沸騰都市イスタンブール 2008年06月29日22:34
 
 
最近楽しみにしているNスペの「沸騰都市」シリーズ。
 
今回はトルコの首都イスタンブール。
 
この間の旅行で最後に訪れたのが、この町だったので、嫁さんとふたりでフムフムいいながら観ていた。
 
 
現在イスタンブールでは、建国以来の国是である世俗派=政教分離派と、イスラム保守派が対立しているという。
 
世俗派は、おおむね経団連などの経営者サイドで、保守派はおおむね貧困層である。
 
 
 
宗教というのは貧困の度合いと大きく関係している。
 
貧困層の方が信心深く、生活が豊かになってくると、信仰心というのは自然と薄くなってくる。
 
現代の日本もそうだ。
 
西洋諸国もそうだろう。
 
 
つまりトルコでは、ごく大雑把に言うと、
 
 
 
金持ち=世俗派=西洋迎合派
 
貧乏人=保守派=反西洋迎合派
 
 
 
という対立が起こっているわけだ。
 
 
経団連の人々はEU加盟に熱心で、EUの委員長を呼んで熱心に加盟を働きかけるが、逆にトルコの社会保障その他の不備を厳しく指摘されてしまった。
 
 
トルコは40年前に加盟申請して、いまだに加盟が認められていないという。
 
のらりくらりと、はぐらかされ続けているわけだ。
 
 
 
トルコの車のナンバープレートは、EUと同じだ。
 
それを見たドイツ人は、
 
「やつらはEUに加盟したくてウズウズしているんだ」
 
とハナでせせら笑っていた。
 
 
 
EUに加盟すれば、さらにビジネスチャンスが広がる。
 
経団連にとっては、うまみがあるに違いない。
 
 
 
逆に貧困層にとっては、たいへんだ。
 
今のスペインのように、とんでもなく物価が上昇してしまう。
 
「スペインの一般庶民で、毎月貯金ができている人なんていないよ」
 
と知人が言っていた。
 
ユーロになれば、そういう状況になることはわかっている。
 
だから貧困層は、おおむねEU加盟に反対しているらしい。
 
 
 
 
私が思うに、EUがトルコを加盟させることはないと思う。
 
たぶん彼らはイスラムのトルコを加えないでいられることがベストだと考えている。
 
ヨーロッパはキリスト教の連合体である。
 
数百年来の脅威であって、一方で憧憬の対象であったオスマントルコ帝国が、ヨーロッパの一部だと考える西洋人は、おそらくほとんどいないと思う。
 
 
 
 
最後に、テレビではイスタンブールだけを扱っていたけれど、トルコの東半分は、かなり厳格なイスラム社会なんだそうだ。
 
だから今までの世俗主義がまかり通ってきたのは、西半分に過ぎない。
 
トルコに大勢いるクルド人などの意向は、中央政府はまったく感知していない。
 
そういうトルコの暗部も、できれば放送してほしかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
沸騰都市ダッカ 2008年06月22日22:47
 
 
NHKスペシャルの「沸騰都市シリーズ」。
 
今回はバングラデシュの首都ダッカだった。
 
 
繊維産業の急激な伸びで、高成長を続けているというバングラデシュ。
 
かつでは中国で大量に生産されていた衣類だが、バングラデシュの人件費が中国の3分の1ということで、世界中からの受注が激増しているという。
 
 
これらのベンチャー企業に融資しているのは、巨大なNGO団体である。
 
このNGOはインターネットを僻地に普及させる事業も展開している。
 
これによって農家はダッカの市場価格を事前にすることができる。
 
昨今の穀物価格の高騰にもかかわらず、仲介業者との交渉では10年前の価格に据え置かれていたという。
 
ネットの普及は、公正な取引を助けてくれるわけだ。
 
 
 
 
私はバングラデシュには行ったことがないけれど、隣のカルカッタで、バングラ難民のスラムは見たことがある。
 
彼らが恐ろしく無表情だったのが印象的だった。
 
それが今回の映像では、瞳が輝いていた。
 
人生に夢も希望も持てなかった人々が、大きく変わりつつあるのが、よくわかった。
 
 
 
 
もうひとつよくわかったことは、この国の政府の無策ぶりだ。
 
上記の成長のためのインフラを整備してくれたのは、NGO団体である。
 
政府はなにもしてくれない。
 
いや、むしろ「積極的になにもしない」のである。
 
 
 
 
これについて、かつて読んだ「ガンジー自伝」(中公文庫)の訳注にあったインドの土地支配制度、「ザミンダル制」を思い出した。
 
 
 
「イギリスは、そのインド征服以前から地代=地租を徴収していた収税人をそのまま地主として法制化し、封建的搾取関係を温存しながら支配した。これがザミンダルの制度で、不在地主が多かった。この制度化の耕地は、全インド耕地面積の約四分の一に及び、ベンガル、ビハール両州では耕地の大部分(中略)を占めていた」
 
 
 
かつてのベンガルとは、現在のインドのカルカッタ周辺とバングラデシュのことである。
 
インドの農地改革の不徹底によって、このザミンダル制度が現在でも温存され、それがインドの経済発展を阻害する大きな要因のひとつになっていることは、よく指摘されることだ。
 
 
 
バングラデシュの耕地の大部分が不在地主の所有だった。
 
つまりバングラデシュの農民のほとんどが小作農だったわけだ。
 
サイクロンやガンジス川の氾濫も原因なのだろうが、おそらくこのザミンダル制が、この国の貧困の大きな要因でもあるのに違いない。
 
 
 
こういうひと握りの不在地主が代議士や官僚を独占して、この国の利権をごっそり掌握しているであろうことは想像に難くない。
 
 
そして既得権益を失いたくない彼らは、国民が無知で無教養でいてくれる方が有り難い。
 
だからネットを普及させるようなことは最初からしない。
 
小学校で落第制度を設け、平気で子供たちを退学させる。
 
 
途上国では水道が普及していないが、とあるNGOの人が言っていた。
 
「水道が普及すれば、多くの小学生が学校に通えるはずだ」
 
貧しい家庭では水汲みは子供の仕事なのだ。
 
 
水道を引けば就学率が上がる。
 
 
穿った見方をすれば、そこから彼らの搾取の芽を見つけられるかもしれない。
 
 
オマーンのように、公に「女性には学校教育を受けさせない」といってしまうと国際的に非難を浴びてしまう。
 
だから教育制度は表向きは整備するけれど、実態は有名無実だ。
 
途上国は小学校初年の就学率は高いけれど、卒業する頃になると半分くらいになってしまう。
 
要するに政府には、国民にまともな教育を施そうという気なんか最初からないのだ。
 
支配階級の人々は、あらゆる手を使って人々を貧困のまま据え置いて、既得権益を温存しようとしているのである。
 
 
 
NGO団体の支援やネットの普及によって、一般の人々が、彼ら支配階級に対抗しうる力を蓄えつつあるというのは、見ていてとても晴れがましく思えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
結局、「豊かさ」ってなんだろう 2008年06月20日00:03
 
 
これまで4回にわたって取り上げてきた「豊かさとは何か」(てるおかいつこ 岩波新書)である。
 
 
この本によると、西ドイツの人々、つまり広く西洋人一般に言えることだと思うけれど、かれらにとっての「豊かさ」とは、
 
 
「創造的で自由な生き方ができることであり、それを最大限に可能にする政治、社会」
 
 
ということだそうだ。
 
一見して、なろほど、その通りかもしれないな。
 
と思うわけである。
 
 
 
しかし私は、いままでいろんな途上国を歩き回って実感したところでは、この西洋人一般が信じる「豊かさ」の基準は、おそらく普遍的なものではないと思う。
 
 
 
たとえば中近東のイスラム社会。
 
かれらにとって「創造的」だの「自由」だのというのは、どうでもいい。
 
そんなことよりも、たくさんの子供たちと孫に囲まれて、一族が繁栄する様を眺めて暮らすことが、もっとも幸せなのである。
 
だから創造的だとか、そんなことはどうでもいい。
 
部族の中で身内と一緒に暮らすわけだから、自由なんかないけれど、逆にそれが彼らにとっては居心地がいい。
 
だから西洋人が意味する「自由」も必要ない。
 
アッラーのお恵みで、たくさんの子供に恵まれ、五十過ぎでさっさとリタイアして、あとは近所のチャイ屋で水パイプをふかしながら、幼なじみと世間話をする。
 
それが彼らの「豊かな暮らし」なのである。
 
 
 
 
それでは日本はどうだろうか。
 
 
おそらく日本でも「創造的で自由な生き方」が豊かだとは、かつては誰も考えていなかっただろう。
 
いまでこそ多くの人が、西洋の価値観に染まっているから、なるほどそうかも、と思うだけだ。
 
 
では日本人の「豊かさ」というか、幸せの基準はなんだったのだろうか?
 
それはおそらく「立身出世」ではなかっただろうか。
 
 
 
戦国時代の「一国一城の主」に始まり、「末は博士か大臣か」とか、「故郷に錦を飾る」「功成り名を遂げる」「ひと旗あげる」「身代を築く」など、出世を意味する諺はたくさんある。
 
庶民出身の豊臣秀吉がやたら人気があり、もともと殿様の徳川家康がそうでもないことからもわかるだろう。
 
現在の受験戦争も、もとはと言えば立身出世のためだ。
 
西洋では考えられないほど受験が激化したのは、子供に対する親の期待が、西洋人以上に過剰だからに他ならない。
 
日本人にとっての「豊かな社会」とは、本来、「立身出世ができる社会」なのではないか。
 
 
 
こういう傾向は、おそらく韓国や中国も同じだと思う。
 
これらの国には「科挙」があった。
 
身内の誰かが科挙に合格することが、一族を挙げての快事だった。
 
現在でも両国の受験戦争の厳しさは、ときおり報道されるとおりだ。
 
 
 
つまり東アジアでは「立身出世」が「豊かさ」の象徴だったのである。
 
 
そしてそういう国の国民が、セコセコと一生涯働き詰めに働いて、西洋人以上に財をなすのも当然のことなのである。
 
ウサギ小屋と呼ばれる劣悪な住宅環境に甘んじて、満員電車に1時間以上も揺られて通勤するのも、自分と子供たちの立身出世のために他ならない。
 
創造性だの自由だのと言う前に、まず汗を流して働くことが、私たちの国では尊ばれる。
 
 
 
西洋人が理想とする「豊かさ」とはまるで違う価値観が、私たちの国にはあるのだから、彼らにとやかく言われる筋合いはないのである。
 
 
↑もちろんそれがいいか悪いかは別なんだけどさ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
かさとは何か〜その3 2008年06月19日00:42
 
 
しつこく3連発である。
 
 
この本では、老人ホームについての記述がある。
 
例によって著者は、西ドイツの福祉がいかに充実しているかを日本の貧しさと比較して力説する。
 
 
 
「ドルトムントのシュタイナー方式の老人ホームも、ボンの市立のホームも、西ベルリンのホームも、個室は、寝室、居間、風呂、台所、玄関がついていて、日本式にいうとマンションである。売店もあるし、町にも近いので、自分で自炊したい人は自分の部屋の台所で自炊をする。廊下には二、三人でちょっとしたお茶を飲むコーナーもあるし、友人や家族がたずねてとき水入らずで食べる小食堂もある。ホーム中の人が集まって誕生会やクリスマスに食事をする大食堂、通りに面したところには町の人といっしょに食事をする食堂と、食堂だけでもいくつもあって、バラエティにとんでいる」
 
 
 
一方で日本の公的老人ホームは、四人部屋が基本で、医者が常勤していなかったり、私立の場合は倒産の危険があったりで安心できないという(いまはずいぶん改善されているんだろうが)。
 
 
大変優雅で、非の打ち所のない西ドイツの福祉制度なのだ。
 
 
 
しかしどうなんだろうか。
 
 
そもそも老人たちは、老人ホームに希望して入居したんだろうか。
 
本当は家族一緒に過ごしたいのが、本音なのではないだろうか?
 
 
 
 
私はよく知らないけれど、「老人ホーム」という施設をつくる発想自体が、西洋のものなのではないかという気がする。
 
そしてそういう施設をつくって、ある意味で老人を「棄民」してしまう考え方が、いかにも西洋らしいと私は考えてしまう。
 
 
 
 
西洋という国は、「万人の万人による闘争」といわれ、有名な諺に「神は自ら助くる者を助く」とあるよるに、個人の自立が求められる大変過酷な社会である。
 
 
そこでは弱者と強者を厳しく峻別する習慣があるように思われる。
 
 
奴隷制度もそうだ。
 
レディファーストという考えもそうだ(本来的に女性差別が存在しなければ、そもそもジェンダーなんて問題になるはずがなかった)。
 
動物愛護もそうだ。
 
環境問題もそうだろう(弱りつつある自然を人間様が救ってやろうということ)。
 
そして老人福祉政策もそうではないか。
 
 
つまりこれらすべては、語弊を恐れずにいえば、ダーウインの適者生存に敗れた連中に対する施し、つまり「勝ち組による負け組に対する施し」なのである。
 
 
弱者に保障することはもちろんいいことだ。
 
しかしそこに彼らが好む「平等」という概念はない。
 
彼らの視点はあくまで遙かな高みにある。
 
「上の者から下の者への施し」なのである。
 
 
 
 
日本には、もともとこれほど厳格な区別がなかった。
 
変なたとえだが、江戸時代の戦闘は男女混浴が普通だったそうだ。
 
動物を祀る神社や寺はたくさんある。
 
終身奴隷のようなものは日本には存在しなかったらしい。
 
だから女性の権利がことさら主張されることもなかったし、動物をことさら「愛護する」必要もなかった。
 
 
そして老人が、狭い老人ホームに隔離されることもなかったのではないだろうか。
 
 
 
 
 
本書では、西ドイツの在宅ケアの篤さについても触れていて、それに関わる看護士の待遇のよさも報告している。
 
大金をかけて豪華な老人ホームを建てるよりも、むしろそっちの方が重要なのではないだろうかという気がする。
 
 
 
 
 
最後にもうひとつ付け加えると、西洋人は足が悪くなる老人が多いそうだ。
 
それは海藻を食べる習慣がないので、これに含まれるヨードが足りないことが理由のひとつといわれる。
 
これに加えて坂がない。
 
私が遊びに行く奥多摩の集落は坂だらけだが、寝たきり老人はひとりもいないそうだ。
 
つまり山国日本は、老人の足腰が鍛えられ、ふんだんにヨードを補給して、寝たきりになる確立が、西洋よりもずいぶん低いことになる。
 
 
 
日本はバリアフリーが遅れているとか、よくいわれるが、本来そんなものは必要なかったんだから仕方がないのである。
 
そして足の悪い老人が多い西洋で、そういう施策がいち早く取り入れられたのも、当然のことなのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊かさとは何か〜その2 2008年06月18日02:06
 
 
前回の続き。
 
この本に書かれている内容で、聞き捨てならないことの「その2」である。
 
 
 
この本では「ウサギ小屋」という言葉が頻繁に出てくる。
 
もちろん日本の住宅環境の悪さを象徴した言葉だ。
 
それに比較して、西ドイツはすばらしい。
 
 
 
「あるときシーメンスに勤めている四人家族の家を訪問したが、地下室にはピンポン室や、食糧の貯蔵室、来客用の浴室とトイレなどが完備し、家族の誕生祝いのときなど三十人ぐらいの友人を招待する、といっていた。一階は台所、リビング、ピアノをおいたひろい客室などがあり、二階は書斎、子ども部屋、寝室、夫婦それぞれの個室がある。三階は、いわゆる納戸になっている。その広さと、設備の立派さに驚いたが、それは標準的なサラリーマンの住宅だという」
 
 
 
こんなゼイタクな暮らしを、いったい世界中のどれだけの人が享受できているだろう。
 
私は五十ヶ国くらい外国を訪ねたけれど、多くの国は日本よりも劣悪な住環境だった。
 
 
 
つまりこういうことだ。
 
 
国民の平均的な暮らしが、これほど豪勢な国というのは西洋諸国だけである。
 
世界平均の住環境というのは、彼らの言う「ウサギ小屋」なのだ。
 
 
 
なぜ彼らだけがこんな巨大な邸宅が必要なのだろうか。
 
 
それはおそらく彼らの「個人主義」が影響しているように思われる。
 
よく言われるように、彼らは幼少の頃から自分の部屋を与えられて、自立を促されるそうだ。
 
そうすると子供の数だけ部屋が必要になる。
 
だから家は大きくならざるを得ない。
 
 
 
しかし日本を含めた大多数の国は、親と一緒に寝るのが普通だ。
 
だから部屋数はそれほど多くなくてもいい。
 
 
ウチがある青梅市には、いくつか古民家が移築されて展示されているが、昔の庄屋さんの邸宅でも、客間を含めて四〜五室くらいだ。
 
 
一般農家だった古民家に至っては土間と囲炉裏がある板間以外に二室しかない。
 
そこに家族全員が暮らし、一緒に寝るのが普通だった。
 
だから大きな家なんて必要なかった。
 
 
そしてそういう暮らしが、アジアでは普通だったのだ。
 
タイの山岳民族も、モンゴルのゲルも、砂漠のベドウインも、ひとつの部屋に家族一緒に寝るのが普通なのである。
 
それが世界のスタンダードなのであって、西洋のように「ひとり一室」なんていう暮らしは、世界標準でもなんでもない。
 
そしておそらく彼らだって、かつてはそういう暮らしだったに違いないから、経済が発展し、個人主義が発達して以降の、ごく最近の出来事に違いないのだ。
 
 
 
日本は、もともと相部屋文化だった。
 
江戸時代の旅籠は普通に相部屋だった。
 
西洋のように個室があり、その個室に便所も風呂もついているなんていうのは、決して世界標準ではなかったのである。
 
彼らの世界でも稀なほどゼイタクな住環境を基準にして、「日本が貧しい」などと言ってほしくない。
 
日本の家が狭いのは、というよりも狭くてもかまわないのは、一種の文化でもあるのだ。
 
 
 
土足で家に上がり込むのもそうだ。
 
私が知る限り、中国が唐時代に土足になったのを例外にして、アジアからアフリカまで、世界中のあらゆる地域が「土禁文化」である。イランでも靴を脱ぐし、モロッコでも靴を脱ぐ。モンゴルでも寝るときは絨毯を敷いて靴を脱ぐ。
 
 
つまり「土禁文化」こそが世界標準なのである。
 
 
土足で家に上がり込むなんていう下賤な文化は、ヨーロッパにしかなかったといっていい。
 
 
日本人はいつも西洋を基準にして物事を考えるけれど、彼らが決して世界のスタンダードなんかではないことを、いつもアタマに置いておくべきだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊かさとは何か 2008年06月17日00:50
 
 
同名の本を、今読んでいるところだ。
 
岩波新書で、著者は「てるおかいつこ」
 
↑すいません。とっても難しい字なので平仮名で勘弁してください。
 
 
豊かさとはなんだろうか。
 
 
この質問に対して、著者は、自ら在住経験の長い西ドイツを例に出して、西洋社会がいかに進歩的で、福祉が充実した社会であるかを力説している。
 
町には緑が多くて、人々は生き甲斐を持って生きている。
 
まさに理想郷のような世界が描かれている。
 
 
 
発売されたのが1989年。
 
当時日本はバブルで、人々は馬車馬のように働いて、代わりに好景気に沸いていた頃である。
 
 
だから著者が西洋に傾倒して、日本の福祉がまだまだであると力説するのもわからなくもない。
 
確かに当時は「ゆとり」という言葉が頻繁に出てきた頃だったように思う。
 
卒業してから学校が週休二日になって、なんだか損をしたような気分になったことを覚えている。
 
そういう時代だったんだから仕方がない。
 
 
 
 
しかし著書を読んでいて、聞き捨てならない部分が多々あったので、ここに紹介して糾弾したい。
 
 
それは著者が現地西ドイツの学生にインタビューした内容である。
 
日本について彼らはこのような質問を著者に投げかけたそうだ。
 
 
 
 
「日本では和とは調和とか言うけど、いつも周りに合わせて自己規制をしていてるのでは、新しい考えや文化は生まれないでしょう。(以下省略)」
 
 
オマエたちの社会とは違うんだよ。
 
オマエたちのその個人主義が通用するのは、世界でもオマエたちの地域だけでしかないんだ。
 
世界中がオマエたちのやり方を押しつけられて、紛争が起きて何万人も人が死んでいる事実を、オマエはどう考えるのだ。
 
 
 
別のページでは、西ドイツの学校に子供を入れた母親の談話で、こんな部分もあった。
 
 
「ペーパーテストの点がいいのに、通信簿で3の評価しかもらえなかったので、教師にその理由をきいたところ、「あなたのお子さんには、自分の意見がないから」と言われたという」
 
 
その子に決して意見がないのではない。
気後れして意見が言い出せないだけだ。
 
それをなぜ、このドイツ人教師はわかってあげないのだろうか。
 
著書ではドイツの教育制度の優秀さ、教員の質の高さを褒め称えているが、奥手の子供の意見をじっくり聞いてあげられないような教師が、なぜ優秀なんだろうか。
 
 
世界の多様性をまったく理解しようとせずに、自分たちの主義、制度が正しいと信じて疑わない、この学生や教師の考え方が、多くの西洋人に共通していることは言うまでもないだろう。
 
 
 
しかしもっと聞き捨てならないのがある。
 
少々長いが引用しよう。
 
 
 
「私たちは南アフリカから輸出される商品を、その背後にある人種差別社会のゆえに、ボイコットする運動をしています。しかし、考えてみると、日本から輸出される安い自動車やコンピューターの背後にも同じ問題があります。自動車を作っている下請け労働者の長い労働時間やウサギ小屋の住宅。少ない有給休暇や、退職したあとの老人福祉の貧しさ。そんな犠牲の上に作られた日本の商品と競争するためには、ヨーロッパの国も同じレベルにまで勤労者の生活を落とさねばなりません。 (中略) 日本の方が、国際社会の進歩に合わせるべきでしょう。日本人が、日本の中だけで生きていくのなら、日本人が好きなように、長時間労働でも何でもすればよいけれど、国際社会の中で生きていこうとするのなら、国際社会のルールに従ってほしい」
 
 
 
オレは知ってるぞ。
 
イエメンにはドイツ製のビスケットがあふれかえっている。
 
ドイツから大量の乳製品が輸入されて、イエメンの酪農業が大きな打撃を受けていることを。
 
そしてそのイエメン人たちは、空き缶でチャイをすすっていることを。
 
 
 
悪いことをしているのは、日本だけではない。
 
オマエたちの国だって、世界中の後進国から搾取して、その優雅な生活を維持しているのだ。
 
日本が福祉や社会保障制度が西洋ほど拡充していないのは、それらを犠牲にして資本を経済発展に向けなければならななったからに他ならない。
 
そしてそういう社会制度が西洋でうまくいき、他の地域で停滞するのは当然なのだ。
 
なぜなら西洋人が発明した制度なんだから、西洋で最もうまくいくのは当然なのだ。
 
 
 
オマエは日本の安い製品と競争するせいで、自分たちの生活レベルが落ちてしまうから迷惑だという。
 
しかしオマエの国が輸出する安い乳製品が、イエメンや他の中東諸国の酪農業を廃業に追い込んでいることについては、どう思うのだ。
 
 
そもそも市場経済を世界中に押し広げたのは、オマエたちだろう。
 
貿易をさせろと言って、日本や中国、韓国を開国させたのはオマエたちの方だ。
 
そうやって自国の製品を世界中で売りまくって莫大な富を築き、その恩恵で、オマエたちが自慢する「充実した社会制度」ができあったのではないのか。
 
そして自分たちよりも高性能で安い製品を作る国が出てくると、「その国のやり方が悪い」「自分たちに合わせろ」と言って非難する。
 
 
 
どうしようもないのである。
 
彼らの「自分たちを棚に上げて他人を非難する」「自分たちが正しいと信じて疑わない」のには、本当に閉口する。
 
 
今のドイツ人学生がどういう考え方をしているのか、私は知らないけれど、もう少し自己批判的で、客観的に物事を判断できるように成長していてくれることを期待するしかない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
GDP世界一ルクセンブルクのインチキ 2008年06月16日13:08
 
 
世界の「1人当たりのGDPランキング」というのをみると、上位十数ヶ国がすべて西洋諸国で占められているのは周知の通りだ。
 
中でも堂々の一位は、ルクセンブルクという小さな国で、八万ドルある。
 
 
日本が三万数千ドルだがら、二倍以上稼いでいることになる。
 
 
しかしよく調べてみると、この国の人口は50万人程度でしかない。
 
 
日本だって人口が半分になれば、1人当たりのGDPは二倍になるわけだから、なるほどそういうカラクリか、と納得した。
 
 
 
 
しかしウィキペディアを見ていたら、もっと興味深いカラクリが書いてあった。
 
以下に抜粋してみると、
 
 
 
「経済が好調なために諸外国からの経済難民を多く抱える。殆どの経済難民は不法労働者であり、ルクセンブルクの国籍(あるいは労働許可証)を取得することが出来ない。故に、統計上は貧困層とはみなされない(発覚した場合は国外追放される)。」
 
 
 
つまりこの国の「実際の人口」は50万人どころではない。
 
JETROによると、この国の外国人比率は他のEU諸国と比べて異常に高い。
 
その割合は04年で38%、17万人以上に達するという。
 
 
つまりドバイやサウジなどの異常な出稼ぎ率の高さと、たいして変わらないことが、この国でも起きている。
 
 
 
 
それどころではない。
 
おそらく実情は、これら中東諸国よりも、もっと過酷なのである。
 
 
当然ながら、そういう不法就労の外国人には、なんらの社会保障もない。
 
医療保険もない。
 
労災も降りない。
 
年金もない。
 
つかまったら強制退去させられる。
 
 
サウジやドバイのインド人労働者は、当然就労ビザを取得した正規労働者だから、労災も医療保険も受けられる。
 
しかしこの国の労働者には、それがない。
 
 
 
そして、そういう悲惨な境遇に置かれた、おそらく数十万人の、なんの保障もない貧乏な外国人をこき使い、彼らが稼いだGDPを、五十万人の「正規市民」に上乗せすることで、この国の、
 
「国民1人当たりのGDP=8万ドル」
 
という驚異的な富裕が成り立っているのである。
 
 
 
 
こういう国家的不正は、西洋では普通に行われているようだ。
 
 
前にスペインからルーマニアに行く格安の長距離バスに乗ったとき、乗客は我々以外すべてルーマニア人の出稼ぎだった。
 
バルセロナを出発して、フランス、イタリアを通り、オーストリアからハンガリーに出国するときに、検問があった。
 
バスの運ちゃんがやってきて、乗客からお金を回収している。
 
我々のところにもきた。
 
金を払えと言う。
 
当時の日記を抜粋してみよう。
 
 
 
 
隣のおじさんはこう言った。
 
「警察だよ。やつらは金が好きなんだ」
 
警察への賄賂だというのである。
 
いったいどこの警察だろう。
 
ルーマニアの警察だろうか。
 
共産圏の警察はタチが悪いと聞くが。
 
「違うよ。オーストリアの警察だよ。金を払って荷物検査を免除してもらうんだ」
 
なるほどそういうことだったのか。
 
彼らのあの大量の荷物を考えれば想像がつくではないか。
 
おそらく税関申告で引っかかる人がたくさんいるのだ。
 
それを少々の金を払って見逃してもらおうということらしい。
 
金はひとり5ユーロだった。
 
我々も当然払った。
 
それにしても先進国といわれる国で、こんな賄賂が通用するとは思いもよらなかった。
 
ちなみに一応、
 
「レシートはくれないの?」
 
と聞いてみたが、
 
「そんなもんねえよ」
 
と言われた。
 
 
 
 
 
「オーストリア」のような国は、世界でも最も政治制度がしっかりした、公明正大な社会が実現されているのだろうと、我々は思うわけである。
 
しかしそんなことはない。
 
貧乏な旧共産圏の人々から、小銭をせびるようなセコイことを、この国の警察はしている。
 
 
 
同じように「ルクセンブルク」という立派そうな国でも、不法就労で文句も言えない貧乏な出稼ぎポルトガル人から、半ば公然と搾取するような社会制度が、まかり通っている。
 
 
1人当たりのGDPランキングなんてものが、いかにアテにならないか。
 
 
私たちは常にギモンを持たなければならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アラスカのフェリーで 2008年06月13日13:13
 
 
昔、アラスカからシアトルに戻るフェリーに乗ったときのことだ。
 
そのフェリーは酒類の持ち込みが禁止されていたのだが、船内のバーは当然高いので、学生の貧乏旅行者だった私は、密かに缶ビール数本とウイスキーを持ち込んだ。
 
 
10月で、すでに凍えるほど寒かったけれども、私は最安のデッキで、寝袋を敷いて寝ていた。
 
夜になってすることもないので、缶ビールを取り出してチビチビ飲んでいると、運悪く警備員が通りかかった。
 
警備員は私が飲んでいる缶ビールを見咎めると、ツカツカと近づいてきた。
 
そして缶ビールをひったくるようにして奪い取ると、横にあったゴミ箱に乱暴に放り込んだ。
 
「他には持ってないな?」
 
警備員は居丈高にそう尋ね、肩を怒らせて立ち去った。
 
 
 
 
もちろん圧倒的に私が悪い。
 
フェリーは「酒の持ち込み禁止」だったんだし、アメリカでは公共の場での飲酒は禁止されているからだ。
 
 
 
しかしこの警備員の態度はどうだろう。
 
「飲酒は禁止されていますから、そのビールを廃棄してください」
 
というひと言があってもいいはずだろう。
 
そして、このときは想像もしなかったけれど、もしも私が西洋人の若者だったらどうだろうかと考えてみる。
 
 
警備員は同じような横柄な態度で、缶ビールをゴミ箱にぶちまけたかもしれない。
 
 
 
しかし違ったかもしれない。
 
いや、おそらく違っただろう。
 
 
 
前に紹介した、中島義道氏の「ウイーン愛憎」(中公新書)の一節を、もう一度引用しよう。著者がウイーンで出会った西洋人の傲慢を記した部分だ。
 
 
 
「私がとりわけ不愉快に感じたのは、われわれアジア人がなんらかの失敗をしでかしたときの、犬を叱りつけるような高圧的な教えさとすヨ−ロッパ人の態度である。
銀行の窓口でふらっと入ってきた身なりのあまりよくない台湾人が、列の後ろにつかずそのまま窓口に進んだところ、店長が人差し指をグッと立て腕を伸ばして「後ろへ並べ!」と大声でどなったり、市電の終点でアラブ系の若者がまだ全員降り終わっていないのに電車の中に飛び込もうとしたところ、中年の大男が「降りろ!」と言いながらその若者の首筋をつかみ引きずり降ろしたり、唖然とする例をしばしば見かけたが、私は彼らがこのような手荒い処置を大人のヨーロッパ人に対して講じているのを見たことがないのである」
 
 
 
今になって考えてみると、アレは私が東洋人だったからだろうか、と考えてしまうのである。
 
 
 
たとえば日本の警察官が、同じような軽微な犯罪を犯している西洋人に対して、ここまで居丈高な態度をするだろうか。
 
おそらくしないのである。
 
 
 
 
我々は、いつも絶対に正しい。
 
そのやり方に従わない連中は悪者だ。
 
ましてや一段劣った東洋人が、我々のやり方に従わないのは、けしからん。
 
 
 
 
要するにそういうことなんだろう。
 
 
 
しかし一方で、こういうこともあった。
 
同じフェリーに乗っていて知り合った白人の若者と、一度だけ船内のバーに行った。
 
 
そこでカウンターのおばちゃんと、なにを話していたのか、すっかり忘れてしまったが、とにかく、そのフェリーが酒の持ち込み禁止だということについての話題だった。
 
そこで少々酔っていた私は、フトコロからヒミツに持ち込んだウイスキーの瓶を取り出して、ニヤリと笑ったのだ。
 
 
するとおばちゃんは非常に狼狽して、低い声で鋭く言った。
 
「アンタ! そんなもの早くしまいなさい!」
 
 
このおばちゃんの狼狽ぶりからも、アメリカでルールを守らないことに対する制裁の徹底ぶりがうかがえるというものだ。
 
 
 
 
しつこいけれども、悪いのは一方的に私の方なのである。
 
しかし、「そこまでするかよ」という思いが今もくすぶっている。
 
 
一方で、ルールを守らない東洋人に対して心配してくれる、寛容なおばちゃんもいるところに、まだ救いがあると思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガソリン170円超
 
 
ガソリンが高い。
 
やってられないくらい高い。
 
昔は満タンで10リットルに満たないバイクに給油するときは、1000円札出して余裕でおつりが来たものだが、今では1500円必要だ。
 
バイクならたいしたことないが、車になると切実である。
 
車好きの人には、まったく迷惑なご時世になってしまった。
 
 
 
しかし。
 
日本は、まだまだガソリンが安い方なのである。
 
世界中の発展途上国は、信じられないくらいガソリンが高い。
 
 
二年前にパキスタンに行ったとき、乗り合いバスの運ちゃんが給油するのを観察していた。
 
 
1リットル=57ルピー(114円)
 
 
だった。
 
今でこそ安く感じるけれど、当時は日本と同じか、少し高いくらいの値段だったと思う。
 
数十円でカレーとナンが食えるパキスタンの物価を考慮すれば、50ルピーといえば、500円以上の価値がある。
 
いや、もっとかもしれない。
 
 
 
なんでこんなに高いのか。
 
しかもイスラム諸国は、中東産油国から「お友達価格」で売ってもらえるはずなのに。
 
 
おそらく、すさまじく税金が高いのだろう。
 
この国でマイカーを持っている人なんて、ごく一握りの大金持ちに過ぎない。
 
あとは業務用のバスやトラックだけだ。
 
政府としては「取れるところから税金を取る」という魂胆なんだろう。
 
だから一般のパキスタン市民にとっては、ガソリンがどれだけ高かろうが、たいして痛痒も感じていないに違いない。
 
 
 
値段は聞き忘れたけれども、モロッコでもガソリンが高いそうだ。
 
おそらく同じ理由によるのだろうと思う。
 
乗用車などというものは、庶民の暮らしからすれば、大変な贅沢品なのである。
 
 
 
日本では、みんなが「高い高い」と不平を言う。
 
しかし実は、物価に照らして、日本はガソリンが非常に安い。
 
 
 
税金という意味で考えてみれば、日本では、他からごっそり徴収できるので、ことさらガソリンに課税する必要がないんだろう。
 
しかし途上国では、きっと徴税する対象が限られるんだろう。
 
そもそも所得税を払っているんだか払ってないんだかわからない人が普通なんだろうし、だから企業に課税して、そのぶんが商品に上乗せされているんだと思う。
 
 
これだけガソリンの値段が低く抑えられている日本という国は、本当に裕福なんだと思うのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
力とは、すなわち体力である 2008年06月10日01:12
 
 
会社を辞めてからジョギングを始めた。
 
最初の頃は、中野の自宅周辺に流れている川沿いに三キロも走ったら、ヘロヘロになって帰ってきたものだが、最近はずいぶん距離が伸びた。
 
今日なんてウチから二つ先の日向和田の駅まで行って帰ってきた。
 
「なんだよ、たったの二駅じゃないかよ。楽勝じゃねえかよ」
 
などと笑ってはいけない。
 
中央線も青梅まで来ると、駅と駅の間隔がバカみたいに長いのである。
 
 
 
たとえば中野〜高円寺間は1.4キロ。
 
高円寺〜阿佐ヶ谷間は1.2キロしかない。
 
 
 
しかし青梅〜宮ノ平間は2.1キロ。
 
倍近い距離があるのだ。
 
 
そんなことはいいとして、1時間ぶっ通しで走り続けて、尻の割れ目まで汗が滴り、股ズレが痛くなったころにようやく帰還。
 
走行距離は十キロである。
 
今も足が少々だるいが、明日はさらに距離を延ばして……なんてことは考えずに休養日としようと思う。
 
 
 
 
ところで冒頭の言葉は三島由紀夫の言葉である。
 
気力とはすなわち体力のことなのだ。
 
体力が落ちると、自信がなくなり、やる気がなくなる。
 
体力に自信があれば、少々のことでもがんばろうという気になる。
 
まことに真理であると思う。
 
 
三島自身も剣道で身体を鍛えたマッチョな人だったらしい。
 
 
 
足の骨を折ったりして入院して、そのままボケてしまうお年寄りも多いそうだが、これも要するに同じ理屈によるのだろう。
 
 
そういう理屈で考えると、
 
 
三浦雄一郎は、
 
 
絶対にボケない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安物な世の中 2008年06月10日01:12
 
 
先日、奥多摩の古民家に付随している物置や別棟の風呂トイレ、プレハブ住宅などを取り壊した。
 
友人ら数人に協力してもらって自力でぶっ壊したのだが、プレハブ住宅のあまりの安普請ぶりにびっくりしたので、そのことを書こう。
 
 
 
ご想像されるように、プレハブというのは構造が非常に簡単である。
 
基礎を造り、四方の柱を建てて、間に石膏ボードの壁を差し込んで、梁を上げて、ベニヤで天井を張り、屋根にトタンを打ち付けて完成である。
 
 
 
壊す順序としては、この正逆で解体していく。
 
屋根に登って、垂木に打ち付けてあるトタンのクギを引き抜いていき、トタンをはがすと梁が見えてくる。
 
その下はベニヤ一枚なので、踏み抜くと墜落して怪我をする。
 
慎重に垂木を外していき、最後にベニヤを落とす。
 
これで天井が抜けた。
 
 
 
そして下から梁を外す。
 
あれ? やけに軽いな。
 
ノコギリで切ってみると、なんと直径15センチほどの太い梁は、内部が空洞だった。
 
つまり厚さ3センチほどの板を張り合わせただけの合材だったのである。
 
壁は石膏ボードにベニヤ板を張りつけただけ。
 
外壁はサイディング(防水加工した合板)である。
 
安物をつなぎ合わせたような建物だった。
 
 
 
次に隣に建っている別棟の風呂トイレ小屋を解体した。
 
こちらは在来工法で建っていて、柱も梁も重く、しっかりとしていた。
 
母屋を建て替えるときの廃材を再利用したらしく、木目の美しい材木があちこちに使われていた。
 
まだまだ使えそうなので、傷つけないように外して保管してある。
 
 
 
一方でプレハブはというと、ベニヤなどの合板と石膏ボードが山積みになっており、これらはすべて廃棄物である。
 
捨てるしかない。
 
 
ということで、現代のプレハブ建築がいかに安普請で、しかも再利用が効かないかということを痛感した。
 
 
 
 
しかし考えてみれば当然なのである。
 
安いんだから。
 
すでに廃棄物である廃材を接着剤で固めた合板を使っているのだから、再利用が効かないのは当然なのだ。
 
 
今私たちが使っているカラーボックス。
 
どこの家にもひとつはあるだろう。
 
あれも木くずを接着剤で張り合わせた合板でできている。
 
だから安い。
 
しかし有害物質が含まれているから燃やすこともできない厄介なものだ。
 
 
プレハブというのは、要するにでっかいカラーボックスのようなものなのだ。
 
 
今私たちが使っているもので、100年後でも大事に使われているものは、いったいいくつあるだろうか? 
 
と想像してみると、おそらくひとつもないだろう。
 
いま私たちが使っているものは、すべて、100年後といわず、数十年後にはきれいさっぱりなくなってしまうだろう(それも潔くていいかもしれないが)。
 
 
しかし100年前のモノは、いまでもたくさん残っている。
 
奥多摩の古民家がまさにそれだ。
 
今の時代は本当に「使い捨ての安物文化」なんだなあと実感した。
 
 
 
政府が100年以上耐久性のある住宅には助成金を出すそうだが、ものすごく賛成である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ランキング」な世の中 2008年06月07日01:52
 
 
嫁さんの話。
 
彼女が最近観た、NHKの番組「クローズアップ現代」の特集は「出版不況」。
 
「なぜ本が売れないのか」
 
を検証していくうちに、書店の売り上げに「ある傾向」があることに突き当たった。
 
それは、書店が発表する「売り上げランキング」が、販売実績に大きく影響しているというのである。
 
書店曰く、売れるのは、一位、二位、三位くらいまでで、他のはちっとも売れないそうだ。
 
ひどいときは「一位以外は全滅」なんだそうだ。
 
 
つまり「売れている」という客観的なデータが、きわめて重要になってきているようなのだ。
 
 
これについて、
 
「現代日本人は相変わらず意志薄弱で、まわりに流されやすい」
 
というような一般論は、おそらく当たっていないだろう。
 
 
 
NHKのインタビューを受けた、あるお客さんは、
 
「せっかく買うんだから失敗したくない」
 
と語ったそうだ。
 
つまり、
 
「ムダなお金を費やしたくない」
 
さらには、
 
「ムダなお金を使う余裕がない」
 
のである。
 
 
 
ここで思い出されるのが、最近問題になっている「格差社会」だ。
 
所得の格差がどんどん開いている。
 
これは経済的にも深刻な問題だ。
 
 
前にも書いた気がするけれど、たとえばここに一億円があって、それをたったひとりが独占している場合と、100人が百万円ずつ持っている場合を想像してみよう。
 
たったひとりが独占している場合、テレビや冷蔵庫やエアコンは一台ずつしか売れない。
 
しかし100人が百万円ずつ持っていれば、それぞれ100台ずつ売れる可能性がある。
 
 
一部の大金持ちが富を独占すると、モノが売れなくなる。
 
 
所得の格差が経済に与える打撃は、そういうところから説明できるだろう。
 
 
今、世の中はそういう時代になって来つつある。
 
 
少子高齢化と格差社会のダブルパンチで、日本経済はどんどん縮小していくに違いない。
 
 
そうなったとき、いったいどういう本が売れるんだろうか。。。。と、けっこうまじめに悩んでしまった。
 
 
日本の先行きは、やっぱり暗そうだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カトリックとプロテスタント 2008年06月05日16:57
 
 
「アルマダの海戦」というのは、16世紀の終わりに、イギリスとスペインの間で行われた海戦だ。
 
「アルマダ」とは「無敵艦隊」と訳される。
 
スペイン語で「arma」=「武器」なので、「armado」=「武装された」の女性形で「armada」となったのだろう。
 
 
この戦争で大西洋におけるイギリスとスペインの制海権が逆転して、その後のイギリスの覇権が確立されたという歴史的意義があるといわれる。
 
スペインはこの艦隊を組織するだめに、アンダルシアの貴重な森林を切りまくり、おかげで現在、スペインの国土の大部分は、はげ山になっているのだそうだ。
 
 
この戦争の背景には、英西の覇権争いとともに、宗教戦争もかなり強く影響している。
 
当時オランダはスペインハプスブルグ家の領土だったが、オランダではプロテスタント勢力が強くなり、カトリック教国であるスペインからの独立運動が激化していた。
 
この運動を公然と支持していたのがイギリスだった。
 
スペインのフェリペ二世は、こういう背景からイギリスを叩くことを決意したのだった。
 
 
もうひとつ、重要な背景がある。
 
当時のイギリスは、スペインの輸送船を頻繁に襲って、物資を略奪していた。
 
後発のイギリスは先進国のスペインから輸送品をかすめ取ることくらいしかできなかったのである。
 
このような海賊行為に業を煮やしたスペイン国王がイギリスに対して開戦したという背景もあるという。
 
 
この戦争について世界史でならった私たちは、なんとなくだけれども、新興国イギリスが、衰亡しかけた大国スペインを颯爽と打ち破るようなイメージがある。
 
黒人奴隷を使って新大陸であくどい商売をするスペイの野望を、正義のイギリスが打ち砕くというような印象である。
 
 
しかしどうもそうではない。
 
 
どちらかといえば非はイギリスの方にあった。
 
海賊行為という無法を働いていたのはイギリスなのである。
 
私たちの歴史観の多くは西洋人の受け売りなわけだが、その中でもプロテスタントの国に大変都合よくできていることがわかる。
 
 
 
彼らにとってはカトリックでさえも異質な宗教である。
 
「ダビンチ・コード」という映画では、キリスト像の前で、自らの身体をムチ打つカトリック修道士の姿が気味悪くに描かれていた。
 
カトリックの奇習は、プロテスタントの人々にとってもブキミなのである。
 
前に書いたとおり、ハリウッドの映画には、カトリック教国を暗に貶めるような作品がけっこうある。→「パッション」「ミッション」など。
 
 
アメリカの歴代大統領でプロテスタントでなかったのは、カトリック信者だったケネディだけだそうだ。
そのケネディも暗殺されてしまった。
 
 
イギリスが最初に植民地にしたアイルランドはカトリック教国だった。
 
 
カトリックとプロテスタントとの確執、というよりも勝者であるプロテスタントによる敗者カトリックへの一方的な偏見というのは、私たちが想像している以上に根深いのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「硫黄島からの手紙」 2008年06月03日19:29
 
 
かつて私は、遺骨収集のボランティアで、この島に二度、渡ったことがある。
 
火山岩と砂礫でできた平坦な島で、あちこちに噴火口があって、場所によっては地熱が非常に熱く、派遣された自衛隊員がサウナに使っている洞窟もあるくらいだ。
 
 
だからこの映画は、帰国してから、いつか観ようと思っていた。
 
 
 
それで感想はというと、なかなか面白かった。
 
特に主人公のとぼけた演技が、深刻なストーリーを和らげてくれて好感が持てた。
 
渡辺謙の栗林司令官も、よかったと思う。
 
 
上官に自決を強要されて、次々に手榴弾で爆死する兵士には、やりきれない思いだった。
 
硫黄島に行ったときに、遺骨収集当初から参加しているおじいさんに話を聞いたことがある。
 
塹壕を進んでいくと、階段に累々と白骨死体が並んでいたそうだ。
 
骨はあちこちに飛び散っており、おそらく集団自決したのだろうという。
 
洞窟の最奥で、機関銃の銃座に陣取ったまま息絶えているご遺骨もあったそうだ。
 
 
硫黄島は二万人もの戦死者を出して玉砕したそうで、投降して生き残ったのは、わずか数百人に過ぎない。
 
だから映画で描かれていたような自決は、実際に起こったことだろうと思う。
 
上官に命令されて、泣く泣く手榴弾のピンを抜いて爆死していく兵士たちの無念の思いがヒシヒシと伝わってくるようだった。
 
 
 
 
この映画は、俳優クリント・イーストウッドが監督をした映画にもかかわらず、全編日本語で、日本軍の視点から描かれていると言うことで、公開時からそれなりに話題だったらしい(というのは私は外国にいたために、事情をよく知らないのだ)。
 
 
太平洋戦争を扱ったハリウッド映画というと、
 
「卑怯な真珠湾攻撃をしかけてきた悪の日本軍を、正義のアメリカ軍が退治する」
 
というのが定番だったわけだが、今回の映画では善玉の日本軍人も登場して、今までの悪役でしかなかった日本軍が、正当に扱われているということで、かなり好意的な評価が多かったんじゃないだろうかと思う。
 
 
 
しかしこの映画を、よく観察していると、そうでもないことがわかってくる。
 
 
この映画で「良心的な善意の上官」として描かれているのは、前述の栗林司令官と、西竹一中佐である。
 
ふたりとも部下思いで、自決や玉砕を強要する他の上官と幾度も対立する。
 
「無駄死にをするな」
 
とか、
 
「自分たちの判断で行動せよ」
 
など、投降を容認するようなセリフが何度も出てくる。
 
常に投降のチャンスを窺っている主人公にしてみれば、まさに「地獄に仏」の上官なのである。
 
 
 
このふたりに共通するバックグランドがある。
 
 
それはふたりとも洋行した経験があるということだ。
 
 
栗林中将は、外遊先のアメリカでパーティーに招かれて、ウイットの効いたジョークを飛ばせるくらいの開明的な軍人として描かれているし、西中佐は先年のロサンゼルスオリンピックの馬術で金メダルを取り、ハリウッド俳優とも親交のあるセレブである。
 
 
要するにこのふたりは他の頭のカタイ帝国軍人とはまるで違う、アメリカナイズドされた人物として描かれているのだ。
 
言い換えれば、彼らは単なるアメリカ人のメタファーであって、はっきり言えば日本軍人ではない。
 
 
このあたりに制作者の意図が見えてくる気がする。
 
 
全体のトーンは、
 
「日本軍人にも善人はいた。日本軍は決して悪党の集団ではなかった」
 
だけれども、よく観察してみれば、その善意の軍人とは、アメリカ人と同じ価値観を体現している人物なのである。
 
 
結局、
 
「アメリカが正しくて日本は悪い」
 
という彼らの大前提はなんら変わっていないのだ。
 
 
 
自決を強要する生粋の日本軍人が、なぜ自殺を強要するのか、なぜそうしなければならないのか、というような問いかけはいっさいない。
 
彼らの思想を理解しようという意志もない。
 
 
自決することが正しいのか、といわれると、私もよくわからないのだが、少なくとも、
 
「そうせざるをえなかった日本軍人の気持ち」
 
を理解しようとする努力はして欲しいと思う。
 
そうでなければ、せっかく日本軍の立場から戦争を描いた、この映画が、単なるアメリカの価値観を押しつける他の無数のハリウッド映画と、本質的に、まったく変わらなくなってしまうと思う。
 
 
最後に「硫黄島」は「いおうとう」と読むのが日本側の正式名称で、「いおうじま」はアメリカ側の名称である。
 
硫黄島の旧島民の中には「いおうじま」と呼ばれることに不快を感じる人もいることを付け加えておきたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
知識人の西洋人びいき 2008年05月31日12:53
 
 
日本のエライ学者というのは、たいだい西洋を向いていていて、その間のアジアや中東がすっぽ抜けている場合が多い。
 
たとえば最近読んでいる、
 
「身辺の日本文化」(多田道太郎 講談社学術文庫)
 
という本にこういう記述がある。
 
 
「ヨーロッパの噴水文化は、つまり、水をここまで引いたという喜びの表現です。新しく土地を拓き、あるいは征服し、水を引いて文明の地とすることができた。これは征服者の喜びであり、誇りの表現です。 (中略) 彼らが噴水を見るときの感動というもの、これはやはり彼らに固有の文明というものに根ざしたものであろうと思われます」
 
 
噴水というのは、その起源はおそらくモスクの中庭に設けられた手洗水だろう。
 
モスクの原型であるダマスカスの「ウマイヤド・モスク」が建設されたのが7世紀の終わり頃である。
 
スペインのアルハンブラ宮殿には無数の噴水があるけれども、この宮殿は13世紀頃にはほぼ完成していた。もっというと九世紀には、すでに城があった。
 
噴水の起源は間違いなくアラブなのである。
 
 
 
 
あるいは前に読んだ、
 
「二つの大聖堂のある町」(高橋哲雄 ちくま学芸文庫)
 
にもこんな記述があった。
 
「地中海地域の乾燥地方はコート・ハウスが一般的である。乾燥地帯は寒暑の差が激しく、とくに夏の熱暑がひどいので、住宅は開口部を小さくして壁を厚くし、真ん中にパティオ、あるいはコート・ヤード(中庭)をとるのがよい。こうすれば室内もひんやりするし、中庭はあかりとりにも役立つからである。中庭はまた日陰の快適な空間を提供する。これがコート・ハウスである」
 
この建築は、まさに「ウマイヤド・モスク」に最初に導入され、その後、アラブの一般家庭の建築様式となって広く普及した典型的なイスラム建築であることは言うまでもない。
 
イタリアの暑さがどうだとか言う前に、まずそのことに触れるべきだろうに、この著者もそういうことにはいっさい触れていない。
 
 
 
西洋の噴水とか庭園なんていうのは、単にイスラム文化の模倣に過ぎない。
 
壮大華麗なベルサイユ宮殿も、言ってしまえばイスラム建築の物真似である。
 
 
「ヨーロッパの諸宮殿は、その源を、ギリシャ、ローマに求めたのではない。それは当時廃墟であった。近代ヨーロッパ宮殿は、オリエント・イスラム宮殿に範を求めたといってもさしつかえないのである。庭園についても同じことがいえるだろう」(イスラム・スペイン建築の旅)(栗田勇 朝日選書)
 
 
ベルサイユ宮殿は行ったことはないけれども、アルハンブラ宮殿が、その後にヨーロッパ各地で造営された壮大な宮殿や庭園の手本になっていることは、見物してみてよくわかった。
 
 
ヨーロッパ文明のすべてとはいわないまでも、そのかなりの部分がイスラム文明の模倣であることは、今やほとんど常識になっていると思う。
 
 
上記の二冊は80年代に書かれたもので、特に西洋文化礼賛という内容ではないのだが、いかに当時の知識人が西洋を向いていて、途中のインドやイスラム文化をおざなりにしていたかがわかる。
 
 
そう考えると早くからアジアに目を向けて、大局的な研究を続けてきた梅棹忠夫教授などの先見の明に、逆に私などは感心してしまうのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アフリカ国家元首のいかがわしさ 2008年05月28日13:37
 
 
世界地図でアフリカを眺めていて、前から不思議に思っていたことがある。
 
なぜ西アフリカの国は、あんなに小さく細分化されているんだろうか。
 
面倒だからひとつにまとめてしまった方がすっきりするのではないかと。
 
しかしそれには理由がある。
 
これらの国の、かつての宗主国を見てみると、西から順番に、
 
 
 
セネガル(フランス)
ガンビア(イギリス)
ギニアビサウ(ポルトガル)
ギニア(フランス)
シエラレオネ(イギリス)
リベリア(アメリカ)
コートジボワール(フランス)
ガーナ(イギリス)
トーゴ(ドイツ)
ベニン(フランス)
ナイジェリア(イギリス)
カメルーン(フランス)
赤道ギニア(スペイン)
 
 
 
なぜこれほど多くの西洋諸国が奴名前を連ねているのかといえば、それは奴隷貿易で儲けていたからに他ならない。
 
つまり、かつての宗主国の黒人奴隷積出港と、その周辺の地域が分離独立したことで、こんなに細かい国が乱立することになったわけだ。
 
西アフリカの奴隷貿易という悲しい歴史の象徴と言えるかもしれない。
 
 
しかし奴隷貿易を単純に、
 
 
西洋人=加害者
黒人=被害者
 
 
という図式で考えてはいけないようだ。
 
西洋人の奴隷商人は直接手を下していたわけではなかった。
 
彼らは現地の黒人部族に「黒人狩り」を委託していたそうだ。
 
実際に奴隷を捕獲していたのは、他ならぬ黒人だったのである。
 
つまり西洋人の奴隷商人の手下となって一緒に儲けていた黒人が大勢いたわけだ。
 
 
そして、ここからは私の推測なのだが、アフリカ諸国が独立しても、そういう支配勢力は変わらなかったのではないだろうか。
 
多くのアフリカ諸国は、独立以来何十年も同じ大統領が再選されたり、軍事政権が続いたりしている。
 
対立する部族を武力で押さえ込み、独裁政権を続けているのが、現在のほとんどのアフリカ諸国の実態なのである。
 
そしてそういう支配階級の多くは、かつて西洋人と一緒になって奴隷を斡旋していた連中なのではないだろうか。
 
 
読売新聞に、「新時代の大陸」という連載がやっているが、以下のような記事があった。
 
「赤道ギニアでは、石油がもたらす富のほとんどを5%に満たない支配層が握る。国家のかじ取りを担うのは、叔父の大統領を処刑し、以後、29年間権力を手放さないヌゲマ大統領だ。反政府運動で拘束された活動家は数知れないという。警察は常時、市民や政治活動に監視の目を光らせる」
 
こういう連中が国賓として日本にやってきているわけだ。
 
 
日本の国益を考えれば、たとえその多くが政府高官の袖の下になってしまうとしても、彼らにODAをばらまくのも仕方がないことなのかもしれない。
 
 
しかしやはりどこかで、割り切れない気持ちになってしまう。
 
 
本当に助けが必要な人たちに、手が届く援助というのは、いったいどういうものなんだろうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
菊と刀 2008年05月27日13:34
 
 
リンボウ先生のエッセイにチラッと出ていたが、欧米の映画には日本人を嘲笑する内容のものがけっこうあるそうだ。
 
くわしくは忘れてしまったが、ビジネスマンの父親が「なにか高級なもの」を買って家に帰る。すると息子がそれをせがむ。それに対して父親が忌々しそうに、こう言うのだ。
 
 
「これは明日、ジャップの連中にくれてやらなければならないんだ」
 
 
リンボウ先生がイギリスにいた頃というのは、きっと世界中でジャパンバッシングが起きていた時代なんだろうから、こういう「日本批判」は、それこそ普通だったに違いない。
 
 
デカプリオが主演した「ビーチ」というハリウッド映画でも、「よくわかんない連中」という感じで日本人が出てきた。
 
「グランブルー」という映画でも「よくわかんない言葉を話す連中」という役回りで日本人が描かれていた。
 
この間観た「フォッグ」というホラー映画のリメイクでは、漁船の船員である黒人が、釣った魚の内臓をつかみだして、釣り客に示して、
 
「スシ?」
 
釣り客は、
 
「今はけっこう」
 
と応対する。しかし対訳では単に、
 
「食うかい?」
 
になっていた。
 
著名な俳優や監督の作品は、日本に配給される可能性も高いだろうから、あからさまなシーンは少ないんだろうが、日本に配給されない圧倒的多数の作品には、私たちが不快に思うような表現が多いに違いない。
 
 
 
日本という国は、近代の西洋人が初めて本気になった「異質で強力なライバル」だそうだ。
 
『菊と刀』(ルース・ベネディクト 長谷川松治訳 現代教養文庫)という本は、著者のオソロシイほどの偏見が滲み出た日本文化論だが、この本の冒頭で著者はこう言う。
 
 
 
「日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で、最も気心の知れない敵であった。大国を敵とする戦いで、これほどはなはだしく異なった行動と思想の習慣を考慮の中に置く必要に迫られたことは、今までにないことであった。われわれは、われわれより前に、一九〇五年に日本と戦った帝政ロシアと同じように、西洋の文化的伝統に属さない完全に武装され訓練された国民と、戦っていたのである」
 
 
 
日本は常に西洋にとって異質な存在であった。
 
彼らにとってアフリカやアジアは征服の対象だったが、その中から自分たちと同程度の軍事力と経済力を持つ国が現れたことは、彼らを瞠目させた。
 
日清戦争あたりから日本は彼らのライバルとなり、同時に手ひどい偏見の対象となった。
 
そういう偏見は、たとえば『ビゴーが見た日本人』(清水勲 講談社学術文庫)なんかの風刺画を見るとよくわかる。
 
同時に日本は、西洋人の好奇の対象となった。
 
西洋諸国以外で、なぜ日本だけが近代化を成し遂げられたのか。
 
日本史と西洋史に、同じ「騎士道」があるとか、封建制度という政治制度があったとか、ムリヤリ共通点を見つけたりするような作業が行われた。
 
なぜ日本だけが近代化できたのか。それはおそらく、
 
「日本が、西洋が発明した社会制度を、ほとんど例外的に、なんの問題もなく受け容れることができた、世界でも稀な国だった」
 
からだと思われる。
 
好奇と侮蔑の対象だった戦前の日本は、当然、列強の間では異端であり続け、同じく後発の異端組だったドイツとイタリアと組まざるをえなくなる。
 
歴史学者の宮崎市定教授は、こう言っている。
 
 
「明らかに日、独、伊の三国は民族的な興隆期にあたっていたのである。この興隆を恐れて、その活動を封じこめようとしたのが、英・米・仏などのいわゆる先進国であって、あらゆる手段を用いて既得の権利を擁護しようとしたことこそ、第二次世界大戦の真因ではなかったか」(「アジア史概説」中公文庫)
 
 
戦争に負けて一文無しになった日本だったが、あっという間に立ち直り、今度はもっと大金持ちになって西洋を圧倒した。
 
すると今度は陰湿な「日本人批判」が行われる。
 
水泳で日本が勝ち続けると、日本人に不利なルール改定が行われる。
 
スキーのジャンプでも、日本人選手が活躍した翌年には、必ず不利なルール改定が行われる。
 
 
西洋が造った世の中の仕組みを、西洋人以上に上手に機能させる日本は、世界の他のどの国よりも、西洋人の批判と偏見にさらされる。
 
それは、ある意味で仕方ないことなのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミャンマー被災地に国際支援受け容れ 2008年05月24日11:52
 
 
ようやく国際支援の受け容れを許可したミャンマー軍政。
 
政府高官が救援物資を横流ししているというウワサもあり、フランスの外相は、
 
「軍政は「金をくれ。我々が配る」と言う。信頼できない」(読売新聞)
 
と、かなり露骨に不信を著している。
 
救援物資の一部が市場で売られていたりもするらしいから、実際そういうことが起きているんだろう。
 
 
しかし一方で、この軍政が外国勢力をかたくなに拒否する理由もわからないではない。
 
かつて欧米列強は、そうやって軍事介入して、アジアを植民地にしてきたのである。
 
中国の義和団事件や、インドのセポイの反乱で、この両国が外交主権を失っていった歴史は教科書にも書いてあるとおりだ。
 
もしも100年前だったら、西洋諸国は「自国民の保護」という名目で、ミャンマーに軍隊を派遣していたことだろう。
 
そしてなし崩しに軍隊を駐屯させ、租借地を設け、傀儡政権を建てて、徐々に植民地化していく。
 
実際ミャンマーは、150年くらい前に、似たようなケースで、イギリスの植民地になってしまった。
 
そしてそういう半植民地化は現在でも行われている。
 
アフガンやイラクに居座り続けるアメリカ軍は、その典型だろう。
 
 
よく考えてみれば、ミャンマー軍政の援助拒絶を批判したり、民主化問題、人権問題を声高に叫んでいるのは、一部の西洋諸国などの、かつての帝国主義国家ではないだろうか。
 
そして外国の介入を「内政干渉」だと反対しているのは、上記のインドや中国など、かつて植民地化された経験を持つ国なのである。
 
もちろんミャンマー軍政としては、国内の失政を公にしたくないという思惑があるだろうし、インドと中国は、この国で握っている利権を手放したくないわけだ。
 
 
しかし、現政権に処理能力がないから、自分たちが救援してやろうという考えは、
 
「アジア人、アフリカ人には政治能力がないから、優秀な西洋人が代わりに国を治めてやる」
 
という、かつての帝国主義の理屈と、あんまり変わらない気がする。
 
被災した数十万人の人々に対して援助が必要であることは確かだし、現軍政が汚職まみれで、ろくな対応もできていないことも、きっと事実だろう。
 
しかし救援活動と同時に、様々な企業が乗り込んで、なし崩しにミャンマーの民主化(つまり西洋寄りの傀儡政権が樹立されること)が進むのは、本当にミャンマーの人々にとってシアワセなんだろうか?
 
コカコーラやマックを食う生活を、彼らが望んでいるのだろうか?
 
私たちは軍政に批判的なメディアの報道で、きっと彼らもそういう「近代的」な生活をしたいのだろうし、「民主化」が達成されることを願っているのだろうと思いこんでいる。
 
ミャンマーのすべての人々が、熱烈にスーチーさんを支持していているものと信じている。
 
しかしそういう報道を本当に信じていいのだろうか?
 
同じ東南アジアのラオスも社会主義独裁政権だが、少なくともラオスの人々は、急激な生活の変化を望んではいなかった。
 
 
民主主義が本当にすべての人々にシアワセをもたらすのか?
 
 
私たちは少々疑問に思うべきではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「正しく 強く 美しく」 2008年05月20日00:06
 
 
ウチの近くの中学校にデカデカと張り出されている校訓である。
 
「正しく 強く 美しく」
 
ああ。そうだよな。
オレだって、そうありたいよ。
でも現実なんて、そんなに甘いもんじゃないんだよ。
 
思わずため息が出る。
 
オトナでさえ胡散臭く思えるこの校訓が、子供の反発を招かないはずがない。
 
だいたい今時、こんな「絵に描いたモチ」みたいな標語をデカデカと張り出す感覚には呆れるよな。
 
 
などと考えてみたのだが、この校訓を見事に体現している国がある。
 
言うまでもなくアメリカだ。
 
もっと言うとアメリカの支配階級である「WASP」である。
 
アメリカはいつも正義で、世界最強の軍事力を持ち、そして美しい。
 
最後の「美しい」はどういう意味だろうか。
 
白人は「美しい」のである。
 
少なくとも西洋諸国は、国策として「ホワイト・ビューティー」を推奨している。
 
途上国のテレビ、雑誌の広告には、白人モデルが盛んに登場する。
 
「白人は美しい」が人々に刷り込まれることによる経済効果は計り知れないだろう。
 
なぜなら誰もが西洋人のように美しくなろうと願い、西洋人の言葉を話そうとし、西洋人のような服を着て、西洋人のように振る舞おうとし、そして西洋諸国の製品を競って買うからだ。
 
 
イギリスが英語の価値を最大限に利用して稼ごうと必死になっているように、西洋人は西洋の価値を貶めないように必死なのだ。
 
製造業などの基幹産業が、軒並みアジアに乗っ取られつつある現在、彼らが生き残りをかけるのは、自らの「ブランド」しかないのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バブルのドバイ 2008年05月19日00:05
 
 
さっきまで「NHKスペシャル」でやっていたドバイ特集。
 
私が訪ねた07年もそうだったけど、すさまじい建設ラッシュが続いている。
 
世界中の建設用大型クレーンの何割かがドバイに集中しているという話を聞いたことがある。
 
総人口と同じだけの外国人労働者がいて、彼らは月給三万円で危険な高層ビルの建築現場で働いている。
 
ドバイは早くから石油が枯渇してしまったそうだ。
だから他の産油国に先駆けて、資源依存型から金融、貿易指向型に転換したようだ。
 
それが大当たりして、現在の世界中の金持ちが集まってくる貿易都市に生まれ変わった。
 
ドバイの現首長には類い希な先見性があったようだ。
 
 
一方で興味深かったのは、イラン人投資家が呈した不吉な予見である。
 
「ドバイの不動産を買っているのは、ほとんどが投資家だ。彼らの目的はカネだ。もしも大量の売りが重なったら、人々は不安になって資産価値は暴落するだろう」
 
まだ完成してもいない物件に数十億円の買い手がつくというドバイの高層ビル。
 
パームジュメイラという人工島の分譲住宅は、五十数億円の値がついているが、住んでいるのは6割ほどだそうだ。
 
つまり残りの4割は投機目的なのである。
 
 
世界最長のタワービルを目指して工事中の「ブルジェドバイ」の配電工事を担当する日立の担当者も言っていた。
 
「金融と観光しかないこの都市に、ホントに人が住むようになるのか疑問だ」
 
ドバイには一千万人が住めるほどの規模で建設が続いているそうだ。
 
果たして本当に一千万人も人が住むのだろうか。
 
それほど魅力的な町なんだろうか。
 
 
経済というのは、信用の上に成り立っている一種の共同幻想である。
信用が失墜すれば、あっという間に崩れ去ってしまう。
 
第一次産業も第二次産業も存在しないドバイの経済は、まさにみんなの幻想の上に成り立っている。
 
株価が暴落して不況になり、会社屋は軒並み倒産し、建設工事はストップして、出稼ぎ労働者は国に帰り、彼らをアテにしてしていたサービス業も撤収する。
 
そうなったとき、ドバイにはいったいどれほどの人口が残るのだろうか。
 
とにかく見ていて呆れるほどのバブルぶりだった。
 
 
最後に面白かったのは、ブルジェドバイの映像が映し出されるたびに、「ブルジェドバイ」のテロップが出る。
おそらくこのビルを宣伝するのが、NHKに提示された取材条件だったんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
デイ・アフター・トゥモロー 2008年05月18日00:43
 
 
テレビでやっていたので、思わず観てしまったこの映画。
 
コンピュータ・グラフィックってここまで来たかと感心してしまったが、ストーリーは最初の10分でおおよそ予測がついた。
 
こういう自然災害映画には、明らかに決まっている「スジ」があると思われるからだ。
 
災害を予測する、主人公であるところの正義の科学者。
それを否定して経済効果を優先させようとする悪玉政治家。
そしてついに災害は起きてしまい、その中で市民(あるいは家族)を助けるために孤軍奮闘する主人公。
 
結末は様々だが、ストーリー展開は、だいたいそんな感じだ。
 
上記のキーワードで、ああそういえばあの映画も……と思い当たる方もおられると思う。
 
 
「タンデス・ピーク」という映画もそうだった。
「ボルケーノ」という映画もそうだった気がする。
「アルマゲドン」もそうだったかな。忘れたけど。
 
 
思うにこういう展開を最初に確立したのは、スピルバーグ監督の「ジョーズ」あたりではないかと思う。
 
 
 
そしてこの種の映画に共通するもうひとつの特徴は、キリスト教的思想が、かなり色濃く反映されているということだ。
 
真実を主張しても群衆に受け容れてもらえない主人公は、まさに「ノアの箱船」の挿話そのままだ。
 
身を挺して人々を救出する主人公は、まさにキリストの犠牲的精神の発露である。
 
この映画でも、上記の科学者である主人公はもちろん、彼の息子も、酷寒の外に脱出しようとする頑迷な人々を諫めて聞き入れられない、まさにノアの役割を演じる。
 
女医である妻は、たったひとりの病人のために、脱出を拒んでただひとり病院に残る。
 
ハリウッド映画というのはこういう自己犠牲の話が大好きだが、それがキリスト教の影響であることは間違いない。
 
そしてよき父親である主人公、その意志を継いだ賢い息子、そして家族思いの善良な母親は、まさにアメリカ人が理想とするところの聖家族(イエスと、母親のマリアと、父親のヨセフ)そのままなのである。
 
ウラを返してみれば、この映画はコテコテのキリスト教啓蒙映画だということがわかる。
 
 
 
しかし別の意味で興味深かったことがある。
 
大寒波の影響で、アメリカ市民が続々と南に避難する。
国境検問で大渋滞が始まり、多くの人々が車を捨ててメキシコへ不法入国を始め、国境が大混乱になる。
 
そこでニュースが流れる。
 
「アメリカ大統領が、中南米諸国の借金免除を約束しました」
 
アメリカがメキシコにいくら金を貸しているのか知らないが、おそらく莫大な金額なんだろう。
 
そして寒波がひと段落したところで大統領の演説がある。
 
「私たちは今、「途上国」と言われる国々に避難しています。しかし途上国の人々は、我々を温かく受け容れてくれました」
 
おそらく今までの映画だったら、災害が収束して「めでたしめでたし」で終わるところだろう。
 
そこにわざわざメキシコとの外交問題を登場させたところに、制作者の意図が感じられる気がする。
 
今は不法滞在のラティーノが際限なく流入して迷惑きわまりないが、ひとつ間違えば自分たちだって逆の立場になりうるんじゃないか。
 
そういう警鐘と皮肉がこめられているように思える。
 
メキシコなんて、アメリカからすればただの「貧乏な隣人」に過ぎない。
 
そういう一般の人々の奢った気分を揶揄するフンイキが感じられて、私としては好感が持てた映画だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミネラルウォーター 2008年05月17日00:10
 
 
何年か前に、NHKスペシャルで「水」についての特集をやっていた。
 
ネッスルなどの巨大な多国籍企業が、世界中の水源を買い占めているという内容だった。
 
アメリカのフロリダ州の、とある水源では、水が枯渇し始め、周辺住民が企業を相手に訴訟を起こしたが、確か敗訴した。
 
「企業が正当に買った土地の利益は保全されるべきである」という判例なわけだ。
 
 
同じような事例を、私はエジプトで目撃したことがある。
 
エジプト西部の「シワ」という名のオアシスは、砂漠のど真ん中にある、ナツメヤシに囲まれた美しいオアシスだ。
 
その水源がペプシなど数社の大企業によって買い占められ、水位が急激に低下し始めたんだそうだ。
 
砂漠の中を10分ほど走っていくと、国営企業の大きな工場があった。
そこで「SIWA」という名のミネ水が生産され、出荷されているという。
 
 
地元の人々は、アメリカのように国営企業を提訴することはできない。
 
なぜならこういう大企業の経営者は、そのまま国会議員だったりするのである。
 
訴訟を起こしたって勝てるわけがない。
 
 
 
このまま水が枯渇したら、オアシス自体が消滅して、人々は離散するしかないだろう。
 
そしておそらく近い将来そうなるのである。
 
 
 
 
つまり、結論を言うとこうなる。
 
 
「ミネラルウォーターなどというものは飲むべきではない」
 
 
ウチは青梅市にあるけれども、水道水で十分おいしい。
 
奥多摩の古民家なんて、年間3000円で渓流の清水が飲み放題だ。
 
中野区の水はおそろしくまずかったが、それは都会に生きる人の宿命として甘受してもらうしかない。
かくいう私も10年以上我慢してきたのである。
 
 
「ロハス」とか「スローライフ」というような言葉に共感する人は、一般的に食の安全に対する意識が高い人々だと思う。
 
そういう人の中には、きっと、
 
「水道水は身体に悪いからミネ水しか飲まない」
 
という人が多いのではないだろうか。
 
しかし彼らが口にする、その水が、そのまま現地の人々の暮らしの死活問題に関わっているかもしれないのである。
 
そのことを、環境問題をとやかく言う人の、いったい何人が知っているんだろうか……と疑問に思ってしまう。
 
この日記で何度も書いているように、私は「エコロジー」とか「ロハス」とかいう言葉が嫌いである。
 
そこになんとなく胡散臭さを感じてしまうのは、こういう素朴な疑問も背景にあるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
たまにはいい話も 2008年05月16日00:55
 
 
毎度毎度、西洋人の悪口を書き連ねているこの日記である。
 
しかし私は決して個人的な恨みがあるわけではない。
 
むしろ外国で出会う西洋人は、日本人よりも率直な、いい人の方が多い。
 
 
というわけで、たまにはいい話も書こうと思う。
 
 
ロッドと出会ったのは、私が学生の頃にアラスカ旅行に行ったときのことだから、かれこれ17年前になる。
 
バンクーバーからヒッチハイクを始めて、アラスカに向かって北上する途中で、停まってくれたのがロッドだった。
 
ロッドはカナダ人で、当時たぶん30才くらいだったろう。
 
すでにでっぷりと太って口ひげをやはし、サングラスをかけて、ツナギのジーンズを着て、カウボーイハットを被っているという、われわれが想像する通りのカナダ人だった。
 
私が乗ったときには、彼はすでにビールを飲んでいた。
缶ビールをガバガバ飲みながら運転するのだ。
飲み終わると、もう1本取り出した。
 
「飲むか?」
 
私は有り難く頂戴した。
 
「オマエは運転免許は持っているのか?」
 
当時の私はまだ持っていなかったのでそう言うと、
 
「ちぇっ。使えないヤツだ」
 
彼はそう言ってビールを飲み、すぱすぱタバコを吸いながら、面倒くさそうに運転を続けた。
 
当時の私は、今ほど英語がわからなかったので(今でもあんまり上手ではない)、道中はほとんど押し黙っていた。
ロッドも積極的に話かけてくることもなかった。
 
車は途中のある家の前で停まった。
 
「友達の家なんだ。ちょっと寄っていくから、待っててくれ」
 
ロッドはそう言って行ってしまった。
私は助手席に残ってボンヤリしていたと思う。
 
1時間くらいしてからロッドが戻ってきた。
 
「おまえも来るか?」
 
私はロッドについていった。
 
そこの家は、当時でもひと箱1000円近かったと思うタバコを夫婦でバカバカ吸う家だった。
 
私は英語がわからなかったので、子供達と遊んでいた。
なぜか子供達は私になついた。
 
「彼は子供に好かれるのね」
 
夫婦は私に好意を持ってくれた。
それ以来、ロッドも私に気を許してくれるようになった。
その日の夕方に家を辞した我々は、川っぺりに車を止めて夜を明かした。
 
ロッドが寝ている間に、私はダッシュボードにエロ本を発見して、ひとりでニヤニヤ笑った。
 
次の日もドライブは続いた。
ロッドは終始上機嫌で、
 
「このまま世界の果てまで行っちまおうぜ!」
 
といって大笑いしていた。
 
夕方になって、ロッドの新しい職場である作業現場に到着した。
 
「ここでお別れだ」
 
 
ロッドの表情は、サングラスに隠れてよく見えなかった。
ロッドは後部座席から寝袋を取り出して私に渡して言った。
 
「これを使え。アラスカは寒いぞ」
 
「でも返せないかもしれないから」
 
私が固辞すると、
 
「返せたら返してくれ」
 
と言って、半ば無理やり、私に押しつけた。
 
きっと彼は、なにかしらの好意を、私に示したかったのだろうと思う。
 
 
二ヶ月後に無事に帰国した私は、寝袋と一緒に、日本のタバコを数種類買ってダンボールに詰め込み、ロッドにもらった住所に郵送した。
 
二ヶ月くらいして、すっかり忘れた頃にロッドから返事が来た。
 
「寝袋届いたよ。タバコありがとう。またいつか会おう」
 
短い手紙だったけれど、彼の万感の思いが、そこに表現し尽くされているように、私には思えた。
 
 
しつこいようだけれど、私とロッドは、ほとんど話らしい話をしなかった。
 
でも彼は明らかに私に好意を持ってくれていた。
 
私も彼の飄々として飾らないフンイキが好きだった。
 
人種が違っても、言葉が通じなくても、友情を通わせることは可能であることを、私は知った。
 
その気持ちは今でも変わっていない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
世界一失礼な国アメリカ 2008年05月13日11:45
 
 
前の日記で『クレイマークレイマー』という映画について言及したけれども、この映画の中で、もうひとつ唖然としたことがある。
 
冒頭に、エリートサラリーマンであるところのダスティン・ホフマンが上司と雑談しているシーンがある。
 
彼の足は上司の机の上にあった。
 
ダスティン・ホフマンの、あの短い足が、ひとまわり以上年上の上司の机の上にある。
 
アメリカではこういうことが許容されるんだろうか。
おそらく誰もなにも思わないんだろう。
 
 
アメリカという国は、イギリスから独立したときに、イギリスで醸成された民主主義とが合理主義というものを徹底的に取り込んだ。
 
ホッブス、ロックなどの思想を、ジェファーソンが独立宣言で総仕上げしたそうだ。
 
イギリスには伝統を重んじる傾向が強く残っているが、アメリカではそれがまるっきりない、つまり純粋な民主主義、合理主義が定着し、発展した。
 
その結果、極端な実力主義になり、結果的にそれが奏功して、現在の大国にのし上がっていった。
 
アメリカが「自由の国」で「チャンスの国」といわれるのも、そういう機会均等とか平等主義にあるのだろう。
 
 
ハリウッド映画を観ていると、若い男が年配の老人に、平気で「タメ口」を聞くシーンがよく出てくる。
ふた回りも年上の老人を平気で「友人」と呼んだりする。
 
そういう風景を見ていて、少なからず違和感を覚える人も多いと思う。
 
アメリカという国は、合理主義、平等主義を徹底するあまり、完全に「長幼の礼」を忘れてしまった国なのだ。
 
そういう風潮は、確かに「気さくさ」という意味では有効なのかもしれない。
 
しかし年配者を敬う風潮が徹底している国の方が、明らかに犯罪率が低い(中東諸国、韓国など)。
そして世界中の大半の国が、「長幼の礼」を「徳」として認めている。
 
アメリカという国は、そういう意味で「世界一失礼な国」であると言えると思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ズボラなイギリス人 2008年05月12日23:06
 
 
古いハリウッド映画を観ていると、こんな入浴シーンに出くわすことが、しばしばある。
 
洋式のバスタブに石鹸の泡が波打っている中を、マリリン・モンローみたいなグラマーな女が、鼻歌を歌いながら足を伸ばしたりしている。
 
そして呼び鈴かなんかが鳴ってあわててバスタオルで身体を覆う……。
 
みたいなシーンである。
 
ああいう映像を見ていて前から不思議に思っていたことがある。
 
 
こいつら、石鹸は洗い流さないのだろうか?
 
 
実は彼らは、身体に付着した石鹸など、気にも留めないらしいのだ。
 
同じことは台所の食器洗いにも言えるようで、これについては、リンボウ先生が興味深い記述をしている。
 
 
 
「まず、流しの洗い桶に湯を溜める。そこへ中性洗剤をざっと入れる。この石鹸水に汚れた食器類をどしどしと突っ込み、スポンジのようなもので撫でるように洗い、水切り台に置いた揚げ籠にのせる。するとやがて水は自然に乾き、食器洗いは完了する。(中略) つまり、彼らは食器を泡だらけのまま乾かしちまうのだ」(「イギリスは愉快だ」林望 文春文庫)
 
 
 
洗剤というものが身体に悪いという感覚が、彼らには欠如しているらしい。
というよりも単なるズボラではないか。
 
イギリスのメシのまずさにも通底するような、彼らの無感覚である。
 
 
 
同じようなことを『クレイマークレイマー』という映画を観ていて思ったことがある。
 
ダスティン・ホフマンが、離婚訴訟で親権を争ったひとり息子に、こんな説教をするのだ。
 
 
「風呂は週2回は入って、髪も洗う約束だったじゃないか。オマエは悪い子だ」
 
 
 
逆に言えば、この子は風呂は週1回以下しか入っていないのである。
 
冬のニューヨークとはいえ、この不潔さは日本人には考えられない。
 
やはりアングロサクソンはズボラなのである。
 
 
 
「ビデ」というヘンテコなものがフランスにはある。
 
私はイギリスとかに行ったことがないのでよく知らないが(フランスにも行ったことないけど)、聞くところによると、主にフランスの習慣らしい。
 
要するに売春婦が一発やったあとに局部を洗うための、ただそれだけのための器具だ。
 
フランスは、というよりもカトリック地域は、一般にプロテスタントの国よりも厳格ではないので、性的に奔放なんだろうから、売春婦も多いわけで、その結果このヘンテコな器具が、便器の横に併設されることになったんだろう。
 
 
私たちには理解不能なことが多い西洋の習慣である。
 
子供の頃には、あのアワだらけの風呂に、なんとなく憧れを持っていたものだが、現実のイギリス人を知って、すっかり興ざめしてしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハビビな人々 2008年05月11日14:59
 
 
昨年10月から北海道新聞の生活面で、
 
「ハビビな人々 ビンボー愉快紀行」
 
という連載をいただいている。
 
当初は隔週連載だったのが、4月から毎週連載になったので、おそらくそれなりに好評なんだと思う。
 
「ハビビ」というのは、アラビア語で「最愛の人」というような意味だそうだ。
たとえば中東で会ったある日本人は、こういう風に使っていた。
 
「あそこの店主はハビビだから、安くしてくれますよ」
 
つまり「身内」というような意味あいもあるらしい。
 
 
 
 
途上国を旅行して強く思ったことは、世界中の大多数の人が「身内」に囲まれた共同体の中で生まれ、成長し、老いて死んでいくと言うことだ。
 
 
気心の知れた人々に囲まれて暮らすから気楽だ。
 
まるで知らない人と話すストレスも感じない。
 
おそらく長寿の秘訣はそこにありそうだ。
 
 
西洋の医学がどれほど進化して、手術でガンを切除したり、抗生物質で細菌をやっつけようとも、「ストレス」を軽減することはできない。
 
「ハビビ」に囲まれて暮らすことこそ、おそらくもっとも健康的なんだと思う。
出稼ぎに来て、
 
「知り合いがいないから寂しくて病気になってしまった」
 
という東南アジア出身の人が、日本にはたくさんいる。
 
 
そしておそらくこういう「ハビビ」と対立するものが、西洋が造り出した「個人主義」だろう。
 
「国家と国民は平等である」という言葉は、一見して非常に耳さわりのいい言葉だ。
 
しかしひとりひとりが自分の権利を主張して、たとえば土地の囲い込みが始まり、国境線が引かれ、権利同士が対立するあまりに、事細かな法律が施行されなければならなくなった。
 
選挙で大統領や代議士を選んで政治を運営させるというのは、一見して合理的なシステムのようにも思えるけれど、このようなシステムを押しつけられた世界中の国で紛争が起こっていることは前にも書いたとおりだ。
 
 
 
「民主主義」とか「人権」というのは、私たちが学校で習ったような完全無欠なものではない。
 
現在のいろいろな問題は、こういうシステムが破綻をきたしている証拠ではないかと、『国家の品格』で藤原正彦教授は言っている。
 
 
 
 
インドのラダックでは、耕作可能な土地が、各家族の所有する土地になっている。
 
 
「平均的な家族の保有している土地は二ヘクタールほどだが、ときにはその倍になることもある。最適な面積は家族の規模によって決定されるが、おおよそ家族内の労働人口ひとり当たり〇.四ヘクタールとされる。それ以上の土地は不要である。耕すことのできない土地を所有することにはなんの意味もない」(『懐かしい未来』ヘレナ・ノーバー・ホッジ 山と渓谷社)
 
 
 
耕作可能な土地だけで満足し、必要以上に求めない。
 
自分の権利よりも、全体の利益を尊重する。
 
そういう風土が、もともとアジアにはあった。
 
 
共同体内で協調することで、たいがいの問題は解決された。
 
裁判官も弁護士も要らなかった。
 
各人が必要以上の権利を主張しないからだ。
 
アメリカみたいに、何億円という賠償請求を平気で起こすような、非常識な人はいなかった。
 
それがかつての日本を含めたアジア的な調和社会だったのだろう。
 
 
 
私たちは民主主義とか、基本的人権とか、三権分立とか、そういう西洋人が考え出した美辞麗句を、当然「正しいもの」として考えているわけである。
 
 
しかし本当にそうだろうか。
 
 
江戸時代はそんなに無法社会だったのだろうか?
 
逆に今よりもずっとみんなが幸せで、貧富の差の少ない、調和のとれた社会だったのではないだろうか?
 
ラダックやネパールの農村社会を訪ねるたびに、私はそういう疑問を感じる。
 
西洋的な個人主義の存在しない「ハビビな社会」こそが、実はもっとシアワセな社会なんではないだろうかと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原油126ドル突破 2008年05月10日10:30
 
 
ミャンマーの台風や北京五輪のチベット問題などで、すっかり忘れられてしまっているが、地味に原油価格が異常な値上がりを続けている。
 
今年の初めくらいに1バレル=100ドルを突破して以降、若干の下げはあったものの、着実に上昇して、ついに昨日は126ドル。
 
原油価格なんてよく知らないからピンと来ないけれど、
 
たとえば、3年前の2005年の5月には、1バレル=51ドル。
 
さらに3年前の2002年の5月には、1バレル=25ドル。
 
だったことを考えれば、すさまじい値上がりだということがわかる。
 
 
理由はふたつだそうだ。
 
 
ひとつはアラブの産油国が、原油の減産に応じないこと。
 
もうひとつはヘッジファンドみたいな連中の大量の資金が、先物取引に流れて込んでいるからだ。
 
 
アラブの王族たちは、1バレル=100ドルを突破したときにOPEC会議を開いたが、
 
「今は増産の必要はない。増産して誰が買うのか(カタール代表)」(読売新聞)
 
などの意見で、結局増産は否決された。
 
いろいろ理屈をつけてはいるが、結局は値上がりした原油価格を維持したいだけだろう。
 
彼らは原油高でごっそり儲けた金を、国営の投資会社に注ぎ込んで、さらに儲けている。
 
おそらくその投資先には原油先物相場も含まれていることだろう。
 
 
もうひとつの問題は、アメリカの金融危機で米ドルの価値が下がってしまって、投資先を失った連中が、穀物相場や原油相場に投機し始めた結果、原油価格が急上昇したというものだ。
 
 
私たちのガソリン代は、要するにこういう、たった一握りの、金儲けだけが目的の連中のために吸い上げられているのだ。
 
かつて村上ファンドの会長が、
 
「金儲けして、なにが悪い」
 
と言った。
 
確かに金儲け自体は悪いことではないだろう。
 
しかし自分だけがトクをして、社会全体に不利益が発生するような金儲けは、よくない。
 
少なくとも美しくない。
 
なんでジョージ・ソロスのような人が、金儲けの神様みたいにして崇められるのか、私には理解できない。
 
アラブの王族に対して、多くの人が同様の嫌悪感を持つのも、そういう理由によるのだと思う。
 
 
 
一方で、昨今の小麦価格の上昇で、コメ食が見直されているそうだ。
 
日本のお米は去年、価格が大幅に低下して、コメ農家を直撃した。その直後だけに、農家のみなさんは、胸をなで下ろしているに違いない。
 
私たちはいままで外国の食品に依存しすぎたのだと思う。
 
本来、日本人は、パンを食べる必要はなかったわけだから、これを機会にコメ食が見直されるのは、とてもいいことだと思う。
 
 
同じようにアメリカでも、原油高の影響で、アメリカ式の「大量消費主義」が修正されつつあるという。
 
よくも悪くも、原油、穀物の高騰は、私たちにライフスタイルの再考を促している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
モータースポーツってスポーツか? 2008年05月07日22:56
 
 
今回もまた、私の偏見が滲み出た内容ですので、異議のある方、どんどん書き込んで、私の偏見を是正してください。
 
 
私はモータースポーツというものがキライです。
 
見に行ったこともないくせにキライです。
 
 
もっというとクルマという乗り物がキライです。
 
 
途上国に行くと、運転免許がけっこう立派な資格なので、勘違いして運転している連中が多いです。
 
大学に進学してから久しぶりに帰省した時に、高校時代の親友と再会したら、クルマと女の話題しかないヤツになっていて幻滅しました。
 
普段はおとなしいヤツが、クルマを運転した途端に人が変わったように悪態をついたりするのも見たくありません。
 
 
そういうわけで、私はクルマという乗り物がキライです。
 
 
だからモータースポーツもキライです。
 
 
だいたいカーレースのどこが「スポーツ」なの?
スポーツじゃないじゃん。
 
速くクルマを走らせて楽しいか?
オレは全然楽しくないぞ。
 
人より速く急カーブ曲がって楽しいか?
オレは全然楽しくないぞ。
 
そんな技術って必要か?
必要ないじゃん。
 
それならタクシーの運ちゃんみたいに、安全で正確な運転技術の方が、よっぽど世の中のためになるんじゃないの?
 
少なくともオレは、スピードを落とさずにカーブを曲がる技術よりも、安全に、低燃費で運転する技術を学びたいです。
 
 
敢えていわせてもらいます。
 
 
モータースポーツの運転技術なんて、「早食い」と同じで、なんの意味もない。
 
クルマを人より速く走らせる技術なんていらないのではないでしょうか?
 
 
最後に穿った見方をすれば、
 
「カーレースというのは、自動車会社などの巨大なスポンサーがバックについているから、どんなに環境に悪くても、どんなに資源のムダでも、あるいはパリダカみたいに、交通事故でアフリカの黒人が何人死んでも、どこからも非難を受けることがない」
 
のではないでしょうか?
 
 
常日頃思っていた疑問を書いてみました。
 
クルマ好きの方、不快に思われたかもしれません。
 
ご容赦ください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダーウインの進化論 2008年05月06日21:37
 
 
さっきまでNHKでダーウインの進化論についての番組をやっていたので、前から思っていたこの人についての感想を書こうと思う。
 
この人について語るとき、ウオーレスという学者について言及することは避けられない。
 
ウオーレスは「ウオーレス線」で知られるイギリスの生物学者だ。
 
「ウオーレス線」は、インドネシアのバリ島とロンボク島の間に横たわる境界で、この線を境に有袋類や猛獣の有無がはっきり別れているそうだ。
 
ロンボク島、スラベシ島から西には同じ系統の生物が分布し、バリ島、ボルネオ島から東には別系統の生物が分布している。
 
そのことを発見したウオーレスは、論文にまとめてダーウインに送ったそうだ。
 
ダーウインはウオーレスの論文と自分の論文を併記して「種の起源」として発表したという。
 
私はこの本を読んでいないから知らないけれど、要するにウオーレスの論文を読んで、自分が温めていた「進化論」が先を越されるのを恐れたダーウインが、一緒にまとめて発表したらしい。
 
つまりウオーレスの着想の「横取り」とも言えるようなことをしたのだ。
 
 
これがひとつ、この人が好きになれない理由だ。
 
 
もうひとつは、この人の唱えた「進化論」が、当時の帝国主義の論理的な根拠を与えてしまったということである。
 
 
「適者生存」「弱肉強食」を肯定するこの人の考え方は、当時世界中を植民地にしていた西洋列強に、自分たちの卑劣な行為を正当化する理由づけを与えてしまった。
 
 
「西洋人は優れているから、アジアやアフリカを植民地にして、劣等な連中を奴隷のようにこき使うのは当然の権利なのだ」
 
という考え方だ。
 
そしておそらく、今でもそういう風に考える西洋人は、少なからずいるだろう。
 
 
NHKの番組では、ひたすらダーウインの天才ぶり、世の中に与えた影響の大きさを賛美する論調だったけれど、この人の理論がどれだけ世界中の人々を不幸にしたか、そういう「負の効果」についても、私たちはもっと知っておくべきだろう。
 
 
番組では進化論を応用した「優生学」をヒトラーが採用して、ユダヤ人虐殺につながったという解説があった。
 
しかし悪いのはヒトラーだけではない。
 
イギリスだってフランスだって、間接的にどれだけの人を搾取し、殺してきたか。
どれだけの人間の尊厳を踏みにじってきたか。
 
 
そういういたましい行為を正当化してきたのが「進化論」なのである。
 
 
そう考えると、この番組のようにダーウインを賛美する気にはとてもなれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私は英語がキライです 2008年05月02日00:53
 
 
英語ほど、話しても有り難がられない言葉はない。
 
いまや世界中どこに行っても、英語が話せるのが大前提になっている。
 
実際、西洋人旅行者にとって、英語が通用するかしないかは死活的に重要らしく、
 
「どこそこの国では通じるが、どこそこの国は通じない」
 
などの情報交換が頻繁に行われている。
 
 
インドに行くと、英語が話せることがインテリ、上流階級の条件になっているという。
 
そしてインテリの間では、「イギリス人のように」英語を話せることが、さらなるステイタスなんだそうだ。
 
語学力と教養は(若干相関関係はあるかもしれないが)、本質的にはなんの関係もないにもかかわらず。
 
 
今回の旅日記に、以下のような記述があるので抜粋してみよう。
 
パキスタンでインテリらしい流暢な英語を話す男に会ったときの会話である。
 
 
「あなたはどちらの国のご出身ですか?」
 
「日本です」
 
「ほお」
 
男性は感心したように私を見直す。
ここまでは、たいがいのパキスタン人と同じ態度であった。
 
しかしこのインテリ男性は、悠然とこう言った。
 
 
「あなたは英語が流暢ではありませんね」
 
「ええ。流暢ではありません」
 
「日本という国は科学技術が大いに発達した国ですが、なぜ英語ができないのですか?」
 
私はちょっとムッとしたので、こう言ってやった。
 
「科学技術と語学は無関係です」
 
そしてもしも私が、もっと流暢に英語を話すことができたのなら、ちょっと意地悪だけれども続けてこう言ってやったに違いない。
 
 
「私たちの国はあなた達のような途上国と違って、世界最高水準の学者がいますから、わざわざ英語を勉強する必要がないのです。
 
あなた達の国の場合は、技術を学ぶためには外国に留学する必要がありますが、私たちの国は、わざわざ海外に行く必要がないのです。
 
だから外国語を習得する必要がないのです。
 
また私たちの国は、あなた達の国と違って、植民地になったことがないので、宗主国の語学を強制的に勉強させられたこともなかったのです」
 
 
補足すれば、日本でもある程度の学者になると海外留学するようだ。
 
しかしそれは、博士号をとっくに取得した人の話であって、修士号あるいは博士号を「取得するために外国に行かなければならない」途上国の事情とはまったく違うのである。
 
 
 
パキスタンで出会った高校生の教科書を見せてもらったら、すでに理数系のテキストは英語だった
 
ウルドゥー語の対訳が存在しないのか、最初から生徒が英語ができることを前提としているのかは定かではない。
 
ともあれ数式からその解説まで、すべて英語で表記されていた。
 
 
そしてもうひとつ重要なことは、そうやって外国に留学するような秀才は、二度と祖国に帰ってくることはない。
 
もっといえば、未来のない祖国を脱出するために、秀才たちは猛勉強して外国に留学し、外国の市民権を得ようと努力するのである。
 
だからこれらの国の若者が、英語を習得する意気込みは、我々がのほほんと学校で授業を受けているのとは、まったく違うのだと思う。
 
 
 
話はそれてしまったが、そういうことで、英語はインテリの尺度であり、また中近東あたりでは、「西洋化されている度合い」となっている。
言い換えれば、
 
「目上の西洋人に、どっちがより近づいているか」
 
を決定する尺度になっている。
 
そういう話は、フランス国籍の黒人精神科医フランツ・ファノンが指摘している。
 
第三国の人々と英語を話した瞬間に、有無を言わさず、そういう序列に組み込まれてしまう。
 
だから私は英語がキライである。
できることなら話したくない。
 
しかしスペイン語なら、ぜひ話したい。
 
なぜならスペインでスペイン語を話したら、
 
「へえ、スペイン語わかるんだ」
 
と驚いた顔をされ、その次になんとも言えない親しげな顔をされることが多いからである。
 
そういう語学の楽しみが、残念ながら英語にはない。
 
世界共通語の地位を着々と確立しつつある英語の宿命とも言えるだろう。
 
 
 
というわけで、本日から4日ほど、人力山荘にこもりますので、日記の更新はできません。
ご了承ください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
レオナルド・ダ・ビンチ 2008年05月01日00:57
 
 
天才で有名なレオナルド・ダ・ビンチ。
 
画家、彫刻家として、また科学者として、医学、建築学、多彩な発明などで、その万能な才能が、とかく喧伝される人物だ。
 
確かに天才だったんだろう。
 
実際に、あらゆる分野に非凡な才能を発揮しているわけだから。
 
 
しかしそういう万能の天才は、彼に限ったことではない。
 
というよりも当時のインテリというのは、あらゆる分野に精通していたのが普通だったようだ。
 
例を挙げよう。
 
 
 
イブン・シーナー〜哲学、医学
 
イブン・ルシュド〜哲学、医学
 
イブン・ハズム〜詩人で、神学者、法学者、哲学者、歴史家
 
オマル・ハイヤーム〜詩人で、天文学、数学、医学に精通した科学者
 
 
 
しかも彼らは全員、ダビンチよりも200年から500年も前の人たちだ。
 
彼らはアリストテレスなどのギリシア哲学を研究し、後生の西洋哲学に多大な影響を与えた人々でもある。
 
 
 
日本にだっている。
 
平賀源内は、本草学者(薬剤師)で医者で、劇作家で、発明家で、画家だった。
「土用のウナギ」を宣伝したコピーライターでもある。
 
まさにマルチな才能を発揮した天才だった。
 
しかし平賀源内が世界で著名かというと、おそらく誰も知らないのである。
 
 
つまりこういうことではないか。
 
 
万能の天才ぶりを発揮したのは、なにもダビンチに限ったことではない。
 
少なくとも、同じくらいすごい人が、実は歴史上たくさんいたのではないか。
 
 
特にこの時代(10世紀から15世紀あたりまでのイスラム世界)には、上記のような歴史上、もっと注目されてもよさそうな天才がたくさん排出されている。
 
しかし私たちが学ぶ歴史が、そのことについて言及しているのは、数行程度に過ぎない。
 
そして西洋人であるダビンチだけが、ルネサンス期の天才として、とかく大きく取り上げられる。
 
まるでこの時代に、西洋以外の世界には、誰ひとりとして人物がいなかったかのように。
 
 
 
ダビンチという人が、どれほどの天才だったか。
 
上記にあげたイスラムの天才たちとの比較論なんていうのは当然ナンセンスである。
 
しかし確実に言えることは、
 
「同時代の万能の天才はダビンチだけではない」
 
ということであり、唯一彼だけが、とかく偉人としてもてはやされる理由は、ただひとつ。
 
彼が西洋人であったからに他ならないのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お笑いは文化か? 2008年04月30日10:03
 
 
みなさんもご存知の通り、民放テレビは下らない番組ばっかりやってますよね。
 
私もお笑い番組は嫌いではないんですが、時間がもったいないので見ないようにしています。
 
そしておそらく地上波の終了と同時にテレビとオサラバするので、お笑い芸人ともオサラバすることになりそうです。
 
 
そういう言い方をすると、お笑い好きの人から反発されるでしょう。
 
「笑いは文化だ!」
 
と彼らは言います。
 
そうかもしれません。
 
落語とか狂言とか、確かに高尚なニオイのする文化ですよね。
 
だから漫才もお笑い芸人のジョークも、広い意味で文化に入るのかもしれません。
 
しかし私はそういう人に訊ねたい。
 
だったら寄席とかトークショーとかに、お金払って見に行けばいいじゃん。
企業スポンサーがカネ払ったテレビ番組見ているうちは、文化だなんだという資格はないのではないのでは?
 
大衆文化というのは、言うまでもなく大衆が作るものでしょう。
スポンサーが作るものではないのでは?
 
 
確かに「視聴率」というカタチで、大衆の好みは反映されるのかもしれませんが、しかしそこにもひとつ落とし穴があると思われます。
 
 
視聴者は見たくて見ているわけではない。
 
タダでやってるから見ている。
 
視聴者に主体性はない。
 
 
だから「笑いの質」(そんなのあるのか?)が低俗化していっても、誰も文句を言わない。
 
視聴者は与えられた選択肢(今までは地上波の12チャンネル)の中からマシなのを選ぶだけです。
 
 
しかしもし自分でカネ払って、寄席でもなんでも見に行ったらどうでしょう?
当然もっとシビアになるでしょう。
つまんなかったら「もっと面白いのをやれ」と怒る。
 
 
しかしテレビだと、そんな文句のいいようがない。
 
だってもともとタダなんだから。
 
ということでテレビにおける「お笑い」というのは宿命的に質が低下する運命にあると言えるでしょう。
 
 
みんなテレビなんか見ないで寄席を見に行こう。
 
 
というのが私の結論です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本の歴史教科書の疑問 2008年04月29日13:52
 
 
歴史教科書の西洋びいきについて、しつこくもうひとつ書こう。
 
西洋にめぼしい発展があったのはルネサンス以降で、その前は死んでいたのも同然であるといわれる。
 
もっと言うと世界史に影響を及ぼし始めたのは15世紀後半の大航海時代以降のことで、それ以前は「あらくれ十字軍」がイスラムに乱入した程度で、たいしたことはしていない。
 
それなのに歴史教科書では、ヨーロッパ諸国の「内ゲバ」を事細かく紹介している。
 
バラ戦争だの100年戦争だのが、いったいどれだけの影響を、世界に及ぼしたのかといえば、おそらくゼロに等しいだろう。
 
それよりもたとえば、
 
「アレキサンダー大王の東征で、仏教とヘレニズムが出会い、初めて仏像ができた」
 
とか、
 
「イスラム帝国の東進により、ついに唐と戦闘になり、中国人の紙職人から初めて製紙法が西方に伝来した」
 
とか、
 
「モンゴル帝国によって世界で初めてユーラシアが統一され、治安が確保されて、マルコ・ポーロやイブン・バトウータのような大旅行家が活躍した」
 
 
というような、ユーラシア全体を俯瞰したダイナミックな、そしてロマンを感じさせる世界史の面白さを、もっと大きく取り上げるべきではないだろうか?
 
 
 
 
近代史でもそうだ。
 
15世紀、16世紀あたりは、オスマントルコがものすごく強かった時代で、ヨーロッパの国王の人事権はスルタンが握っていたそうだ。
 
コンスタンチノープル陥落は西洋諸国に大混乱を起こした。
 
オスマントルコは全西洋諸国を相手にして、余裕で戦争をしていたのである。
 
しかしそんなことは歴史教科書には書いてない。
 
オスマントルコといえばスレイマン大帝による「ウイーン包囲」だけである。
実際にはその後100年も、隠然たる力を持っていたにもかかわらず。
 
 
西洋に都合のいい歴史観を、私たちは学んでいるといっても過言ではない。
 
私たちは、明治以来、私たちは西洋から移入した歴史を学んでいる。
 
そのクビキから、いまだに逃れられないでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エコツアーって? 2008年04月29日01:25
 
 
スペインに行ったとき、中国人の物売りをたくさん見かけた。
 
彼らは路上で安物のオモチャを売り、雨が降るとカサを売っていた。
 
彼らにとって、スペインに数多ある世界遺産など眼中にない。
プラド美術館も眼中にない。
 
彼らにとってスペインとは、ユーロを稼ぐ場所であるに過ぎないのだと思った。
 
 
 
今NHKでやっている、オーストラリアのジュゴンツアー。
 
テレビに映し出される登場人物は、日本人キャスターの他には、ドイツ人とオーストラリア人だけだ。
 
西洋人と日本人などの先進国の人々だけなのである。
 
 
フィリピンやタイのダイビングツアーでも同じだ。
 
客層は西洋人。船頭は地元の人々。
 
それはある意味仕方がないのかもしれない。 しかし確実に言えることは、
 
 
「ジュゴンだのエコツアーだのと言っていられるのは、先進国の連中だけだ」
 
 
ということである。
 
地元の人々は、それこそエコロジーどころか、食うのがやっとというのが現実なのである。
 
フィリピンに行って、とてもよくわかったことは、彼らにとって、美しい珊瑚礁は、船を寄せるのに邪魔なだけなのだということだった。
 
彼らにとってはサンゴ礁なんてない方がいい。
 
キレイだといって喜んでいるのは、観光客だけなのだ。
 
地元の人々は、それこそダイナマイトを使ってでも魚を捕ることで、どうにか生活している。
 
この乖離を、果たしてどれだけの外国人が知っているんだろうか?
 
 
私が「エコロジー」とか「ロハス」という言葉に、少なからず「胡散臭さ」を感じるのは、そういうところが大きい気がする。
 
途上国に行くと見えてくることが、必ずあるのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シルクロード 2008年04月28日00:09
 
 
西洋の悪口を書き連ねているこの日記です。
 
というのも、今の日本は西洋贔屓がひどすぎるという筆者の考えが根底にあるからです。
 
私たちの頃よりはだいぶよくなったのでしょうが、それでも教科書におけるアジア、中近東関係の記述が、西洋史と比較してあまりに少ないのは、おそらく変わらないでしょう。
 
そこで、ひつこくもうひとつ事例をあげたいと思います。
 
 
 
世界史で必ず登場するシルクロード。
 
言うまでもなく、長安からローマに至る交易路のことである。
確かに紀元前後には、その最終到達地はローマだったんだろう。
 
 
しかしローマが本来の目的地だったのか? 
 
 
というと、おそらくそうではない。
 
ローマ帝国はイタリア半島から支配を伸ばしていった。
 
そして現在の地中海一帯から欧州、アナトリア(トルコ)あたりを属州とした。
 
しかし当時の文明の中心は地中海にはなかった。
 
むしろ東方のペルシア、バグダッドやペルセポリスあたりが、文化の中心だった。
 
それは前に書いた「TO地図」でも示されている通りである。
 
ローマはその覇権を争ってササン朝ペルシア帝国と戦争を繰り返していたが、結局打ち破ることはできず、仕方なく野蛮人が蟠踞するアルプスの先のガリアを開拓するしかなかった。
 
 
 
当時はペルシャの方が、よっぽど進んだ文明だった。
 
西洋による初めての大帝国を築いたアレキサンダー大王も、夷敵と思っていたペルシア文化にすっかり魅了されて、最後にはペルシャ人の奥さんをもらっている。帝国の統治制度も、ペルシャをそのまま受け継いだものだった。
 
そういう風に考えると、シルクロード交易の目的地は、ローマであったというよりは、その途中のペルシアが主な対象だったのではないだろうか。
 
 
ローマはその先の、一辺境都市に過ぎなかったのではないだろうか。
 
 
漢の武帝に派遣された「張けん」が、ローマに渡ることなく引き返しているが、その先に行く必要がないと考えたせいかもしれない。
 
 
 
このような傾向は、中世になると、もっと顕著になる。
 
東西交易の主役はイスラム商人になった。
 
西洋人は、彼らに高額の関税をかけられた非常に高価な香辛料しか手に入れることができなかった。
 
中近東までは香辛料をふんだんに使った料理が有名である。
それは当時、高価だった香辛料をゼイタクに使うことができた名残だろう。
 
 
シルクロードの歴史を長く見ると、その東西は、あくまで中国とイスラム帝国であって、西洋はその隅っこの、イスラムのおこぼれを頂戴していた辺境民族に過ぎなかったことがわかってくる。
 
しかし日本の歴史教科書は、そういう史観について、なにひとつ教えてはくれないのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
聖火リレー 2008年04月27日13:07
 
 
長野の聖火リレー。
 
すごかったですね。
 
選手が走ってるんだか、警察の小隊が歩行訓練してるんだか、わかんなかったですね。
 
新聞では「聖火護送」と書いてありましたが、まさにその通りでした。
 
 
それにしても同じ読売新聞には、
 
「平和の祭典からほど遠い」
 
なんて書いてましたが、オリンピックが「平和の祭典」だったことなんてあるんでしょうかね?
 
みんな五輪開催の陰で、スポンサー企業や誘致合戦で、ものすごい大金が動いていたり、今回みたいに政治的な思惑が色濃く反映されていることくらい知っているでしょう。
 
 
しかしそれでも、みんなオリンピックが純粋で汚れのないスポーツの祭典だと信じたい。
汚い部分には目をつぶりたい。
 
だから聖火リレーでも、選手の笑顔とか市民とのふれあいとか、そういう美談が見たかったのだと思います。
 
 
しかし今回は中国の政治的な思惑が優先されて、図らずも五輪の暗部がゲロッと露呈されてしまいました。
 
物事にはウラとオモテがあるものですが、そういうことを踏まえた上でも、あんまり見たくない光景でしたよね。
 
これではあんまりにも夢がない。
 
特に子供たちには見てもらいたくない、あまりに汚い現実でしたね。
 
こうまでしないと安全が保障できなくなった世の中。
 
ホントに残念です。
 
やはり私は奥多摩の山の中に逼塞します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「チョゴリと鎧」 2008年04月22日00:52
 
 
先日読んだ「チョゴリと鎧」(池明観 太郎次郎社)は、日韓の文化的差異を、「チョゴリと鎧」「春香伝と忠臣蔵」に例えた名著として名高い。
 
日本は「武」の国で「忠」の国であるという。
 
韓国は「文」の国で「考」の国であるという。
 
 
韓国のチマチョゴリはおよそ戦闘に適していない。
 
日本の鎧は、いうまでもなく武具である。
 
 
「春香伝」は身分の違う男女が愛を貫いて、最後には結ばれるという恋愛物語である。
 
「忠臣蔵」は、主従関係の忠義を貫く物語である。
 
 
これらの対照が、そのまま日本と韓国の文化の違いを表象しているのだそうだ。
 
 
それはともかく、この本のまったく違う論旨で、興味深い指摘があったので紹介しよう。
 
 
「歴史における空間軸について、日本統治のあり方を中心にちょっと考えてみましょう。 (中略) 日本でも、私鉄を走らせると、その沿線の地価が急騰し、市街地ができ、デパートも建ちます。企業は鉄道を走らせることでそういった事業にまで手を伸ばして巨大な収益をあげます。では、朝鮮人が住んでいる旧市街があるとすると、日本人が鉄道を敷設しようとしたとき、どこに敷設したでしょうか。朝鮮で私がまだ小学校に通っていた頃の話です。
日本人は旧市街地からできるだけ離れたところへ鉄道を敷いたのです。旧市街地から駅までは数キロメートル離れているのがふつうでした。そして、駅を中心に新しい市街ができて、そこに日本人街が生まれます。そうなれば旧市街はすたれていくわけです」
 
 
 
先日、訪れた済州島。
 
中心都市の済州市がまさにこれだった。
 
港近くの旧市街と、内陸部に整然と建設された新市街。
 
鉄道こそなかったものの、おそらく日本が開発したのだろうと思われた。
 
 
 
ソウルでもそうだ。
 
大統領府や古い寺院のある旧市街周辺と、鉄道の通っているソウル駅はずいぶん離れている。
 
朝鮮総督府の意図が見えてくるようだ。
 
 
 
鉄道を敷いた周辺の土地は、いうまでもなく高騰する。
 
そして旧市街の土地は暴落する。
 
そうやって日本は、間接的に莫大な収益を上げていったわけである。
 
 
 
そしてこういう傾向は、当然のことながら日本に限ったことではないのである。
 
デリーとニューデリー。
 
ベトナムの首都サイゴンのチョロン地区と新市街の関係。
 
エルサレムやダマスカス、カイロ、アルジェ、マラケシュなど、アラブの多くの町のカスバ(旧市街)と新市街。
 
 
公共施設や鉄道など、都市の機能を集中させることで土地を高騰させ、濡れ手に粟で利益をむさぼる無法が、戦前には平気で行われていたのである。
 
特にゴチャゴチャと汚く、人が多くて猥雑なデリーと、広大な舗装路がどこまでも続くニューデリーの対比は象徴的である。
 
そしてこういう違法なインサイダー取引によってボロ儲けした連中がイギリス貴族であり、今でも彼らはそのアガリで働きもせずに食っているわけだ。
 
イギリスが、インドのためにこれらを整備したというような主張が、いかにデタラメであるかということを、改めて思うわけである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『脱「偽装食品」紀行』のボツ原稿 2008年04月01日22:06
 
 
先月20日に発売になった拙著である。
 
担当編集Pによると評判は上々。大手書店でも軒並み平積みだそうだ。
 
 
もしかして増刷するかも。。。という淡い期待を抱きつつ。
 
明日から3週間、取材でインドに行って参ります。
 
 
 
ところで上記の拙著で、泣く泣くボツにした章があるので、それをここで公開したい。
 
日本の食糧自給率について述べた一文だが、「本論の主旨から逸脱しすぎ」ということで割愛となった。
 
実は編集長の持論が「国際分業論」であることも密かに関係していると思われるのだが……。
 
 
ともあれ以下に公開する。
 
以前の日記と一部重複する部分もありますが悪しからず。
 
 
 
 
 
日本の食糧自給率の問題
 
 
農水省は2007年8月、日本の食糧自給率が40%にまで落ち込んだと発表した。
 
週刊ダイヤモンド(2007年7月21日号)は「食卓危機」と題した特集で、「国内生産物だけで1日のカロリーを賄う場合のメニュー」を試算している。これによると、
 
 
・朝食〜コメ、粉ふきイモ、ぬか漬け
・昼食〜焼きイモ、ふかしイモ、果物
・夕食〜コメ、焼きイモ、焼き魚
 
 
で、なおかつ味噌汁は2日に1杯、牛乳は6日にコップ1杯、卵は1週間に1個だけという、すさまじくキビシイ食糧事情が予想されるのだという。
 
もはや戦時下の食卓になってしまうのだ。みんなの大好きなビールなど、夢のような高級品になってしまうことだろう。
 
 
 
なぜ、これほどまでに自給率が低下してしまったのだろうか。
 
 
農林中金総合研究所では、以下のような7つの原因を指摘している。
 
 
1・米の消費量の減少〜パンなど輸入穀物の主食にシフトしたこと。
 
2・輸入飼料に依存した畜産、酪農の発達〜肉や牛乳、乳製品の消費が伸び、トウモロコシなどの輸入飼料が増加。
 
3・油脂類の消費量増大〜揚げ物の消費が伸び、大豆、なたねなどの輸入量が増えた。
 
4・円高、輸入自由化と商社、食品企業の海外事業展開〜「プラザ合意」以降の円高によって、アジア地域からの食品輸入が増大。
 
5・食の外部化と食品産業の発展〜女性の社会進出によって外食志向が高まり、外食産業の価格競争により、アジアでの食品加工と輸入が増加。
 
6・農家戸数の減少と農家の消費行動の変化〜農業人口の減少と、農業の兼業化により農家の食品購入度合いが高まったこと。
 
7・日本農業の脆弱化〜上記の理由で日本の農業がすっかり弱体化してしまったこと。
 
 
小麦やトウモロコシ、大豆などは広大な面積の農地が必要で、耕地面積が狭い日本では、どうしても生産コストが高くなるので、大部分を輸入に依存することになってしまう。
 
これらの穀物は、ほとんど宿命的に輸入に依存する可能性を秘めているとも言える。
 
 
しかしなぜ政府は、これほどの自給率低下を容認してきたのだろうか。
 
それは日本の工業製品を輸出するためのバーターとして、農産物の輸入を容認せざるを得なかった事情によるのではないだろうか。
 
 
日本は「貿易立国」として、戦後一貫して「加工貿易」で食ってきたわけである。
 
一方で「自由貿易」は、農産物の輸入自由化も容認することになる。
 
 
上記7つの要因すべてを黙認することで、日本は世界中に「トヨタ」を売り歩き、その代償として、日本は農業を犠牲にしてきたのである。
 
 
農水省による「世界各国の食糧自給率(カロリーベース)の推移」を見てみると、自給率が低下し続けているのは、日本と韓国なのである。
 
 
途上国は実は食糧輸入国?
 
 
発展途上国と言われている国は、自動車や電化製品はもちろん輸入に頼っているわけだが、実は主要穀物も輸入に頼っている国が大半である。
 
たとえばジャマイカという国の穀物自給率は0%。コーヒーで有名なこの国が、なぜトウモロコシを栽培しないのか。
 
あるいはキューバという国は同じく33%。この国は歴史上サトウキビを栽培してきたわけだが、主食の穀物は完全自給にほど遠い。
 
いわゆる商品作物のために多くの農地が使われて、小麦やトウモロコシなどの主食を生産できず、結局輸入に依存してしまう。
 
多くの発展途上国が、そうやって農産物輸入国に追い込まれているという現実がある。
 
 
ではこれらの主要穀物は、いったいどこで生産されているのか。
 
 
実はその大半は北米大陸、もっと言えばアメリカなのである。
 
 
特にトウモロコシと大豆は、世界の総生産量の3割から4割がアメリカで生産され、輸出されている。
 
アメリカは工業大国であると同時に農業大国なのだ。
 
 
 
しかしここでまたギモンが起こる。
 
 
人件費が高いアメリカで、なぜこれほど国際競争力の高い穀物が輸出できるのか?
 
 
ここにもカラクリがあった。
 
 
「エリック・シュローサー『ハンバーガーが世界を食いつくす』草思社」によると、アメリカの農民の所得の半分近くが、政府の補助金なのだという。
 
たとえば年収400万円の農家の収入のうち、200万円は政府が税金で賄っているわけだ。
 
つまりアメリカ政府は膨大な補助金を出して、自国の農業を保護しているのだ。
 
アメリカはすでに70年代から、穀物輸出を国家の重要戦略に位置づけてきたという。
 
 
「レーガン新政権の新農務長官に指名されたジョン・ブロック氏は、1981年1月、「食料は武器である」と述べて注目された」(石川博友『穀物メジャー』岩波新書)
 
 
これは「対ソビエト穀物輸出禁止措置」についての発言だが、食料が武器になりうることを示唆しているところが重要である。
 
日本車を売るために、徐々に農業を切り売りしてきた日本は、食糧自給率が40%にまで低下してしまった。
 
日本の発展は農家の犠牲の上に成り立っている。
 
トヨタが世界一の自動車会社になろうとしているのとは対照的に、日本の農業は危機的な状況に陥っているのだ。
 
 
日本の野菜を食べよう
 
 
現在、世界の2/3以上の国が、主食である穀物の輸入国である。
 
農水省の2003年の「食料需給表」を見ると、世界各国の穀物自給率は、途上国ほど低くなっていることがわかる。
 
特に目立つのはアフリカ、中近東地域の自給率の低さだ。紛争が絶えない地域は自給率が低いのである。
 
日本はOECD加盟30ヶ国中25番目だが、先進国は概して自給率が高い。
 
この先さらに国際分業が進んでくれば、食料輸出国の発言力が圧倒的に強くなることは目に見えている。
 
バイオエタノールなど、穀物が食べ物以外の利用目的として注目されている現在、穀物市場の高騰はさらに続くだろうし、今後も日本の食糧事情を直撃することは間違いない。
 
自家用車になど乗らなくても生きていけるけれど、食料がなければ生きていけない。
そこに食料輸出大国の無言の圧力が発生することは明らかである。
 
 
アメリカは30年以上も前にそれを見越して、食料輸出を重要な国家戦略と位置づけ、自国の農業を手厚く保護している。
 
 
 
世界規模の大飢饉が起こったとき、自給率40%の日本はどうなるのだろうか。
 
私たちが今のうちにしておくべきことは、いったいなんだろうか?
 
 
それは国産品を買うことである。
 
 
少々高くても国産の野菜を買うこと。そして日本の農家を支えることである。
 
私たちのために食料を供給してくれるのは、最終的には日本の農民しかいないのだ。
 
世界中が飢饉に見舞われ、誰も日本に食料を供給できなくなったとき、私たちは自分たちの手で農作物を作るしかないのである。
 
その時のために、我々は日本の農家にがんばってもらわないといけない。
 
日本のコメを食べ、日本の野菜を食べよう。
 
少々割高でも、日本の農家が作った野菜、肉を食べること。日本の農産物を日本人が食べること。
 
それは同時に私たちの健康にもつながるし、さらには「地産地消」「身土不二※」「フードマイレージ※」など、あらゆる意味で、もっとも合理的な解決策なのではないだろうか。
 
 
 
※「身土不二」〜出典は仏教用語だが、現在では「地元の旬の食材を食べよう」という自然食志向のスローガンになっている。
 
※「フードマイレージ」〜「重量×輸送距離」で計算し、外国産食品が日本に届くまでに排出されるCO2の量を算出する。これによると、輸入食品には多くの「フードマイレージ」が加算されていることになる。輸送距離が長ければ長いほど環境負荷が高いと言える。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
警察権力と人権問題 2008年04月01日01:22
 
 
「警察が威張っている国は、たいがい政府もダメ」
 
というのが、途上国では共通のようだ。
 
 
 
私がアルゼンチンをロバを連れて歩いていたとき、一度だけ警察にしょっ引かれたことがある。
 
警察は私を窃盗犯と勘違いしたらしい。
 
警察署に連行された私は、二畳ほどの狭い取調室に押し込められ、警察に怒鳴られなから、取り調べを受けた。
 
 
警察は、右手で拳銃を握りしめながら、左手で私のパスポートを検分した。
 
あれは今から考えれば、かなり人種差別もあったように思われる。
 
アルゼンチンの連中にとっては東洋人は中国人であり、中国人は侮蔑対象なのだ。私が日本人だとわかっても、今度は日本人と中国人の区別がつかない。
 
結局私は中国人なのである。
 
 
それでアルゼンチンも軍事政権が続いて、大統領が税金を持ち逃げして亡命したりする、ロクでもない国である。
 
先日も暴動が起こって国債が暴落した。
 
 
 
警察と役人が偉くて、市民には人権なんてない。
 
途上国なんてそんなものである。
 
そういう国が、世界の圧倒的多数なのである。
 
 
 
 
では先進国はどうか。
 
 
実は先進国もたいして変わらないようだ。
 
スペインに行ったとき、現地在住の旅行代理店勤務の知人がこんな話をしてくれた。
 
彼が手配したツアーの男性が、路上で警察に職質されたそうだ。
 
パスポートを見せろという。
 
彼は拒絶した。
 
すると警察は彼を警察にしょっ引いた。
 
取調室でも、彼は断固として拒絶した。
 
警察は彼を何度もぶん殴ったという。
 
彼は知人に言ったそうだ。
 
「私は腹がたって仕方がない。警察を訴える方法はないか」
 
彼のやり方が賢かったかどうかは別として、罪もない市民をしょっ引いてぶん殴っても平気であるスペインの警察が、ロクデナシの集団であることがわかる。
 
スペインの民度も、たいしたことないよなあと思うわけである。
 
 
 
ではアメリカはどうか。
 
アメリカでは黒人には人権がない。
 
深夜に、黒人の車が高級住宅街を走ると、警察に職質されるそうだ。しかもアメリカ式にボンネットに俯せにされて身体検査を受ける。
 
あるいはロス暴動の発端になったようなリンチ事件が平気で起きる。
 
 
要するに途上国だけで、ことさら人権が問題になっているわけではない。
 
一部の人々の人権が侵害されているのは、多かれ少なかれどこの国も同じなのである。
 
 
アメリカや西洋諸国は、特定の国に対して「人権問題」を引き合いに出して制裁を発動することがある。
 
しかしその対象国の選定にはギモンがある。
 
 
なぜイランはダメでサウジはいいのか。
 
なぜミャンマーはダメでパキはいいのか。
 
その違いはどこにあるのか。
 
 
そういう風に考えていくと、彼らが必ずしも「人権侵害」を基準にして制裁を行っていないことがわかってくる。
 
ではその基準とはなにかといえば、彼らの「国益」でしかない。
 
自分たちの言うことを聞く国の人権侵害は問題にせず、言うことを聞かない国は、ことさら問題にして経済制裁を行う。
 
西洋諸国の主張する「人権」なんてものは、そんなものでしかないのだ。
 
世の中は新聞もテレビも、すべてのマスコミが西洋諸国の悪口を報道しない。
しかし彼らは明確に国益に則って行動している。
 
 
それはある意味で当然のことだ。
 
 
しかしそれを「人権」という、誰も反論できない「正義」で糊塗しているところに、彼らのアザトサを感じる。
 
「経済援助」というわかりやすい名目で国益を主張する日本の方が、よっぽど潔いと思うわけである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続「民主主義」は正義か? 2008年03月29日12:05
 
 
前回の続き。
 
世界各地に紛争を巻き起こした民主主義である。
 
しかしいくつかの国には、西洋が造り出したこの政治モデルが、うまく合致して、有効に機能していると言われる。
 
たとえば日本がそうだ。
韓国もそうだといわれる。
 
このふたつの国は、「一民族、一言語、一国家」という、西洋諸国の平均的な国家の基準を、たまたま満たしていたからだという。
 
 
 
「ネイション・ステイトを生み出した西洋世界自身よりも遙かに古くより、民族集団の分布と政治体の境域がかなり一致し、政治的統合が文化的統合によって裏打ちされてきた東アジアの日本、朝鮮などの場合、「民族」としてのネイションと「国民」としてのネイションが必ずしも一致するものではないということが、ほとんど意識されないほどに、新しい理念に適合的であった」(『オスマン帝国の解体』鈴木董 ちくま新書)
 
 
 
だから西洋と、早くから同じ土俵で戦うことができた。
 
韓国は不幸なことに、日本の植民地になったから遅れたけれど、日本が急速な先進国化が可能だった大きな理由のひとつとも言えるだろう。
 
 
そうはいっても日本でも韓国でもいろいろと齟齬が出ている。
 
 
たとえば映画「それでもボクはやってない」の裁判制度。
 
アメリカの、被告、原告、検察、弁護士、裁判官の立場が対等で公平な裁判と比べると、日本は「お上と民衆」の構図である。
 
これを指摘する阿川尚之氏は、日本の裁判官は「一段高い存在なのだなと思う」と自著に書き、日本の裁判制度を批判している。
 
しかし西洋の制度をそのまま取り入れた裁判制度が、それを造りだした西洋と日本で異なってしまうのは当然ではないか。
 
日本は大岡越前の国なのだから、どうしても庭先に敷いたムシロの上で「ははー」と土下座してしまう。
それが日本の伝統なのである。
 
もちろんそれがいいか悪いかは別である。
 
しかし西洋の裁判制度が、日本で適当なカタチで移植されていないことを不当だとする考えは、おかしい気がする。
 
 
韓国でも、同じことが言える。
 
韓国では日本よりもすごい汚職が横行しているが、そのことについてこんな話がある。
 
韓国では身内をものすごく大事にする。
 
なにしろ「族譜」という家系図で、千年くらい前まで、祖先が遡れるのが普通なのだ。
 
だから一族で秀才が出ると、親戚一同で金を出して大学に進学させる。
 
そしてうまいこと科挙に及第して高級官僚になったら、今度は身内を多く登用して官位に着かせるという習わしが伝統的にあった。
 
それは出世を果たした者の当然の義務であり、親戚からすれば当然の権利だった。
 
そういう伝統がある国で、簡単に汚職がなくなるわけがない。
 
しつこいようだが、ここで私が言いたいのは、それがいいか悪いかではない。
 
西洋の価値観を押しつけられて、それがうまくいっていないからその国がダメだという言い方はおかしいと言いたいのである。
 
 
 
一方で、
 
「北欧では世界でもっともクリーンな政治が行われている」
 
とか、
 
「イギリスの政治家は世界でもっとも汚職が少ない」
 
とか言われるが、そんなのは当然なのである。
 
オマエらが造った政治体制なんだから、オマエらのところでうまくいくのが当たり前だろう。
 
 
 
多くの西洋人が東京を訪ねて、高層ビルが林立する味気なさに、「東京は醜い町だ」という感想を持つそうだ。
 
確かに私が歩いたスペインの都市の、古い石造りの家々が軒を連ねる街並みは美しいものである。
 
しかし高層ビルが林立する近代的で無国籍な街造りは、なにも東京に限ったことではない。
 
 
バンコクだってそうだし、ソウルだってそうだ。ドバイもそうだし、北京もそうだった。シンガポールだってそうだろう。
 
 
要するに西洋以外の世界中が、似たような無表情な町に成り下がってしまっているのだ。
 
そしてなぜそういうことになったのかと言えば、貧困から立ち上がるために死にものぐるいで発展しなければならない段階で、伝統とか町の景観とかに配慮する余裕なんてなかったからに外ならないのである。
 
いつも戦勝国で余裕をかましていた、そして世界基準に自分たちの価値を置いて、いつも有利な立場にいるオマエらにとやかく言われる筋合いはない、と私は言いたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「民主主義」は正義だろうか?? 2008年03月26日01:02
 
 
梅棹忠夫京大教授が、かつてタイを訪れた時、チュラロンコーン大学の教授陣と初めての会合を持った。そこでタイ人の教授が、
 
「同じアジアの大学なのに、これまでまったく交流がなかったとは、どういうことでしょうか」
 
と言った。それまで「チュラロンコーン大学」の名前すら知らなかった梅棹教授はこう答えた。
 
「お互いに大学の名前も知らなかったのですからね」
 
その途端、タイ人教授の顔色が変わった。
 
「わたしたちは、知っていましたよ。京都大学のことも、よく知っていました」
 
 
 
「わたしは、ハッとした。そうか。これは、「おたがいに」ではなかったのである。知らなかったのは、日本人の方なのである。タイの学界は、先進国としての日本の学界のことを意識していたのである。しかし、日本の学者たちの目は、ヨーロッパやアメリカに向いてしまって、アジアを無視していたのである。わたしは、恥ずべきことだと思った」(「東南アジア紀行」中公文庫)
 
 
 
日本人の目はいつも西洋を向いていた。
 
多くの韓国人は、日本の国花が「サクラ」であることを知っている。
 
しかし多くの日本人は、韓国の国花が「ムクゲ」であることを知らない。
 
ベトナムやラオスやカンボジアの首都の名を知っている人はあまりいないだろう。
 
しかし彼らは例外なく「トーキョー」の名前を知っている。
 
 
 
日本の目は、いつも西洋を向いていた。
 
 
 
 
20年くらい前までは「外国」とはアメリカかヨーロッパか、せいぜいオーストラリアまでのことで、その他の国々は日本人の視界から欠落していた。
 
 
しかしそれは日本に限ったことではない。
 
 
西洋以外の国の目はすべてアメリカかヨーロッパを向いている。
 
わたしの印象ではその境界はインドあたりではないかと思う。
 
インドから西はヨーロッパを向いている。
 
インドから東は日本、さらにその先のアメリカを向いている。
 
 
 
100年くらい前までは、西洋は「正義」であった。
 
「科学」は至高であった。
 
前に観た映画「王様と私」では、「サイエンス」という言葉が頻繁に出てきた。
 
100年前は世界で唯一「科学的」で「合理的」であった西洋のやり方が、絶対の「善」であると、誰もが信じて疑わなかった。
 
 
しかし実際はそうではなかった。
 
 
西洋が造りだした「民主主義」という考え方が、世界中の国で紛争の原因になっている。
 
選挙に民意が反映されるのは、ごく一部の国でしかない。
 
多くの国では、大統領に権力が集中して、巨大な不正が行われ、それを快く思わない対立部族が反乱を起こし、内戦が続いている。
 
ケニアを始め多くのアフリカ諸国で、あるいは中近東の国々で、あるいは中南米の国々で続いている内戦の原因は、民主主義を定着させようとして失敗したことにあるのではないか。
 
 
私たちは「民主主義」が正しいと学校で習ってきた。
 
しかし本当だろうか。
 
 
ブータンが王政から議会制へと移行するらしい。
 
しかし王政の下で国民は今まで十分幸せだった。
 
 
ミャンマーは軍事独裁政権が続いていて、よくないと言われる。
 
しかし一方で、北朝鮮のような飢饉が発生したというような話は聞かない。
 
 
イランでは議会の上にウラマー(イスラム宗教指導者)の上部組織がある。
 
だから厳密には民主主義ではないが、わたしが見てきた中で、もっとも貧富の差が少ない国だった。
 
民主主義的でなくても、うまく治まっている国はある。
 
民主主義を強制したことで紛争が発生した国の方が、世界では圧倒的に多いのである。
 
議会制民主主義が最高の政治形態であるというのは幻想だと思う。
 
少なくとも、世界中すべての地域で適用できる普遍的な制度ではない。
 
世界の人々の目が西洋を向いている限り、その幻想は続くのだろうが、その間に世界中で多くの人が紛争でなくなり続けるだろう。
 
西洋人が造りだした数多くの「負の遺産」ののひとつが民主主義なのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
済州島 2008年03月22日00:05
 
 
先日、某エロ本の取材で韓国の済州島に行ってきた。
 
済州島は韓国最南端の島で、「韓国のハワイ」と言われる。
 
実際は、そこまで言うほど暖かくないが、真冬のソウルあたりから来たら、ハワイにも思えるかもしれない。
 
そのせいか、済州島は韓国の新婚旅行で人気の島になっている。
 
 
しかしそんな観光ブームが到来する前までは、済州島は貧困を絵に描いたような島だった。
 
済州島には有名な「三多」という言葉がある。
 
「石、風、女」
 
である。
 
島の中央には韓国最高峰のハルラ山がある。
 
済州島はこの山の噴火でできた火山島である。
 
 
だから島には世界最大級の洞窟がある。
 
ハルラ山の地下には、琵琶湖ほどの大きさがある巨大な地底湖があるとも言われる。
 
 
土地は痩せていて、三十センチも土を掘れば、火山岩の岩盤に突き当たる。
 
モンゴルがこの島を占領したとき、馬の牧場に利用した。それくらいしか使い道がなかったのだろう。
 
そのせいか韓国では馬のことを「マル」という。
 
モンゴルで家畜を意味する言葉である。
 
 
雨水はほとんど地下に吸収されてしまい、島は慢性的な水不足である。
 
稲作ができない。
 
だから済州島のマッコリは、コメではなくてヒエ、アワが原料である。
 
 
農業では食べていけないので、海で漁をすることになるのだが、島では伝統的に男は働かない。
 
だから女が海女に出る。
 
島に「女が多い」のはそのせいだ。
 
そして風が強い。
 
風が強いので、火山岩の石を積み上げて石垣を作り、畑を守る。
 
だから石が多い。
 
というよりも、あちこちに転がっている石が畑作に邪魔なので、積み上げていったら石垣になったのではないかと思われるくらい、あちこちに石が転がっている。
 
 
「三多」は、島の貧困の理由を見事に言い当てているのだ。
 
 
貧乏な済州島からは多くの島民が出稼ぎに出かけた。
 
出稼ぎ先は日本やアメリカなどだ。
 
現在の島の人口よりも、外国在住の島民の人口の方が多いという。
 
大阪の鶴橋は日本最大のコリアンタウンだが、住んでいる在日は、ほとんど済州島出身と言われる。
 
千葉や三重の海女には、済州島からの出稼ぎが多いという。海女の技術自体が済州島からもたらされたとも言われる。
 
 
女達が働かなければならないほど、島は貧困だった。
 
済州島には「水汲み女」の石像があちこちに建っている。
 
島に数少ない湧き水を汲んでくる作業は、女達にとって、もっとも過酷な仕事だった。
 
だからこの像は、済州島の働き者の女達の象徴なのだ。
 
だから島では水瓶を背負っている男は「女に捨てられた男」とすぐにわかる。
 
逆に女が水瓶を割ってしまうと「仕事ができない女」だと思われた。
 
 
島の女達は親兄弟を食べさせるために、「身売り同然」で男にもらわれていった。
 
つい数十年前まで、島では一夫多妻が普通に行われていたという。
 
貧しさ故に、島の女達は強くなっていった。
 
鶴橋のアジュンマを見ているとわかる気がする。
 
現在の済州島は、国内外の観光客で潤っているようだ。
 
しかし島の所々に残る、沖縄に似た屋根の低い、古い家々の貧しさを見つけるたびに、この島が背負ってきた貧困を思わずにはいられなかった。
 
 
……というような深刻な話は別として、海産物も名物の黒豚も、ものすごくおいしかったし、大満足の旅行だったです。
 
コストパフォーマンスの考えるならソウルよりも断然おトク。
 
「飲んで食うだけ」の人には超オススメです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西洋人が働かない理由 2008年03月19日07:40
 
 
イギリス人は働かないという。
 
オランダ人も働かないという。
 
スペイン人は、もっと働かない。
 
 
日本人の職業倫理からすれば信じられないような、彼らの怠惰な感覚は、いったいどうやって醸成されたのだろうか。
 
よく聞くのは、
 
「ヨーロッパは成熟した社会だから、勤労よりも、家族との生活、個人の人生の楽しみを大事にするのだ」
 
といったような解釈である。
 
イギリスなんかでは、強力な労働組合によって労働者の権利が守られているので、たいして働かなくても高給が保障される。
 
しかも個人主義が発達しているので、会社よりも個々人のゆとりある暮らしの方が優先されるのだ、というふうに説明されるわけである。
 
 
 
つまり日本のような働き蜂の生活の、さらにその先の「一歩進んだ」、先進的な社会像として語られる。
 
他の現象と同じように、私たちが西洋について語るときには、いつも彼らが日本より進んだ、優れた習慣として語られるのである。
 
 
 
しかし本当にそうだろうか。
 
 
 
先日ようやく読み終わった「プロ倫」の最後の方に、こんな文章がある。
 
資本主義は、当初は、資本家と労働者との関係として出現するが、組織が巨大化して社会を支配するようになると、両者の間に「管理職」というものが必要になってくる。
 
つまり現在の一般的なサラリーマンである。
 
彼らは末端の労働者や資本家のように、明確な職業意識を持つことがない。
 
巨大な組織の中で労働の意味も目的も明確ではないのだ。
 
ウエーバーは言う。
 
 
 
「いったいそうした管理組織化という現実は、行きつくところどうなるのだろうか。そこに住む人びとがそうした状況に利害を覚えるとき、それはいかにして満たされるのだろうか。現実を変革する方向を見いだすことによってか、それとも巨大な機構を変えないまま尊大な精神を持つことによってか。それとも自らの細分化された仕事の意味を知ろうともせず、内面的な楽しみを解さない人びとのまま終わるのだろうか」
 
 
 
ウエーバーがこの本を書いたのは日本で言う明治時代の終わり頃ことである。
 
アメリカやイギリスが世界でもっとも幅をきかせていた時代のことだ。
 
 
十九世紀に、世界でもっとも働いていたのはイギリス人だという指摘がある。
 
ロンドンの蛾が、たった数ヶ月でどんどん羽根の文様を変えてしまうくらいに、深刻なスモッグが発生した。それくらいの猛烈な工業生産が行われた。
 
「世界の工場」だった彼らの職業倫理の高さはすさまじかっただろう。
 
 
 
現在、イギリスは労働組合によってダメになったといわれる。
 
組合の指導によって、のらりくらりと働くことが義務づけられているんだそうだ。
 
そのくせ給料は世界最高水準に高い。
 
つまりウエーバーのいうところの、
 
「自らの細分化された仕事の意味を知ろうともせず、内面的な楽しみを解さない」
 
ままに、
 
「巨大な機構を変えないまま尊大な精神を持つこと」
 
によって、職業意識の低下に対応していったのである。
 
彼らの職業倫理の低さは、「社会が成熟した」とか、「日本より先進的だから」とかいうことではなく、単なる「堕落」の結果なのである。
 
 
同じように巨大組織に組み込まれて働いている日本人は、そうなってから半世紀も経つにもかかわらず、(いろいろと問題は抱えているとはいえ)、変わらない職業倫理の高さを保っているのである。
 
なんでもかんでも「西洋は先進的だ」と信じて疑わない、私たち日本人の意識を、そろそろ変えるべきだと私は思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サルコジの「にやけ笑い」 2008年03月17日14:04
 
 
なにかとお騒がせなフランスの大統領サルコジ。
 
この男の「にやけ笑い」が私は大嫌いである。
 
いかにもフランス人らしい、人をバカにしたような「にやけ笑い」を見ていると虫酸が走る。
 
 
この男はパフォーマンスが得意である。
 
在任中に女優と結婚する。
 
クリントン大統領が在任中にキャメロンディアスと結婚したら、そりゃあ大変な騒ぎだろう。
 
 
 
 
しかし一方で「公僕がそんなハデなことをするな」という議論もある。
 
なんで在任中になんだよ。
 
クビになってからでも遅くないだろ。
 
つまりはこの男のお得意のパフォーマンスなんだろう。
 
 
 
フランス人は、旅行中に何人か会ったことがあるけれど、たいがいあまりいい印象を持ったことがない。
 
だいたいのフランス人は現状に大いなる不満を持っているように見受けられる。
 
その不満とは、要するに英語圏の連中、つまりアングロサクソンの連中に世界を牛耳られて、国際的な影響力が低下していることへの不満である。
 
 
 
今回の旅行で会ったフランス人。
 
「もうフランス語なんて誰も話さなくなってしまったよ。ベトナムだって通じない。世界はみんな英語になっちまった」
 
「でもアフリカじゃあ、まだフランス語じゃないの?」
 
「アフリカくらいのもさ。他は全部ダメだ」
 
 
彼はそう言って自虐的に笑った。
 
彼のアタマの中には、かつての奴隷制度で黒人の人権を無視し続けてきたことに対する謝罪の念など、これっぽっちもない。
 
あるのは英米に対するコンプレックスだけだ。
 
 
 
 
19世紀の植民地世界を象徴する言葉に、
 
「イギリスの傲慢、フランスの猜疑 スペインの怯え」
 
というのがある。
 
世界制覇したイギリス人は傲慢で、いつもイギリスの後塵を拝しているフランスは懐疑的であり、往年の精彩を失ったスペインは凋落に怯えている。
 
そういう言葉である。
 
フランス人というのはいつもイギリス、アメリカに後れをとってきた。
 
第一次大戦ではどうにか持ちこたえたけれど、第二次大戦ではあっという間にドイツに突破され降伏してしまった。
 
戦争すると弱い。
 
そのくせ権力には固執する。
 
実力が伴わないのに野心だけは強い。
 
 
だから正攻法ではなく、一種のアンフェアな方法で勝とうとする。
 
国際柔道ではフランス人は相手のミスを誘って勝つのに長けているそうだ。
 
どんな手を使っても勝てばいい。
 
そういうフランス人が猜疑的になり、冷笑的になるのも頷けるというものだ。
 
フランスを旅行した日本人の印象は、だいたい「フランス人はハナが高い」というものだ。
 
東洋人をバカにしている輩が多いのである。
 
その背景には、アングロサクソン勢力に負け続けてきた歴史が色濃く反映されていることは間違いない。
 
サルコジの「にやけ笑い」を見ていると、そういうフランス人の「いやらしい部分」がべったりと顔に張り付いているようで、見ていて不愉快なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本当はすごいペルシア帝国 2008年03月16日22:57
 
 
ギリシア神話は日本でも有名である。
 
トロイの木馬とか、ペルシア戦争の逸話など、よく知られているわけである。
 
そして多くの人が「ギリシアが正義でペルシアは悪玉」というイメージを、なんとなく持っているのではないだろうか。
 
ギリシア彫刻の、あの美しい肉体美を見れば、ヒゲ面のペルシア人が、なんとなく野蛮人に見えてくるのも、わからなくもない。
 
 
しかし歴史家に言わせると、ギリシアなんかよりもペルシア帝国の方が、世界史に与えた影響は計り知れないほど大きいらしい。
 
 
 
「アケメネス朝ペルシア帝国は、西アジア史のみならず、中国の秦漢帝国やヨーロッパのローマ帝国、インドのマウリヤ帝国に先立つ世界史上最初の大統一帝国であった」(「西アジアの歴史」小玉新次郎 講談社現代新書)
 
 
 
紀元前6世紀にできたこの大帝国は、画期的なことをいくつも成し遂げた。
 
まずパキスタンからトルコ、エジプトにいたる広大な領土を支配した。
 
ギリシアが地中海のちっぽけな島国であったことを思い出していただきたい。
 
最初からスケールが違うのだ。
 
あるいは船団に命じてインダス川から紅海に至る大航海を命じた。それと同時に陸上の交易路を整備して、東西交易を振興した。
 
 
政治制度も画期的だった。
 
州制度をつくり、官僚制度を整えて、地方に代官を派遣して、中央政府の権力を強化した。
 
言語を統一して市民の便宜をはかった。
 
その後の国家運営の基礎となる、様々な制度を考案したのが、ペルシア帝国だった。
 
二千五百年前のイラン人は、すごかった。
 
 
 
 
ところで紀元前後にユダヤ人が使用していた「TO地図」というのがある。
 
「○」に「T」を重ねて右に90度回転させた簡略な地図である。
 
どういう意味があるのかというと、「横T」の左上がヨーロッパ。左下がアフリカ。そして右側がアジアなのである。
 
そしてアジアの方に「paradise」(パラダイス)と表記してある。「パラダイス」の語源はペルシア語だそうだ。
 
つまりユダヤ人にとって「東方」とは文明が出ずる楽園だったわけだ。
 
 
 
多くの日本人は、西洋には大昔から発展した高度な文明があり、昔から西洋人は貴族のような生活をしていたかのような錯覚を持っているわけである。
 
しかし実際は、この時代には、森の中で石器時代のような生活を続けている野人の集団であった。
 
アレキサンダー大王はなぜ、ヨーロッパに遠征に行かなかったのだろうか。
 
なぜなら西にはなにもなかったからだ。
 
彼の時代には、輝かしい文明の中心は、いつも東方にあった。
 
だから彼はインドまでも遠征したのである。
 
 
日本人は西洋がいつも正しいと信じている。
 
そして中近東のアラブやペルシアやトルコなどの西アジアの民族を、野蛮で未開な連中だったと考えてしまう傾向がある。
 
しかし実際はまるで逆なのである。
 
こういう歪んだ歴史観は、日本が開国して以来、西洋から間断なく注入された、言ってみれば西洋人にとってきわめて都合のいい歴史観なのである。
 
私たちはこういう史観を是正していかなければならないと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「それでもボクはやってない」 2008年03月02日23:59
 
 
昨日のフジテレビ土曜プレミアム「それでもボクはやってない」には、色々と考えさせられました。
 
日本の刑事事件の99.9%が有罪であるという事実は衝撃です。
 
裁判が有罪になることで、「被告以外」のすべての人が丸く収まるというのが、とても印象的だったです。
 
つまり裁判官が無罪判決を出すと、検察の面目を潰すことになり、ゆくゆく自分の出世が危ぶまれる。
検察はもちろん、起訴したからには有罪でないと困る。
 
そして弁護士は、有罪が当然である方が責任が問われないし、もしもきわめて困難な無罪を勝ち取れば、評価が高まる。
 
よって被告以外の司法関係者すべてにとって、有罪の方が都合がいいという状況になっているそうです。
 
 
 
 
前に紹介した「アメリカが嫌いですか」という本では、在米弁護士である阿川氏が、このようなことを書いています。
 
 
 
「知り合いの弁護士によれば、日本の裁判では被告が裁判官に改悛(かいしゅん)の情を示すかどうかが、判決の内容をかなり左右するという。新聞で裁判の記事を読み、判決文に「被告は十分に反省しており云々」との表現をみつけるたびに、ああこの国の裁判官は、真実をさし示し、情状を酌量してくれる一段高い存在なのだなと思う。裁判官も先生、検察官も先生、そして自分の弁護士も先生という情況で、被告がつっぱって自己を主張しつづけるのは、ずいぶん難しかろう」
 
 
 
映画での主人公は、まさにこの状況で「つっぱって」、結局有罪になってしまったわけです。
 
 
常々思うんですが、日本で腐っている業界というのは、たくさんありますが、もっとも腐ってるのは、警察業界と、司法業界と、医師業界ではないかと思うんです。
 
たとえば医師業界。
 
薬局で売っている薬は効きませんよね。そして医者が処方した薬は効きますよね。
なんででしょうか?
 
効く薬は医者が処方しないと手に入らないようにしているからですよね。医者にかからないとよい薬は手に入らないようになっているんですよね。きっと。
 
 
あるいはたとえば警察業界。
 
卑近な例ですけど、外国に行くと、ナンバープレートがかなり自由です。色や大きさなど、ある程度の規格さえ守っていれば、どんなのでもOKな国がけっこうあります。
 
日本もそうすればいいじゃないかと。規制緩和すれば、新しい商売が生まれるだろうに……と私は思うのですが、そうはならない。
 
おそらく警察の関連業界が、既得権益をガッチリ握っているからでしょう。
 
新規参入は許されない。
 
 
とかなんとか、いろいろ思うわけです。
 
およそ先生と持ち上げられて、ふんぞり返っている人々が、上層部にデンと居座り、族議員をしっかり持って、既得権益を握って放さない。
 
そしてオモテの顔は絶対的正義の象徴である。
 
こういう業界が上記の「三大牙城」なのではないかと思うわけです。
 
 
一方でその背景には、無条件で「お上」に平伏する日本人特有の「百姓根性」があることは言うまでもありません。
 
西洋のように、一般市民が王様を城から引きずり出して打ち首にするようなことを経験していない国だから仕方がないのかも知れませんが。
 
 
裁判に関しては、陪審員制度の導入で、そういう馴れ合い的な利害関係が一掃されることを期待しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤岡弘とゼロ発泡酒とテレビ局の傲慢 2008年02月28日22:37
 
 
何年か前に、テレビ東京の「テレビチャンピオン」という番組に出演しないか、という話が来た。
 
それは世話になっている大学の先輩の紹介で、当時会社を辞めたばかりでヒマだった私にお呼びがかかったのである。
 
内容は「無人島王選手権」とかなんとかいうもので、要するにサバイバル技術を競うというものであった。
 
「南米をロバで歩いたやつだ」というのでテレビ局側が面白がったらしい。
 
連絡して来たのはテレビ局の子会社だか関連の制作会社の人からで、
 
「出演者がなかなか見つからなくて困っている」
 
という話だった。
 
それで、最初はヒマなので参加することで話が進んでいたのだが、ちょっとした私用ができてしまったので、お断りの連絡を入れたのである。
 
それが収録当日の二ヶ月くらい前で、それから一ヶ月ほどしてから、今度はテレビ局のディレクターだかプロデューサーだかいうエライ人から電話があった。
 
この人はこれまで連絡をくれていた、おっとりした感じの女性とはまったく違って、いかにもヤリ手のキャリアウーマンという感じの女性で、尊大な態度をにじませた話し方であった。
 
「中山さんですよね?」
 
「はあ、そうですが」
 
「テレビ東京の××というものですが、中山さん、今度の無人島王選手権、出演されますよね?」
 
この間、断りの電話を入れたにもかかわらず、この女性はそう切り出してきた。この押しつけがましさだけでも十分失礼である。
 
「いえ、それがちょっと用事ができてしまって、出られなくなりまして」
 
「失礼ですけど、用事というのは?」
 
「結婚式が入ってしまったんです」
 
「……」
 
ここで相手は一瞬、言葉を止めた。
 
しかし次の瞬間、彼女はマシンガンのような早口でしゃべり始めたのである。
 
「ご友人の結婚式でしたら、欠席できませんか? テレビに出られることなんて滅多にないことなんですから」
 
そのあといろいろしゃべっていたようだけれど、よく覚えていない。しかしこの女性のこの言葉だけは鮮明に覚えている。
 
友人の結婚式を蹴ってテレビに出ろという。
 
テレビに出られるチャンスなんて、もうお前には一生ないかもしれないという。
 
この傲慢さには、もう笑うしかないのであるが、私はぼそりと言ったのである。
 
「いえ、自分のなんです」
 
「……」
 
相手の女性が、私の言葉を理解するのに一瞬時間がかかった。
 
まさか自分の結婚式をキャンセルしてまでテレビに出る人はいない。そしてそれを強制する人も、さすがに世の中にはいないのである。
 
「あ! そうでしたか! それなら仕方がありませんね! どうも失礼しました!」
 
いままでの高圧的な態度とはうって変わったような声で、そそくさと電話は切れた。
 
私は受話器を置きながら、テレビ局という、世の中で権威があると思われているメディアが、いかに腐敗しているかを、しみじみと思ったのであった。
 
 
 
 
「テレビに出させてやる」
 
という尊大な態度がこれほど明白で、しかも友人の結婚式よりもテレビ出演の方が重要であると信じ込んでいる、この女性ディレクターだかプロデューサーの勘違いぶりは、本当に救いがたいわけだが、これがただいま現在の、テレビ局というメディアの実態なのである。
 
芸能界とかテレビ局とかいう魑魅魍魎のような人々が寄生している業界は、私が世の中で最も嫌いな人種が拠り集まっている、最も不愉快な業界である。
 
一方で、テレビに出たくて仕方がない人もわんさかいるわけで、そこにメディアの傲慢が発生する。
 
この勘違いした女性ディレクターだかプロデューサーの電話を切ってから、私は世の中の権威と言われているものは、そろそろ一回ぶっ壊さないといけないよなあと思うようになった。
(以上の文章は「ロバ中山の旅日記」で書いたものを転載してます)
 
 
                     ※      ※
 
 
それで今日、某出版社の仕事で、某ビール会社の新作発表会の取材に行ってきた。
 
藤岡弘という、かつての仮面ライダーの人が登場して、発泡酒を飲んでトンカツを食った。
 
そのあと記者会見になったんだが、もう完全にテレビ局の取材が最優先されて、ほかのメディアはまったくカヤの外なのだ。
 
インタビューするのもテレビ局。
 
他のメディアはそれを遠くから、よく聞き取れないのを必死にメモする。
 
テレビのインタビューが終わると、イベントも打ち切られ、他のメディアからの質問時間はいっさいなし。
 
主導権はテレビ局が握っていて、会社の広報もそういうものだと思っている。
 
確かにテレビはスタッフもたくさんいるし、もちろん影響力もケタ違いだから仕方がないのかもしれない。
 
しかしテレビ局の連中自身が、それを当然と思っているのは、どうなんだろうか。
 
むしろでっかい機材を持ち込んで、周囲に迷惑をかけているのは彼らの方であり、彼らこそ恐縮するべきではないだろうか?
 
 
とかなんとかいう呆れるような現場を見てきて、ますます私はテレビが嫌いになった。
 
世の中からテレビが消滅してくれればいいのにと、私は本気で思う。
 
私は地デジに移行したら、同時に「テレビなし」の生活に移行しようと思っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三浦和義再逮捕は不当ではないか 2008年02月26日12:57
 
 
世間を騒がせている「三浦和義アメリカ再逮捕事件」について、僭越ながら私の思ったことを書かせてもらいます。
 
この人が限りなく「クロ」に近いことはみなさんご承知の通りです。
 
ロス警察が逮捕に踏み切ったのにも、それなりの自信があるからなんでしょう。
 
 
しかし、この人が日本で無罪が確定しているにもかかわらず、あえて日本の司法判断を無視してアメリカの警察が彼を逮捕したことに、私はアメリカ特有の「傲慢」を見た気がします。
 
当然アメリカでもアメリカの法律に則って逮捕したのでしょうから、そこに不当はないわけですが、私はアメリカ人の「正論」というものにギモンを持ってしまいます。
 
 
おそらくアメリカは、この限りなく「クロ」に近いにもかかわらず、日本の司法が有罪にこぎ着けられなかった犯罪者を、アメリカで処罰してやろうという考えなんでしょう。
 
 
それは一見して正論のようにも思えます。
 
 
しかし、そういうアメリカの「正義」は、一面でアフガンやイラク戦争に通じる論理であるように思います。
 
「悪いやつを懲らしめる」
 
というアメリカらしい単純明快な論理です。
 
民を苦しめるサダムと同じように、人殺しをしたにもかかわらず無罪放免になった男に正義の裁きを加えてやるということなんでしょう。
 
 
しかし日本の司法が無罪と断定した、つまりはなんの罪もない一般市民が、アメリカで改めて裁かれるというのは、やはりおかしいのではないでしょうか?
 
 
逆のことを考えてみればわかりやすいでしょう。
 
 
日本で犯罪を犯した米兵がアメリカで逮捕されたが無罪になった。
 
その人を日本の警察が再逮捕するでしょうか?
 
おそらくしないでしょう。
 
それはアメリカ政府が許さないでしょう。
 
 
法律に厳格なこの国が、たとえ三浦被告のように限りなくクロに近い人物だったとしても、いったん無罪か確定したら、O・J・シンプソンのように、晴れて一般市民として扱われるのですから。
 
自分とこの市民が外国で「不当に」裁かれるのは許さないが、他国の犯罪者が自分の国で犯した犯罪は断固として処罰する。
 
私はそこにアメリカという国の「正義」をカサに着た利己主義を見てしまいます。
 
それに日本の世論は冷たすぎないでしょうか?
 
曲がりなりにも無罪判決を受けた元被告が、外国で不当逮捕されたのに、みんななんだか当然のように受け止めていないでしょうか?
 
そこに私は、イラク人質事件の時の「自己責任」と同じ、「世間の冷たさ」を感じてしまいます。
 
 
というわけで私は三浦被告を応援したいと思います。
 
がんばれ三浦和義!(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イージーライダー 2008年02月21日19:00
 
 
なんだか久しぶりに観たこの映画。
 
この年になって観てみると、初めて観た二十歳くらいの頃とはまったく違う印象である。
 
キャプテンアメリカとビリーが、途中で立ち寄るヒッピーの村がある。
 
農業もしたことのない若者たちが田舎に集まって集団生活を送っている。痩せた土地に種を播いても、ほとんど実らないとグチを言う。
 
希望に燃えてやってきたはずが、キビシイ現実に直面してうろたえている。
 
実生活というのは、理想だけではどうにもならないことを、二十歳を過ぎてもわかっていない。
 
 
二十歳の頃に観たときは、バイクで広大なアメリカを旅するその姿に強い感銘を受けたものだが、今となってはそんなことよりも、彼らが旅先で出会っていく人々に興味を覚える。
 
カトリックの農夫の家でパンクを修理し、昼飯をご馳走になり、食事の前にお祈りをする家族に面食らう。
 
南部などの敬虔なカトリックの家と、西部や北部の大都会ではまったく違うのだ。
 
 
「二流のモーテルさえオレたちを泊めさせない。やつらはなにをビビッてるんだ!?」
 
 
憤るビリーを諭すように、途中で仲間に加わったジャック・ニコルソンが言う。
 
 
「やつらが怖がっているのは、君たちが象徴するものさ。やつらは君たちに自由を見るんだ。自由なやつを見るのが怖いんだ」
 
 
プロテスタンティズムでは勤労こそが神の意志に従うことであると説く。
 
南部のゴリゴリのネオコン連中にとって、働かない連中はクズである。
 
従って神の意志に従わない、長髪&ヒゲのヒッピーは抹殺されてしまう。
 
ここで多くの観衆は、自由を標榜する殺された彼らふたりに共感し、自由を抹殺した南部の偏狭な人々に憤慨するわけだが、今回観た私の感想は違った。
 
彼らはメキシコからコカインを密輸してボロ儲けした連中ではなかったのか?
 
人を廃人にする麻薬で儲けた金で、一生遊んで暮らそうという、ふざけた了見の連中ではなかったのか?
 
彼らは、ある意味で制裁されて当然の連中ではないのか。
 
 
私はいわゆるヒッピーみたいな連中は、嫌いではない。
 
でも共感もしない。
 
自分がそうなりたいとは思わない。
 
彼らが自然だとか自由だとか言っているのは、とても子供じみたことだと思う。
 
金持ちの国の子息だからこそできる遊びだと思う。
 
 
途上国に一度でも行ってみれば、靴磨きで生計を助けている小学生に出会うだろう。
 
彼らにガンジャだフリーセックスだと遊んでいられる余裕など、どこにもないことは一目瞭然なのである。
 
どんな農薬を使ってでも、生産高を上げないと食っていかれない農民が、中国には何億人もいる。
 
 
自然食志向だとか、クジラを殺すなとか、ロハスだとか言っていられるのは、ごく一部の先進国だけでしかない。
 
それはある意味でファッションであり、生きることに切実でない人々のゼイタクな「遊び」に過ぎないのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「アメリカが嫌いですか」 2008年02月21日00:34
 
 
最近読んだのが、同名のタイトルの新潮文庫版である。
 
書いた人は小説家の阿川弘之のご子息で、阿川尚之氏。
 
ワシントンで弁護士をしている人である。
 
 
単行本が出版されたのは、ちょうどパパブッシュが大統領の頃で、湾岸戦争が終結して、日本が兵隊を出さなかったと言って叩かれていた頃だろうと思われる平成5年。
 
この人はアメリカ在住だけにアメリカをこよなく愛し、アメリカ擁護の論陣を張っている。
 
 
その決定的な部分は本の最後の方である。
 
湾岸戦争勃発前夜、著者は体をこわして寝込んでいて、ベッドでラジオを聞きながら過ごしたという。
 
ラジオではイラク攻撃に踏み切るかどうかで、上院、下院の議員が次々に意見を述べていたという。
 
そしていよいよ戦争が始まると、ワシントン市内は重い空気に包まれたそうだ。テレビとラジオがよく売れた。レンタルビデオ屋は閑古鳥で、みんなテレビにかじりついて戦局を見守った。
 
 
アメリカ人がもっとも怒るのは、外国人に、
 
「この戦争がブッシュが石油利権のために起こしたのだ」
 
と言われることだという。
 
これに対して著者はこう述べる。
 
「この戦争は侵略による他国の併合を許さないというアメリカの原理原則と、その原則が今クウエートという場所で多くのアメリカ人の命を捨てるに足るほど重いものかという、苦悩に満ちた選択の結果なのである。(中略)アメリカは決して石油だけのために戦争に踏み切ったのではない」
 
 
「侵略による他国の併合を許さない」
 
 
確かにサダムは悪党である。このおっさんは秘密警察で国民を監視し、おそらく数多くの政敵を暗殺して来た独裁者である。
 
 
だから死刑になって当然だと思う。
 
 
しかしこの本を読んでいて不思議に思ったのは、冒頭のアメリカの議員たちの発言内容である。
 
本では12人におよぶ議員の演説の要約が書かれている。
 
それぞれに賛成、反対を表明して、犠牲になるであろう多くのアメリカ人兵士について憂えている。
 
しかし同じように多くの犠牲者が出るであろうイラクの人々について、なんらかの同情を表明している議員は、ハワイ出身の日系人、イノウエ上院議員ただひとりなのである。
 
 
もちろんここで書かれているのはごくごく一部の議員だけに過ぎない。
 
しかしおそらく、おおかたの議員の傾向は変わらないだろう。
 
 
 
 
アメリカ人にとっては、イラク国民など眼中にない。
 
サダムの専横を許すな。
 
しかしサダムをやっつけるために、多くのアメリカの若者を犠牲にしていいのか。
 
 
それだけが彼らの関心であり、同じように命を落とすことになる多くのイラク人青年については、誰も関心がないのである。
 
第二次大戦中なら日本だって同じだったろうが、現在はどうだろうか。
 
自国の軍隊が他国で戦争を始めるとしたら、自衛隊員の安全と同じくらい、他国の国民に対する迷惑を、まず考えるのではないだろうか。
 
 
ここにアメリカという国の本質が透けて見える気がする。
 
そしてこういう傾向がいまでもなにも変わっていないのは、この間のイラク戦争でもよくわかったと思う。
 
イラク人に対する人権を無視した拷問の数々は、痛ましい限りだった。
 
 
もうひとつ考えたいのは、アラブに根強く残っている「石油利権の不公平」である。
 
石油が出る国のアラブ人は大金持ちである。その逆のアラブ人は貧乏で、産油国に出稼ぎに行く。
 
彼らにどういう違いがあるのかというと、ないのである。
 
 
彼らは同じアラブ人である。
 
イラク人とかヨルダン人とかサウジアラビア人などというのは、ここ数十年でできあがったもので、それ以前にはそんな区別はなかった。
 
そして石油が出る地域に住んでいた一族がたまたま大金持ちになり、そうでない地域は貧乏のまま。
ただそれだけのことなのだ。
 
そして石油利権を得た一部のアラブ人は、他のアラブ人にそれを還元することもなく、独り占めしているのが現実なのだ。
 
 
だからといってサダムのやり方が正当化されることはないのだが、しかし一部のアラブ人の不満を代弁していたこともまた、紛れもない事実なのである。
 
 
私が聞いたウワサでは、バクダッドの爆撃は実に周到な計画の上で行われたもので、どの建物を壊して、それを再建するのはどこの建設会社ということまで、開戦前から決まっていたという。
 
こういう話を聞いていると、著者の、
 
「アメリカは決して石油だけのために戦争に踏み切ったのではない」
 
という主張も虚しいものに思えてくる。
 
 
問題は個々のアメリカ人の正論ではないのだと思う。
 
 
その世論を利用して大儲けを企んでいる軍事産業とか土建屋とか石油会社とか、なんだかわからないけど、そういう巨大企業なのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「予定説」と西洋人の傲慢 2008年02月18日12:56
 
 
読売社長のナベツネ氏は、朝起きると宇宙物理学などの難解な本を読むことにしているという。
 
起きがけのもっともアタマがクリアなときだと、難解な理論が理解できるんだそうだ。
 
同じ方法で最近読んでいるのは、マックス・ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の解説本である。
 
学生向けのそんなに難解な内容ではないが、確かに朝読むとよくアタマに入る。
 
 
そんなことはいいとして、この「プロ倫」、マックス・ウエーバーによる「西洋人賛美」の、かなり独善的な本である。
 
「西洋人がなぜいち早く産業革命を成し遂げたのか」
 
をプロテスタント、特にカルビンの「予定説」から論考している。
 
主旨は有名だから、ここでは説明しないとして、この理屈が、西洋人一般が持っている「傲慢な態度」を、実によく説明できることに気づいて、先日目からウロコが落ちたのでそのことを書く。
 
 
 
 
「予定説」というのは、どんなものか。
 
 
 
カルビンによると、人間は生まれながらに「救われる人」と「救われない人」に、すでに選別されているという。
 
現世でどんなに善行を行って徳を積もうと関係ない。
 
最後の審判の後に天国、あるいは地獄に行くことは、生まれながらに決まっていて、それは絶対に変えることはできないのだ。
 
 
 
 
そこで多くの人はどう考えるのかというと、
 
「自分は絶対に天国に行くはずだ!」
 
そう思いこむわけだ。
 
「自分は地獄行きだから」
 
と落ち込む人は、普通いない。
 
 
 
 
ここが西洋人の思考の基本である。
 
自分は将来、天国に行く人間である。つまり善人である。
 
だから現世でも悪いことをするはずがない。
 
天国に行くような人間は、現世でも世の中のためになることを行うものだ。
 
 
 
 
こういう思考によって、彼らは現世での善行を行うのである。
 
東洋のような、「現世で徳を積んだから解脱する」とかいう思考とは根本的に異なるのである。
 
 
つまり彼らは全員が「救われた人間」なのである。
 
実際はどうかわからないが、少なくとも彼ら自身はそう信じ込んでいる。
 
 
だから自分が悪いはずはない。
 
自分は正しい。
 
間違っているとしたら相手の方だ。
 
なぜなら自分は「天国行き」が約束されている人間だからである。
 
 
こういう考え方なわけだ。
 
西洋人は自分の矛盾や、弱みに言及されると、突然激しく反駁し始めることがよくある。
 
「オマエだって悪いことしてるじゃないか」
 
「オマエの国だって戦争中はひどいことをしたじゃないか」
 
自分は正しい。
 
もし自分が間違っているのなら、オマエも間違っているはずだ。
 
 
そういう論理なのだろう。
 
 
西洋人の押しの強さ、傲慢、しばしば相手を見下したようにも見える堂々とした態度の源泉には、このような「予定説」による「根拠のない自信」を背景にしているのではないだろうか。
 
 
 
 
先日の「東京マラソン」を扱った今日の読売新聞には、
 
「ボストンやニューヨークマラソンでは、参加費の一部が慈善活動に使われるなどのチャリティーが一般的で、日本も見習うべきだ」
 
というような主旨の記事が載っていた。
 
しかしそんなことは見習わなくてもいいのではないか。
 
宗教や思想の背景がまったく違う我々東洋人が、西洋人の「根拠のない自信」に迎合する必要なはない。
 
東洋には東洋のやり方があるのだと思う。
 
ところで西洋人というかプロテスタントの善行というのは、個人に対して行われるものではない。
社会という集団に対して行われるそうだ。
 
だからチャリティという慈善行為が奨励される。
 
逆にインドの乞食に個人的に施しをするような人はあまりいない。
 
こういう合理主義が、近代市民社会を形成したのだとマックス・ウエーバーは言うのだが、どうなんだろうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
レバノンという国 2008年02月06日02:31
 
 
昨年、久々にヒズボラの内戦で注目を集めたレバノン。
 
ヒズボラはシーア派の過激派である。ヒズボラを支援していたのはシリアとイランだ。
 
両国ともシーア派が実権を握っている国、つまり「シーア派つながり」なわけである。
 
今回はこの国の複雑怪奇な宗派対立について考えてみよう。
 
この国にもいろいろな人が住んでいるが、ほとんどはアラブ人である。
 
しかし彼らは同じアラブ人でも、実に様々な宗派に分裂している。
 
以下に列挙していくと、
 
 
 
・イスラム教スンニ派
・イスラム教シーア派
・イスラム教ドルーズ派
・キリスト教カトリック
・キリスト教マロン派
・キリスト教ギリシア正教
・キリスト教アルメニア正教
 
 
 
これらの宗派はそのまま「部族」といってもいいくらいに団結していて、互いに対立し、さらに近隣国のイスラエルとシリア、欧米などを巻き込んで、離合集散を繰り返す。
 
しかもわかりにくいことに、イスラム教徒とキリスト教とが単純に対立しているのではないのである。
 
 
 
まずスンニ派とシーア派が対立している。
 
マロン派とギリシア正教も仲が悪い。
 
マロン派は、現在はシリアと対立しているが、かつては友好的だった。
 
イスラム教ドルーズ派とイスラエルは友好的である。
 
 
なんでこんなに複雑なんだろうか。
 
わかる範囲で説明してみよう。
 
 
 
 
スンニ派とシーア派は、歴史上支配者と被支配者の関係であった。
 
レバノンでもっとも所得が高いのはマロン派キリスト教徒で、もっとも低いのがシーア派イスラム教徒であるという。
 
文盲率も圧倒的にシーア派が高い。
 
多数派のスンニ派から疎外されてきた彼らは教育レベルも低く、貧困層が多いのである。
 
だから当然スンニ派と仲が悪い。
 
同じようにこの地域では、支配者であるイスラム教の下で、キリスト教徒は「第2市民」の立場に甘んじていた。
 
だから彼らは基本的にイスラム教徒とは仲が悪い。
 
ドルーズ派はイスラム教の中でも非常に異端宗派で、だからレバノン山中に潜伏していた人々である。
 
彼らは歴史上、多数派のスンニ派と敵対してきた被害者である。だから彼らはイスラム教徒にもかかわらず、イスラエル政府に協力的なのである。
 
 
マロン派は「ナントカ宗教会議」で異端宣告を受けて、やはりレバノン山中に逃げ込んだ人々である。
 
だから彼らはレバノンでは多数派でも世界的には少数派である。
 
レバノンがイタリアではなくてフランスと親密であるのは、おそらくカトリックとの対立のせいだろうと思う。
 
 
 
アラブ人といえばイスラム教だが、少数のキリスト教徒も存在する。それらはおおむね、中央のローマカトリックから追放された宗派である。
 
レバノンのマロン派も、エジプトのコプト派もそうだ。
 
ギリシア正教と仲が悪い理由はよく知らない。
 
アルメニア人は、トルコでの虐殺以降、逃げてきた人々なので、利害関係はなく中立であるという。
 
 
 
ざっと説明すると、このようになるわけだが、おわかりいただけただろうか。
 
「イスラム教」といっても、実に様々なのであり、アラブが一枚岩では全然ない。それどころか部族対立の延長で敵対しあっているのが現実なのである。
 
 
 
 
私たちにはわけがわからない。
 
 
日本とか韓国は「国家=民族」なので非常にわかりやすい。
 
しかし世界の多くの国では、似たり寄ったりの部族紛争が日常茶飯なのである。
 
旧ユーゴスラビアも、アフガニスタンも、イラクも、ケニアも、紛争のタネを抱えている国は、たいがいこういった鋭い民族対立が根底にある。
 
そして何度も書いているが、彼らの紛争が激化したのは、ここ百数十年来のことでしかない。
 
その契機とは、西洋の植民地化によって、西洋人のやり方、つまり「一国家、一民族、一宗教」の原則が、彼らの都合でムリヤリ押しつけられたことによるのである。
 
そしてどこの国でも「大統領」の座を狙って部族対立が始まり、今に通じる「憎しみの連鎖」を生み出したわけだ。
 
 
 
 
もうひとつの西洋人の悪弊は、彼らが少数部族を優遇する政策をとったことである。
 
シリアの大統領が少数派であることと、イラクのサダムが、イラクでは少数派のスンニ派であったことは偶然ではない。
 
少数派を積極的に公務員に取り立てることで、多数派の反感を少数派に向かわせる。
 
イギリスもフランスもオランダも、同じようなことを世界中で行った。
 
だから戦後になって、インドネシアでは華僑の大量虐殺事件が起こり、東アフリカでは印僑の大量虐殺事件が起こった。
 
インドシナでベトナム人が今でも嫌われているのは、彼らが徴税役人としてラオスやカンボジアに赴任させられたからであるという。
 
そうはならなかったイラクやシリアでも、独裁政権による恐怖政治が長く行われている。
 
 
 
確かに西洋人の植民地政策によって、多くの鉄道や道路や病院や学校が建てられた。
 
「我々はインドによいことをした」
 
と、今でも多くのイギリス人が思っているという。
 
 
しかしそれ以上の負の遺産が今でも民族対立の火種になっていることを彼らはどう考えているのだろうか。
 
ケニアの大統領選挙であれほどの死者が出たのは、そもそも誰のせいなのか。
 
数次にわたる中東戦争の、そもそもの責任は誰にあるのか。
 
いずれもイギリスの責任ではないのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国家と民族 2008年02月05日02:09
 
 
今回は「国家と民族」について、私が今まで考えたことをまとめてみたいと思う。
 
前に「トルコ人とは?」ということについて書いた。とある本によると、トルコ人の定義とは、
 
「トルコ語を母国語とするイスラム教徒」
 
であるという。かなり例外的に、
 
「トルコ語を母国語とするキリスト教徒」
 
も存在する。彼らは「トルコ国籍のギリシア人」で、トルコ人ではないらしい。
 
 
 
 
同じ方法でギリシア人を定義するのなら、
 
「ギリシア語を母国語とするキリスト教徒」
 
になる。ギリシアにも例外的に、
 
「ギリシア語を母国語とするイスラム教徒」
 
がいるが、彼らは「ギリシア国籍のトルコ人」ということになる。
 
 
 
 
風間喜代三『印欧語の故郷を探る』岩波新書
 
によれば、ギリシア人も含めた印欧語族は紀元前2500年くらいにコーカサス地方あたりから移動してきたという。
 
ギリシア人はその頃からアナトリア周辺に住んでいる古い人々である。だからイスタンブールに行くと金髪碧眼の西洋人もよく見かける。
 
 
 
彼らの先祖は何代か前に、キリスト教からイスラム教に改宗したのである。
 
だから彼らは「ギリシア人のイスラム教徒」なわけだ。
 
「トルコ民族」と言われる人々は、中国西域から混血を繰り返しながらやって来てアナトリアに定着した。
 
この人々と、もともと住んでいたギリシア人、アルメニア人、クルド人、アラブ人などの集合体が現在のトルコ人である。
 
だから人種としての「トルコ人」は存在せず、国家と民族も一致しない。
 
一致しているのは、国民の99%が信仰しているイスラム教だけである。
 
 
 
 
もうひとつイスラエルという国について考えてみよう。
 
イスラエルはユダヤ人の国である。しかし「ユダヤ人」という人種は存在しない。ユダヤ人とは、すなわちユダヤ教徒のことである。
 
ユダヤ人の定義というのは、「母親にユダヤ人を持つ者」だそうだ。それだけである。
 
だからイスラエルに行くと、黒人もアラブ人もいるし、東欧系もラテン系も北欧系もいる。おそらくインド系もいると思う。
 
この国でも、国家と民族は一致しないが、宗教だけが一致するのである。(少数のイスラム教徒がいるが、彼らには兵役がないそうだ)
 
 
 
 
では両国の中間に位置するシリアはどうだろうか。
 
シリアでは国民の9割がイスラム教徒で、1割くらいのキリスト教徒がいる。
 
キリスト教徒は少数派で、歴史上ずっと「第2市民」の階級に甘んじてきた。だからイスラム教徒に対する反発は強いようだ。もちろん表立ってではないが。
 
国民の90%はアラブ人だが、トルコから逃げてきたアルメニア人と、北部のクルド人が若干いる。
 
要するにシリアは、アラブ人のイスラム国家である。
 
言語もおそらく国民全員がアラビア語を理解する。
 
だからこの国では、大雑把に言えば「一国家、一民族、一宗教、一言語」が適応されるはずである。
 
しかし西洋人が提起したこの国家モデルは、シリアではまったく機能していない。
 
なぜだろうか。
 
おそらくそれは、イスラム教が宗派ごとに細かく分派しており、それがそのまま部族の集合体となって互いに敵対しているからだと思う。
 
シリアの人々に「国家に帰属している」という意識はほとんどないようだ。
 
あるアラブ人に聞いてみた優先順位は、
 
 
イスラム教徒 > アラブ > 国家
 
 
だそうだ。
 
国家よりもムスリムであることの方が重要なのである。
 
自己紹介する時に、「私は日本人です」と言う前に「私は神道なもので」と言う日本人はいないのである。
 
彼らにとってムスリムであることは、なによりも重要なアイデンティティなのだ。
 
 
 
 
しかしそのイスラム教も、実はかなり細かく細分化されているのが実情である。
 
シリアのアサド大統領はアラウイー派という、少数派のシーア派の中でもさらに少数派の宗派であるという。
 
少数派が多数派を支配するので、必然的に秘密警察で国民を監視する恐怖政治が行われる。イラクのサダムと同じである。
 
現在の大統領は父親からの世襲である。これも北朝鮮と同じなのである。
 
この国でまともな選挙が行われているのかどうか、私は知らないのだが、大統領が「親譲り」であることを考えれば、そんなものはもう何十年も実施されていないのだろうと思われる。
 
このマフィア国家がイラクほど問題にされないのは、国が小粒で目立たないことと石油が出ないからだろう。
 
ともあれこの国がトルコやイスラエルとまったく違うところは、自ら勝ち取った国家ではないということである。
 
シリアの国境線は、イギリスとフランスによって決定されたものである。ヨルダンとの国境はチャーチルが決めたという。
 
 
 
 
トルコはその独立運動の過程でナショナリズムを醸成した。
 
 
イスラエルはナショナリズムの結果としてユダヤ人国家を建設した。
 
 
シリアは他人に独立させられたので、ナショナリズムは醸成しないままに、恐怖政治が行われている。
 
 
国家と民族を考えるとき、中近東は大変大きな示唆を与えてくれる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
OPEC生産見送り 2008年02月02日16:14
 
 
「原油増産、OPECが再び見送り」
 
1バレル=80円台に下がったことで、OPEC総会は増産見送りを決定したそうだ。
 
世界中の猛反発が必死にもかかわらず知らんぷりである。
 
読売新聞によると、
 
 
「米国経済の点検をしなければならない」(アルジェリア)
 
「今は増産の必要はない。増産して誰が買うのか」(カタール)
 
 
など、消費国をけん制する声が相次いだ。
 
原油価格の「高止まり」は当然、彼らの莫大な利益につながるので、彼らとしては当面今の高値を維持したいわけである。
 
 
 
ハンドボールの「中東の笛」以来、日本でのアラブに対する不信感は今までになく増しているところで、この決定はさらに彼らのエゴイズムを強調することになりそうだ。
 
日本の中小企業が、原油高でバタバタと倒産しているのを考えれば、彼らのこの決定は、本当にひどい話である。
 
私はドバイに行ったことがあるが、あそこは空前の建設ラッシュだ。
 
インドや中東諸国から出稼ぎが押しかけ、「人種のるつぼ」みたいになっている。
 
一説によると世界中のクレーンの何割かが、ドバイで稼働しているそうだ。
 
そういう情景を見て、私たちは心のどこかで「この成り上がりどもが」と思うわけである。
自分とこから石油が出ただけではないかと。
 
たいして努力もしないで成金になったアラブの王族たちに、少なからず反発を覚えるわけである。
 
 
彼ら王族は石油を「アッラーのお恵み」といって、自分とこその利権を独占しているのだ。
 
 
しかし初めて石油が発見された二十世紀初頭のイランでは、その利権がイギリスの「アングロイラニアン」という石油会社に独占されていたこと。
 
モサデク首相が国有化するまで、石油は事実上イギリスのものだったことを、私たちは忘れてはいけない。
 
 
確かに開発したのはイギリスかもしれない。
 
しかしその利権が引き続いていれば、ナツメヤシと真珠くらいしか捕れないアラブ諸国は世界経済から取り残されていたことは間違いない。
 
石油が発見されるまで、アラブ諸国の首脳は、スーツにネクタイで国際会議に出席していたそうだ。
石油が発見されて民族の自信を取り戻した彼らは、アラブの民族衣装で出席するようになったのは、テレビで見るとおりである。
 
 
 
 
欧米が完全に石油を牛耳っていた場合、どうなっていただろうか。
 
おそらく世界の趨勢は大きく変わっていたのではないか。
 
当然日本は欧米から石油を買うことになる。
 
もしかしたら日本がこれほど出世するビジネスチャンスは生まれなかったかもしれない。
 
 
石油のアブク銭で、好きかってやっているクウエート王族は確かに子供のような連中だが、彼らが西洋に対して味わってきた屈辱を考えれば、少々のワガママは許してやってもいいかという気になってくる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
かなり面白かった「クロコダイル・ダンディ」 2008年02月02日01:46
 
 
かなり前の映画ですが、初めて見たら大爆笑。
 
これはオススメです。。。ってみんなすでに観てますか?
 
 
オーストラリアの奥地でアボリジニに育てられた「ニック」ことクロコダイル・ダンディ。
 
「ワニに食われても生還した奇蹟の男」として有名になり、アメリカの新聞社の女性記者が取材に来る。
 
記者の申し出でニューヨークに招待されたクロコダイル・ダンディが、初めての大都会でカルチャーショックを受けながらも、オージーらしい大胆さと率直さで人気者になる。。。。という、わかりやすいストーリー。
 
 
まずは女性記者のオーストラリアでのカルチャーショックから始まる。
 
ヘリを降りて連れてこられたのは、辺鄙で殺風景な村。
 
「ここが町だ」
 
そのバーでは、
 
「ビールジョッキをアタマに乗せて、腹を殴られてもこぼさなかったら5ドル」
 
という賭けをやっている。そして、そこの常連の間では、
 
「ワニに足を食われて何百キロも這って町に戻ってきたら、病院を素通りしてバーで杯やってたんだ」
 
という尾ひれのついたダンディの武勇伝が伝わっている。
 
ニックが主催する旅行代理店は「ネバネバ探検社」という。
 
「探検に出たら二度と帰ってこられないから「ネバーネバー」なのさ」
 
都会育ちのお嬢様の女性記者にとっては信じられない野蛮な連中である。
 
 
 
しかしなんと言っても面白いのはダンディのニューヨーク初体験だ。
 
バーで誘われた女がオカマだと知らずに、誘いに乗ろうとしたら、
 
「あいつは男だぞ」
 
とツレに囁かれ、オカマの股間をつかんで、
 
「ホントだ! おい、みんな! こいつ男だぞ!」
 
場内大爆笑となる。
 
 
 
黒人の運転手に、
 
「オマエはどこの部族の出身だい?」
 
そしてチップを要求されると握手と思って握り返す。
 
誰彼かまわず挨拶をする。
 
「グッダイ」(good day)
 
オーストラリアのこの方言は有名だが、ロンドンの下町言葉「コクニイ」が起源なんだそうだ。
 
 
 
そんなことで楽しめた1本だったが、興味深かったのは、アメリカ人にとってオーストラリアという国は、とてつもないド田舎なのだということだ。
 
ニューヨークに着いたその日、ダンディは女性記者とその彼氏に食事に招待される。
 
酒乱気味の彼氏はダンディに絡む。
 
 
「ここはイタリア料理店だ。だからカンガルーのステーキはないぜ」
 
「外を歩くときは気をつけな。ワニより怖いクルマがたくさん走ってるからな」
 
 
ダンディを紹介された人はみな彼のことを「ターザン」と呼ぶ。
 
森の野生児が住んでいる国がオーストラリアなのである。
 
 
しかしニューヨーカーはダンディに好意的である。
 
その率直さ、大胆さ、気さくさに、誰もが好感を持つ。
 
 
それらはかつて、アメリカのヤンキーの特質とされたものだった。
 
大都市になってしまったニューヨークではそういう古き良きアメリカの慣習は失われてしまった。
 
チップを払わないダンディを見つけて、いそいそと金を渡す女性記者の姿はそれを象徴しているように思われる。
 
 
 
この映画がヒットしたのは、きっと観衆が、彼らが忘れていたアメリカ人らしい「行い」をダンディに発見したからだろうと思う。
 
そして日本においてのオーストラリアにあたる北海道出身の私は、ダンディを見ていて、なんとなく自分を観ているような気分になったのである(もちろんカッコイイ部分ではなくて、粗野で率直な部分だが)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「味盲」な人たち 2008年02月01日02:29
 
 
今日の読売新聞の「水危機」連載に、アメリカの平均的家庭の夕食の描写があった。
 
 
「冷凍グリンピースの袋を逆さまにして、がさがさと中身を皿に出す。目分量で4人分。水大さじ2杯を振りかけ電子レンジへ。献立は鶏肉のソテー、チーズをからめたパスタ、付け合わせのグリンピース。飲み物は自家製レモネード。「アメリカの家庭としては手の込んだ料理よ」夫を手伝いながら妻のシェリルさんが教えてくれた」
 
 
これで「手の込んだ料理」かよ。
 
じゃあ一般の家庭はなにを食っているのか。
 
二回ほどアメリカに行ったことがあるが、スーパーで缶詰の多さに驚いた印象がある。
アメリカにはできあいのスープとかシチューの缶詰がたくさんあるので、そういうのを温めて食べる。
 
彼らにとってはマッシュポテトくらいでも十分「手の込んだ料理」なのだろう。
 
しかも上記のメニューのどれひとつとして、食欲をそそるものがないのには驚かされる。
 
 
 
そこで「味盲」である。
 
「味盲」というのは、「フェニルチオカーバマイト」という苦味成分を感知できない、先天的な一種の「障害」である。
 
日本人ではおよそ一割が「味盲」といわれる。
 
そしてその率は西洋人になるとゲキレツに高くなり、男性の30%、女性の25%にも達するといわれる。
 
中でも特に多いとされるのがアングロサクソン系で、一説には6割とか8割とかいわれる。
 
イギリス人にとって食事とは栄養分を補給するためだけのもので、それ以上の意味はないという文章を読んだことがある。
 
「イギリスのメシがまずい」というのは定説だけれど、おそらく「味盲率」がきわめて高いことが、大きく関係しているのに違いない。
 
そして上記のアメリカ人の食事の「貧しさ」を見ても、その「味盲」ぶりがよくわかるというものだ。
 
 
 
 
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(略して「プロ倫」)というのは、ドイツ人学者マックス・ウエーバーの名著といわれる。
 
プロテスタントの世俗的な禁欲精神が、意外にも資本主義に適合して、イギリスやオランダ、アメリカなどの先進国家の経済発展に貢献したという、一見して逆説的な論理である。
 
禁欲的であるが故に、儲けた金は浪費されることなく次なる投資に充てられる。
 
こうして北ヨーロッパの先進諸国が成立したというのだ。
 
しかし私はそこに「味盲」の影響も見逃すことはできないと思う。
 
フランスは別として、他の国、オランダもイギリスもアメリカも例外なく飯がまずいのは偶然ではない。
 
 
彼らが享楽的にならなかったのは、「プロテスタンティズム」という形而上学的な理由の他にも、「飯をうまいと感じない」という、実はきわめて形而下的な理由にもよるのではないかと、私はにらんでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「オリエンタリズム」について 2008年01月30日01:41
 
 
今回の長期旅行(詳細は www.jinriki.net)では、100冊以上本を読みましたが、その中でもっとも影響を受けたのが、
 
本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波新書
 
で、この中で取り上げられている「オリエンタリズム」という思想です。
 
この「オリエンタリズム」について、今回はちょっと考えてみたいと思います。
 
 
 
「オリエンタリズム」は、エドワード・サイードというパレスチナ出身の学者が提唱した思想です。
 
この人はすでに故人ですが、米国コロンビア大学で比較文学を教えていた学者です。
 
 
「オリエンタリズム」とはなにか。簡単に言うと、
 
 
西洋人が構築した「西洋」と対立する「異質な他者」としての「東洋」
 
となるでしょうか。
 
西洋人にとっての「東洋」とは、自分たちとはまったく異質の、常に敵対する存在であり、優れた西洋の学術思想によって解明されるべき研究対象でした。そこには、
 
 
 
西洋→合理的、平和的、自由主義的、論理的、学術的
東洋→後進的、受動的、野蛮、不可思議、非論理的
 
 
 
などの偏見が常に色濃くありました。
 
つまり自分たちの好ましくない性質をすべて東洋に転嫁することで、自らの正当性を常に確認するために作り出されたのが「オリエンタズム」であったとサイードは言います。
 
 
 
 
サイードは18世紀から20世紀の西洋文学を、この「オリエンタリズム」という新しい視点から読解しました。
 
 
 
わかりやすい例を示せば、アメリカの作家マーク・トウエインの「トム・ソーヤの冒険」。
アニメでご存知の方も多いでしょう。
 
この作品の中に「インジャン・ジョー」というインディアンの大男が出てきます。冷酷残忍な殺人鬼で、最後にはトムを殺そうとします。
 
彼はなぜインディアンなのか。
 
そう考えたときに「オリエンタリズム」が理解できると思います。
 
 
 
「残忍」「狡猾」「野蛮」などの、好ましくない性質を東洋に押しつける。
 
 
 
それが西洋人の「オリエンタリズム」なのです。
 
 
 
 
「オリエンタリズム」の視点が現在どこまで有効なのか、私はよく知らないのですが、この日記で最近の映画の感想を書いているように、西洋人の「オリエンタリズム」はいまだに根強いような気がします。
 
「ラストサムライ」のように、かつての西部劇のような露骨なものではなくなっても、そして淘汰される側がいかに美しく悲劇的に描かれていても、根底に流れている西洋の優位性、正当性は、まったく変わっていないように思われます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「構造主義」とは? 2008年01月25日15:56
 
 
「構造主義」という言葉、よく聞きますよね。
 
難解な哲学用語のイメージがありますが、実はそうでもないようです。
 
 
今回の旅行で、「構造主義」について、なるほどと思ったことがあるので、備忘録代わりに書いてみようと思います。
 
「構造主義」というのは、おそらく簡単に言えば、
 
「物事を客観的に見る学問的な視点」
 
ということになるようです。
 
「物事の「関係」に注目するという立場」とも言えるでしょうか。
 
これを説明するには、当時の時代背景から説き起こすのがわかりやすいと思います。
 
 
十九世紀という時代は西洋人による「発見」の時代でした。
 
ニュートンの「万有引力の法則」の発見から始まって、ダーウインの進化論、メンデルの遺伝法則、スタンレーやリビングストンによるアフリカ奥地探検、ピアリやアムンゼンの北極点および南極点到達、新しい元素の発見、新種の動物の発見などです。
 
その立場というのは西洋人が未知のものを一方的に「発見」するというものでした。
 
それがその当時の基本的な学問的立場だったわけです。
 
 
 
西洋人からの一方的な発見ですから、そこには必ず色メガネが入ることになります。
 
たとえばこういう感じです。
 
 
「東洋人が信仰する多神教は一神教よりも原始的な宗教である。なぜなら西洋では一神教であるキリスト教を信仰しているからである」
 
 
「中世においてイスラム教が躍進したのは、その教義がキリスト教よりも優れているからではない。「コーランか剣か」で強制的に改宗させたからである」
 
 
新しく発見される文化や風習は、必ず西洋よりも「劣ったもの」「異質なもの」として観察されたわけです。
 
 
そこで登場するのが「構造主義」です。
 
「構造主義」はアメリカの言語学者の間で最初に提唱されるようになったと言います。
 
彼らも、それまでは他の西洋人学者と同じように、「優れた英語と劣ったインディアンの言語」という立場で比較研究していました。
 
「英語にはこの単語があるが、インディアンにはこの単語はない」という風に、ひとつずつ対比していくわけです。
 
しかしすぐにおかしいことに気づきました。
 
たとえば有名な話で、エスキモーの言葉には、「雪」指す言葉が五十もあるといいます。
 
しかし英語には「snow」しかない。
 
つまり言語的な優劣というものは、実は存在しないのではないか。
 
今までの西洋人からの一方的な「発見」の立場は、少なくとも言語学では通用しないのではないか。
そしてもっと客観的にふたつの事象を比較検討する、つまり「関係」に注目する視点が必要なのではないか。
 
言語学者たちはそういう風に考えたわけです。
 
これが「構造主義」の始まりだったそうです。
 
つまり「構造主義」というのは、西洋中心的な学問的視点に対するアンチテーゼとして発生したのでした。
 
その後「構造主義」は文化人類学に波及して、有名なレヴィ・ストロースがアマゾン原住民の研究なんかをしています。
 
その後のあらゆる学問に大きな影響を与えたのが、「構造主義」なのでした。
 
以上、私の理解した範囲で記しました。
 
相違点がありましたらご連絡くださいませ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マドンナの「エビータ」 2008年01月24日02:26
 
 
前から観ようと思っていたこの映画。
 
ようやく今回借りてきたら、なんと私の苦手なミュージカルだった。
 
 
全編ずーっと歌である。
 
まともな会話はひとつもない。
 
ずーっと歌。
 
 
なんでそこで歌うんだよ。
 
普通にしゃべればいいじゃんよ。
 
 
 
それがミュージカルに対する私の素朴なギモンなのだが、おそらくそれがいいんだろうね。わかんないけど。
 
 
よっぽど途中でやめようかと思ったけど、最後まで観た。
 
 
エビータは第二次大戦前後のアルゼンチンの大統領ペロンの夫人、エバ・ペロンのことだ。
 
下層階級の出身で、ブエノスアイレスで男を踏み台にして出生していく。
 
映画でもエビータの「成り上がりぶり」が面白い。
 
そしてついに大統領夫人にまで登り詰めたのが、26歳の時だった。
 
それからは基金を作って奉仕活動をしながらも、一方ですさまじく豪奢な暮らしをして、国民の尊敬と反感を買った。
 
そして33才で急逝してしまう。
 
 
まさに佳人薄命の人生だった。
 
 
その悲劇性が、この人が後世でも人気が衰えない理由のひとつだろう。
 
アルゼンチンでは今でも聖母として称えられているという。
 
 
 
映画自体はそんな感じで、エビータの生涯を追った内容なんだけど、観ていて興味深かったのが、エビータと上流階級との確執である。
 
彼女は下層出身なので、貴族階級からもっとも反発されたようだ。
 
 
そしてこの貴族というのは、みんなアングロサクソンなのである。
 
人々はポロを観戦し、ハロッズで買い物をする。
 
 
ペロン大統領の演説でも、
 
「外国による産業支配」
 
とか、
 
「イギリス企業を追放し」
 
とかいうセリフがしばしば登場する。
 
戦前までのアルゼンチンというのは、イギリス、アメリカに牛耳られてきたのだ。
 
 
ペロン大統領はこれに反発し、イギリス企業をじゃんじゃん国有化して、枢軸国側にも食料を輸出し大儲けして、ファシスト寄りの政策をとり続けた。
 
南米にナチスの残党が大勢逃げてきたのには、そういう理由があったらしい。
 
その後ペロンは失脚して、アメリカ寄りの軍事政権が乱立したりして混乱。
 
めちゃくちゃインフレが起こったりして、現在に至っているわけだ。
 
 
フォークランド紛争という、アルゼンチンとイギリスの戦争があったけれど、このような歴史を通観してみると、その背景にあるものが見えてくる。
 
私はこれまで、当時の軍事政権の大統領だったガルチエリが、失政に対する国民の不満をそらすために、イギリスに戦争を仕掛けたのだと思っていた。
 
 
一面ではそれも真実なんだろう。
 
しかしそれだけではないようだ。
 
 
イギリスに搾取され続けてきたこの国の人々の恨み辛みが、この戦争の背景にあったことは、おそらく間違いないだろう。
 
 
 
読売新聞では、最近「アマゾン大豆街道をゆく」という連載をしているんだけど、その中に穀物メジャー「カーギル」の名前が出てくる。
 
アマゾンの森林を伐採して大豆畑を広げているのは、アメリカの穀物メジャーだという。
 
そしてそこで生み出される莫大な利益は、ブラジルになんら還元されることなくアメリカに持って行かれる。
 
それがこの200年ほどの、南米とアメリカあるいはイギリスとの関係だったのではないだろうか。
 
 
南米ではアメリカのことを鬼畜のごとく言う人がたくさんいる。
 
それはまさに、こういうアメリカによる支配、アングロサクソンによるラテン系白人の支配、プロテスタントによるカトリックの支配に対する反発なのだろう。
 
 
 
そしてさらにもうひとつ言えることは、彼らラテン系白人の下には、さらにインディオという農奴のような人々がいるということである。
 
南米はアフリカと同様に、もっとも白人に痛めつけられた歴史を持つ大陸なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サウジのレイプ事件 2008年01月21日14:55
 
 
先日の読売新聞に「かみ合わぬ善悪二元論」と題した興味深い社説が載っていた。
 
サウジアラビアで19才の女性が7人の若者に拉致されてレイプされるという事件が、昨年三月にあったそうだ。
 
 
すごいのはこれに対する裁判所の判決で、被害者(加害者ではない)に対して、「ムチ打ち90回」を言い渡したのである。
 
罪状は「姻戚関係のない異性と一緒にいた罪」。
 
見ず知らずの男と、そんな場所にいた女の方が悪いと、そういうことなのである。
 
 
当然ながら西洋のメディアはセンセーショナルに報道し、人権団体は非難の声を上げた。
弁護士も控訴した。
 
すると二審では、なんと「ムチ打ち200回、禁固六ヶ月」に加重されたという。
 
 
 
背景にはイスラム社会が、家族・姻戚関係を共同体の秩序と考え、女性の行動にキビシイ制約を課していることが挙げられている。
 
 
 
 
しかしもっと端的に説明するなら、片倉もとこ氏の「イスラム性弱説」の方が簡単だろう。
 
イスラムでは人間を生来弱い者と規定する。
 
だから性欲にも弱い。
 
よって女性は男性を刺激しないように心がけるべきであると。
 
だから親族でもない男を誘惑した女の方が悪いと、そういうことになるわけだ。
 
 
 
 
この人権感覚の違いを、野蛮だ、視野狭窄だと切り捨てるのはたやすい。
 
しかしそれでは中東世界を変える「異文化の対話」は始まらないと、カイロ支局長の筆者は指摘する。
 
 
その通りだと思う。
 
 
イスラムは千年前には革新的な宗教だった。
 
神秘主義、抽象主義を廃した、きわめて合理的な宗教だと思う。
 
ムハンマドは、後に神様に祭り上げられたイエスのように、神様にはならなかった。一介の預言者である。
 
共同体のあり方を規定し、日々の行いを規定し、ある意味で女性の権利を保護した。
 
 
それまでの、ある意味で伝説だけで語られてきたキリスト教やユダヤ教に対する一種の「宗教改革」として登場したイスラム教が、またたく間に世界を席巻したのは、よく言われるような「コーランか剣か」などではなく、誰もが納得する教義だったからに違いない。
 
 
しかし現在では、その前近代性がとかく問題になる。
 
今回も「被害者」であるはずの女性が「加害者」となり、しかもその刑罰は「ムチ打ち」という一見して残酷なものである。
 
 
しかし注目されるべきは、この事件がアラブ諸国では、ほとんど問題視されなかったことである。
実際、中東の国を旅すると、この地域に凶悪犯罪がほとんど起こらないことに感心する。
 
今では日本の方がよっぽど治安が悪い。
 
イスラム共同体の規定は、今でも有効に機能しているのだ。
 
アメリカの人権団体が非難するほど、アメリカは治安がいいだろうか。
 
資本主義で潤っているのは確かだけれど、彼らにイスラム社会を野蛮だと非難できるんだろうか。
 
いろいろな意味で、西洋社会はイスラムに対する偏見が強すぎる。
 
私たちはその色メガネを外して見ないといけないと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「クリスマスキャロル」と慈善活動 2008年01月19日01:01
 
 
このディケンズの名作は小説で読んだことがあるんだけど、なんとなく映画も借りて観てみた。
 
感動した。
 
 
慎ましく暮らす貧しい家族。
病気がちの少年と両親の愛情。
 
 
思い出すだけで目頭が熱くなる。
 
 
ストーリーを説明しよう。
 
先物相場に投資してボロ儲けする、カネのことしか頭にない強欲な老人がいる。
 
 
ある年のクリスマスイブの夜。
 
3人の亡霊が現れ、老人を過去、現在、未来にいざなう。
 
そこで老人は、自分がとうの昔に忘れていた肉親や恋人への愛情、自分が知らなかった、友人たちの慎ましくも温かい家庭、クリスマスを祝う余裕もない貧困な人々、そして誰にも悼まれずに孤独に死んでいく自分の姿を目の当たりにする。
 
老人は激しく懺悔し、改心して、クリスマス当日を迎える……。
 
 
 
アメリカでは「慈善活動」というものが一般的だそうだ。
 
たとえば学校の募金を集めるのに、近所の人々が不要品を拠出してオークションにかけ、売り上げを学校に寄付するなど。
 
アメリカらしい資本主義的なやり方だ。
 
 
しかし私は「慈善活動」というものに、なんとなく胡散臭さを感じてしまうのだ。
 
なぜだろうかと考えてみれば、それはおそらくその精神が、
 
「富めるものが貧しいものに施す」
 
ことにあるからではないかと思う。
 
日本でもそういう共済組合のようなものはあった。
 
江戸時代に「講」といわれたものである。
 
村全員でお金を積み立てて、凶作に備え、病人がでた家には金を貸し、余裕があれば持ち回りで「冨士講」や「お伊勢参り」で物見遊山に出かけることができる。
 
 
その精神は同じように「助け合い」を目的にしたものだが、「慈善活動」と決定的に違うのは、そこに上下関係がないことではないだろうか。
 
 
もうひとつ疑問に思うことがある。
 
「慈善活動」はアメリカでは大企業の社会的義務になっているようだ。
 
企業は積極的に奨学金や非営利組織なんかに金を出し、社会に利益を還元する。
 
一見して素晴らしいことである。
 
 
 
しかし一方で忘れてならないのは、アメリカの近代史というものが、ある意味で巨大企業と市民運動の戦いの歴史でもある、ということである。
 
GMという巨大な自動車会社は、アメリカの鉄道会社を片っ端から買収して鉄道路線を解体し、政府にロビー活動して、あらゆる州を網羅する長大なハイウエイを建設していったそうだ。
 
一企業の利益のために、そういうものすごいことが平気で行われるのが、アメリカという国なのである。
 
そしてそういう私利私欲をむさぼった結果として成り上がった巨大企業が行う「慈善活動」というものに、私は少なからずインチキ臭いものを感じてしまうのである。
 
 
日本で使用が禁止された猛毒の農薬を中国に売り飛ばして儲ける三井物産のような商社が、「アフリカに植林しています」といって新聞に広告を出す。
 
どうなんですか、これは?
 
 
絶対的優位な立場の人間から、社会的弱者に施される慈善活動。
 
あるいはウラで悪いことをたくさんしている企業が、まるでそれを糊塗するかのように行う慈善活動。
 
本当の意味の「助け合い」とは、明らかに違う。
 
そこに私は違和感を感じるのだと思うのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ミシシッピー・バーニング」 2008年01月17日02:31
 
 
最近「90円ビデオ」に凝っていて、ちょくちょく借りてきては、原稿書きに疲れたところで観るようにしているんだけど、この価格破壊はすごいですね。
私が高校生だった80年代後半では、1本1000円だった。
 
そしてその後は350円くらいが相場だったが、いまではたったの90円。
 
当時の値段設定はいったいなんだったんだろうか。
 
もしかして、ぼられてたのかな。
 
 
 
ともあれ「ミシシッピー・バーニング」である。
 
この映画はアメリカ南部の黒人差別を取り扱った社会派ドラマとして名高い。
 
ストーリーを簡単に説明すると……。
 
アメリカ深南部ミシシッピー州で、「黒人解放」の人権団体から派遣された若者3人が行方不明になった。
 
FBIは捜査員を派遣。真相究明に乗り出す。
 
しかし人種差別がもっともキビシイ同地で、捜査は遅々として進まない。
 
殺害したのは「KKK」の一味であることは間違いない。
 
しかし町全体が、そして警察も、市長も犯人を秘匿している。
 
復讐を恐れる黒人の口も重い。
 
様々な困難を乗り越えながら、まったくタイプの違うふたりの捜査官は次第に犯人グループを追い詰めていく……。
 
 
 
映画の冒頭は「水飲み場」である。「ホワイト」と「カラード」に別れている。
 
日本人はどっちに入るかというと、「ホワイト」らしい。
 
アメリカでは「黒ければ黒いほど」差別が厳しくなるそうで、色の黒いインド人は必ずターバンを巻いて「インド」を強調しないといけないらしい。
 
 
 
映画に出てくるKKKの党員は、こんな演説をする。
 
 
 
「我々はユダヤ人を認めない。ローマカトリックも認めない。黒人もトルコも、東洋人も認めない。北部の学生や無神論者、共産主義者も認めない。我々はアングロサクソンのデモクラシーを守るのだ」
 
 
 
こういう人は、まあもう、仕方がないのだが、この人が主張する「認めないリスト」は興味深い。
ゴリゴリのネオコンにとって、有色人種やイスラム教徒はおろか、カトリックですらダメなのだ。
 
 
 
また映画のヒロインの女性はこんなセリフを吐く。
 
「私たちは七歳の時から人種差別を教わるのよ。「創世記」の九章二十七節に書いてあるって」
 
 
 
おそらく「創世記」のこの部分のことだろう。
 
 
 
「呪われよカナン、彼はその兄弟の僕(しもべ)らの僕となれ」
 
 
 
カナンとはノアの3人息子、セム、ハム、ヤペテのうちのハムの息子である。
 
そして「ハム」とは、広くアフリカ一帯に住む人々を指していたと言われる。
 
つまりアフリカの黒人は「セム」(ユダヤ人を始めとしたアジアの人々)、「ヤペテ」(ヨーロッパ人全般)の奴隷なのだというわけだ。
 
 
 
 
映画では、人種差別と同時に、北部と南部の対立、そしてアメリカの田舎の排他性が鋭く描かれる。
 
捜査員が挨拶しても会釈すらしない老人。
 
食堂で、あえて「黒人専用席」に座る捜査官をじっと見つめる他の客たち。
 
北部のテレビ局クルーを殴りつける男。
 
 
 
捜査官は「北部」から派遣された「よそ者」である。
 
南部の人々は、ことごとく反発する。
 
 
そしてこの映画では、このような南部の黒人差別主義者、KKK支持者を、まるで「アメリカの病巣」「アメリカの恥部」のように描くのである。
 
 
 
 
確かに彼らはひどい連中である。
 
意味もなく黒人にリンチを加え、黒人に選挙権を認めないという、とんでもない連中だ。
 
 
 
しかし一方で私は、この映画で黒人に暴力をふるう白人たちに注目してしまう。
 
 
 
彼らは一様に貧しいのだ。
 
 
 
人権主義者3人を殺害したのは、ミシン工や自動車整備工、貧農の息子など、いずれも「プアーホワイト」と呼ばれる人々なのである。
 
 
「なぜやつらは黒人を差別するのか」
 
 
という相棒の捜査官の質問に、ジーン・ハックマンはこんな話をする。
 
 
 
「うちのオヤジは貧しい農家だった。ある日、となりの黒人がラバを一頭買った。そしてどんどん畑を広げていった。村ではそのラバが笑い話になった。「そのうちやつは自分とこの畑をこんなに広げるだろう」ってな。そしたらある日、そのラバが死んでた。しばらくして黒人はどこかに引っ越しちまった。オレは悟った。オヤジが殺したんだって。黒人を憎んだオヤジの本当の敵は貧乏だったんだ」
 
 
 
プアーホワイトが、ことさら黒人を差別し、痛めつけるのは、貧困による不満や嫉妬が原因なのである。
 
 
 
 
別の場面でKKKを擁護していた町長がこんなことを言う。
 
「北部の連中は南部を誤解している。ボロを着て、学問もなく、コーンばっかり食ってると思ってる」
 
アメリカではド田舎の南部なんて、そんなイメージなのだ。
 
 
 
 
つまりこういうことではないか。
 
 
南部で今でも黒人差別が根強く残っているのは、かつてのプランテーションの影響もさることながら、貧困もまた大きな原因なのである、と。
 
 
 
前に「風と共に去りぬ」でも書いたけれど、南部の貧困の大きな原因には、北部による搾取があるという。
 
北部の資本家が南部に工場を建て、南部では労働力を提供するだけで、収益は北部が持っていく。
そういう構図があると言われている。
 
 
 
アメリカの地図を広げてみれば、深南部といわれるジョージア、アラバマ、ルイジアナ、ミシシッピーなどに、大都市はひとつもない。
 
工業都市はニューヨーク、シカゴ、デトロイト、ロスアンジェルス、シアトルなど北部、西部に集中しているのである。
 
 
 
そのような事実を考えたとき、本当に悪いのは誰なのか、なにが本質的な問題なのかが見えてこないだろうか?
 
 
アメリカの支配階層を図式化すれば、
 
 
北部の大資本家 > 南部のプアーホワイト > 黒人、ヒスパニック
 
 
となるだろう。
 
「人種差別」とは、アメリカの構造的な問題なのだ。
 
そして黒人差別をテーマにした、この映画の制作意図を、もう少し穿って考えてみるとするならば、
 
 
 
「北部の連中が南部の連中に、人種差別問題のすべての責任をなすりつけている」
 
 
 
とも言えるのではなだろうか。
 
 
 
「人種差別反対」と言われれば、誰もなにも反論できない。
 
そういうテーマの映画で、アメリカ国内の構造的な問題を、南部の一部の人種差別主義者に転化してしまう。
 
そういう意味で、この映画は西洋人が得意とする典型的な「責任のなすりつけ映画」とも言えるのではないだろうか。
 
 
 
最後に全然関係ないところで「なるほど」と思ったことは、テネシーの田舎町で保安官をやっていたジーン・ハックマンのこのセリフである。
 
 
「南部の田舎では、女は高校時代に結婚相手を探すんだ。そしてあとの一生は後悔だ」
 
 
アメリカは離婚が多いことで有名だけれども、一方で宗教倫理が非常にキビシイお国柄である。
 
中でもキビシイ南部では、離婚なんて許されないんだろう。
 
だから片田舎の町で、いったん結婚したら、いやでも一生連れ添わないといけない。
 
そこでフト思い出したのが10年くらい前にベストセラーになった「マディソン郡の橋」である。
アメリカの片田舎での「一瞬の不倫」を描いた、あの小説が大ヒットした理由も、おそらくこういう「田舎の閉塞性」にあるのだろうと思われる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「エクソダス」 2008年01月15日21:48
 
 
「エクソダス」(exodus)とは、モーゼによる「出エジプト」のことを指す言葉だそうだ。
 
文字通り「脱出」の意味である。
 
 
 
 
「栄光への脱出」という映画は、原題が「exodus」である。
 
この名前を冠した船に由来する。
 
第二次大戦後、イスラエル建国のために世界中のユダヤ人がパレスチナを目指す。
 
しかしアラブ人との衝突によって治安が悪化するのを懸念するイギリス政府が、ユダヤ人の移民を抑制する。
 
これに怒った過激派が、イギリス軍を相手にテロを繰り返す。
 
 
 
そういう1940年代後半のイスラエル建国前夜、611人のユダヤ人を乗せたエクソダス号がパレスチナを目指す。
 
しかしキプロスでイギリス海軍に足止めをくらい、港を封鎖される。
 
ユダヤ人たちはハンストを起こして、国際世論に訴える。
 
そしてついにイギリスが折れ、エクソダス号はハイファの港に係留する。
 
 
 
というのが前半の話で、後半はユダヤ人過激派とイギリス軍の戦い、そしてイギリス軍の撤退後は、今度はアラブ人との戦いになる。
 
 
 
 
映画自体ははっきり言って冗長で面白くないのだが、ユダヤ人に興味がある人なら、それなりに面白いかもしれない。
 
特にアラブとユダヤというのは、本来兄弟のようなものであるという事実は興味深い。
 
 
 
アラビア語の挨拶は「サラーム」(平和を)という。
 
ヘブライ語では「シャローム」で、意味も同じである。
 
 
そんな事実を指摘されると、彼らがいかに近親憎悪しているかがわかる。
 
 
 
イギリスによってパレスチナが分割統治されるまでは、アラブとユダヤは兄弟のような関係だったそうだ。
 
争いもなかった。
 
実際、イエメンのとある田舎の村に行ったとき、案内してくれた青年が谷むこうの集落を指さして、
「あれはユダヤ人の村だよ」
 
と言った。
 
「行ってみたい」
 
と言ったら、困惑されたので、それ以上は言えなかったが、付き合いはほとんどないようだった。
 
 
イスラエル建国までは、アラブ地域のあちこちに、ユダヤ人地区があった。
 
そして建国と同時に、彼らは一斉にイスラエルに向かった。
 
モロッコでは、どこの町にも「メラー」と呼ばれる旧ユダヤ人地区がある。
 
いまではすべての建物が廃屋になっている。
 
彼らも建国と同時に故郷を捨ててイスラエルに向かったのである。
 
 
今でもモロッコにはユダヤ人がいるが、彼らはおおむね事業に成功した金持ちだけだという。
 
逆に言えば、貧困な家庭ほどイスラエルに希望を託すわけだ。
 
 
 
イギリス撤退後、イスラエルは圧倒的なアラブ軍に包囲殲滅されるものと、国際社会は信じていた。
しかし結果はイスラエルの大勝だった。
 
二度目、三度目の中東戦争も、イスラエルが大勝した。
 
このあたりからアラブ人の劣等感と嫉妬が増幅されたようだ。
 
そして敗北の原因を「宗教心の不足」とみなして、原理主義が台頭しはじめるのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ミッション」 2008年01月14日22:43
 
 
この映画は、十字架に張りつけられた宣教師がイグアスの大瀑布を落っこちていくシーンで有名になった。
 
主役はロバート・デ・ニーロだったので、彼が落っこちるのかと思ったら全然違った。
 
 
 
あらすじを説明すると……。
 
1750年頃。
 
主人公のロバート・デ・ニーロはスペイン人奴隷商人で、パラグアイ周辺の原住民グアラニ族をとっつかまえて売り飛ばしていた。
 
売り飛ばす先はスペイン総督。
 
デ・ニーロは弟に恋人を寝取られて、逆上して弟を殺してしまう。
 
そして懺悔のために、グアラニ族を改宗させている宣教師に弟子入り。
 
いつしかグアラニ族と親交を深めていく。
 
宣教師の村はポルトガルとスペイン国境に位置する係争地だったため、スペイン軍は大軍でグアラニの村を武力制圧する。
 
 
宣教師たちは分裂した。
 
抵抗し、村人とともに戦う道を選ぶ者。
 
あくまで祈りを捧げながら殉死を選ぶ者。
 
 
そしてスペインの大部隊を前に、はかない反抗が始まる。。。。という実話を元にした作品らしい。
 
 
 
 
それでこの映画、観ていてどこかで観たことがある「スジ」だよなあと思っていたら、「ラストサムライ」「ダンス・ウイズ・ウルブス」と同じなのだった。
 
 
つまり「滅び行く野蛮人と、それと運命をともにする奇特な西洋人の物語」なのである。
 
 
ちょっと違ったのは悪役がスペイン王室であるということだ。
 
デ・ニーロが捕獲した原住民を売り飛ばし、総督から金貨をもらって意気揚々と引き上げる。
重厚な城門が閉まる。
 
そこにはスペイン王室の紋章がある。
 
この映画では、「スペインは、かつてひどいことをやった」という史実をことさら強調しているように見える。
 
 
 
しかし悪いことをやっていたのは、イギリスだってアメリカだって変わらない。前の日記「ポカホンタス」で書いたように、プロテスタントの国イギリスは、植民地経営で先行していたカトリックの国スペインを貶めて、「漁夫の利」を狙っていた。
 
そういう伝統がある。
 
 
 
だからこの映画には、侵略者にたいして、なんのエクスキューズも提示されず、後味の悪い結末となっている。
 
最後に生き残ったグアラニの子供たちが、ボートに乗り、新天地を目指して船出する。その時に子供のひとりが、宣教師が持ってきたバイオリンを拾って持っていくシーンがある。
 
原住民は西洋文化を受け容れ、文明開化の可能性を秘めて旅立った。。。というわけだ。
 
 
「スペインのやり方は残虐非道だが、キリスト教と西洋文明は万人に共通の普遍的なものなのである」
 
 
ということなのだろう。
 
 
 
イグアスの滝近くの町、おそらくシウダ・デ・エステだと思われるが、この町はスペイン人入植者で賑わっている。
 
グアラニと黒人の召使い、従者、奴隷を従えて、優雅な暮らしを送っている。
 
当時はそういう時代だったから仕方がない。
 
しかし現在でも、南米の大半の国々は、少数の不在地主がほとんどの土地を支配している、非常に前近代的な状態が続いている。
 
当時のスペイン人入植者が、いまだに国のすべてを握っている。
 
 
南米は十九世紀の初め頃に、フランス革命の影響を受けて、次々と本国から独立を勝ち取った。
 
 
しかしそれは西洋人たちのスペインからの独立でしかなかく、グアラニなどのインディオの人々にはなんの関係もなかった。
 
 
南米には漠然と民主主義が根付いているような印象があるが、実際はそうではない。とても不公平な搾取が続いている。
 
南米諸国がアジアのような華々しい経済発展を遂げられないのは、そういう経済的な閉塞状態が原因なのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
久々に観た「ランボー」 2008年01月12日16:29
 
 
「ロッキー」に続いてスタローン映画である。
 
この映画も超有名だから、あらすじはいいとして、今から見返してみると、けっこう面白い事実が見えてくる。
 
 
 
この映画、「ベトナム帰還兵の憂鬱、悲哀、反抗」といったものがテーマのように思われているかもしれないが、実は根底にあるのは、その昔の「イージーライダー」と変わらないようだ。
 
 
 
それはなにかといえば、アメリカ社会の「保守性」「排他性」である。
 
 
 
映画の準主役である、地方都市「ホーリーランド」の保安官は、「オレの町を」というセリフを連発する。
 
舞台は、どうやらシアトル郊外の小都市。
 
ランボーは黒人の戦友を訪ねてやって来る。
 
戦友は化学兵器による後遺症で死んでいた。
 
失意のうちに彷徨するランボーをとっつかまえて拷問したのが、件の警官である。
 
 
 
 
アメリカの地方都市というのは、白人居住率がきわめて高いそうだ。
 
大都市は黒人とヒスパニックに占有され、荒廃して治安が悪くなり、白人たちは郊外に小都市を作って、白人だけの町を無数に作り出した。
 
 
ランボーがぶっ壊すのも、そういうとりたてて特徴のない、アメリカのどこにでもある地方都市なのである。
 
映画の冒頭で警官が自嘲気味に言う。
 
 
「なんにもないつまらない町だがな、オマエのような流れ者はお断りなんだ」
 
 
 
「イージーライダー」も似たような映画だった。
 
麻薬で儲けた金でバイクツーリングする北部のヒッピーを、南部人が殺すという話だった。
 
そこにはアメリカ社会の「排他的攻撃性」が色濃く描き出されていた。
 
「ランボー」の冒頭でも「地元」と「よそ者」の対立が鋭く描かれる。
 
 
 
 
アメリカ人は一般に、海外事情に非常に疎い。
 
とある笑い話にこういうのがある。アメリカ人と仲良くなって、ひと通り話が弾んだ後に、そのアメリカ人がこう質問するのだ。
 
 
「ところでその日本って国は、車で何時間くらいのところにあるんだい?」
 
 
留学生や遊びに来る有色人種はウエルカムだけど、隣に住まれるのはお断り。なぜなら土地家屋の資産価値が下がるから。
 
という話も聞いたことがある。
 
地元のことしか知らない。
 
地元がよければそれでいい。
 
よそ者は徹底的に排除する。
 
自分たちの権益を守るためなら先制攻撃も辞さない。
 
ランボーもそうやって警察署にしょっ引かれた。
 
 
イラク戦争のアメリカのやり方そのままなのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再び中東の笛 2008年01月08日16:14
 
 
「ハンドボール男女とも五輪アジア地区予選やり直し! 」
 
昨年9月に、不可解な「中東の笛」について日記を書いたんだけど、その後ハンドボールは再試合が決定。
 
よかったよかったと思っていたら、クウエート王族が支配するアジアハンドボール連盟が、「再試合は不要」との見解を示したという。
 
 
 
まったく仕方のない連中である。
 
 
今日のニュースによると、国際ハンドボール連盟の会長はエジプト人で、要するにクウエート王族の傀儡なんだそうだ。
 
だから再試合が決まっても、試合場所が中東のどこかだったり、審判がアラブ人だったりするかもしれず、まったく油断できないという。
 
 
しかしこのニュース番組を見ていて、クウエートの専門家が言ったひと言が印象的だった。
 
 
 
「クウエートという国は人口も少ない小さな国なので、スポーツで有名になることはない。ハンドボールで選手が国際的に活躍すれば、国民は大喜びなんです」
 
 
 
それで私は、その昔、南米に行ったときのことを思い出した。
 
ちょうどバルセロナオリンピックが開催されていて、私はボリビアの主都ラパスの食堂のテレビで、体操かなんかを見ていたのだ。
 
 
しかし気づいてみると、周囲の人は誰もそんなものを見ていない。
 
 
オリンピックが開催されていることすら知らないかのように無関心なのである。
 
なんでだろうかと考えているうちに、その理由がわかった。
 
 
 
自国の選手なんて、すでに全員予選落ちして、応援する気にもなれないのである。
 
 
考えてみれば、参加国200ヶ国のうち、いったいどれだけの国がメダルに届くんだろうか。
 
自国の選手が活躍して、国民みんなが熱狂できる国が、いったいどれだけあるんだろうか。
 
一部のお金持ちの先進国だけが盛り上がって、それ以外の大多数の途上国はしらけている。
 
 
 
それがオリンピックの実体なのではないだろうか?
 
 
 
もちろんスポーツなんだから、それは仕方のないことなのかもしれない。
 
 
 
しかしどうだろうか。
 
 
先進国が有利になるような「エコヒイキ」がまったくないと言えるだろうか。
 
 
 
たとえば野球なんて、日本人には楽しいかもしれない。
 
でも野球というスポーツが、世界中でどれだけ認知されているだろうか。
 
野球をやる設備を作るのに、どれだけのお金がかかるだろうか。
 
 
 
それよりも、たとえば「綱引き」のような、世界中どこででもできるスポーツこそ、オリンピック種目に加えるべきなのではないだろうか???
 
 
スポーツというさわやかなオモテとは裏腹に、巨額の利権がからむこのイベントに、大企業や一部の先進国の意向が強く反映されていることもまた、事実ではないか。
 
 
 
 
クウエートのやり方は、もちろん許されることではない。
 
この際徹底的に問題にするべきだ。
 
 
しかし一方で、もっと大きな「エコヒイキ」、もっと大きな不正が行われているのではないかと私は思うのだ。
 
みなさんどう思われますか????
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
猿岩石 再び 2008年01月07日19:52
 
 
「元猿岩石・有吉11年半ぶりヒッチハイク」
 
 
この人たちについては当時から、いろいろとウワサがあった。
 
 
たとえば……。
 
「タクシーに乗っているのを見かけた」
 
「某高級ホテルから出てきた」
 
「買い食いしていた」
 
などなど。
 
 
 
 
実際、この「ユーラシア横断ヒッチハイク旅行」がヤラセだったことは疑いない。
 
だってタイからミャンマー、バングラを「陸路で」通ってインドにいくことは不可能だからだ。
 
 
そもそも日本人の無銭旅行自体が不可能だろう。
 
 
あまりにみすぼらしい格好をしていれば、国境で所持金をチェックされるだろうし、無許可の労働はどこの国でも禁止されているからだ。ちょっと考えればわかることである。
 
 
 
にもかかわらず、この人たちが世間に与えた感動、そしてその後のバックパッカーに与えたインパクトは限りなく大きい。
 
たとえ元ネタが沢木耕太郎の「深夜特急」のパクリであったとしても、そのほとんどすべてが「ヤラセ」であったとしても、彼らのおかげで「バックパッカー」という言葉と、リュックを背負った貧乏旅行のスタイルが、広く世間に認知されたのである。
 
 
 
世間は「いい意味で」、彼らにだまされたのである。
 
 
 
今回、有吉がどういう意図でもう一度ヒッチハイクを思い立ったのか。落ち目の芸人の起死回生の一発芸なのか。
 
それがまたしてもヤラセなのか。
 
よく知らないけれど、なんとなく温かく見守ってあげたい気分である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「パリダカ」というレース 2008年01月05日06:24
 
 
「政情不安理由にパリダカ中止」
 
「パリ・ダカール・ラリー」というのは世界一過酷なレースだそうだ。
 
フランスのパリから、西アフリカのセネガル共和国の首都ダカールまでを車で走破するこのレースは、三菱パジェロのように日本からも何社か参加しているし、世界的にもメジャーなレースである。
 
 
テレビでも、広大な砂丘を乗り越える大型のカミオンとか、オフロードカーとかを何度か見たことがある。
 
 
 
しかし私が忘れられないのは、一度だけ見かけたこんな映像である。
 
 
アフリカのどこかの田舎の村を車が爆走してくる。
 
ものすごい土煙を巻き上げ、唸るようなエンジン音を響かせて、オフロードカーが、すごいスピードで村を走り抜ける。
 
カメラはそのカッコイイ姿を余すところなく捉えている。
 
しかし私の注意は、その隅っこに一瞬だけ登場する、たぶん村人と思われるひとりの男性に注がれる。
 
車が村を突っ切って走ってくるその時、その男性が道を横切るのである。
 
車は一瞬ハンドルを切って、間一髪でその男性を跳ね飛ばすことはなかった。
 
しかしその男性の顔は恐怖にこわばり、無意識に頭をかばうようにして両手で耳をふさぎ、そして膨大な土煙の中に消えていった。
 
 
 
 
この映像はもちろん「パリダカ」のプロモーション映像の一部であり、他にも雄大な自然の中を疾走する車の映像はたくさんあったはずなのだけれど、私はこの一瞬の映像が目に焼き付いて離れない。
 
 
なぜならこの映像が「パリダカ」という、あまりに非人間的なモーターレースの実態を非常によく象徴していると思うからである。
 
さっきの黒人男性は幸いにも怪我もせずに済んだけれど、レース中に交通事故に巻き込まれて死亡する現地の人々は、いったい何人くらいいるのだろうか。
 
そういう数字は公表されているのだろうか。
 
フランス国内でも、あんなに猛スピードで村の中を突っ切るという危険なレースが行われているのだろうか。
 
 
 
そして最後に、なぜアフリカなんだろうか。
 
 
 
こういう疑問を並べていくと、その背景にひとつの結論が浮かび上がってくるのではないだろうか。
 
 
つまり、こういうことである。
 
 
 
 
黒人なら、ひとりやふたり死んだってかまわない。
 
アフリカなら多少危険なことをしたって、どこからも苦情が来ない。
 
 
 
西アフリカというところは、いまだにフランスの植民地である。
 
為替相場もフランスに握られている。
 
要するにフランスの言いなりである。
 
 
そういう国だから、国民が少々危険にさらされたとしても、政府はなんの苦情も言わないだろう。
そもそも政府自体があまり機能していない地域なのである。
 
これがフランス国内で、例えば通行中の小学生が跳ね飛ばされて亡くなったとしたら、大問題では済まされないだろう。
 
レース自体が永久に中止されるかもしれない。
 
 
アフリカで黒人が何人死のうがかまわない。
 
 
これがこのレースを主催している人々の考え方ではないか。
 
 
 
 
命の重さには明らかに軽重がある。
 
これは仕方がないことだ。
 
名古屋で中華航空が墜落したとき、日本人と台湾人の間で補償額に差が出たことがあった。
 
いろいろなことを考えれば、そういう不公平は、ある意味で仕方がないのかもしれない。
 
 
 
しかしだからといって、このレースが、人が住んでいる地域で平然と行われていいことにはならない。
 
やるのなら南極でも北極でも、もっと安全なところがあるだろと言いたい。
 
 
こんなわけで、参加者には申し訳ないけれど、このレースが中止になったのは、よいことだと私は思うし、このまま永久に中止になってくれてもいいと思う。
 
 
※この文章は、以前旅日記に書いたものを転載したものです。
www.jinriki.net
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本の食糧自給率40% 2008年01月04日01:37
 
 
この間仕事で調べていて、農水省の世界の「食糧自給表」(2003年)というのを見つけた。
 
世界175ヶ国の「穀物自給率」の一覧である。
http://www.kanbou.maff.go.jp/www/jikyuuritsu/013.html
 
 
なかなか興味深い。
 
ベストテンは、
 
 
オーストラリア333%
アルゼンチン249%
ガイアナ228%
ウルグアイ205%
フランス173%
タイ162%
カザフスタン150%
カナダ146%
パラグアイ142%
ハンガリー141%
 
 
の順である。
 
 
 
しかしこれはあまりアテにならない。
 
たとえばオーストラリアは人口が少ないので、自給率は当然高いのである。
 
つまり食糧をどれだけ生産して、どれだけ輸出しているかの指標にはならないのだ。
 
 
 
ともあれ今度は最低の国々をみてみよう。
 
 
 
サモア、セイシェル
セントルシア
キリバス
 
 
 
島嶼国がズラリと並んでいる。
 
自給率は0%。
 
他にも、
 
 
 
アラブ首長国
ブルネイ
クウエート
 
 
 
などの産油国が並ぶ。
 
面白いところではアイスランドが0%である。
 
 
 
 
この表を見ていると、興味深い傾向が見えてくる。
 
 
まずひとつは、自給率の高い国は、先進国が多いということである。
 
OECD加盟国の大半は自給率70%以上と余裕がある。
 
低いところではさっきのアイスランドを筆頭に、オランダ24%、ポルトガル27%、韓国28%、日本28%など。
 
他はたいがい高い。
 
それとは対照的に、島嶼国以外で自給率が低い国にはアフリカ諸国が多い。
 
 
 
ジブチ0%
コンゴ共和国3%
リビア11%、
ボツワナ14%
ガボン17%
 
 
 
そしてこれらの国よりはマシだが、南米諸国も自給率が低い。
 
 
 
コスタリカ17%
ホンジュラス48%
コロンビア50%
グアテマラ52%
 
 
 
前にも書いたけれど、途上国が農産物輸出国であるというわけではない。むしろ途上国は食糧輸入国なのである。
 
 
 
なぜだろうか。
 
 
ジャマイカの例を引いてみればわかりやすいかもしれない。
 
ジャマイカは自給率0%である。
 
この国の輸出産業は、鉱物資源とコーヒーと砂糖とバナナだそうだ。
 
トウモロコシでも作ればいいのに、コーヒーと砂糖である。
 
それらの輸出先はダントツでアメリカである。
 
そして穀物も含めた、あらゆる生活物資の輸入元も、おそらくダントツでアメリカなのである。
 
 
 
 
つまりこういうことではないだろうか。
 
 
アメリカはジャマイカからあらゆる農産物を買い上げるかわりに、あらゆる工業製品を輸出する。
 
この関係は、かつてのイギリスとインドの関係に近いかもしれない。
 
 
イギリスはインドから綿花を買い上げる。
 
そして生地に加工してインドに輸出する。
 
 
アメリカはジャマイカからコーヒーを輸入する。
 
そしてジャマイカの町には、スターバックスが乱立するのである。
 
 
途上国には工業が乏しいから、農業生産物、特にコーヒーやサトウキビ、綿花のような商品作物を輸出するしかない。
 
そうすると小麦やトウモロコシのような穀物に回せる農地がなくなってしまう。
 
主食の穀物は輸入に頼ることになる。
 
そしてそれらの輸入元は、さっきのOECD諸国なのである。
 
 
先進国による途上国の搾取は、工業製品の他に農産物の分野でも行われているのだ。
 
そういうことは往々にして「食糧援助」の形を取って行われるのだろう。
 
内戦で儲かるのは兵器産業だけではない。土地が荒廃して飢饉が起これば、穀物メジャーも儲かるのである。
 
 
 
 
日本も笑ってばかりはいられないだろう。
 
自給率40%に満たない日本は、大飢饉が襲ってきたらひとたまりもないことは目に見えているのだ。
 
 
その時を虎視眈々と狙っているのが、アメリカやオーストラリア、そしてカーギルなどの巨大穀物メジャーなのである。
 
 
私たちがするべきことは、少々高くても日本産の農産物を買うことである。
 
そして日本の農家を支えることである。
 
それしか方法はないだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ケニア大統領選挙 2008年01月03日00:01
 
 
先日以来、アフリカのケニアで大統領選挙とその開票が行われているようだ。
 
選挙は部族抗争を激化させ、100人以上の死者を出して、現職大統領の当選が発表されたが、対立候補は「不正があった」としてこの発表を認めず、各地で暴動が発生して、治安が悪化しているという。
 
もうお決まりのパターンだが、この一連の報道は、途上国の問題を象徴的に伝えているように思えるので、少々考えてみたいと思う。
 
 
 
 
読売新聞の報道によれば、候補者は現職のキバキ大統領と野党党首のオディンガ氏。
 
キバキ氏はケニア最大部族のキユク族出身。
 
オディンガ氏はルオ族出身で、キユク族以外の中小部族の支持を集めている。
 
この選挙は、最大部族とその他の部族との対立を反映しているのだ。
 
 
キバキ大統領は経済立て直しには成功したが汚職にまみれている田中角栄のようなやつだ。
 
 
 
 
投票は27日に行われた。
 
テレビ局による中間報告では、オディンガ氏が100万票以上引き離して、キバキ氏を大幅にリードしていた。
 
しかし開票集計が9割まで進んだところで、差はわずか4万票であると伝えられた。
 
開票作業はひどく遅れ、オディンガ陣営は「不正が行われているのではないか」と警戒していると報じられた。
 
 
 
30日夕方に選挙結果が公表された。
 
 
キバキ氏が458万票、オディンガ氏が435万票で、キバキ大統領の当選が発表された。
 
 
キバキ氏は「直ちに」2期目の宣誓式を行った。
 
オディンガ氏は当然反発。欧州の選挙監視団も、結果の信憑性に強い懸念を表明しているという。
ケニア各地でオディンガ氏支持者の暴動が発生し、キユク族の村が焼かれ、治安部隊が出動してメチャクチャなことになっているらしい。
 
というのが一連の報道であった。
 
 
 
 
さて……。
 
この選挙では当然、キバキ陣営による不正があっただろう。
 
開票作業中に票の操作が行われたことは、おそらく間違いない。
 
 
しかし同じようなことは世界中で行われている。
 
あのロシアだって、選挙はまともに行われたかもしれないが、間接的な野党候補に対する妨害が公然と行われていた。
 
中央アジアのウズベキスタンとかタジキスタンでも、長期独裁政権が続いている。
 
そもそも選挙すら行わない、シリアや北朝鮮のようなヤクザ国家もある。
 
 
だから不正自体はたいして珍しいことではない。
 
 
 
 
では、もしも選挙が公正に行われていたらどうだろう。
 
おそらくオディンガ氏が当選していただろう。
 
 
 
もしそうなったとして、その後のケニアはどうなっていただろうかと考えてみる。
 
おそらく汚職は今まで通りあったことだろう。
 
政府高官は、キユク族から他部族の代表者に、一斉に首がすげ替えられる。
 
ODAは今度はそいつらのフトコロに入る。
 
自部族の利益誘導体質はなにも変わらない。
 
今度はキユク族が「干される」わけだ。
 
 
 
 
そうやって大統領の任期5年間の間、連中は私腹を肥やし続け、次の選挙となる。
 
既得権益を手放したくない連中は、今度は自ら票の操作を行い、オディンガの続投を決めるだろう。
 
 
またしても流血の暴動が発生する。
 
 
 
こうやってこの国の選挙は、永久に改善されることがないまま、5年に1度、全国に大暴動を起こしながら続いていくのである。
 
 
 
 
そもそも、なぜこういうことになったのか。
 
それはおそらく1884年の「ベルリン会議」に始まる「アフリカ分割」に端を発するだろう。
 
この会議の直後、アフリカは文字通り「あっという間に」分割された。
 
その国境線は、黒人部族の都合を無視した、西洋諸国の力関係によるものだった。
 
現在のアフリカ諸国は当時の線引きをそのまま使って独立している。
 
だから同じ国に不倶戴天のライバル部族がいることもある。
 
そいつらと大統領の座を争って選挙が行われるのだから、殺し合いに発展してもおかしくないのである。
 
 
 
ではどうやったら暴動のない民主的な選挙が行われるようになるのだろうか。
 
 
 
おそらくアフリカをまとめてひとつの国にして、国連のような利害関係のない第三者が統治するのがもっとも平和的ではないだろうか。
 
 
無数の黒人部族からひとりの大統領を選出することに、そもそも無理があるのだと私は思う。
 
 
 
 
しかしそういう友好的な解決方法が実現することは、あり得ないのである。
 
なぜなら世の中には「平和になると困る人たち」が大勢いるからである。
 
具体的に言うと、兵器産業や穀物メジャーのような人たちである。
 
 
 
彼らがいる限り、アフリカから内戦と飢餓は消えない。
 
だから今回のケニアのような政治の汚職と不正選挙、暴動や内戦は永久に続くしかない。
 
 
私たちは日本に生まれたことを、心から感謝するしかない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ライジング・サン」 2008年01月01日17:45
 
 
かつて「ジャパン・バッシング」で話題になった「ライジング・サン」という映画。
 
大晦日は若干二日酔いで、あんまり酒も飲まずに床についたのだが、結局寝られずに観た。
 
別に初日の出にかけたわけでは、ない。
 
 
 
映画のスジを説明しよう。
 
 
舞台はロスアンジェルス。
 
町のど真ん中に巨大ビルを建てた日本企業「ナカモト」の落成式で、高級コールガールの変死体が発見される。
 
事件を担当したのは黒人警官と、「日本ツウ」で知られる老警官のショーン・コネリー。
 
事件当時、ナカモトによるアメリカのハイテク企業の買収が進められていた。
 
ナカモトの担当者は、買収反対派の有力上院議員を買収するためにコールガールをあてがう。その女が殺害される。
 
そのスキャンダルを元に日本企業は上院議員を脅し、賛成派に鞍替えさせる。
 
そして防犯ビデオの映像を改ざんして、ライバル企業の御曹司に罪を着せようとする。
 
黒人刑事は、異質な日本の慣習に戸惑いながらも、徐々に事件の核心に近づいていく……。
 
 
 
 
この映画、確かに日本の文化、風習が「異質なモノ」として、かなりグロテスクに、誇張して描かれている。
 
冒頭からカラオケである。
 
高級スポーツカーを乗り回し、フンドシ姿で全裸の白人女の「女体盛り」の寿司をうまそうに食う男。
 
白人コールガールを何人も囲う日本人専用高級クラブ。
 
「男尊女卑」的な言動。
 
「日本では作業効率を高めるために監視カメラで見張っているのが普通だ」というセリフ。
 
主人公のショーン・コネリーが住むアパートメントの1階がマグロの解体工場であること。
 
「マドギワ」「ケイレツ」というような、アメリカでは理解しがたい企業用語。
 
「おじぎ」という日本的な挨拶。
 
「マージャン」「ゴルフ」などの接待文化。
 
「貸しができた」「借りを返す」などの習慣。
 
年功序列の人間関係。
 
などなど。
 
 
 
 
好奇心丸出しで語られる、このような日本の異質でグロテスクな風習は、確かにある種の悪意を感じる。
 
アメリカ人の「意地悪さ」が表れているようにも思える。
 
 
 
そして異質な日本に対する反発と同時に、日本の経済侵略になすすべもないアメリカ人の苛立ちが手に取るように伝わってくる。
 
この映画で登場する最新技術は、すべて日本のものなのだ。
 
映画のキーとなる防犯カメラの画像データも、日本人女性によって解析され、改ざんが明らかになる。
 
データ改ざんが行われたハイテク工場では、意味不明のロボットが歩き回っている。
 
「この工場も日本に買収された」と、主任研究者の白人男性が寂しく笑う。
 
最初から最後まで、日本の最先端技術が強調されている。
 
 
 
しかしちょっと気になったのは、件の防犯ビデオの画像データを解析する日本人女性である。
 
正確には日本人と黒人の混血の女性なのだが、なぜ、あえて「日本人と黒人の混血」という設定がなされたのだろうか。
 
別に白人との混血でもいいのではないか。
 
 
 
そう考えてみた時に、この映画の設定がなんとなく見えてくる。
 
この映画の登場人物を単純化すると、以下のようになるだろう。
 
 
 
日本人=異質、理解不能、能率的、規律正しい、ハイテク、最新式
 
ショーン・コネリー=日本人を理解する開明的、理想的なアメリカ人
 
黒人警官=アナログだが日本人に対して柔軟に対応しようとする意志
 
アメリカ白人=固陋、保守的、非効率、いい加減、アナログ、時代遅れ
 
 
 
面白いことに、この映画では、ショーン・コネリー以外の白人全員が「悪玉」なのである。
 
スキャンダルを恐れて自殺する上院議員も、日本人に取り入ろうとするあまりに殺人を犯して破滅する弁護士も、みんな白人である。
 
彼らは日本製の最新の携帯電話を持ち、最新のカラーファックスを持っている。
 
ハイテク電化製品を与えられて、すっかり日本人に絡め取られ、籠絡された憐れな白人なのである。
 
 
 
一方でもうひとつのパターンの白人が出てくる。
 
黒人警官のかつての相棒だった白人警官である。
 
彼は収賄を重ねる悪徳警官でもある。
 
この男は、我が物顔でロスの町を闊歩する日本人が気に入らなく、徹底的に毛嫌いしている。
 
 
 
「あいつらは東京の満員電車に揺られて、汗水たらして働いて、アメリカに来て解放されて、ブロンドの女を抱きたがるんだ。日本人はどいつもこいつも変態だ」
 
「なんでエレベーターがしゃべらなくちゃならないんだ!」
 
「寿司? あんな生臭いもん食えるか!」
 
「このビルはたった半年で完成した。日本からプレハブを持ってきて、日本企業が建てるんだ。所得税は8年間も免除されている。アメリカはタダで土地をくれてやっているようなもんさ」
 
 
 
吐き捨てるようにそういう白人警官。
 
おそらくこの映画が公開された93年当時の、おおかたのアメリカ人は、この警官と同意見だったに違いない。
 
この警官は頑迷固陋で保守的、仕事はできないが保身には長けているという、典型的なアナログ人間として描かれる。
 
これが一般的アメリカ人の実体であるという揶揄が込められていることは言うまでもない。
 
 
 
 
当時アメリカを侵略して金を儲ける日本企業は、今のトヨタのように現地で雇用を創出することをしなかったから槍玉に挙げられたわけだが、しかしこの映画は、単純に「日本叩き」なだけではない。
 
どちらかというとアナログなアメリカ白人に反省を促すというメッセージの方が強いようだ。
 
 
 
映画では、時間に遅れてきた黒人警官を「遅い!」と非難する場面が二回も登場する。
 
時間にだらしない、仕事ができない、アタマの悪いアメリカ人を揶揄しているのだ。
 
そしてショーン・コネリーのこんなセリフがある。
 
 
 
「日本人は失敗の原因を突き止めて改善しようとする。誰の責任も追求しない。アメリカ人は誰が失敗したかを追求する。彼らの方が賢明だ」
 
 
 
このセリフは、そのまま現在の日本に投げつけるべき言葉のように思えないだろうか。
 
日本人はいつから失敗した人を、本人が自殺してしまうまで追求するようになったんだろうか。
 
 
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