プラス一時間くらいの遅れで羽田に到着した。
 
 
 
到着時間は午前0時を回っていた。
 
しかもである。
 
 
羽田から都心に出る電車は、すでに終了していたのだ。
 
 
 
どうすんだよ。
 
 
 
浜松町行きのモノレールは完全に終わっているので、乗客たちはあたふたと京浜急行の、蒲田の手前あたりまでしか行かない最終電車に走っていった。
 
 
残りはタクシーである。
 
 
我々もタクシー乗り場に行って、前に並んでいた老夫婦と品川までシェアした。
 
品川からは山手線があるので、なんとか高円寺の自宅に帰り着くことができたのである。
 
 
 
そしてあとからよく考えてみる。
 
 
 
これはどう見ても航空会社が悪い。
 
エンジントラブルで遅れたのは仕方がないとしても、その後、電車が終了しているのがわかっているにもかかわらず、乗客になんの便宜もはからないのは、やっぱりおかしいんじゃないの??
 
 
そう思って、翌日JASに電話してみた。
 
するとその答えは、こうだったのである。
 
 
 
「その場で苦情を申し立ててくだされば、対応いたします」
 
 
 
おいおい。
 
てことはなにか?
 
文句を言った客にだけタクシー代かなにかを払って、なにも言わない客はほったらかしなのかよ。
 
 
その飛行機はほとんど満席だったから、200人以上の乗客が路頭に迷っているのだ。
 
それなのにこの航空会社は、なんの対策も講じない。
 
品川まで、バスの四台もチャーターすれば、みんな無事に家に帰れるのに、それすらしないって、どういうことなんだ???
 
 
 
ちなみに私は、最近ついにスイカを買ったんだけど、発売から今までずーっと買わないでいた。
 
なぜならJRが、なかなか私鉄やバスとの相互乗り入れを許さなかったからだ。
 
しかも韓国には、同じシステムのパスカードがあるんだけど、そっちは一度に多額のチャージをした場合には、数百円分余計に乗っけてくれるというようなサービスがある。
 
 
しかしスイカにはそういうのもない。
 
 
そういうJRの殿様商売が嫌いだったから買わなかった。
 
 
あるいは旅行中に会った、資産運用で旅費を稼いでいる夫婦に聞いた話では、日本の投資会社はとにかく手数料をとるので、外国の投資会社の方が断然いいそうだ。
 
 
こんな感じで、日本の大企業というのは、どうも信用できないと私は思う。
 
きっとやつらも、世界一の金持ち日本人からなら、多少カネをボッたくってもいいだろうと考えているのではないだろうか???
 
ボッタクルのはインド人だけではないのだと心得よう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
モロッコの総選挙 2007年09月21日01:45
 
 
ちょっと古いが、9月8日にモロッコで総選挙があった。
 
読売新聞の扱いは国際欄のベタ記事だったが、引用すると、
 
 
選挙は比例代表制で、33の政党から約6700人が立候補。各党とも失業対策や社会保障制度の充実などを公約に掲げるなど、明確な争点はなく、国民の関心は高くない。
 
 
定数は325人、有権者数は1550万人だという。
 
33の政党から6700人。
 
 
多すぎねえか?
 
 
たとえば日本の2005年の衆院選挙の立候補者総数は1132人だったそうだ。
 
立候補者数を定数で割ってみると20人にひとりの当選確率だ(日本は2.3倍)。
 
おそらくみんな、なりふり構わず政府のエライ人に賄賂を送って、候補者に擁立してもらっているのに違いない。
 
 
 
「各党とも失業対策や社会保障制度の充実などを公約に掲げる」
 
なんていうのも、いかにもいかがわしい。
 
40%を越えるといわれる失業者に、どうやって仕事を与えるのだろうか。
 
外国に出稼ぎに行かせるくらいしかないだろうに。
 
 
 
それから三日後の朝刊に選挙結果が出ていた。
 
 
 
投票率。
 
たったの38%だったらしい。
 
 
 
ああモロッコ。
やっぱりダメな国だ。
 
特権階級が好き勝手やって、一般庶民は手も足も出ないのだ。
 
 
 
しかし今回の選挙では、野党の穏健イスラム政党が躍進したらしい。
 
この間のトルコの選挙でもイスラム政党系の大統領が当選したらしいし、イスラム諸国では宗教勢力が発言力を増している。
 
トルコもモロッコも世俗主義が強い国だが、政府レベルでは西洋に同調し、金持ちがもっと金持ちになる一方で、民衆レベルが不満を募らせていることがよくわかる。
 
イスラム諸国に限らず、中国でもインドでも貧富の差がどんどん広がっている。
 
 
世界はそろそろ、ぶっ壊れるんじゃないだろうか。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中東の笛 2007年09月20日23:41
 
 
この間の日記で言及した「中東の壁」は上述の通り「中東の笛」の間違いでした。
 
それで、である。
 
ちょっとネット検索したら以下のようなサンケイスポーツのコラムがあったので少々長いが引用しよう。
 
 
 
ハンドボールの中東びいき
 
ハンドボールは日本では注目度が低いが、意外なことに大金持ちで鳴るクウェートの王族がアジアハンドボール連盟(AHF)を事実上支配しているそうだ。愛知県で開催中の男子北京五輪アジア予選は、韓国の監督が「この大会はシナリオが決まっているのではないか」と皮肉ったほど、中東びいきの笛が問題になっている。
 
日本にとって山場となった3日のクウェート戦では国際連盟(IHF)が推薦したドイツ人審判をAHFが却下し、イラン人ペアが審判を務めた。前半、日本は15−15で折り返したが、後半11分に守備の要・永島が不可解な判定で失格処分を受け、流れが一変。27−29で敗れ、20年ぶりの五輪への自力出場が消えてしまった。
 
1日のクウェート−韓国でも、ヨルダン人審判のひいき判定のおかげか、28−20でクウェートがアジア最強の韓国を破った。観客席からペットボトルが投げ込まれ、日本協会の市原副会長が「スポーツの尊厳を損なう」と嘆いたほどだ。こんな「中東の笛」の疑問はいまに始まったことではない。
 
04年アテネ五輪アジア予選ではクウェート、サウジアラビア、カタールなどが参加をとりやめた。それまでの大会で結託して日本や韓国など東アジア勢に勝つため審判を買収していたのでは、との疑惑が大会前に広まった。IHFが問題視し中立審判の派遣を決めたが、疑惑を認めたと思われても仕方ない棄権だった。(以下省略)
(サンケイスポーツ・今村忠)
 
 
 
これまでクウエートは、世界選手権には参加するのに、五輪予選には参加しないという不思議な傾向があったという。
 
今回参加を決定したのは、要するにオリンピック予選の審判の買収に成功したからではないかという疑惑が持たれるわけだ。
 
そして事実、そのような判定が問題になっている。
 
 
 
クウエートの王族というのはホントに腐ってるね。
 
金の使い方間違ってるだろオマエら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サッカーと柔道 2007年09月18日00:26
 
 
私はサッカーはやらないけど、観戦するのはそれなりに好きなので、ワールドカップなんかもそれなりに見ている。
 
しかしこの競技の大嫌いなところがひとつだけある。
 
すなわち。
 
 
 
大げさに痛がってペナルティを取ろうとすること。
 
 
 
これだけは醜い。
 
ちょっと引っかかって転んだだけなのに、スネを抱えて、今にも死にそうなほど痛がる。
 
そして審判の笛が鳴ると、さっさと立ち上がってプレーに戻る。
 
 
 
お馴染みの光景である。
 
 
 
もちろん痛がるのも勝つためなのはよくわかる。
 
しかし私は、
 
「やっぱりこれ、どうなのよ」
 
と思うのだ。
 
少なくともフェアプレーではないよな。
 
 
 
「相手のミスを誘って勝つ」
 
 
 
これはもう西洋人の思考そのままという感じがする。
 
 
というのは、ついさっきまでやっていた世界柔道を見ていて思ったことでもある。
 
柔道では突き指しようが脱臼しようが、試合を続行しないと負けになる。
 
だから「怪我をした方が悪い」ことになる。
 
これはとても日本的な考え方である。
 
しかし西洋では違って「怪我をさせた方が悪い」ことになる。
 
これは現代の法治社会の根幹にある考え方でもあるし、一概に悪いことではもちろんないけれど、一方で「故意に相手のミスを誘う」という発想につながるのだと思う。
 
 
 
柔道はもともと日本の武道だけど、これが世界的なスポーツになると途端に世知辛くなる。
 
たとえば外国人選手は、帯をわざと緩く結ぶんだそうだ。
 
それはスタミナが切れかかる後半に少しでも休む時間を稼ぐためらしい。
 
「だったらこっちもやればいいだけのことじゃないか」
 
ということになるわけだけど、これはやっぱフェアプレーじゃないよね。
 
 
「ウソをついた方、狡い方が勝つ」
 
 
というのはやっぱりフェアじゃない。
 
しかしそれがまかり通っている。
 
 
そこに私は西洋人の、
 
「法律に規定されていなければ、なにをやってもいい」式の考え方を見てしまう。
 
アメリカの訴訟社会なんかと同じ発想なんだと思う。
 
 
 
読売新聞によると、国際柔道連盟の理事会選挙で山下理事が落選して、その背景には露骨な買収があったそうだ。
 
不思議なのはその買収を誰も非難しないことである。
 
どう考えても贈収賄はよくないだろ。
 
しかし新聞はそれを非難せず、逆に今までの実績を訴えてきた日本の選挙運動を「甘い」と言う。
 
 
 
なぜ正々堂々と運動した山下を非難するのだろう。
 
世の中なんか間違ってないか???
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
紅海ってきれいかなあ? 2007年09月11日00:27
 
 
今回の長期旅行で楽しみにしていた場所のひとつがダハブだった。
 
ダハブ。
 
紅海に面した貧乏旅行者向けのリゾート地。
 
 
 
かつて友人のウメモリ氏が沈没してたらしい。
 
そしてすばらしく美しいという紅海の海。
 
 
 
そんなことでエジプト観光をさっさと終えた我々は、いそいそとダハブに向かった。
 
 
ダハブは確かに居心地のよい町だった。
 
ツーリストが必要なネット屋やレストラン、安宿、シャレた土産物屋が軒を連ねている。
 
 
 
しかしどこかで見たことのある風景だ。
 
どこだろうか。
 
と考えていて、それがタイのピピ島だとわかるまで5秒くらい。
 
要するに世界中どこでも、外国人貧乏ツーリストが集まるリゾートというのは同じニオイを発するものらしい。
 
 
 
気を取り直して、この時のために日本から送ってもらった度付き水中マスクでシュノーケリング。
 
 
あれ?
 
 
あんまりきれいじゃない。
 
魚がいない。
 
確かに透明度は30mくらいはありそうだ。
 
しかし魚がいないので、なんとなく、なにもないでっかい水槽の中に沈んでいるような気分である。
 
これなら、我々の乏しいシュノーケリング歴でも、フィリピンあたりの海の方がよっぽどきれいだ。
 
 
 
その感想を在ダハブの日本人ダイバーにぶつけてみた。
 
彼の答えはこうだった。
 
「フィリピンと比較されると困りますよ」
 
つまりフィリピンに比べると、紅海も見劣りがするというのは、ギョーカイの常識のようなのだ。
 
 
ではなぜ紅海が「世界一」といわれるほど、もてはやされているのか。
 
それはおそらく西洋人が最も多く訪れる、もっともポピュラーな熱帯の海だからである。
 
 
 
同じことをスペインのアルハンブラ宮殿でも思ったことがある。
 
イスラム建築の極致とも言われるアルハンブラ宮殿。
 
確かに精緻な彫刻は芸術的にすばらしい。傑作と言われるのもわかる気もする。
 
 
 
しかし一番ではない。
 
一番というなら、私はイランのエスファハンに残っているいくつかのモスク建築の方が、数段美しいと思う。
 
このふたつの事例に共通するのは、ふたつとも、
 
「西洋人がもっとも身近で見つけたものを勝手に世界一と言っている」
 
に過ぎないということだろう。
 
 
カッパドキアの石窟にしても、インドのエローラ遺跡に比べたら規模も完成度も「へ」みたいなものだった。
 
 
世評に惑わされてはいけない。
 
 
というわけで私は、アルハンブラに行くんだったらエスファハンを、紅海に行くんだったらフィリピンの海をストロングにリコメンドする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バージニア工科大学射殺事件について思うこと 2007年09月10日01:32
 
 
旅日記に書いた転載ですが、ふと思いついたので。。。
 
 
アメリカ史上最悪の殺人事件だったというこの事件は、犯人が韓国人だったことで、私たち日本人にも衝撃を与えた。
 
私はこの事件を、朝鮮日報のウエブサイトで初めてくわしく読んだのだが、犯人の生い立ちが、かなり詳細に紹介されていて興味深かった。
 
そこには彼が強烈に感じていたであろう、白人社会における疎外感が伺われるのだった。
 
 
 
彼は小学校の頃にアメリカに移住した。
 
頭がよく、特に数学がよくできたが、それは英会話が必要なかったからだという。
 
彼にとって英語が話せないことが、学校生活での劣等感につながっていたようだ。
 
授業中に教師が彼に発言を促すと、彼は口ごもった。
 
級友たちは、
 
「中国に帰れ」
 
といって冷やかしたという。
 
アメリカという社会では、「自ら手を挙げないと居ないものと同じである」という。
 
あるいは沈黙していることは考えがないものと見なされ、「頭が空っぽ」であるとされるという。
 
そういう社会では、おそらく大多数の日本人は「存在しない者」として扱われ、「頭が空っぽ」とみなされるのではないだろうか。
 
そういう東洋人にとってはあまりに過酷な社会に突然、彼は放り込まれたのだった。
 
中学高校と、彼はいつもひとりで食事をしていたという。
 
友人は一人もいなかった。
 
 
 
 
彼の疎外感を、私は少しだけ理解することができる。
 
学生の頃に、私は世界中を貧乏旅行して歩いたのだが、現地で出会う旅行者は大多数が欧米人旅行者だった。
 
私は慣れない英語で彼らと会話をし、長い時間を彼らと一緒に過ごした。
 
彼らと行動を共にすることは、金銭的にも、また治安の意味でも不可欠なことだった。
 
 
 
西洋人は大部分が英語に堪能であったので、私はいつしか会話に取り残されて、ひとりで別のことを考えていることが多かった。
 
ある時、七、八人の若い西洋人旅行者のグループに、私も加わっていた。
 
西洋人の若者たちは、様々なことを話題にして話が盛り上がっていた。
 
私には理解できないジョークが連発して、一座は爆笑した。
 
私だけが、その中で意味もわからずに笑っているのだった。
 
「そういえばオレたちはずいぶんいろんな国から来ているよな」
 
ひとりが言った。
 
「そうだな。オレはオーストラリアだ。彼らはフランス人だ、彼はスイス人だ。彼はドイツ人だ」
そしてその中のひとりが私を振り返り、指さして言った。
 
「ほら、ここに日本人もいる!」
 
「オレたちはなんてインターナショナルなんだ!」
 
私はそのインターナショナルな若者たちの中で、ひとりだけ疎外感を感じているのだった。
 
 
 
 
南米最南端の国立公園のトレッキングツアーに参加した。
 
ここでも私以外は全員が西洋人だった。
 
食事は必然的に全員でとることが多かった。
 
私はその時、長い徒歩旅行が終わり、帰国してからの就職活動を目前に控えてひどく落胆していた。
だから誰とも積極的に口をきこうとは思わなかった。
 
私はいつもひとりで食事をして、トレッキング中もひたすらひとりで歩いた。
 
従って全員が嫌でもひとつところに集合しなければならない食事の時間は、私にとってもっとも苦痛な時間だった。
 
ランタンに照らし出された山小屋の大テーブルに、私以外の全員が集まって談笑が始まった。
 
南米ではあったが、交わされていた会話は英語でなされていた。
 
私は薄暗い小屋の片隅に立ち、ひとりでたばこを吸っていた。
 
鬱々とした気分だった。
 
「どうしたの? こっちに来なさいよ」
 
西洋人グループの若い女性が振り向いて私を誘ってくれた。
 
テーブルに集まっていた全員の視線が私に向けられた。
 
その視線は、異物を見つめるような冷たいものであり、私はその視線に射すくめられるように、その場を動くことができなかった。
 
 
もちろん非は私にあるのだ。
 
ひどく気持ちが落ち込んでいたために、積極的に他人と話をしたいと思わなかったのは、私の事情
なのである。
 
しかしその時の、ランタンに照らし出された大テーブルの、西洋人たちの陰影の濃い横顔と、その凍えるように冷たい視線を、私は忘れることができない。
 
 
 
 
そしてこの時、私が感じていた疎外感というものは、おそらくこの犯人のものと同質であったに違いないと私は思う。
 
 
「アメリカでは自ら発言しなければ居場所がない」
 
私はその時、そのことを強烈に肌で感じたのである。
 
 
 
 
私はキリスト教社会に根強い「排他性」というものに思い至らざるを得ない。
 
歴史上、異端を攻撃し排除してきたのがキリスト教社会であった。
 
その社会で唯一生き残ったユダヤ教徒も、たびたびの迫害に遭っている。
 
自分たちと他者との間に明確な違いを発見して、攻撃しなければ止むことがない。
 
「ユダヤ人がいなければ、我々は別のユダヤ人を作り上げたに違いない」
 
とサルトルが言うように、キリスト教社会はそうして他者を発見し排撃することで、自らのアイデンティティを確認する。
 
キリスト教社会には、伝統的にそういう異端者排撃の風習があった。
 
確かにそういう傾向は、およそどこの民族にも認められることではある。
 
しかしオスマントルコ帝国の寛容性と引き比べたとき、その排他性、不寛容の態度は、あまりに過酷すぎはしないだろうか。
 
異物として排撃されたとき、ユダヤ人は火を放たれた村の中を逃げまどうしかなかった。
 
同じように異物と断定された時、彼は自分の殻に引きこもり、孤独と戦うしかなかった。
 
そしてそれがある一線を越えたとき、「復讐」という発想が彼の心の中に芽生えたとしてもおかしくはないだろう。
 
 
 
当然ながら非は彼にある。
 
アメリカという社会に溶け込めなかった彼の一方的な「逆恨み」である。
 
 
しかし彼の気持ちを、私は少しだけ理解することができる。
 
それは彼が感じていたであろう強烈な疎外感を、他ならぬ私自身が経験したからだと思う。
 
西洋人の「自己主張の社会」で東洋人が生きていかなければならない過酷さに、彼は耐えることができなかった。
 
それは私たちにとっても身近なことではないだろうか。
 
前にヨルダンで出会ったカナダに留学していたという日本人学生は、
 
「アメリカは怖いです」
 
と言っていた。
 
英語が話せないことが大変なハンディキャップになる社会。
 
そして発言しないものは黙殺される社会。
 
沈黙している者は無能とみなされる社会。
 
そういうまったく異質の社会に、果たして私たちは耐えられるだろうか。
 
そう考えたとき、犯人である彼の気持ちを、私たちはほんの少しは理解できるのではないだろうか。
 
 
閉鎖的なキリスト教社会の中でもがいていた彼の心の叫びを、誰ひとりとして理解してくれなかったこと。
 
 
それがこの事件を引き起こしたとも言えないだろうか。
 
アメリカ社会という排他的な、そして白人の自己中心主義が極まったような社会で、異物と断定され、孤立してきた彼の気持ちをどうして誰も理解してくれなかったのだろうか。
 
彼はある意味では、アメリカ白人社会のひとりの犠牲者ではなかったのか。
 
 
 
報道によれば、犯人は九分間に170発の弾丸を撃ち尽くしたという。
 
それはアメリカという、ひどく自己中心的な国家に対する、犯人の痛烈な「仕返し」であった。
 
そういう意味で、この事件は9.11自爆テロと本質的には変わらないのではないだろうかという気が、私にはする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
奇妙なペットボトル 2007年08月25日00:39
 
 
うちのトイレには水を入れたペットボトルが置いてある。
 
「これがウォシュレットの代わりだ」と言えば、途上国を旅行した人ならおわかりになるだろう。
 
そうなのである。
 
うちでは「お尻を手で洗う」ことにしたのである。
 
 
 
日本のトイレは、大半の途上国と違って床が濡れてもいいようにはできていないので、尻を手で洗うのにはコツがいる。
 
まず洋式便器にできるだけ浅く座る。
 
ちんぽの先が便器にくっつくギリギリのところである。
 
そうしておいて、身体をいくぶん前倒しにして、尻の割れ目に向けてペットボトルから静かに水を流しこむ。水はバシャバシャとはね飛ぶことなく、尻の割れ目を伝って滑るように便器に流れ落ちていく。
 
その水流を使って肛門を手で洗うのである。
 
最近アラブの金持ちの間で日本のウォッシュレットが大変な人気らしいが、うちでは逆なのである。
 
 
もうひとつ、帰国して途上国化したことがある。
 
インドネシアではフロに入ることを「マンディ」という。
 
そのスタイルは、水槽に張った水を手桶でザブザブと浴びるというもので、西洋式のシャワーよりもずっと水を使う量が少なくて済む。
 
うちでもそれを取り入れることにした。
 
風呂桶に水を張って、これに身体を浸けるのではなく、あくまで水槽にして、手桶で水を浴びるのである。
 
まだ正確に計ったことはないけれども、おそらく一回のマンディで、シャワーで使用する水の半分以下で済んでいると思う。
 
マンディは大変経済的なのである。
 
 
 
それで思い出したが、フィリピンやインドネシアでは、Tシャツの裾を胸までたくし上げて、腹を出して歩いている男をよく見かけるのだが、この間まったく同じスタイルで歩いている遊牧民をモンゴルで見つけたのである。
 
両者の歴史にいかなる交渉があったのか、私は知らない。
 
しかし両方の文化が交錯するのは、紛れもない日本である。
 
日本でこのスタイルで歩いている人も、私は知らない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
激変するモンゴル 2007年08月25日00:19
 
 
風の旅行社の協賛で今月4日から12日までモンゴルに行ってきた。
 
三年前にホームステイしたご家庭を再訪したのである。
 
ご家庭では、子供たちが大きくなり、おじいちゃんが亡くなり、代わりに弟夫婦が同居していて、多少様変わりはしていたものの、おおむね昔と変わらない佇まいだった。
 
 
 
しかし大きく変わったことがある。
 
みんな携帯電話を持っているのだ。
 
三年前には誰も持っていなかったのに。
 
話によるとモンゴルでは今でも携帯は高級品で、通話料もバカにならないくらい高いらしい。
しかしそれでもその便利さには換えられないらしいのだ。
 
 
考えてみれば当たり前のことなのだ。
 
日本でも農家にいち早く携帯が普及したという話を聞いたことがある。
 
野良仕事で一日中家を離れている人にとっては携帯電話はまさに画期的なツールだったのだ。
 
同じことがモンゴルの遊牧民にも言えるのだろう。
 
それにしてもモンゴル人は驚異的に目がいいわけだが、これに携帯電話を持ったら、鬼に金棒というか、もうなんだかすごいことになりそうだ。
 
 
 
もうひとつびっくりしたのがガスコンロ。
 
これも三年前にはなかった。
 
主人に尋ねると、月に一回、ウランバートルに交換に出かけるらしい。
 
今まで遊牧民は牛のうんこで火を起こしていたわけだが、それがプロパンガスに変わった。
 
馬からバイクや車に、牛の糞からガスコンロに。
 
原油価格が高騰し続けるのは、中国を始めとした途上国での消費が激烈に伸びていることが原因だという。
 
モンゴルでその一端を見た気がした。
 
 
 
最近その中国と韓国の大資本がモンゴルに進出して、それが社会問題になっているらしい。
 
あらゆる分野の産業が中国と韓国資本に独占されてしまい、モンゴル資本が育たないのだ。
 
ウランバートルの大学の立て看板に、「見ザル言わザル聞かザル」の政府役人の後ろで札びらをばらまく中国人の風刺マンガを見かけた。
 
モンゴルには豊かな鉱物資源が埋蔵されているそうだが、そういう鉱床も両国が買い占めてしまっているという話も聞いた。
 
 
 
しかし私たち日本人がこの両国の不正を非難することもできない気がする。
 
日本企業だって同じことをして儲けているに違いないのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イランはいい国だ 2007年08月04日01:19
 
 
今回全部で17ヶ国訪れたわけだが、その中でももっとも「よくできた国」、それはイランである。
 
いくつか例を挙げよう。
 
 
イランではポンコツ自動車しか走ってない。ベンツやBMWはまず見かけない。
 
それに対して公共バスは怖ろしく立派なのである。
 
私用車はポンコツでもかまわないが、公用車には金をかける。
 
つまり庶民が利用するものに優先的に金が使われているのだ。
 
しかもそのバスは信じられないくらい安い。一昼夜走り続けたとしても運賃は千円しない。
 
航空運賃もイランの端から端まで飛んでも三千円くらいだという。
 
いかに産油国だといっても、物価と比較してこれほど運賃が安い国というのは他にないだろう。
 
 
 
これと対照的なのがレバノンである。
 
レバノンではベンツしか見かけないというくらいに高級車が多かったが、乗り合いタクシーや公共バスはシリアのよりもボロかった。金持ちは自家用車に乗り、乗り合いタクシーなど利用しない。
 
貧富の差がこれほどはっきりしている国も珍しいと思う。
 
 
 
もうひとつこの国で驚いたのは、都市ガスが広く普及していることである。我々が訪ねたモスレーという北部の田舎町でさえガスが通じていた。
 
たとえばタイでさえ、バンコク以外のどこの都市でガスが普及しているだろうか。
 
この国はそういうインフラがすばらしく整備されているのである。
 
そんな国は途上国では聞いたことがない。
 
 
 
イランでは、石油の恩恵が国民にあまねく行き渡っている感じがした。
 
ホメイニ革命以降、貧富の格差が非常に縮まったという。
 
だから湾岸の王国はイランの革命が飛び火してくるのを極端に恐れている。
 
サウジがアメリカ軍の駐留を認めているのは対イスラエルではない。対イランなのである。
 
 
 
そんなによくできた国であるイランは、アメリカによると悪逆なテロ国家であるという。
 
そして多くの人はその報道を信じている。
 
 
イランといえばひげ面の男たちがホメイニの肖像画を掲げてデモを繰り返している印象しかない。
だからイランに観光に行く人はきわめて少ない。
 
しかしこの国の観光資源は、隣のトルコに勝るとも劣らないのである。
 
 
報道の「恣意性」というものについて、イランに行って改めて考えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再び中国人蔑視について 2007年08月03日03:54
 
 
今回の旅行で一番気になったことが、途上国での「中国人蔑視発言」だった。
 
私はこれを、東はインドから西はモロッコまで、もううんざりするほど経験した。
 
 
 
具体的にはこんな感じである。
 
 
通りを歩いている。
 
前から中学生くらいのガキどもが通りかかる。こっちを見て指を指し、ニヤニヤ笑う。そして通りすがりざまにこう言うのだ。
 
 
「チャンチュンチョン!」
 
 
これはネットで調べてみると、かなりの人が書き込んでいる。
 
つまり日本人旅行者の多くの人が同じ経験をしているのだ。
 
 
 
気になって帰国してから、何人かの、かつての貧乏旅行者の友人に尋ねてみた。
 
多くは八十年代後半から九十年代前半にかけて旅行していた人たちである。
 
彼らの話を総合すると、
 
「中南米ではそういうことがあったけれど、中近東では聞いたことがない」
 
ということだった。
 
 
これは私の経験とも合致する。
 
九十年代始めに私はエジプト、ヨルダン、イラク、チュニジア、アルジェリアなどを旅行したけれど、中国人といってバカにされるようなことは、エジプトでちょっとあった以外は、一度もなかったのである。
 
その頃から、我々を指さして「チノ!」(中国人を意味するスペイン語で、現在では広く蔑視的に使用される)とバカにしていたのは、私の経験では南米のボリビア、ペルーあたりと、西アフリカくらいだった。
 
この両地域に共通しているのは、歴史上もっとも白人に痛めつけられたことであり、その意味ではなんとなくわかる気もするのである。
 
中島義道という人の『ウイーン愛憎』という本があり、これによると八十年代の始め頃に、オーストリアで子供に「チャンチュンチョン」と言われたことが書かれている。オーストラリアはドイツ語圏で、トルコ人の出稼ぎが多いという。
 
ということはその起源はヨーロッパにあるのかもしれない。
 
 
 
ということで話を総合するとこういうことになる。
 
 
「チャンチュンチョン」は当初はヨーロッパの一部でなされていた中国人蔑視発言で、八十年代までは西洋諸国でなされていた。途上国では中南米と西アフリカに限定されていた。
 
しかし九十年代後半になって突如として、その範囲が広がり、広くインドから中近東、モロッコに至るまでに広がったのである。
 
 
 
なぜ九十年代後半なのだろうか?
 
チャンカネ氏は、中国人は世界中どこにでも住んでいるので、バカにされやすいのだろうという。
 
たしかにそれもあるのだろうと思う。
 
しかし私はもっと作為的なものを感じたりする。
 
 
思うに91年の「ソビエト崩壊」が大きな原因ではないだろうかと。
 
ソビエトは反帝国主義、反資本主義という意味で、歴史上途上国の味方だった。
 
それが崩壊して、あらゆる途上国は、程度の差こそあってもアメリカに接近せざるを得なくなった。
 
そのアメリカに公然と対抗している大国は、現在では中国以外にない。
 
そこにアメリカの作為的なものを感じるのだ。
 
 
つまりこうである。
 
 
アメリカは、中国を貶める報道を繰り返しているのではないだろうか。
 
私はBBCの番組を見たことがある。
 
中国の貧しい農家で、菜っ葉の炒め物を囲んで大家族が一膳メシをかき込んでいた。
 
そういう報道が何度も繰り返しされたら、誰も中国を「頼むに足りない」と感じるようになるだろう。
 
もちろんなにかの確証があって言っているわけではないのだけれど、あるいはそういう偏重報道があって、それが途上国の人々の中国人蔑視に影響しているのではないだろうかと考えるのは、あながちはずれているわけではないようか気がするのだ。
 
 
ある友人はその話をすると、
 
「中国なんて軽蔑されても仕方がないことをやってるだろう」
 
と言う。
 
確かにそうだ。最近は特にひどい。
 
しかし私はそういうこととは別にして、アラブ人の中国人蔑視は、どうも不当な気がしてならない。
 
人種差別が、ある種のコンプレックスの裏返しだとするのなら、アラブ人のコンプレックスは十数年前と比べて怖ろしく強くなっているということを意味しないだろうか。
 
それが昨今のアメリカの強硬姿勢が原因であるのは言うまでもない。
 
私はそういうところに、なんだか不吉なものを感じたりするのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
途上国の教育 2007年08月01日00:16
 
 
今回の旅行でもうひとつ考えたことがある。
 
それは途上国の学校教育が完全に形骸化しているのではないかという疑問である。
 
 
 
例を出してみよう。
 
モロッコで聞いた話だけれども、モロッコの小中学校では毎日膨大な量の宿題が出されるという。
 
私が訪ねた家の中学生の女の子は、いつ見かけても勉強していた。理由を尋ねると上述の通りだった。
 
 
しかもモロッコには小学校から「退学」があるのだという。
 
毎日大量の宿題を出しておきながら、できないと落第させ、それが何年か続くと退学になる。
 
モロッコの識字率はいまだに半分以下に留まっている。
 
その理由は、要するに「子供の教育の切り捨て」によるのではないだろうか。。
 
貧しい家の子供が、それほどたくさんの宿題を毎日こなせるはずがない。
 
おそらく政府はそれを知っていながら、平気で退学させる。
 
まるで国民に「故意に」まともな教育を受けさせないという暗黙の方針でもあるかのように。
 
 
 
途上国ではエリートが出世する道が閉ざされているというのはよく聞く話だった。
 
希に出現した秀才は、たとえばアメリカの大学に留学して、そのまま研究機関に就職してしまうのが普通なのだという。
 
祖国に錦を飾っても、就職すらまともにできないのが現実なのである。
 
 
なぜそうなってしまうのか。
 
おそらくそういう「成り上がり者」は現体制の支配層には邪魔なのだろう。
 
オックスフォードに留学する国費留学生も、すべて高級官僚や軍人の子弟で占められているのが、おそらく途上国の現状なのだろうと思う。
 
 
 
もうひとつシリアで聞いた話。
 
「シリアでは、論理的な思考を要する学習がまったく行われない」
 
と、お世話になった青年海外協力隊の隊員が言っていた。
 
授業内容はひたすら「暗記」なのだという。
 
教育は受けさせるけれど、余計なことは勉強させない。
 
 
それが政府の方針なのである。
 
シリアに限らずアラブ諸国の本屋に行くと、アラビア語の書籍が極端に少ないことに気がつく。
 
七割以上が英語、仏語の洋書で、アラビア語の本はほとんどが宗教関係の書籍のようだった。
 
もちろん言論統制のためもあるのだろう。
 
しかしもしかしたら「書き手」がいないのではないだろうかと私は思った。
 
こういう教育の形骸化というのは、おそらくモロッコやシリアに限ったことではないだろう。
 
おそらくすべてのアラブ諸国、もっと言うと、多かれ少なかれすべての途上国で、このような教育の形骸化が進んでいるのではないかと思われる。
 
途上国の未来は、あまり明るいものではないと、私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本はやっぱりいい国だ 2007年07月31日22:21
 
 
昨日、高円寺の写真バー白黒で、久しぶりにイラストレーターのM氏と飲んだ。
 
M氏はベトナム好きで、東南アジアの三輪車について研究している五十年配のおじさんである。
 
そして熱烈な社会党支持者でもある。そんなM氏に、
 
「今回の旅行でもっとも感じたことはなにか?」
 
と問われて、私は、
 
「月並みだけれども、日本はなんと制度の整ったすばらしい国だろうかと再確認した」
 
と答えた。
 
ゴリゴリの社会党支持者であるM氏は即座にそれに反論したのは言うまでもない。
 
M氏にとって自民党一党独裁の現体制は許されるものではなく、石原知事は憎き右翼であり、金満日本がすばらしい国であるなどという言説は、許し難い暴言なのである。
 
 
 
しかし私は自説を曲げることはなかった。
なぜなら日本は間違いなく、世界でもっとも誇るべき、よくできた国だからである。
 
 
たとえばこんな例はわかりやすいだろう。
 
インドを始め途上国では「列を作って並ぶ」ということは滅多にない。
 
誰もが窓口に殺到して我先に手を伸ばす。
 
 
 
なぜ彼らは並ばないのか。
 
 
逆の例を考えてみればいい。
 
なぜ日本では、きちんと列に並んで、みんなおとなしく順番を待っているのだろうか。
 
それは誰もが均等に、同じサービスを享受できることを確信しているからである。
 
順番がくれば自分の要件は満たされる。その時は必ずやってくる。国とか公共とか企業に対する信用が高いのだ。
 
 
しかしインドではそうではない。
 
怠慢な役人は傲慢だし、窓口は人がいても当然のように閉まってしまう。列車のチケットはいつ買えるかわからない。
 
要するにこの国では、国とか公共に対する信用がまったくないのである。
 
誰も政府なんか信用していない。
 
パキスタンのフンザで会った青年が言っていた。
 
 
「この国の政府はなにもしてくれないよ。中国かインドに併合されていた方がよっぽどマシだったよ」
 
誰もが等しくサービスを享受できないこと。
 
それが途上国の人々が「並ばない」理由なのである。
 
日本で誰もがルールを守るのは、「守らないと損をする」からである。
 
途上国でそういったモラルが通用しないのは「ルールを守っていては損をする」からではないだろうか。
 
 
こんなことを考えただけでも、日本という国がいかによく治まったいい国であるかがわかるというものだろう。
 
 
しかし少々酔いが回りすぎたM氏は、私の言説を否定し続け、「日本は間違っている」と主張し続ける。
 
確かに間違っている部分も多々あるだろう。
汚職もあるし談合もある。
 
この間の赤城農林大臣の「領収書二重会計問題」というのもあった。
 
しかし合計して三十万円くらいの領収証と(もちろん裏ではもっとあるのだろうが)、たとえばネパール国王の巨額の公費濫費を比べたら、その規模はもう天と地の違いである。
 
 
私たちが考えられないような不正が公然と行われているのが世界の大半の国の政治の実態なのである。
 
そういうことを、私は今回の旅でよくわかった。
 
例を挙げればきりがないほどである。
 
 
結局話は折り合うこともなく、酩酊してしまったM氏はフラフラと帰って行った。
 
M氏は酒好きで、旅行前もよく飲んで元気だったのだが、今回二年ぶりに会ってみると、ずいぶん酒が弱くなったような印象だった。
 
私の亡くなった父親もそうだった。
 
彼の健康を気遣わずにはいられなかった。
 
 
 
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